Twitter編入界隈にこれだけはハッキリとしてほしいことは
受験生を第一に置く存在なのか、それとも受験生とは最も蔑ろにされる存在なのか、
どちらなのかということです。

Twitter編入界隈は藤倉を批判する際に発言、受信するストレスを指摘します。
そのさい発言に「暴言」「誹謗中傷」というレッテルを貼りながら何ら建設的でないこと、その議論はここでは避けます。
そのようなレベル感で実際、大なり小なり藤倉も上述「どちらなのか」と思う場面は受験生なりにあるとは思います

しかしTwitter編入界隈の上述「どちらなのか」とは全く次元の異なるものでして。
Twitter編入界隈は自分たちの長期的なビジョンや建前を述べるさいに「受験生に有益であること」を掲げます
あえてこのタイミングで彼らを弁護すると、彼らは「彼ら」を再生産したいのです。
彼らは「私たちが自分でしたことは受験生も自分でやれ」「私たちが他人から聴いたことは受験生も他人(いまの私たち)から聴け」ということです。
結論から言うと、まず端的に何ら「彼ら」ではない大勢の受験生にとってこれは全く意味のわからないものです。
ここで彼らにて「彼ら」ではない者へ「彼ら」への同化を求めていく方策を断行していくさい
「たかが受験生をそこまで甘やかせるか(私たちとて苦労していまに至る)」という考え方が突然援用されるのです。
この論理的に閉じていない状況では、上述「どちらなのか」という疑問は非常に直感的なものです。