校野球で163キロを記録した佐々木朗希(岩手・大船渡)と同じ高校3年生、斉藤立(たつる/東京・国士舘)だ。190センチ、155キロの巨体は、大人に混じっても
存在感は際立っている。試合前は体を大きく揺らしながら首を左右に動かし、いかにも落ち着きがないが、
畳に上がれば獲物を襲うヒグマのように、長い両手と十本の指を大きく広げ、相手に立ち向かっていく。
き父の教えで、両手を大きく広げ相手に向かっていく斉藤立
そして左組みから仕掛ける体落としや大内刈り、内股といった大技は、ロサンゼルス五輪とソウル五輪の金メダリストで、2015年に亡くなった柔道界のレジェンドで
ある父・仁氏を彷彿とする。
いや、スケール感は父以上かもしれない。4月29日に行なわれた平成最後の全日本選手権で斉藤は、出場最年少として、昭和最後の1988年に同大会を制した
父に続こうとした。
「やっぱり全日本は違いますね。これまでも日本武道館は経験していますが、全日本選手権は試合場がひとつしかない。開会式で名前を呼ばれ、畳に上がった時、
何かが弾けたように(エネルギーが)ブワーッと来て、ここで勝ったら気持ちいいんやろうな、って(笑)」
初戦は27歳の加藤大志(北海道警察)を内股から大内刈りへの連絡技「一本」で仕留めた。
加藤は試合後、「お父さん同様、技に華がある」と振り返った。2回戦は140キロの黒岩貴信(日本製鉄)が相手。斉藤は内股、体落とし、大内刈りと手の内にある
技を余すことなく繰り出していき、大内刈り「技有」のあと、崩袈裟固めに抑え込んで合技「一本」。完勝と呼べる2試合だった。
同じ高校生が相手の場合、レベルが違いすぎれば、力まかせで勝ててしまうために、大雑把な柔道になりがちだ。しかし、高校生が相手であっても、斉藤は釣り手、
引き手をしっかり掴み、相手を崩し、大技へとつなげていく基本に忠実な柔道に徹する。
目先の相手に勝つことではなく、未来を見据えた柔道を仁氏から叩き込まれた。だからこそ、斉藤はシニアの大会であっても物怖じせず、試合巧者のベテランが
相手であっても攻撃柔道を貫けるのだろう。
また155キロの巨躯ともなれば、どうしてもヒザや腰に負担がかかってしまい、ケガの心配がつきまとう。その点に関しても、仁氏は抜かりなかった。
国士舘高校で斉藤を指導する岩渕公一監督が言う。
「立は体格のわりに、体が柔らかい。器用さもある。やっぱり、それは親父の指導の賜物ですね。今回の全日本に照準を合わせるために、(直前に開催された)
高校選手権は個人戦に出場させませんでした。東京五輪? 本人が本気で目指すというのだから、私らはそれを支援していくだけです」
大阪で育った斉藤は、上宮中学1年生の時に、父を亡くした。
そして、中学卒業後は、父の母校である国士舘高校に進学することを決意し、国士舘大学に進学する3歳上の兄・一郎さんとともに上京した。
母・三恵子さんが振り返る。
「親元を離れて、(立は)少し大人になったのかな。一緒に暮らしていた時は、とにかく甘えん坊でしたから(笑)。頼もしく成長してくれています。
両手を広げて、相手に向かっていくのは、夫がそうしろと伝えていたようです。どんな意図があるのか、私にはわかりませんが、相手に対し精神的に
優位に立つような目的があるのかもしれません」
斉藤の成長を温かい目で見守るのは、81キロ級を主戦場にする兄も同じだ。
「性格は裏表がなく、穏やかで、素直です。柔道家として精神的にも、技術的にも大きく成長したと思います」
国士舘高校のある世田谷区の住宅街に、数多くのオリンピックメダリストも通った中華料理の名店がある。斉藤は入学直後、名物の唐揚げ定食(ご飯・おかず大盛)
のあと、えびそば、そしてさらにもう一皿、定食をたいらげ、その大食漢ぶりが商店街の話題となっていた。一郎さんが続ける。
「本当に昔からびっくりするぐらい食べていましたね。本人は東京五輪を本気で目指していた。僕らとしては来年にこだわらずに、東京の次のオリンピックを
目指してくれたらいいと思っているんです。
焦ってしまったら、ケガをしちゃうかもしれないんで……」