幻の鉄道車両を語るスレ 3両目
>とりあえず南海の新塗装化までの流れについて
>新塗装化試験(千代田入場中の6000/7100/10000の計3両を用いて実施)…91年8月
>1000図面開示(=設計完了?)…91年10月
>1000/11000と新塗装化計画の発表…92年1月
>川勝新社長就任…92年5月
>の模様 >南海の9100は方針変更当初の仮称で、当時の図面にも9100と書かれているものもあった模様だが、
>結果的には新塗装化後最初の新形式車ということで1000になった >また昔の話になるが
>泉北5000登場時に「南海線で28両増備を考えている」とあったがこれが9000増備のことか?
>2000登場時にあった「通勤車のVVVF車の登場」はそれこそ仮称9100だった模様だが >南海線だが91年に28両増備予定だったらしい(ただその時点では関空開港は93年の予定だった)
>85年の段階では高野線複線化完成が89年、関空開港(空港線開業)が92年度を目処 >南海において仮に旧塗装存続で南海線用の9000後継の新形式が出ていたら2000的なビードプレス車体に9000譲りの緑帯だったろう >(南海1000は)そもそもCI制定後初の新形式ということで新たなスタートを機に1000という形式称号が与えられたのであって、
>CI制定などせずにに登場していたら別の形式称号を付与されていたかもしれない >(南海だが)ただ2000が登場し、6000がVVVFになる可能性こそあった時点で9000の増備は無理だったんでは?
>やはり2000が登場した段階で21m4ドアの新造車も史実の1000的なVVVF車になるのは既定だったと思えてきた >(南海1000は)CI制定前だったら無塗装ビードプレス/オールロングシートで登場していたかもしれない
>それ以前に"1000"ではない別の形式称号を与えられていたかもしれないが >結局、南海において1991年に新造車が無かった経緯については触れないのか
>どういう経緯で1990年6月から1992年2月までの間に新造車がなかったのか?
>ただ、>>120にもあるように史実の1000狭幅車/10000新造中間車に当たる分は元々2000登場段階で既に計画されていたようなので、
>次期通勤車の検討をしていたがCI制定で一旦中止になり、CI制定と並行して改めて1000/10000中間車の設計をしたものと推測している
>だから、CI制定が無ければ、史実の1000に相当するもの(但し無塗装ビードプレス車体で、別の形式称号を付与)が史実1000より1年早く登場していたかもしれないと思う >(南海の次期通勤車は)2000登場段階(CI制定前)で既に塗装車体にすることも考えられていたのか >(南海は)当時の空港線緑塗装入線禁止令で急遽CI制定となったから
>CI制定前の時点で>>119や>>120にもあるように南海線輸送力増強用の増備車の計画は既にあったし、
>2000登場時点で21m4ドア車についてもVVVF車の登場が予定されていたので、
>何度も既出だがCI制定が無ければ旧色の21m4ドアVVVF車が登場していたと思う >南海だが1991年8月に新塗装のデザインが決定し、同年10月に1000の設計が完了
>50000は1993年7月に設計完了だった模様
>南海の空港特急車だが、1000/10000新造中間車/11000の新造が発表された段階では11000を基本としたデザインの予定だった模様(当時はまだ形式称号が定まっていなかった)
>その後1993年2月に今の50000の原型となるデザインが発表されてた模様 南海の塗装変更決定直前の計画について
>多分、南海線輸送力増強用の増備や継続中だった7100の更新修理に加えて22000の更新修理(元々22000は91年度から更新修理を始める予定だった)、
>6000のVVVF化を考えていたものの、
>CI制定により継続中の7100更新修理以外は全て計画が白紙になったのではないかと推測
>2000登場時に予定されていた21m4ドアVVVF車は仕様は史実1000的だったかもしれないと思うが、
>車体は無塗装ビードプレス、編成構成は6200/旧8000/旧8200/9000踏襲で1C8Mの中間M/先頭Tcとする案もあった模様
>幻の6000系VVVF化改造車は恐らく日立GTO-VVVFでブレーキはHSC-Rであり、システム的には2000ベースになっていたと推測 >>113-129はすべて路車板の南海車両スレから一部を除き引用 9000増備なのか仮称9100なのか明確なソースは無いが少なくとも南海が旧塗装のままであれば2000初期車の仕様が90年代の南海標準になっていた可能性はある あとアルナ工機から出されていた東武通勤車のデザイン案だが、10030の初期案ではなく
史実では結局10050になった分が当初は10030からモデルチェンジする構想があってそのデザイン案の一つだったのではないかな
10080の試験結果が良好ではなかったため東武での日立GTO量産はスペーシアのみに留めることになり、
それで地上線用通勤車は当面界磁チョッパのまま増備ということになって結果的に10050増備になったと思う また南海9100の話題か…
実際に登場していたとしても平凡な通勤車でしかなかっただろうに
なぜ一部の奴がこんなに話題にしたがるんだ 史実だ仮称だって毎回うるせえんだよ
ブログでやってろよ 南海は9000系も設計段階では9200系と仮称されていたと思われる
(東急車輌から出されていた9000系の完成予想図では車番が9702だった)
恐らく高野線の界磁チョッパ車が8200系だったためそれに合わせるつもりだったと思われるが… >JR西日本の223系関空快速車も6+2時代は結局1回限りの増備に留まったが、
>同様に関空1期の失速が無ければ6+2時代に増備があったかもしれない
>それが0番代の増備だったのか1000番代ベースの1500番代だったかは不明
>(史実では2000番代ベースの2500番代が導入されたが) >日根野の223は6+2時代は結局1回限りの増備だったが、関空1期が失速してなければ6+2時代に増備が行われていた可能性がある
>207-1000や281は増備車も初回分の仕様を踏襲したが、223は-1000が登場していたので仮に6+2時代に増備されていた場合-1000ベースの-1500になっていた可能性があったと思う >タラレバだが関空1期が失速してなければ223-1500が登場していたかもしれない >関空一期が失速していなければ日根野223は6+2時代にも増備が行われていたかもしれないが、それが-0増備だったのか-1000ベースの-1500だったのかは不明 国鉄時代に構想されていた幻の105だが、twitterによれば図面までは引かれていたらしい
見たまんま103で要するに103の車体に113の足回りを組み合わせたものになる予定だったと思われる
実現したものとしては小田急5000が一番近いと思われる(小田急5000は2600の車体に2400の足回りを組み合わせたものに近かった)
※実現した105ではなく大阪万博前に構想されていた105 また103の5扉車も図面までは引かれていた模様
こちらは後の京王の5扉に近い感じ(車内はJR化後の205/209/E231の6扉とは違い通常のロングシート)だが戸袋窓は設けるつもりだった模様 あと西武7000の完成予想図と思われるものもtwitterに出てた
帯色は4000と同じで前面は名鉄1000に類似(恐らく通常の低運転台車両に運転台の位置を合わせる予定だった?) EF200とEF500は?
実車はできたけど結局使いこなせず即頓挫だろ? 南海の90年代当時の車両計画
1991年9月時点で南海線と高野線に新造車両18両導入の計画
1992年8月時点で南海線に1000系24両、高野線に2000系4両導入の計画
1993年度以降に空港アクセス特急車両(後のラピート)、高野線用通勤車両を導入の計画
1992年10月時点で1996年度までに1000系48両、2000系44両をそれぞれ増備の計画 >>142
通勤型と近郊型を同一もしくはそれに近くするってのは
昔からある構想だったのかな >>145
EF200、岡山以西で集中運用して、セノハチで本気モードで使って補機不要にする
ってのすら出来なかったのが残念。 >>146
一番上は恐らくこれが仮称9100?
2段目は1003Fが当初は南海線用の予定だったから一応合ってる
3段目は高野線は恐らく1000を高野線にも投入の計画?(1000は1次車は当初は南海線輸送力増強用の予定だったが、設計上は高野線も共用できることが当初より考慮されていた)
4段目はこのことから史実の1000の2〜5次車と2000の5〜7次車は一括で受注したものと思われる 南海9100に当てはまる奴は他にもある
老朽化した国鉄直通気動車を置き換える新型車としてキハ9100というのが考えられていた
旧型電機の置き換え用の新型電機の仮称としてED9100というのもあった
だから9100は通勤電車だけの仮称ではない >>150
南海では昭和40年代に2階建ての連節車両が考えられていたらしい
それにも9100という仮称が与えられていたそうだ 阪急8000の当初案では貫通扉の窓は前面窓と下辺を合わせる予定だった
この事からアルナから提案されていた東武通勤車のデザイン案(史実の阪急8000のように貫通扉窓が下方向に拡大される予定だった)は、
やはり10030当初案ではなく幻の10030後継の通勤車と思われる案(結局10050増備になったもの?)の可能性が濃厚
※東武10030は阪急8000より先に登場 南海10000新造中間車/11000は当初は南海線/高野線共用のVVVF特急車(史実11000的な車体に史実1000の足回りという感じ)にすることも考えられていたが、
最終的に仕様が時期尚早(厳密には南海線は通勤車との兼ね合い、高野線は運輸の組合支部が難色)ということで現状の型になった模様 幻の阪急9300系2扉セミコンパートメント車だが、セミコンパートメントを設置した車両の組込位置は定まっていなかった模様 小田急3000形の編成単位での増備もあった可能性
当初1000形はワイドドア車以外は全車更新する予定だったが、多分その時の計画だとワイドドア車は8000形機器未更新車共々3000形の6連を増備して置き換えるつもりだったと思えてきた
4000形登場から10年以上経っても中間車を増備しているし、更に京成3000形や名鉄2200系/3150系/3300系の例からすると小田急3000形も編成単位の増備をする計画があった可能性がある
多分拡幅車体の10両固定増備に舵を切ることになって5000形登場に計画変更し、その結果4連の一部が余剰となり廃車された可能性があるので
(1000形を4連のまま更新して3000形増備車と組む予定を、10両固定を増備して6+4を廃車することに変更という感じ)
当初の計画では8000形機器更新車置き換え時にようやく通勤車両の新形式を出すつもりだったのかな
4000形は計画変更で登場した可能性もあるので…
(3000形は当初400両以上を製造する計画で、その計画時代は千代田線直通車の変更計画は無く、千代田線ホームドア設置と常磐緩行線直通絡みで4000形登場に至ったという噂があるため) >>155
中の人の又聞きだけど、そんな計画無い。
1000はワイド以外全更新、2000を廃車の計画だったが、
8264Fの事故廃車、長期計画の見直し、コロナ禍などの要因で、計画の大幅変更が今。 >>156
2000って廃車予定だったのか
でも室内灯LED化/袖仕切り大型化、行先表示器のフルカラーLED化をやったばかりだから1000ワイドドアの次に廃車は考えにくかったが >>157
廃車予定だからこそ、ちまちま部分更新のみに留めて、抜本的な改造はしないつもりだったわけさ。 あくまで車両計画というのはトップが決めるもの
トップが変わると方針も変わることもあるので 営団02/05/6000系のデザイン案
05系の没案は後の06/07系に近かった >>159
ぜんぜんちがうよ。そんなこと、鉄道の社長がひとりで決められないし、ひとりで決めることじゃないから。
社長が意見できるのは、せいぜい、新しい車両をつくったり、改造したりするとき、設計がほとんど決まって、最後に車体の色とかをいくつか案が出て、社長として選ぶならコレかな、くらいなんだ。覚えておこうね。 小田急LSEのデザイン案
西武2000系のデザイン案
西鉄8000形の展望席設置案(名鉄1000系のような構造を想定していた模様) 06系の東西線転属
検討はされたと思うが結局3本とも15000を追加新造の方が安いと判断されそのまま廃車になったものと思われる >>158
仮に2000が廃車予定だったとすれば、1081はどうなったんだろうか
まさか中間車化改造しまくってまで4連3本/8連1本を10連2本に組み替えるというのも考え難かったし 近鉄の21000系以降の特急車の各種デザイン案と塗装案 それもだが、銚子電鉄が導入しようとした京王井の頭線デハ3100改造車も気になる。
本気で住宅サッシ付けるつもりだった(当時のウワサ)の? 東武220系
200系の増結用のつもりで図面もあったらしい 209系ベースの相鉄10000系
E231系ベースの70-000形 jr西、新快速用のグリーン車(サロ221?)
今あるAシートとは全くの別物 京王8000のライナー化改造
新造した方が安いとなって新5000導入に方針転換したらしい 戦前に構想されていたという急行用電気式ディーゼルカー。実現していたら流電あるいは東急キハ1のような流線形のボディ、3両位の編成になっていたんではないかと思う。 スレチだが
小田急の件だが新5000導入で置き場所が無くて8000/1000が一部余剰廃車になっただけとも思えるが
京王も新5000導入でこれ以上置き場所が無いので7000の一部が仕方なく余剰廃車 223-1000計画時のグリーン車連結構想(クロ222?)
後にAシートで半分実現することになったが 赤14号塗装の103系(京葉線向け)
スカ色の103系(横須賀線逗子以遠向け) ちなみに赤14号に試験塗装されたサハ101形と画像の赤い101系は別 鉄道総研のVVVF車ナツカシス
あれは赤2号に近かったんじゃまいか
焼けて多少白っぽくなってたが 余剰化してたシナとセキ所属のナシ20やヨナのキサシ180を北斗星やトワ等の編成に流用出来なかったばかりか
サシ481&489&581等をビュッフェスタイルに改装して食堂車で常態化した粘る悪質客に因る低回転率の一掃を図り転換するメソッドすら導入出来なかった国鉄車両マネジメントの無能無策振りは人災でも有るのだ 昔の京葉線が青だったのは中古車の色をほぼそのまま使ったからだったのか
埼京線も同様だったみたいだね (僕は京葉205が青帯、埼京205が黄緑帯でそれぞれ登場していたというしょうもない妄想をしてる) >>188
実際横浜線の帯はいくつか検討されていた模様
で、その中に赤帯案もあったとか(それで横浜線では見送られたが京葉線に採用されたと思われる) 小田急だが2400を増備している時に連接の通勤車を導入する構想があったそうな 黒帯だけってのは見当たらないね。
強そうに見えるんだが・・・ 小田急30000のデザイン案の中に黒基調のものもあった MUE-TrainやB.B.BASEが白黒だなw
そういえばGKの有名デザイナーで
必ず無彩色を入れるという人いたな
901系の黒帯や253系などがそれらしい 南海だが京成3700の例もあるし仮に1000が史実より早く登場していたとしても最初から新塗装だったんじゃないかなと思えてきたが
(京成3700みたいに新形式で先行採用して、のちに従来車にも順次新塗装を適用させる流れ)
ただ、同時期の神戸市営3000が初期案では同1000/2000の塗装を踏襲する案もあったし南海1000も当初は9000踏襲で無塗装/緑帯案もあったんではないかとも予想している >>189
2008年の横浜線100周年で各駅に出されたポスターにそのイメージイラストが出てたね
黄緑+水色は綺麗でなかなか似合っていた >>193
901の黒帯はミラノ地下鉄3号線(イタリア)の車両を参考にしたんではないかな >>187
追加
(僕の妄想では横浜205は山手と同じ黄緑帯というしょうもない妄想) もし961形の基に営業用の新幹線電車が造られていたらそれが『100系』となり、
0系は東京-岡山限定運用、27形&36形の食堂車ユニットは製造されなかったろうか 南海12300系
8300ベースのサザン指定車として予定されていたが、なにわ筋線計画が持ち上げり白紙になった模様 >>199
こういう妄想は好きだ…
博多延伸時に961系量産車に当たる新形式が投入されたとしたら、
東京−博多直通の速達ひかりには新形式(食堂・売店付き、ビュッフェ無し)、
遅いひかりや新大阪止まりのひかりには0系(ビュッフェ車2両入り)と、運用が
分けられたのではないかと予想する。
新形式だけで山陽区間の運用が全て賄えたわけではないので、連続換気装置
などの山陽乗り入れ改造は行われたと思うが、わざわざ0系用食堂車の新製は
考えにくい。
さらに数年後、新形式によって0系初期車置換をする頃には、食堂車入りの新製は
打ち切られ、以後は(100系G編成のごとく)食堂車無しひかり編成が導入されたの
ではないか。
現実も0系36形の製造は1977年が最後であり、新形式だからといって、だらだらと
食堂車を増やせる状況では無かったと思われる。 都営10-300の初期案
前面が実車より更に東急5000に近かった 幻となった神戸市営地下鉄の二階建ては京阪や近鉄の例からして地下区間での走行は可能だったかもしれないが建築限界にもよるな 281系ステンレス車体(前面は黄色基調で低運転台であり、ライトは史実の223-0や681と同じ丸型?) >>172
新塗装化の決定で計画は白紙になった模様 小田急SLSE(LSEベースの通常運転席の6連で御殿場線乗り入れ用、当初はSSEをこれで置き換える計画だった?)
同LSEのデザイン案 このスレの対象とは少し違うかもしれないが
相模線は電化計画当初は205-500新製ではなく中古車の予定だったとか
で、逆に南武線は205導入時点では山手線/埼京線/横浜線のように全205化する計画だった模様
(となると、武蔵野線の展開も違っていた?)
また、南武線は後に(京浜東北線完了後?)209を追加投入する計画もあった模様(こちらは中央総武線の件で見送られたと思うが) 阪急2500/2600(増備で番号があふれることが想定されたため3000/3100になった) ・207系/321系の南アーバン投入計画
・223系1000番代グリーン車連結構想
・281系ステンレス車体
・南海9100系/ハイデッカー空港特急車
・阪急8010系/9300系2扉セミコンパートメント車
・京阪10000系の(新製としての)本線投入
・近鉄7扉車
・神戸市営地下鉄の二階建て車導入計画 南海2000系の赤帯案
また、車内の座席も実際は8+8人だが、検討段階では4+4+4+4人にする案もあった模様 東急9000系初期案
前面が西武2000系マイナーチェンジ車に酷似していた キハ183系に余剰のキサシ180を改造して組み込もうという構想もあったな。
もしそれが実現してたらキサシ180形500番台が登場しただろうと思う。 キハ181後の新型特急気動車として、両端動力集中式の特急用気動車プランが検討されてなかったっけ。
日の目を見ずにキハ183製造となってしまったわけだが。 >>212
なんかで見たことあるなぁ。それ。
>>214
模型でやってみようと思う。キサシ182形にしたほうがいいんだろうか。
>>215
幻の国鉄車輌だっけ? あれに載っているよね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
オハ35改造のサハ153。実現していたら、ドアはどうするつもりだったのだろうか。
シートピッチが少し狭いし、ハズレ車輌間違いなしだが、どんなゲテモノになったのかは見たい気がするw ロングシートを窓側ではなく中央に背中合わせに設置して窓際に立ち客を行かせるレイアウト 幻の阪神スーパージェットカーって80年代後半に構想されていた普通・急行共用のVVVF車の愛称だったのか
で、結果的に普通用5500系と急行用は界磁チョッパのまま車体をマイナーチェンジした8000系タイプWに収束したわけか 向ヶ丘遊園モノレールの新車(恐らく90年代前半?)
塗装はRSEに類似 >>217
窓際に立客がいる想定のようだが
当然固定窓だよな? 全員着席だがディズニーシーの電車はそのスタイル
あとは東京モノレールの2000形も >>217 東京モノレールの100形の台車上部もそのようなレイアウト。ここの車両、台車部が車内に出っ張る構造になっているから、その上部を荷物置き場やクロスないしロングシートにしている。 >>217
韓国ではソウル都市鉄道SR000系で実現したけど、本採用は見送られたし 韓国だが
ソウルメトロ4050系2次車?と新4000系3号線転用案
今の新3000系1次車が当初計画では34編成中11編成が交直流車として製造される予定で、恐らく4号線に導入されて直流専用の新4000系11編成を3号線に転用して3000系を置き換えるつもりであったようだが
結局はこの計画は中止となり、新3000系をそのまま3号線に34編成を導入して3000系を置き換えた >>199,201
東海道新幹線開業直前、前提としていた事は"100"という系式での250km/h運転
その技術開発が間に合わないので、
開業用の暫定形式(後に系式が"0"と定義される)で取り敢えず210km/h運転を準備したのが実情
暫定系式で時間稼ぎをしつつ、東京〜新大阪開業後に一段落してから
量産系式"100"を意識した試験車951で要素開発を進めるのだが、
開業時点でアルミ車体・サイリスタ位相制御・ATO・TASCの必然を見抜いていた訳だ
電磁吸着ブレーキとバネ下質量の過小評価で951自体は頓挫するが、
整備新幹線構想策定の機会に仕様を見直し、260km/h目標の961として昇華
これが叩き台となり200や100として結実したのだな
興味深いのは、200や100では主回路容量起因のブレーキ性能から
実用的な250km/h以上の運転は出来ず、
951に電磁吸着ブレーキを搭載した理由は机上で其れに気付いていたからだと
961はモータを直流機最大の275kWとして、電磁吸着ブレーキが無くとも速度向上に備え
後の200・100が230kWへトーンダウンしたのだが、
961から直接"100"になっていたとすれば… "100"で食堂車付の速達"ひかり"が、240〜250km/h運転していたかもと じそーくにひゃーくごじゅうっきろ〜
とんでくよーだなはっしっる〜
て歌になってたじゃん 能勢電新車は阪急8000ベースながら車内は白色化粧板の予定だったんかな 京急2100形4両固定編成
雑誌 鉄道ファンでは告知されていたが
どこで中止になったのか未だに不明 仮称3020として次期シリーズ21を作ることは検討されていたようだがお流れに そういやJR東日本215系は5両付属編成の構想もあったな >>230
バブル期の構想のやつだね。
新1000系ベースの仮称1200系も、計画が実在したなら(w)幻になったが。 >>229
その9100の前面は史実1000とは違い、今の泉北7020や京急1000-1890みたいに前面下部がやや傾斜したようなものになる予定だったとか 幻の能勢電新車は阪急の面影が全く無い完全オリジナル設計の車両になる予定だったらしい
史実で言う泉北高速オリジナル設計車両みたいな感じ 南海9100というのは今の1000系の設計時点での仮称
しかし、設計中に関空対策で塗装変更が絡んだ新CI制定など諸事情で最終的には1000系を名乗ることになった 南海だが2000系に赤帯案もあったらしい
(30000に合わせるつもりだった?) 南海は他に高野線専用の新形式やサザン指定席の新形式(いずれも8300から派生)を考えていたこともあったとか 今まで改善を促す緩い書き込みしてたけど、強硬手段をとらないといけないようだな。 阪急は神宝が8010に移行しても京都は8300を続ける前提で、別に当初予定の9300の床下が8300ベースが前提だったということは2000系列(2200以外)と3000/3100みたいな展開になるはずだったのか 401/403/421/423系を411/413系に改番する案もあったらしい 近鉄900も8000に編入する構想があったとか(そのため8001号車が存在せず) 神戸電鉄5000系は当初は2000系の続番とする案もあった 京王旧5000系と京成3400形の2扉クロスシート案(後者は真偽不明だが) E351系と251系と255系とE501系の更なる増備計画 >>261-270くんは鉄道にとっても詳しいんだね。 東武220系(増結用2連)、270系(足回り30000ベースの分併用3連) 南海11000系は当初、史実1000系と連結可能な本線高野線共用GTO-VVVFビジネス特急車として計画されたが、仕様が時期尚早という事で南海線は10000系の中間車増備に、高野線は30000系と機器を共通化した抵抗制御車にそれぞれ変更されたとかなんとか 当初は1000系を基本として共用ビジネス特急車11000系と空港特急車50000系にそれぞれ派生するつもりだったろうが 南海8000系近車案(この時点で近車で作ることも検討されていた模様)
南海8300系総車案/日車案/川重案/日立案(8300系の計画時、大型の4扉車が製造可能なメーカー全部に打診し、その結果近畿車輌が選ばれた) なお日立はこの時点でステンレス車の製造を打ち切っていたため、仮に南海8300系が日立で製造されていた場合間違いなく南海初のアルミ車体になっていた 南海9100は今の1000系の設計段階での仮称
しかしCI制定後初の新形式という事で新たなスタートという意味合いを込めて1000系を名乗る事になった 南海11000当初案
1000をそのまま特急車仕様にしたような感じで本線、高野線の両方に投入する計画だった 221系先頭車改造車
サハ221→クハ221-500(仮)
モハ221→クモハ221-500(仮) 「9100→幻だね」の奴に付き合ってたら南海の話題しか出せなくなるからいい加減無視しろよ 北総鉄道7000形ボツ案
前面→鹿島臨海鉄道6000形
側面→JR九州813系
それぞれに酷似 いや北総7000は神戸市営3000と同じくらい多数のデザイン案が検討されていた模様 都営10-000試作車似のものもあったみたいだし<北総7000 各車両メーカーが提出するデザイン案を合計すると、鉄道車両1形式につき50種類以上は作られているはず
鉄道会社の意向を試すために、敢えて採用されるはずのない奇抜な案を出すことも多いらしい だから神戸市営3000では物理的に不可能なダブルデッカーを組み込む案もあったのか 仙台市営地下鉄1000系のデザイン案も当初は緑に拘らず、青や金色とする案もあったみたいだ 一畑に行った南海21000を南海に買い戻す計画があったが、諸事情で中止になった模様 西武7000と能勢電新車は設計図まで通過してたが結果的にはボツ EF61-100(←EF61-0)
計画がうまく進んでいたら実現したのに・・・ 幻ではないが、なぜそうなったかは謎
しかもすぐ使わなくなった 当初は東武9000と近鉄3000が似た様な存在だったのか