ここだけ宮脇俊三先生を勝手に生き返らせるスレ
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しかし過去を振り返っても仕方ないと思い直して旅に出ることにする。 元の夕張駅の跡地へ行ってみる。
付近の住民に”インタビュー”して、
「これがこの国の交通政策というものか…」
と慨嘆、やはりこの思いを書に訴えねば、と決意を新たにする。 福知山線のあの事故現場に足を運んでみる。
「21世紀の日本でこのような前時代的事故が起きたとは信じ難い。
鉄道の技術進歩とは何であったのか」と嘆きつつ。 肥薩おれんじ鉄道線? それは、いかなる鉄道であるか フランス国鉄関係者に、
「TGVの最高時速は何キロでしたかな?」
と嫌味ったらしく尋ねる日の到来を待ち侘びる。
それだけに、”整備新幹線の最高速度260km/h”とかを腹立たしく思ったり…。 「私は酒で体内を消毒できているのである」
…なんて事は、T大卒ともあろう御仁だから、考えるわけないが。 鉄道とは「金を失う道」と書く。しかしパパは後悔なんかしていない。
金なんか残しても人生つまらんと思っている。
しかし家族には金を残したい。 去年、北陸新幹線の車両10編成が一気にお陀仏になったと知って、
JR東日本に幾らか寄付する。 「また一段と煙草が吸い難い世情になった」と不満を漏らす。 「旅」の企画の打ち合わせに美人編集者を同席させて、
宮脇氏に無理難題を押し付ける(東京から大阪まで歩かせる、等)雑誌社。 「私を感激させた気仙沼線も結局廃止された」と憤ると共に、
開通日に志津川駅にいた、当時の女子高生を思い出す。 「私の”国鉄全線大集合”をパクるとは何事か!」
と、某大学教授に文句言ったりする。 で、あくまで犯人追跡のための一場面でしかなかった筈の、
時刻表探索に没頭し過ぎて、NGの連発。
それがプロデューサーをはじめスタッフの逆鱗に触れ、とうとう役を下ろされる。 相棒に「由々しき事態であり、ぞっとしない」とコメントされる先生 「『武蔵野線の西船橋延長で最長片道ルートが変わる』、
程度の勘も働かん奴に事件の捜査なんかできるのか」
と思われてたりする。
で、逃走する犯人役は、何処かの眼科医M畑(逃走経路考えるのはお手の物)。 「これは『不要不急の旅行』などではない。私にとっては仕事なのである」
と言って、列車に乗り合わせた他の客に自身の正当性をアピールする。 43年前、筑前宮田駅へと所望したにも拘らずバスの営業所へ連れていかれた経緯から、
もっと地理を勉強しろとタクシー会社にクレームを入れる。 「東京近郊区間の路線に乗るからと言って、
前日目覚まし時計をかけずに寝るのはよくない」
と悟る。 「近頃は、座席のリクライニングに後ろの客の同意を求める時代になったのか」
と嘆くことしきり。 その時、何処かのレイルウエイライターとやらが乗り合わせてて、
「どうも、特急列車の客には変なのがいる」
と揶揄される。 列車に乗ると、女子高生から警戒の眼差しを向けられる。
「あのおじ(い)さん、何?キモ〜〜〜〜い」
って…。 「もう今年で94だよ・・・・・・あ、いい手がある。灯子に仕事回そう」 「今年は、足立区に住んでた”あの御仁”の七回忌か…」
とふと思い出す。 「肺病などとうに克服されたと考えていたが、とんだ誤りであった」
と反省する。
同時に、
「しかし、私が知っているあの医者は眼科であった」
などと、余計な事も思ったり。 「今日ではもう、
”高山本線経由の列車で金沢へ行こうとする客が、間違えて富山から猪谷へ戻る車両に乗ってた”、
などという事はないのか…。
私の鉄道に関する有識さを発揮できる場がどんどん狭められている」
と歯軋りする。
それを小耳にはさんで、鼻で笑う、何処かのライターとやら…。 8月15日には今泉駅に行こうとするが、
「今年は無理な情勢か…」と肩を落とす。 「札沼線の非電化区間は、本来今日まで営業する筈だったではないか!
新型コロナウィルス云々などというのは言い訳にもならぬ。
もとより、そもそもこれを廃止などという仕打ち自体が受け入れ難いものであるが」
などと、憤りを新たにする。 浜川崎駅の有人改札を通ろうとしたら、
「ここでは途中下車印は押しませんよ」と釘刺される…。 「個人的道楽のために我々の仕事を妨げるような事はお控え下さい。
興味本位からのお問い合わせには応じかねます」
と、各鉄道会社から抗議或いは警告の手紙が届いてたりする。 「私を味方に付けるのと敵に回すのとどっちが得ですかな」
言葉は穏やかだが実はかなり怖い先生 先生のことではないが
味方に付けても良いことないが
敵に回すと甚だ面倒臭い人ってのはいるw その場所が駅だったから、自らの使命を忘れ、旅立つ客を羨望の目で眺める。
それが原因で犯人を取り逃がし、とうとうクビに…。 種村刑事ってその昔、北海道の常呂駅で転倒して掌を負傷したと聞いた。 東京の新型コロナウィルス感染者数の集計が間違っていたと聞いて、
「行政のやる事にも、すいぶんいい加減なところがある。国鉄の”二重戸籍区間”や”距離の水増し”に当たろう」
と呆れ顔。 信楽高原鐡道事故の犠牲者の供養に現地へ行きたいと思うものの、
世情からして叶わず. 「5月と言えば、私が北海道完乗を果たした季節である。
しかし、その帰り道にとんだ失敗をしでかしたのであった…」
と、反省しきりの心境に。 「今や北海道でも、”国電型のロングシート”が蔓延しているではないか。
どこもかしこも東京に右へ倣えとは、正に笑止千万。これが国鉄改革とやらの成果か!」
と憤りを隠せず。 「一致団結してこの難局に立ち向かわなければならない時に、
これでは何のために組織されているのか分からない」
とWHOを非難する。 旧盛線の沿線を歩いていても、今の子供は誰も挨拶しなくなってる。
「知らない人に注意」みたいな事、学校でやかましく言われるようになったから。 羽沢横浜駅で下車する先生。
「また乗る路線がなくなってしまった・・・・・・」 次女と一緒に我孫子―成田間の電車に乗ったところ、
今度は自らが「催す」(年齢的な事情もあって)…。 43年前、深酒が元でやらかした失敗を思い出し、今日(5月23日)だけは「断酒」を志すが、
一晩寝たら元の木阿弥に…。 足尾線の、足尾―間藤間だけを最後まで残した事を、今更のように後悔する。 ちょっと長旅に出ようとすると、今は娘から訓戒垂れられる。
「パパ、気を付けてよ。旅先に何か忘れてこないで。前カメラなくしたでしょ」
「お酒飲み過ぎちゃ駄目よ。まして他の人に絡んだりしちゃ」
とか…。 列車内で女子高生に話し掛けたら、警察に通報される。 全線完乗を改めて祝って貰ってる。
今度は本当に盛大な祝賀会に。 福岡の友人を訪ねようとしたら、時間の都合で飛行機に乗らざるを得なくなった。
それを白状したくないし、嘘つくのも憚られるし…。
いっそ取り止めにしようか、と悩んでる。 モスクワオリンピック中止でもいいいや厳密には日本等西側ボイコットでもいい東京オリンピックよりは、と慨嘆する。 最長片道切符の旅を始める前日には、出発地に泊まれるように、仕事を段取りする。 銀河鉄道999号のパスを盗まれたが
種村刑事に取り返してもらった 42年前に、花輪線の列車内に置き忘れたカメラも出てこぬものか…。
なんぞと、未練がましい事考えてたり。 気仙沼に行ったら、漁師からマグロ買おうとする。
更に、
「あの地でタクシーに乗ったら、”小さな親切大きなお世話”に注意せねばならぬ。
私は気仙沼駅へ行ってくれと言ったにも拘らず、南気仙沼駅へ連れて行こうとした運転手がいたのだ」
と、気を引き締める。 「今度こそ、閑散期に指定席の客を一隅に固めるような有様には文句言ってやろう」
と思うが、今日では、客が座席を選択できる制度が普及した事を知って、
振り上げた拳の持ってき所に困る。 小山で、遅れて着いた東北本線から水戸線に乗り換えようとするが、
ホームに駅員はおらず、置いていかれる。 ホーム置き去りは昔もあったなと思うが歳のせいか場所が思い出せない。 「『最長片道切符の旅』を逆のコースでも実施して、
その時は『五葉』で花巻―釜石―宮古―盛岡、と乗り通してみたかった」
と回想してる。
「花巻から『五葉』に乗って、”盛岡までの急行券を下さい”と言ったら、
車掌はどんな顔をしただろうか」
なんて思って。 「ひょっとして、『サンダーバード』を追い越す快速があるのではないか」
などと思って、必死に時刻表の京都―大阪間を眺め回してる。 「いつか、1晩で2枚の寝台券を使うような贅沢してみよう」
と思ってたが、気が付いて見ると、寝台車なんて殆どなくなってた。 「そのうち、東京―札幌間を、鉄道で日帰りできる時代が来るのか…」
などと思ってたりする。 「時と共に東京から直通できる道府県数が減少するとは…」
と、つい溜息交じりに、手に取りかけた時刻表を放り投げる。 気を取り直して時刻表を再び手に取るが北海道のところを見てため息をつく。 「私も新型コロナウィルスとやらに感染するかも知れない。
無念ではあるが、旅行は自粛せねばなるまい」
と意気消沈する。 「今や鈍行が一番味気ないではないか。
北海道や九州も国電型のロングシート車だらけだ」と憤慨する。 滝川発釧路行きのロング鈍行はもうないのか、とため息。 「稚内に着いたら一泊する」と言った時に、「は〜あ」と返答した若造を見つけ出して説教垂れようと思ったが、
その6年前の、青函連絡船での出来事(酔って同室の青年に絡んだ)を思い出して自重する。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています