そろそろみんなが忘れてそうな事@鉄道懐かし板 9
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
大阪メトロ谷町線で、御堂筋線10系に準じた20系が走っていたこと 113系1000番台の1次形は1度も東京地下線に乗り入れたことがなかったこと >>806
ここでいう東京地下線とは総武快速線の地下区間のことだけどな >>805
その113系1000番台、一部編成が湘南色で115系のふりをしていたこと もっと言えば113系1000番台(Tcだから111系だが)が大阪に1両だけいて先頭にたっていたこと 湘南色とスカ色では、塗分線の位置が違った事。
スカ色の青の領域 > 湘南色の緑の領域
になってた。 >>717
瀬野八では、EF210-300になった今でも無線は手持ちのようだ
ギシギシ……日本最大級の急勾配で貨物列車を後ろから押す「補機」EF210に乗ってきた | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/37998 東京ディズニーランドの最寄り駅が東京メトロ東西線の浦安駅だったこと >>813
その頃のディズニーランドには園内を移動するためのゴンドラリフトがあったこと 大阪―青森間の「白鳥」は、当初は新津―新発田間で羽越本線経由だった事。 大阪―青森間の「白鳥」は、直江津から上野に向かう編成が連結されていた事。 >>805
その一次車が広島や和歌山、静岡を走っていた。 >>810
山陽線にスカ線塗り分け幅の湘南色がいたね。
通常塗り分け幅のと混結してたから、
全車湘南色なのに編成として眺めると凸凹だった。 N700系「のぞみ」は東京〜博多間の所要時間が4時間50分
500系「のぞみ」は4時間49分と1分速かったこと 473「系」とはいうものの、これに該当する車両は、1ユニット2両しか存在しなかった事。 抑速ブレーキ付の車両に製造を統一したせいでサロだけの系式が出てしまった事 >>824
その車両のうち1両が余剰となり、近郊型に改造されたあげく、同期の車両よりも
5年早く廃車にされた。 >>813
志摩スペイン村の最寄り駅も志摩磯部だったこと クハ164は、165系の一族になったけど、
前面の塗装は全てオレンジ(クハ153当時)のままだった事。 183系を普通車のみでムーンライトながら用に10連を組んだら8M2Tになってしまったこと。 似たようなパターンだと、
山陽本線に各駅停車用に集められた153系の晩年は、
4M2Tx2(8M4T)の強力編成で、
瀬野八でもEF61による後押しが不要だったこと >>829
むしろ電車も押してたことの方が忘れられてそうだけど 瀬野八や関門を含む区間だと151系電車特急よりも80系気動車特急のほうが速かったもんな。 >>831
山陽新幹線開業前、新大阪〜倉敷間ではキハ181系の特急「おき」よりも
キハ80系の特急「かもめ」の方が速かった。 EF61-100、なる補器が登場する予定だった事。 >>832
山陰の181はエンジントラブルを回避するためにあえて80系相当のダイヤで運転してたとか。
しなのとかつばさはフル性能で走らせてたからエンジントラブルも多かったからな。 >>829
各停もあったと思うけど、基本は快速だったはず >>834
キハ80系からキハ181系に置き換えられた当初の特急「あさしお」「はまかぜ」
もキハ80系時代のダイヤで運転されて、編成は8両編成に改められたが、
キハ181系化後の「あさしお」は、わずかながらスピードアップされて、
京都〜米子間の所要時間がキハ80系時代に比べ2分〜5分程度短くなったな。 キハ181系「つばさ」は、廃止した補機を復活させた事。 初代特急「おき」は新大阪〜出雲市を山陽・伯備線経由で運転されて、
車両はキハ181系で、山陽新幹線岡山開業後は特急「やくも」となり、
昭和50年に設定された小郡〜米子・鳥取間を山口線経由で結ぶ2代目「おき」は
「はまかぜ」などとの共通運用のキハ80系で運転されて、のちキハ181系化されたこと。 急行「だいせん」としては、日本国有鉄道(国鉄)が1968年10月から大阪駅 -�ケ取駅・米子駅・出雲市駅・益田駅間など山陰本線の主要駅間を福知山線経由で運転を開始した。
「だいせん」の名称自体は、岡山駅- 松江駅間を伯備線経由で運転を開始した快速列車として1953年3月から使用されていたが、1968年10月のダイヤ改正により、伯備線経由の「だいせん」を「おき」に変更して、福知山線経由で運行する急行列車に「だいせん」の名称が使用されるようになった。
確かにこのあたりいろいろとややこしい 「まつかぜ(博多発着)」は、下りが大阪発、上りが新大阪行、だった事。 急行「だいせん」。
京都から大社へ行く列車なのに
なぜか赤穂線を経由していた時代が(笑)。 急行「丹後」の一部列車には山陰本線・舞鶴線・小浜線経由の敦賀発着編成が併結されたり、急行にも関わらず京都〜城崎間では特急「あさしお」より速い列車もあったこと。 >>655
⚫はGマークということ(四つ葉のクローバーではない) 遠軽―網走間は、名寄本線・湧網線経由の方が距離が短かった事。 米子発の特急「まつかぜ2号」は大阪行だったが、昭和60年3月改正で新大阪行となったこと 富士駅では、身延線は東京方面から東海道線に合流する格好になってた事。
今の「ふじかわ」は、進行方向変える必要なかった。 >>813
あの頃は
雨でも降った時には
アトラクションの待ち時間ゼロで
怒号のスペースマウンテン5連ちゃんとかやってたわ 昭和49年9月30日から昭和51年11月6日の2年の間に普通列車のグリーン料金は
100〜300円から700円〜1500円に一気に跳ね上がった。 グリーン席、A寝台には
通行税がかかってましたね。 >>847
線路を付け替えるキッカケとなった「富士宮臨」などというものも今ではまったく無いのかな。
>>849
それを出すなら東名ドリーム号の指定料金が、1979年夏当時の運輸大臣(後の塩ジィ)指示で\500→\1,500に爆上げされたのも。
競合だらけで一括運賃の今となってはいくらが適正だったのかよくわからないよね。 >>851
まぁ、最早存在しないと考えるのが自然だろう…。
で、急行「富士川」の時代には、1往復だけ三島―富士―甲府っていう列車があって、
これは言わば、「富士で進行方向を変えなくて済むようになった」という存在だった。 京阪神緩行線で、神戸駅折り返しの普通電車が日中にも運転されていた 岡谷―辰野―塩尻間は、今でもれっきとした「中央本線」である事。 国鉄時代、金谷駅構内に東海道本線と大井川鐵道との連絡線があった頃、
113系電車や80系電車、「サロンエクスプレス東京」などの国鉄の臨時列車が
大井川鐵道に乗り入れていたこと >>854
更にその前甲子園口折り返しだったこと
そしてその頃芦屋駅で快速乗り損なうと吊り掛けモーターの旧型電車各駅停車で大阪駅まで爆音で行くしかなかったこと 「東海道本線と山陽本線の境界は神戸駅である事」
ってのも、ともすれば忘れられがちだな。 東北本線の起点は東京駅であること。
昭和40年代には上野発着の特急「ひたち」、「はつかり」、「いなほ」など
東北方面への特急の一部も東京駅発着だったこと 総武本線の本来の起点は「御茶ノ水駅」であること。
鉄ピク2020年9月号通算977号で知った人多いのでは? 田町電車区にはマヤ検用のクモハ73が奇数向き偶数向き各1両あって、ATC化までしぶとく残っていたこと。
それと平成に入っても品川客車区に入場時控え車としてナハフ11が2両残されていたこと。 >>863
その旧山手線区間は現山手線も含めて、東北本線の支線だった。
山手線だった名残りで北イケ101系8連で運転されていた。 >>865
101系(カナリアイエロー)は山手線で使われていた8連(6M2T)が
山手線103系新製投入で押し出されて、そのまま転用されただけだな
名残というわけではなく、たまたま同じ電車区だったと言うだけだよ 武蔵野線の本来の起点は鶴見で、鶴見〜府中本町間は貨物線であること 高崎―横川間が「信越本線」の名を冠しているのには、一応合理性があった事。 大阪環状線桜ノ宮駅の北側にかつて淀川電車区があり、片町線の101系と103系は淀川電車区所属だったこと >>870
合理性?
もともとは直江津から長野県内だろ E127系0番台は全車トキ鉄に譲渡されてなくてまだJRに残ってること >>865>>867
同じようなことではないか、従来の山手線8連で旧型7連を置き換えたのだから。
赤羽線が黄色かったのは山手線の旧カラーだったからと言いたかったんだろw
山手線の前面方向幕は「山手(YAMATE)」、だった事・ >>873
「高崎―横川間は盲腸線でなかった事」
とでも言っといた方がよかったかも知れんが。 153系から117系に置き換えられた当初の新快速は、「シティーライナー」とも
呼ばれていたこと >>876-877
横川〜高崎間→横川線に線名変更
篠ノ井〜長野間→篠ノ井線に編入
こんなに継ぎはぎにされた線は無いな。 >>879
関西→シティーライナー
東海→東海ライナー
だったな。 東海道線名古屋地区の新快速が「オレンジ快速」と呼ばれていた事。 関西地区から広島地区に転属して呉線・山陽本線などで運用されていた瀬戸内色の103系は、
前面・側面の行き先方向幕を使用せずにサボを使用し、クハ103の方向幕窓はクリーム色に塗られていたこと そのうち、
「下関―門司間に電車が走ってた事」
って話になるのか…。 関西本線(大和路線)で、3両編成の103系の普通電車が運転されていたこと クモハ103(原型車)には、ユニット窓付が存在しなかった事。 横浜線が昭和時代は中山から先は単線で、車両も山手線や京浜東北線の余り車両を使っていた為、水色車両、ウグイス色車両の混合編成だったこと。 京阪神緩行線に201系が投入される前、103系で運転されていた京阪神緩行線の
各駅停車の運転区間は京都〜甲子園口、吹田〜西明石間だったこと 京都〜吹田 15分毎
吹田〜甲子園口 7〜10分毎
甲子園口〜西明石 15分毎 >>886
415系の代わりってどうするんだろうね。
DCを充てるかな? 何か、下関―門司も西日本にしとくべきだったって気がしてしょうがない。
そうしといたら、山陰線の列車の門司乗り入れで事は解決してたものを。 関門トンネルはもう貨物列車のためにのみ残されているって感じだからな。
西日本も九州も新たな車両であの区間を直通させようって気はないだろう。
気動車直通ですらやめちゃったくらいだし。 宇部線で、鹿児島本線や日豊本線に直通する電車が運転されていたこと。 >>892
塩害対策として、廃車寸前のDCを使うことになるんだろう。
横乳技術供与の見返りとして、E531の60Hz対応車を作って入れる
って可能性もなくはないけど。 >>896
DENCHAを秋田に送ったバーターでこんどはACCUMをここで走らせたりして(走行割合は直流区間のが長いから充電しやすい) 米原―神戸間は東海道本線、神戸―姫路間は山陽本線である事。 草津線で、113系電車の他にDD51牽引による50系客車の京都発着の客車列車も
運転されていたこと 関西本線で運転されていた春日色113系の快速は、大半の列車が大阪環状線に直通し、
湊町発着の113系の快速は朝夕のラッシュ時、夜間のみ運転されていたこと >>901
その113系の一部編成に、1970年代からATS-Pが試行されていたこと。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。