太陽にほえろ!625話・四色の電車
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↑その後もうpされたのでわかりました
失礼しました >>104
近所の犬は服を着せるとすごく嫌がり、食いちぎろうとするそうだ。
人間にもそんな人がいるようだね。 >>74
>>76
快速の柏停車は1972(昭和47)年10月2日改正から。
1980(昭和55)年10月1日改正で赤電が全停車に。
1986(昭和61)年11月1日改正で「ひたち」の一部が停車。 >>110
自分は4色には間に合わず
4色の走行は短期間と思いました
3色や緩行混色はその後しばらく走行のためよく見ましたけど、
常磐線4色を逃したのは残念 『一枚の絵』という話も物語後半になると急に鉄道色が強くなる そういや常磐線から急行ときわが廃止されてひたちばかりになる直前、仙台や西日本の485系が勝田に集められたんだよな。
鹿児島から勝田へボンネットを先頭にクハ481が4両連なって回送される画像を見た >>115
そうそう。一時期全部ボンネットでそろえたんだ。
門ミフや鹿カコのもたくさんやってきた。 >>116
確かに古いのも多かった。
その後651とE653投入によりみんないなくなった。 いなほ、と、ひたち、のヘッドマーク交換を上野で見た記憶があります
ガキの頃ですが、ひたちの最初ははつかりと同じキハ81であったのですね
カメラなど持てない年の頃なので、見ているだけでした
(もっていたら、何か撮っていたと思いますが) 当時の常磐は「ときわ」が主体で、「ひたち」は「いなほ」の間合い運用でした。 太陽にほえろ!が始まった時は、まだいなほとひたちはディーゼル特急だった? いなほとひたちがディーゼル特急だった頃、太陽にほえろ!は始まった?? 上野1810→2059平、ひたち下り1001D、食堂車営業マーク、(上野17番入線は1740)
平633→上野920→東京927、ひたち上り2002D、食堂車営業マーク
上野1350→2200秋田、いなほ下り2011D、食堂車営業マーク
秋田925→1740上野、いなほ上り2012D、食堂車営業マーク、(上野17番到着)
時刻表1971/07からですが、いなほ、から、ひたち、は上野駅で見ることが出来ましたが、
ひたち、から、いなほ、は基本一般人が見るのは無理なようです(尾久か東大宮?)
いなほ、は当然として、間合いのひたち、まで食堂車営業のようで、今の感覚からしたら少々違和感? >>127
当時の特急は食堂車を連結・営業が当たり前だった。
同時期に登場した房総特急わかしお・さざなみから、その法則が変わってしまったけど、それでも横軽の制約で無かったあさまとか、一部を除いて食堂車連結・営業は当たり前だった。 >>129
乗車時間が長くても3時間前後になったから、駅の売店で前もって購入か、下車後に食事になっている。 諸外国行くと今でも食堂車連結は当たり前なんだけどね。 今思えばたくさん利用すべきだった。
若い頃は貧乏旅行だったんで、食堂車は高嶺の花だった。 >>131
当たり前なのは中国の長距離列車程度で、欧米でも食堂車は縮小気味。 >>134
アムトラックもシカゴ〜ニューオーリンズから東側は、食堂車は営業していない。 新幹線に食堂車が連結されていたなんて今となっては神話の世界だね かつての急行には立ち食い蕎麦もあった。
揺れる列車の中で立ったまま食べるのは異次元の体験だった。 昭和42年、急行佐渡に乗った時、かけ蕎麦が50円だったのは覚えているけど、今のレートはごめんなさい、よくわからないです。 企業物価指数および消費者物価指数が1つの参考材料になります。企業物価指数を見ると、令和4年の物価は昭和40年の約2.3倍なので、昭和40年の1万円は令和4年の約2.3万円に相当する計算になります。
また、消費者物価指数では約4.3倍なので、約4.3万円に相当するという計算になります。 >>140
そうすると>>139のかけそばが、今は215円程度になるけど、ちょっと安すぎないか? >>141
国鉄・JRの運賃から換算する方法もある。
昭和40年は初乗り20円、昭和44年は30円に値上げ。
現在は140円だからその計算で考えると、昭和42年の70円は350円になる。 ↑間違えました。
×昭和42年の70円は350円になる。
○昭和42年の50円は350円になる。 139だけど、どうして50円だったのを覚えているかの理由だけど、このかけ蕎麦は、一杯50円なんだって父親が教えてくれたから。
当時の50円玉は今と違い100円玉よりかなり大きかった。
駄菓子屋には10円玉1枚持って買い食いしてたから、50円は高いと子ども心に思った。 >>54
113系はレアだったな
>>55
ドレミファインバータ
上野土浦では短命だったね >>137
列車の立ち食い蕎麦は消滅したけど、駅の立ち食いはこれからも残って欲しい。 >>146
最近はラーメンと価格が同じ水準になったから、
危ういかも・・ ラーメンVS蕎麦かあ
姫路の駅蕎麦はその中立的立場にある絶品だ。 まねきの駅蕎麦だね。
昔は普通の蕎麦もあり、オバチャンがどちらにするか聞いたけど、今は中華麺だけになり券売機で食券買うから、オバチャンとの世間話も出来なくなった。 梅田阪神の地下にもまねきあった。
今もあるのかな?? 音威子府の蕎麦はインパクトがあった。
もう食べることは不可能と思っていたが、なんと東京に食べることができる店があった
その名も「音威子府」 まあそういえば確かにそうなんだけど、あのオリジナリティーがいいんだよな。 鉄ヲタはそば粉が殆ど入ってないうどんみたいな駅そばばっか食ってるからな
わざわざ東京で高いカネ払ってまで食べるものかというと
どうなんだろ 音威子府で蕎麦食べた時はイカ墨パスタみたいだねって話したことがあった。
まだ食べることができるなら多少高くても、交通費かけても食べに行き、懐かしさに浸りたい。 ボギーが死ぬ話のラストでボギーの姉がボギーの遺骨を持ってグリーン車に乗るが、
ドア枠が金で「16形と15形だけは金枠だったなあ」と思い出した 常磐線の我孫子の駅蕎麦は今でも賑わっている。1・2番ホームには2軒有るのはすごいと思う。 弥生軒だね。
山下清ゆかりの店で、大きい唐揚げが入った蕎麦が人気。 姫路のまねきに久しぶりに行ってみた。
ほっとするものがあった。 まねきの駅蕎麦屋の客層を観察すると、一般的な駅蕎麦屋はオッサン客が多いのに比べ、若いおねーさん客が多い気がする。SNSの影響だろうか? 加古川駅にもまねきがあるのを初めて知った。
ホーム上ではなくコンコース。 >>164
そうなんだ。
自分ももう少し濃い方が良いと思っていた。
今度早起きして挑戦してみる。 そういえばまねきでうどんを食べたことがない。
今度挑戦してみようと思う。 駅蕎麦屋でラーメンを出す店もある。
まねきでもラーメン出すとおもろいことになりそう。 >>160
同じ千葉県つながりだけど、我が町松戸には遠方からも食べに来るラーメン店がある。 松戸駅近くのラーメン店には4色の餃子を出す店もある。
その名もカラフル餃子。 >>170
駅から5分以内でも数え切れないくらい有る >>171
常磐線に4色電車が運用されていた時に、
混色編成を気に入らない鉄ヲタが国鉄にやめるよう
何度も要求するが、無視されたため
河川敷をダイナマイトを持って爆破しようと
鉄橋に走り寄ってる所をデコ助が銃で撃ち阻止された
物語。
この当時から世間では鉄ヲタを偏見する傾向はあった。 >>175
普通の中華屋さんも合わせるならば天文学的件数ありそう。 ミスドのラーメンやそば屋のラーメン、居酒屋のラーメンまで含めたら確かにすごいことになると思う。 >>182
よそから来る人が多いから松戸市民のラーメン消費率が格別に高いわけではないと思う。 ついでに、ソープランドも商いしている多角経営であります。(角海老) 角海老と言う名前はその昔吉原にあった角海老楼と言う遊郭からつけたと聞いたことがある。 教科書の「オスマントルコ」の語にわくわくしたあの頃 >>198
オス・マン・トルコ
確かに意味深ですな ムー一族だったかな
浪人生役の郷ひろみの教科書を
ちょっと見せてみなと左とん平が取り上げて
「なになに?オスマントルコォ?何読んでんだお前」
と頭を叩いてたっけな >>184
遠方から来て近くのホテルに泊まり、朝7時から行列する人がいるラーメン店もある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています