スポーツカーといえば、大排気量のエンジンを積み、数百馬力のパワーで猛スピードで走るイメージがある。そこをなぜあえて、
660cc制限のある軽自動車にしたのだろうか。実は椋本さんには苦い経験があった。入社直後、子どものころにホンダのCMを
見て憧れていたS2000を中古で買った。240馬力以上を発する超高性能スポーツカーだが、完全には乗りこなせなかったという。

「乗ってみて分かったんですが、これは失敗したなと思いました。やっぱり19歳の身の丈には合ってなかったんです。その教訓
で、自分たちにとって身近で思いっきり乗りこなせる車があるといいと思ってました。高校生のころは、学校までバイクのスーパ
ーカブで通学していたんですが、あれが面白かったんですよ。元の排気量が小さいからエンジン全開にできるし、マシンを振り
回す感覚があるんです。エンジンは死にそうな音がするし、ステップもガリガリ削られる。『遅いんだけど楽しい』という感覚がずっ
と身にしみついてたんで、そういう車があってもいいというのが、発想の原点ですね」

2011年3月の開発スタートから、4年越しで完成したS660。運転手の背後にエンジンがあるため、後席はない。当然、2人乗りだ。
トランクはボンネットの中の狭いスペースだけで、ホロを収納すればいっぱいになってしまう。それでい
て販売価格は約200万円と、軽自動車にしては高めだ。

現在、国産乗用車はミニバンやワゴンといった多くの荷物が積める車が売れ筋だが、なぜ対極を行くような車にしたのだろうか。

「S660に込めたのは『車って楽しい』というところなんです。そこが僕は尖ればいいと思っていて、確かに、全部100点の車ができ
ればいいんですけど、当然、バーターの世界なんでどこかが尖ればどこかが引っ込む。じゃあ、この車でどこを尖らせるかとい
うと、一つはスタイリングで、パッと見のカッコ良さ。もう一つは乗る楽しさです。その二つを徹底的に尖らせてやろうと思ったんで
す。引っ込む部分が居住性だったり、快適性だったりするけど、それはそれでいいんです。今回はカッコ良さと、楽しさという2つが
尖ればいいと思っています」

マーケティングを意識せずに「自動車の楽しさを提案する」というコンセプトが背景にあったことが、この特異な車の開発に至ったよ
うだ。

S660の最高出力は軽自動車の自主規制によって64馬力に留まっている。そのため、「輸出用モデルとして130馬力近くに改造した
「S1000」をホンダは準備中……」という憶測記事も、巷の自動車雑誌には書かれている。実際にそうした予定があるのか聞いてみ
ると、椋本さんは苦笑しながらこう言った。

「数字には特に興味ないんです。公道試乗会を開催したところ、それまで『もっとパワーを欲しい』と言っていた方も、『これがベスト
だな』と意見を変えていました。多分、64馬力でも全開にできないです。まずはこの64頭の馬をきっちり手なずけて、楽しんでいた
だければなと(笑)。S660は、サーキットに持ち込まないと楽しめない車じゃなくて、家からコンビニ行くだけでも楽しい車なんです。
街中を気軽にどれだけ楽しめるかというのもポイントだと思います。一度乗っていただければ、この車のコンセプトである『日本の
一般道を、とにかく気持ちよく走る』を、ご理解いただけると思っています」