そろそろみんなが忘れてそうな事@鉄道懐かし板 9
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北海道の定山渓鉄道と滋賀県の江若鉄道が同じ日に廃止された事。
しかも両者は共に直接の廃止の引き金が新線建設による用地の提供だった事。
この両者はこの他にも共通点が多い。 >>705
どちらも会社自体はバス会社として現存してるしな >>705
どちらも札幌市営地下鉄湖西線の犠牲、最初の奥さんが不倫犠牲なるようなもん女に相手にされない鉄ヲタは解らんかw 法治国家として,単純に法律に基づいて判決を出してくれてよかった。
政治家の気分や,「法律の抜け穴だから許さない」みたいのはおかしい。
抜け穴を作った政治家の方が問題なんだから。三権分立を表すの良い事例になると思います。
ただし、泉佐野市のやったことは決して褒められることではないと思います。私は泉佐野市のしたことについては合法とはいえ評価しません。
私の泉佐野市のしたことは脱法ハーブに似ていると思います。
泉佐野市は確かにやり過ぎ感はあったが、このやり方は、元は財政健全化団体に転落してから努力してきたもの。
一方、世田谷や横浜などの財源が豊富で大した努力もしない自治体は、
高額所得者の住民票がたまたま区域内にあるだけで高額の住民税を徴収する権利があると思い込んでいるのか、
ふるさと納税により財源が流出したとして、制度を批判している。
自治体の住民サービスは、所得制限などによる不公平感が目立つ。
保育料の負担や児童手当の制限など、住民税の納付額が多い人の方が受けられる住民サービスは少なく、
このような制度である限り「不公平感」は拭えない。
特に、若い人達にとっては、税金を取られても、住民サービスの恩恵はほとんど受けられない。
住民サービスのほとんどは、老人や乳幼児や低所得者のためのもの。
ふるさと納税制度は、少しでもこの不公平感を減らす上では、有用だと思う。
当時はルールに従ってたんだから、後出しで法律を作って過去の行為を理由に締め出すなんて法治国家としてとんでもない。
今回の判決は日本が法律のもとに公平にできてることを示したのだからいいことだと思う。
戻って罰するなんてアホなことを最高裁が認めなくてよかった。最高裁がまともな判決を出して本当に良かった。
戻って罰を与えるのはあとから何でもできてしまい危険。
やっとまともな判決が出て安心した。前回の判決は、「法の趣旨」なんか持ちだしてきて
無理やり政権寄りの判決を下した感がしてならず、どう考えてもおかしかった。 それにしても、国を相手に堂々と戦った市長の勇気に敬意を表したい。
ふるさと納税訴訟 泉佐野市が逆転勝訴 新制度からの除外決定を取り消し 最高裁
6/30(火) 15:10配信
毎日新聞
ふるさと納税の新制度から大阪府泉佐野市を除外した総務省の決定は違法として、
市が除外決定の取り消しを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(宮崎裕子裁判長)は30日、
国勝訴とした1月の大阪高裁判決を破棄し、除外決定を取り消した。市側の逆転勝訴が確定した。
居住地以外の自治体に寄付すると税金が減額される「ふるさと納税」は2008年に始まった。
豪華な返礼品で寄付を獲得しようとする地方の競争が過熱し、総務省は15年以降、自制を求める通知を相次いで出した。
しかし、泉佐野市は通販サイト「アマゾン」のギフト券を返礼品に上乗せするなどの手法で、18年度に全国トップの497億円の寄付金を集めた。
国は19年3月、地方税法を改正し、「返礼品は寄付額の3割以下の地場産品に限る」との基準を明記。
4月には同法に基づいて「18年11月までさかのぼって寄付の手法を審査し、基準に従わない自治体は除外する」と告示し、
19年6月に泉佐野市などを除外して新制度をスタートさせた。
訴訟では、法律で基準を定める前である告示前の行為を理由に、除外を判断したことの是非が最大の争点だった。
市側は「裁量権の乱用」などと主張したが、地方自治法の規定で1審となった大阪高裁は
「不適切な方法で多額の寄付金を集めた」として市敗訴の判決を言い渡していた。【近松仁太郎】 定鉄と江若の共通点。
1969年11月1日廃止。
大手私鉄の傘下に入り鉄道廃止後もバス会社として現存(東急系のじょうてつと京阪系の江若交通)。
廃止後平行して作られた別の鉄道に用地を明け渡す(地下鉄南北線と国鉄湖西線)。
ターミナル駅は国鉄ではなく路面電車と接続(豊平駅で札幌市電と浜大津駅で京阪京津線)。
起点側で国鉄と線路が繋り乗り入れもあった(東札幌駅と膳所駅)。
地域輸送のみならず行楽客輸送にも力をいれてた(定山渓の温泉客と琵琶湖の水泳客)。
他にもあるかな? 井原鉄道井原線の線路は、廃止された井笠鉄道の線路跡地に敷設されていること 44年前、電車特急で初の2列車併結になる「かもめ」「みどり」が設定された事。
同じ日、新横浜と静岡に初めて「ひかり」が停まった事。 同じ日、静岡にもしひかり止めなければ今頃こんなに調子に乗ってなかったか? >>700
169・189・489系はKE70型ジャンパ連結器でEF63とつなぎ、車両間はKE76型ジャンパ連結器で
回線引き回せたが貨車はそうはいかないからな。EF62とEF63間は列車無線でやり取りしていたの?
>>713
暗にのぞみを静岡駅に停車を迫っている?静岡駅は確か待避線側にしかホームが無かったような気が。 こだましか停まらなかった頃の新横浜周辺はまだ何もなかったからな >>714
本務機と後補機の連絡は通常の列車無線とは別の専用の列車無線のようだね
(リンク先のビデオに列車の車掌からの出発司令を受ける場面があるけど、これはまた別の乗務員無線を使用)
EF63は全乗務において無線を常用してるのでヘッドセット、
EF62は普通の手持ちマイクのようだ
https://www.youtube.com/watch?v=n3ryRb1RwKI
瀬野八だと、EF67時代はどちらも手持ちだった(今は不明)
後補機は本務機の指示を聞く側だからということもあるのかもしれない 昭和60年3月14日〜63年3月12日の間は、
東海道新幹線の全ての駅に最低1本の「ひかり」が停まってた事。 国鉄末期に近いころ、EF58に代わってEF62が東海道本線の荷物列車をけん引しだしたこと。
まさかFE62が平坦線の東海道線へ来るとは思わなかった。
ただ、荷物運用が廃止されたのでその活躍は短かった。EF60・65のB-B-B軸配置の中で
C-Cの軸配置は異彩を放っていた。もっともFE58は2-C-C-2でマシンガンのようなジョイント音を
放っていた10軸だったが。 165系は、新前橋電車区と新潟運転所で向きが逆になってた事。
で、「ゆけむり」とかと「佐渡」がすれ違う時は、
クモハ165同士、もしくはクハ165同士、の顔合わせになった。 昔、東武の特急は、上りだけ北千住に停まってた事。
「スカイライナー」も、最初は上りのみ日暮里停車にした事。 >>715
品川午前6時発の「のぞみ79号」が、東京午前6時発の「のぞみ1号」に静岡で先を越される? 今の東海道新幹線って、
のぞみはかつてのひかり
ひかりはかつてのこだま(在来線のこだまでもいい)
こだまはかつての在来線の東海(特急でも急行でもいい)
そんなイメージ ひかりより速い種別を作った時点でアインシュタインにケンカ売ってるw 一時期、山陽新幹線では、
「300系『のぞみ(臨時)』 vs 700系『ひかりレールスター』」
なる構図があって、遅い「のぞみ」が高い特急料金徴収してた事。 北海道で家建てればよく分かるよ。北海道の田舎の土地は負債になる。
北海道特別意識が高いのが道民の特徴だが、道民特別意識だね
島国根性の塊なんだが、それを街になっている事に気づかない低レベル道民
だから何時まで経っても発展しないどころか衰退の一途だ
しかもその衰退に気づかないのが何とも哀れだね
井の中の蛙でもあることを知るべきだ
知ろうとしないから、本州人から呆れられ、見捨てられるのだよ
6年後には人口500万人切れになり10年後には480万人の体たらく
地方交付税や生活保護費の爆食い、北海道開発局だかの税金浪費
本州資本の展開が極小なのもその点にあるのだよ だから産業が育たない地域になるのだな
北海道は特別だ、という観念は未だに捨てられないのだな、とつくずく思うな 気の毒だな
JR北海道は本当にこれ以上路線廃止するんだろうか?
あれだけ人が乗っていなかった札沼線末端区間ですら沿線自治体が抵抗してたのに。
日高本線だって路線廃止を決めるのに5年かかってるし。
なんか自治体に根負けして日高と留萌線を片付けて終わりそうな気がするが。 JR北海道の決算を見ると良い。
廃止を諦めたら倒産するだけだ。
余程の無能でない限り廃止は諦めないだろうな。
北海道は賃金も安い割に 自家用車必要だし
家賃もアホみたいに安いわけでもないし、
家建てても内地みたいな断熱ペラペラの安い家なんかじゃ光熱費の下敷きになってしまうし住みにくい所だよ。
冬は雪降るから留守にも出来ないし。
残念だけどロシアは北方領土は返してはくれません。
けどこれは我々日本人にも責任があります。
日本政府は遺憾しか抗議できず、日本国民の大半は領土領海問題にも感心がなく平和ボケしています。
竹島も韓国から不法占領されて尖閣諸島は中国から奪われる間際まで来ています…
日本国民が戦後の敗戦教育から目覚めて自国の防衛や領土領海問題にしっかりと取り組まなければ
ずっとこのままで、空しく時間だけが過ぎていくでしょうね。いつになったら日本人は目覚めるのでしょうか…
ロシアが北方領土を返すわけが無い まだ夢を追う島民 生きてるうちに 先祖の墓を北海道に移すのが先だ
仮に戻っても日本国民に何のメリットも無い
開発に血税やロシアに大金を払わせられるだけ
一部の島民や銭に目の眩む水産業者だけが儲かる
だから北東にミサイル配備核保有 アメリカ軍駐留をロシアには絶えず危機感を与えるのが良い
日本には既にならずもの国家が駐留してその費用を血税から吸い取っている。
そんな連中に北海道を最前線として差し出すなど常軌を逸していると言わざるを得ない。 さらにJR東海の車両も小田急に乗り入れ、新宿にも顔を出してた事 さらにJR東海の車両も小田急の車両も普通車一部がグリーン車同然だったこと 一時期、103系による御坊・五条発着の快速、紀伊田辺行快速、周参見発天王寺行の103系による
快速も設定されていたこと 東京スカイツリー(32,699票)の名称が一歩間違えれば東京EDOタワー(31,185票)になっていたかもしれなかったこと 山口を抜けた時、静岡を抜けた時の達成感は異常。
並行在来線の第三セクター化…果たして本当に良かったのか
個人的には並行在来線や経営が危ぶまれるところは国が運営すべきと思う
一枚の切符で行かれるルートがだいぶ限られてしまいました。
東京から富山へ抜けるルート、青春18切符だと長野を抜けて行くことができましたが、
今や上越線か大糸線経由、北海道へも奥羽本線に迂回、
道内も3セクを挟むなどしないといけないのは寂しいものがあります…
個人的には青森県に足を踏み入れなくなった東北本線の名前には違和感を憶えてしまう。 スイッチバックといえば、山形新幹線の開業と同時に廃止された、奥羽本線の赤岩・板谷・峠・大沢の各駅。
今でもそれらの遺構の一部が見られるが、旧赤岩駅にはスイッチバックの距離を稼ぐためだけに掘られたトンネルがある。
15年程前は旧駅構内からそのトンネル内部までレールが敷かれたまま残っていたが、今もあるだろうか。
子供の頃、母方の田舎に帰省してた頃は、旧国鉄の姫新線から因美線に入る時、
津山でスイッチバックしてた。戻るときももちろん同様。
普通車両だったんで、単に進行方向が変わっておしまい。
今は津山に何も用が無くなったけど、その代わり今度は、鳥取−岡山間の特急スーパーいなばで、
途中の上郡でスイッチバックする。特急車両なんで、客がぞろぞろ立ち上がり、一斉に座席を回転させ始める。
ずっと前は「席、回します」みたいな声かけがあったが、近年は皆暗黙の了解のように動く。結構楽しい。最近コロナで乗ってないなあ。
スイッチバックではないですが、昔の夜行列車は走る距離が長いだけに途中で進行方向が変わるものが多かったですね。
このうち北斗星や紀伊なんかは深夜〜明け方の短い時間帯に2回方向を変えるので
寝台なんかで寝てると気付かないこともありましたが、北陸なんかは深夜に1回だったので朝目覚めると進行方向が逆になっていて、
分かっていても「ん?」と奇妙な違和感がありました。今では味わえなくなった感覚です。 >>734
でも、「ゆめみやぐら」になんなくて良かった。 赤羽根―池袋間は「赤羽線」、
上野―黒磯間は「東北本線」。
本来はあくまでこうである事。 >>738 赤羽・池袋間が山手線の一部だったこと。かつては赤羽線は公式の路線名ではなかった。 赤羽根 → 赤羽
だった。
申し訳ない。
>>740
「山手線」は「やまてせん」と称されてた事。
で、列車の行先表示の窓にも、「山手」と表示されてた。 「東京電環ゆき」きっぷ
かつて赤羽線区間が山手線だったため「山手線内ゆき」では正確ではなかった >>741
正式名称はもともと「やまのてせん」。
GHQが名称を"YAMATE-LINE"としたため混乱させた。
その結果、その外側を巡ることから名付けられた環状6号線の名称が「やまてどおり」になってしまった。 因みに横浜とか神戸では「山手」は昔から「やまて」と読むけどな 渋谷区代官山の旧山手通り沿いに、映画「帝都物語」で使用された東京都電のレプリカを
活用した食堂があったこと その「帝都物語」の撮影で使用された都電レプリカ2台のうち1台は、
「ハチ公物語」撮影用に製作したものの使いまわしだったこと。 ゆめもぐらで思い出したけど、近鉄東大阪線がけいはんな線になったとき
中央線と併せて「ゆめはんな」という愛称をつけていた。
全く使われないまま自然消滅したようだ。 山手線は文字通り山手(やまのて)を通る東海道本線の支線。
品川駅から渋谷、新宿、池袋まわりで田端駅まで。
路線としては回ってなんかいません。
とか 山陰本線下関口の普通列車は現在は全列車下関発着だが、以前は門司・小倉発着の
普通列車もあったこと 松川事件。
二本松の高校に通うのに暫く不通で往生したな。 >>749
そこまでカキコしたのなら、品川ー東京ー上野ー田端間は正式には何線なのか書いてほしかった。 電化しているにもかかわらず東京駅からC51が牽引した超特急燕 国鉄時代、山陰本線がまだ非電化単線だった頃、京都駅山陰1番ホームにはすでに架線が張られていたこと 昭和48年7月〜57年11月の間、電化区間のみを走行した、DC急行「赤倉」。 >>759
さらにその後2年4ヶ月だけ電車だった事 水俣駅、つまりチッソ水俣工場真ん前にJRの特急列車が必ず止まっていた事。
しかもそのチッソ水俣工場からは大昔、今回みたいな大雨だと必ず水銀が溢れ、水俣病の被害を大雨がアシストした事。 松浦鉄道が国鉄松浦線だった頃、左石から柚木線、佐々から世知原線、
肥前吉井から臼ノ浦線が松浦線の支線として分岐していたこと 博多から筑肥線、松浦線経由で
快速佐世保、伊万里行きが出てた >>759
一往復だけだったが、名古屋〜新潟間のロングランDC急行だった。 特急「くろしお」がキハ80系だった頃、名古屋発着の「くろしお」の補完列車として、
天王寺〜名古屋間に急行「紀州」や鳥羽・熊野市発の天王寺行急行「きのくに」もあったこと 22年前まで、東京―高松間に”ブルートレイン”が走ってた事。 50系レッドトレインが走っていた事更に50系レッドトレインの頃の方が皮肉にもMotor音を村上〜酒田普通でも聴けた事 >>734
Erectile Dysfunction Ossan タワー
あまり高そうにない・・ 2020年廃線
大船渡線(気仙沼−盛)
肥薩線(吉松−隼人)
くま川鉄道湯前線
北海道旅客鉄道 >>727
北方領土は2島返還で内定してたのに
NHKが4島返還ごり押ししたためいまだに1島たりとも返還されてない 「北海道に電化されてない鉄道路線があった事」
ってな話になる日も近いのか…。 何という逆説的な発想だことw
でも、北海道新幹線はどうするんだ? 初めからブルマ採用していない学校ばかりなんだってな北海道は。
日教組は無関係だと思うが。 電車内や駅のベンチで学校指定の靴下をルーズソックスに履き替える女子高生がいたこと >>776
それ以前に札幌に電気機関車が往来してたことがかなりの伝説だし。 北海道の電気機関車の中で、ED76-500は、50/60Hz両用だった事。
何の必要があったんだか不明だが。 >>784
ED76-500が50/60Hz両用だったというのは初耳なんだけど >>784
485が何のために走ってたのようなもん
なので悪いけども別に〜としか思わんw >>784
ED76-500番台 は九州用と比べて車長が一メートル長く貫通扉付きで別形式に見えたな。
そのせいか分からんが、ED75-500番台は501の一両で終わった。 そだよ
サイリスタ制御を試すための試験機でもあった
その成果が、客貨両用SG付きのED76-500
そして、サイリスタ制御を改良したその後の交流機につながるわけだ 何かの本にそう書いてあったのを目にして、
「何で北海道でしか使う可能性ないのに、50/60Hz両用なんだ?」
と思った記憶があるけど、
その本の記載が間違ってたか、こっちの誤解だったのかも知れない。
大変失礼。 >>774-775
と言うか、その二島は北海道。
千島ではないから。 >>791
交流電気車両要論(川添雄司著、1971年)に掲載の諸元表によると
電気方式は、20kV, 50 (60) Hz となっている。
これは他の50Hz用電機でも同じで、60Hz用は 60 (50) Hzとなっているから、
これだけでは、なんとも言えないかな。
ただ、補機電源は50Hz用になっていて、事実上は50Hz専用ということになりそう。
60Hz対応が実際にどうだったかは、公式の説明を見たことないのでわからない。
試験機だと余計な機能(ここでは60Hz対応)をわざとつけていることはままあるんだけど、
ED93(→ED77 901)のサイリスタ制御をもとに作られたED75-500は事実上の量産先行車で、
サイリスタ制御がうまくいった暁には量産する計画があったようなので、
時期的にはED75-300(60Hz用)の後釜候補くらいには考えていたかもしれない。
まぁ、実際には九州(石炭輸送のあった北部を除く)他の地方線区では軸重関係でED75は使いづらく、
中間台車付きのED76(従来制御)やED77(ED75-500を改良したサイリスタ制御)が投入されたんだけどね。
ところで、ED76-500は、整流回路はサイリスタが採用されたけど、制御自体は低圧タップの従来型で、
>>790 にあるような、ED75-500の改良型、というより、一部断念型といった感じだな。
ED75-500の本当の改良型は、ED77ということになりそう。
なんかここに書くような内容ではないよう w 黄色文字で大きく書いてあった
道 外 禁 止
の貨物車両 >>794
ノロマだから北海道に閉じ込められたんだっけ? 平塚七夕号という臨時快速が新宿から平塚という短距離の運行で165系が走ったこと 北海道の国鉄は、列車到着間際にならないと改札されずホームに入れなかったこと。
だから、改札口で列を作って改札が始まるのを待っていたこと。
そんなことを札幌市内の駅の日常の通勤通学客に対してもやっていたこと。
余所者にとっては怒りがこみあげてくる理不尽で不快な慣習だが、地元の人はそう思ってなさそうな様子だったこと。 昭和時代の東海道・山陽新幹線の1時間に数本しか発着しない駅も列車到着10分前ぐらいにらならないと、ホームに入れなかった。 列車本数が多くないところは何処も同じ
「ただいまから◯◯行き列車改札します。乗り場は橋を渡って3番線です」 >>795
・脱線防止の改造ができない
・経年経過で近いうちに廃車する予定
の車両が北海道に送られてそうなってたはず >>800
一般貨物列車の最高速度を75km/hに引き上げた時(従前は65km/h)、改造しなかった(できない)車輌を閉じ込めた
本州から送ったものではないし、本州内でも75km/h未対応の限定運用の貨車があった(ロシキなど頭に小さくロが着く車輌は65km/hまで) 485系1500番代の後に1000番代が登場した事。
で、その1000番代に関しては、クハが片栓だった事。 大阪メトロ谷町線で、御堂筋線10系に準じた20系が走っていたこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています