立身流について教えてくれ [無断転載禁止]©2ch.net
精緻な剣理の流儀ってことで最近気になってるんだが、
創始されたのが戦国時代初期(1500年代始め)なのに、立ち合いの居合術が表芸であること、
現在伝わってる組太刀がどう考えても素肌剣術のそれで、介者剣術の雰囲気が全くないこと、等が少し引っかかってる。
出来れば東京の道場に入門したいんだが、修行がものすごく長期間かかるらしくて、もう少し色々と情報収集してから判断したい。
なので、少しでも立身流について知ってることがあれば情報提供してくれると助かる。
スレ立てるの初めてで色々勝手が分からんが、協力してくれるとありがたいです。
参考:立身流ホームページ(http://tatsumi-ryu.org/) http://tatsumi-ryu.org/?p=1643
下緒の論考のページだけどここんんとこに「幕末が基準になります」ってあるから
形全体も香取のように墨守する道を取らず変化する道をとったんじゃないの?
実際に明治に警視庁に入った逸見に代表されるように竹刀稽古も取り入れてたみたいだし >>2
早速レスありがとう
香取も「甲冑なき時代にかつての身勢を墨守するにあたらず」
って具合に腰の高い格好で組太刀伝えてるけど、やっぱり同じことが起こってるのか
別に創始時代の型をそのままの形で伝えてなければダメとかそんなこと言うつもりは全然ないんだけど、
どの時期にどれだけの型が付け加えられたのか、ってところは結構気になるんだよね
特に立身流のばあい、幕末の撃剣で多用された一刀流由来の技なんかが組太刀に入ってたりするからそのへんの由来も(流派の正統進化の中で素肌剣術のための技法として生まれたのか、あるいは外から取り入れたのか) 甲冑とか言うけどさ、平時の際も甲冑着こんでる奴なんていないでしょ。 >>4
介者剣術は合戦において用いる剣術だから甲冑着用が前提なのよ
少なくとも型としてはそうなってる
だから、甲冑を着ない(合戦以外の場)で斬り合う場合は甲冑なしの技術が必然的に要請されるわけだ
香取神道流も、甲冑の着用を前提として編まれた組太刀と、甲冑を用いずに平服で斬り合う素肌剣術の組太刀を両方持ってる
俺が気になってるのは、戦国期に創始された立身流の組太刀がどのように変わって来たかっていう点
立ち合いの居合術を表芸としていることから、初めから平服での素肌剣術を多分に想定した流派だったということは想像できるけど、
だからといって介者の技術伝がなかったとは思えないし
幕末の撃剣の隆盛をうけて他流派の影響をうけて変化したのか、それとも自然と変わって来たのか
いずれにせよくだらん部分ではあるんだが >>4
国境の兵士は砦で鎧着てるし物資の輸送時だって鎧着る
盗賊山賊も鎧着てるし村人だって戦場で拾ったりしてるだろう
つまり戦争がなくても鎧は着る 踵が上がるということは体が真正面を向いているということ。
外国人の演武を見ると浮いてないのだが、日本人だと浮いてる人が多い。
ただ、槍や薙刀などの長物では浮かしてる人はいない。
長物は体が斜めになるからね。
真正面を向いていると斬り方もまた変わってくるから、
構えで踵を上げるか否かについては非常に重要な話だからね。 立身流は「やわら」が面白いね。
https://www.youtube.com/watch?v=hTIww-hXFzM
逆を中心としているように見える。
香取もそうだが、表芸を剣術としている流派の柔術は逆が中心になるのかな。 >>1
立身流は、型については殆どそのまま伝わっていて付け加えたりしてないのでは。
巻物15巻、昔から伝わっているような書き方だったし。
和の奥伝に組討とかあるようだから、甲冑前提の技も存在するようだ。
剣だって演武している技が全てではないだろう。
ただ修行順路、構え、斬り方、足さばきなどは時代とともにかなり変化したと思う。
撃剣の影響も受けているし、
剣道やってる人もいたから、斬り方や構えも変化しているよ。
まあ、こればかりはやる人によって変わるものだから、仕方のないことか。
剣と和を両方学べるところはそうそうないから
やってみればいいんじゃないの? 香取神道流も室町・戦国時代と江戸時代とではだいぶ技術体系違うのか?
違うとしたら具体的にどう変わったん? >>13
室町時代の香取神道流は槍、薙刀メインだったはず。
長物の流派の殆どが神道流から出ていたりする長物の名門。
剣は二代目あたりから出てきたとか、江戸期に取り入れたとか様々な説があってよく分からない。
門人見ると塚原卜伝の親父とかいるから
剣は当初からあったが型が少ないので後に増やしたのだろう。
柔も室町時代に既にあったのか、戦後や江戸期に取り入れたのか分からない。
だが、組討について飯篠が香取神宮で編み出したと書いてある伝書があるようだから
たぶん当初からあった組討の技術に江戸時代にできた平服の柔術を付け足したのだろう。
香取は色々と謎が多い。 立身流についても三代目までの詳しいことが分かってないし、
剣の型をみてもどことなく江戸期の雰囲気があるから謎だ。
流祖って本当に立身三京なのか。
昔の剣術って陰流、神道流、新当流など長い型を持つ流派が多いよね。
あとは荻生徂徠が、頭をよく狙うのは平和な時代の剣術とか書いている。
実際に古いのは、もちろん頭も狙うが
内小手とか腿とか斬るのが多いような気がする。 甲冑と腰の高さってあまり関係ないと思う。
腰が低いのは斬った時に安定するからそうしているのだと思うよ。
香取も斬ったときは腰を落としている。
あと介者と平服だが、
昔の剣術って介者でも平服でもいけたんじゃないかな。
甲冑と平服で形を分けてないところも多かったようだし
当時の剣術の型は、介者平服兼用の型なんじゃないかなと思う。
基本、内腿とか内小手とか首とか平服でも効果抜群だし
違いを理解していれば使い分けれたのかもしれない。
それに平服と甲冑の中間のような格好もあるし、
相手の装備によって臨機応変に使い分けていたのだと思う。
塚原卜伝とか試合は平服、合戦は甲冑だったし。 >>14
ありがとう
江戸時代以前の伝書とか残ってないのかなぁ >>17
残ってるよ。
昔は新當流って書いていたらしい。
鹿島と香取はごちゃごちゃしていてよく分からない。
飯篠が作った神道流 長物、剣、組討?
で、之を塚原土佐守安幹が飯篠から学び、養子の塚原卜伝に伝えた。
卜伝は実父の卜部覚賢から、鹿島中古流(鹿島の太刀)を学んでいた。
神道流+鹿島中古流+卜伝の工夫 で鹿島新當流。
当初の鹿島新當流の槍は、
神道流と技名が同じらしいから神道流から取り入れたのだろう。
鹿島と香取で相互に交流して技のバリエーションを増やしたのかもしれない。
神道流→天真正伝香取神道流
↓
鹿島上古流→鹿島中古流→鹿島新當流
剣は知らないが
香取神道流が長物の最古の流派であることは間違いないよ。 >>18
あ、ずれた。神道流の下に新當流がくるように書いたのに。
そういえば、立身流は香取神道流と同じ千葉か。
神道流系の影響は受けてなさそうだね。
https://www.youtube.com/watch?v=ofkBoHzpZjU >>18
なるほどなぁ
やっぱり昔は戦国の世だからか長物重視してたのね
形はどんなだったか絵図で残っているんかな 立身流はもともと抜刀(と組太刀)のみだよ。やわらは山形時代に他流を取り入れてる(立身流の中の人らは知ってる) >>24
何流取り入れたの?
知りたい。教えてくれ頼む。
もしかして制剛流とか? イ和と書く流派は制剛流系以外にない気がするが残ってないからよくわからない。 宗家自らがインタビューに答えてるこの動画が立身流の概要としてわかりやすいな
伝統を受け継ぐ総合武術 立身流 (2015/4/8) 佐倉市
https://www.youtube.com/watch?v=W2F7QSSJYKM >>4
戦国時代だと個人同士のケンカでも一族郎党引き連れて鎧着込んだフル武装でぶつかり合う
山賊や農民一揆みたいなのだって武装だけみれば武士との区別は付きにくい
私闘もスケールが小さいだけで実質戦争だった、かつ止める奴もいないのでそういった派手な私闘がやり放題だったから逆に私服のままで一対一で刀で斬り合おうなんて誰も思わなかったのでは? ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 立身流で、敵の性質を払う技はユニークだけど
袈裟斬りにはどう対応するのだろうか?
誰か知ってます? >>15 >あとは荻生徂徠が、頭をよく狙うのは平和な時代の剣術とか書いている。
儒学者の観察だからな。甚だ怪しい気がする
徂徠豆腐の話も個人的には納得できない
何か自分に甘いだけの思い込みの強い人にしか見えん >>16
剣術が戦場での斬り合いから肺待ったとして
甲冑技術が前提になるので歌詞が低い姿勢になる
実際に甲冑を着て足場の悪い所、陽の沈んだ地を移動するのに
高い腰では難しいし、甲冑は重い
その技術が前提で、発展したとして
平服剣術の時でも、その技術や姿勢を踏襲しただけでは?
平和時に発展した剣術だと、腰を低くする必要がないとして
腰が高くなったかもしれない
頭を狙う云々に関しては技術的な面での意味があるが
口伝、門外秘なのでここでは書けない内容もあるのでご理解願いたい >>6
>立ち合いの居合術を表芸としていることから、初めから平服での素肌剣術を多分に想定した流派だったということは想像できるけど、
??? そうとは限らんとは思うが。状況次第、戦術次第ではなくもないかと。
わざわざ表芸にしてるんだから、見せてよい内容はそこまでっていう意味かと。
底で判断してはいけない気が? >>8
後ろ足の踵は少し浮くのが自然であるというのが宗家の考えだそうなので、そうするように指導されてるのでしょうね。