「三江線の最後の日から早2年である。
 この線を経由して、浜田―岡山間の急行が走るのではないかなどと考えたりもしたが、
 全く当てが外れた。尤も、国鉄とすれば、それこそ”不要不急”の路線を経営させられた、
 との思いだったのであろう」
などと回想する。