失敗作だった鉄道技術やサービスなど★5 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>93 それやったら3600の二の舞になるわな それ以上に編成両数の違う車両同士のやりくり自体がありえない 余計面倒になるから それ言ったら芝鉄はどうなんだと言われそうだが 西武の9000系が廃車になるらしい 車体は6000系と同時期だけど、旧101系の機器流用車というのが災いしてしまったのか? ↓旧2000系よりも先に廃車された西武車 ・新101系 ・301系 ・3000系 ・新2000系VVVF車 ・9000系←NEW 車体は鋼製だから失敗ではないと思う 京成3400形も同様 ただ新2000系とは異なり戸袋窓回りが完全に埋められない点では失敗だと思う 戸袋窓回りはステンレスとかだろうか? それ言ったら旧営団5000系はどうなのかと言われそうだが 新2000はまだまだ使い続けるから戸袋窓を完全に埋めた 9000はもう廃車にするから中途半端な工作にとどめただけでは 車体工法は同等か9000の方が進化してるはずだし 2000系は4扉車であることから荷重が大きいことに対応して軸受を強化したFS372A台車を履いている(主電動機の関係で3000系も使用してた)が9000系はそれをしていないFS372を使用してるのが問題だったのか? VVVF化したのも少しでも軽量化したかったというのもあったかもね 単に台車の経年的にその時が来ただけかもしれんが >>93 IR無線を初めから積んでいない千葉線非対応の8800形も数本ある。対応車のほとんどは北初富からの 北総線直通があった時に使ったもので、廃止後もそのアンテナを残してあった。千葉線直通開始時に そのアンテナがまた使う必要を迫られて切り替えスイッチを変えて京成乗り入れに必要な運行表示機 (これは8000でも同様)を追加で付けた。ラッピング車の千葉ジェッヅ ふなっしー封メ成は乗り入れ荘ホ応車。 bサのためVVVFが血テくて何も全く封マえていないのbニ古いやつで補緒蕪d源のSIVやコンプレッサーだけが N800と同じやまっさら新品のVVVF・SIVにした車などがある。前照灯がLED化した車もある。 なお千葉ジェッヅ ふなっしーは古いVVVFで補助電源とコンプレッサーも替えてないタイプの対応車。 >>96 機器流用で低コストで4ドア車を増やし、ラッシュ時の乗降時間節約、ダイヤ乱れの防止に貢献したのだから、失敗作じゃないのでは?コストパフォーマンスで考えないとねえ あじさいの関東関西つゆ はなまるや丸亀は本格的だからねえ >>102 西武の狭山そばにしても、似たようなものだろ 丸亀などと競争する必要はない。店舗代いらないし。 そもそも、駅上屋やホームといった厨房設備の制約が大きい場所に、丸亀や富士そばのような麺類系チェーン店が進出したがらないのでは? 最近の駅ナカならともかく。 >>105 ニューデイズのような、鉄道会社の小会社、系列企業の駅ナカコンビニも、地代やテナント料が無料か格安なんだから、駅そばも似たようなものだろ。 そして、駅の利用客を対象に、独占的地位を保つことができる。 要するに、丸亀のような鉄道会社と系列関係にない企業が駅構内に進出するには、地代、テナント料を負担しなくてはならないということだね。 https://www.sbbit.jp/article/cont1/33551 で、駅ホームのような厨房設備が貧弱で出せるメニューが限定される場所に、丸亀なんぞが高いテナント料支払って進出したとしても、駅の丸亀はまずいなんて評判が立ったら、チェーン全体のイメージダウンとなる。 そんな危険を冒してまで進出する気になれない、ということなんではないかな。 >>99 FS372のA付きは複巻電動機対応なだけでしょ >>108 西武線各駅の狭山そばの大半は、西武鉄道系列の西武通運が運営していたんだけどなあ >>109 軸受も違うよ Aの方が少し大きくてより大荷重を受けられる >>95 かつて北総線が「北総・公団線」って言ってた頃 日中に他者(都営、京急、京成)保有車両しか運用の無い時期があったな・・・ 当初(2期区間開業1991.3.31.)の北総・公団線直通運用の南限(京急方面)であった 京急本線の京急川崎から、空港線の羽田に行先(運用)変更されたのに伴い 当時の空港線には6連までしか有効長が無い駅があったため 1993.4.1.から1994.12.4.までの間 北総・公団線内に、日中の北総及び公団の保有車両は運用が無かった 西武9000は所沢工場の仕事確保のために登場したようなもんだったから機器流用車なんだろうね 東武なら旧101を更新とかしただろうが西武だからな >>112 しかも6両編成の関係で都営、京急、京成の車両も大半が古参車だった >>110 西武通運は西武鉄道系列じゃないよ 西武沿線の中小通運業者が戦時統合されて出来た会社だから西武と付くだけ >>113 つまり、所沢工場の廃止がなければ9000はでなかったということか それは >>112 その時期、銀色に塗り替えられた元京急1000がなかったっけ? 使ってなかったのかな? >>117 その7150形(元京急1000形)も含めて、北総・公団の車両はすべて8両編成だったため、日中 は京急の新町検車区に留置か、都営浅草線の押上・泉岳寺−西馬込間の折り返し運転に 使用されていて、一方で、その時間帯の北総・公団線は>>112 氏が仰っているように、都営 ・京成・京急の6両編成で運転されていた。 >>112 当時の京急空港線が6両編成だった最大の理由は、羽田(現天空橋)駅の先にあった 折り返し用の引上線の長さが6両までだったため。羽田駅開業時点では、空港関連の設備 が引上線の先にあり、当時工事が進められていた羽田空港の沖合移転が完了するまで 引上線を延伸することが出来ず、反対側(大鳥居駅側)は急勾配があるため駅の位置を ずらすことも出来なかったため、羽田駅開業時点では6両編成での運転となった。 >>118 7150形は4+4の7160形と共に全て三菱の大爆音車だけで固めていたから地下は大爆音轟かせていた。 ちなみに京成で貸して千葉急行開業でも使っていた1029〜1032 1037〜1040も爆音車だった。 ただ一方は片方が東洋(爆音はない)もう片方が三菱大爆音だった。 東急6000の総数が42両って、9000を廃車したのも42両で同じじゃないか 製造している一方で廃車するとかね・・ 9000は、一旦5両にしたとき全廃車しなければ、7両化できたんじゃね? 例外は9007だけど >>15 ベイリゾートは、通勤輸送を主体にすれば(当然車両も通勤車、停車駅や列車種別も変える)、まだ需要はあったと思う。 しかし、そうしたら、メトロ車両は東武、西武、東急、小田急と、自社を入れて5社分の保安装置を搭載しなければならなくなるので大変だ。 やるなら、ベイリゾートと同じく、小田急の片乗り入れか。 近い将来推計人口は中央快速通勤E233グリーン車がここに来る、のか >40年使用する時代はもう終わった >今の車両は電子部品が多数使用している為 >車両を更新するよりも直接新車に代替した方が経営的にも良くなった >5300や12-000は塗装車体の維持、東急9000や解体された205は保守部品確保の為 >8年前とは車両に対す扱いがすっかり変わったんだ >今の電車は20年した持たない 40年使用する時代はもう終わったというが都営は元々40年使用する概念がない 昔から25〜30年で廃車だっただろ 5300・12-000は廃車時期なんだよ 昔の国鉄は、車体構造などに問題なくても、30年くらいを目安に 廃車にしてなかったか? 都営地下鉄はその頃の考え方を踏襲しているだけかも。 >>115 >西武通運は西武鉄道系列じゃないよ >西武沿線の中小通運業者が戦時統合されて出来た会社だから西武と付くだけ そもそも武蔵国西部だから「西武」なのであって (西武信金とか西武ガスとか西武学園とか) 今は西武=鉄道&セゾンのイメージしかないが、堤家がいかに横車を押しまくったか、という事なのだな。 >>115 資本関係なくても、西武鉄道が地元業者の連合体に、西武線の駅の荷物運送業務を独占させ、ついでに駅そば出店についても独占させたということなのでは? 「西武」の名称がつき、かつ駅構内で運送業務に当たっているという外見から、表見代理や名板貸しにまで行かなくても、西武運送の業務上のミスが西武鉄道のイメージダウンとなる危険性がある。それを承知で「西武」の名称を用いることを認めたということなんでは? >>128 いい加減しつこいぞ ここはお前の妄想を書き並べるスレじゃない もしかして、いつも珍説書き込んでるシッタカ厨房? >>125 5300系は、わざわざ京急の久里浜工場で再塗装しているのを止めたいから。 雨ですが、選挙に行きましょう。これ以上生活が苦しくなったらオタ活動にも支障が出ますよ。 >>115 西武通運は日通系 「西武通運」の書体が日通と同じで、ロゴも日通と同じ〇通マークがついていた。 西武運輸も西武通運もどちらも実在するよ。 西武運輸(現セイノースーパーエクスプレス)…元西武グループ、今は西濃グループに入ったけど依然として西武鉄道が株式の一割を保有。 西武通運…昭和19年に地域の通運業者が合併して成立、日通法下での大同合併には参加しなかったのかな?(○通マークは日本通運の独占ではないらしい) C51形蒸気機関車 下手に優秀だったため改軌計画を潰した島安次郎のオウンゴール 世田谷線に引き継がれなかったペコちゃん東急200は失敗作? >>136 失敗作の例の中でも最も有名な部類だね もちろん過去スレでは既出だが、制御器が屋根上にあって保守が大変とかよく揺れるとか脱線しやすいとか他の車両より収容力が小さいとか欠点だらけだったらしい 屋根上に制御器を置くのは現代の路面電車では当たり前になってるけど、当時のメンテナンスフリーでない抵抗制御ではまさに手を焼いた しかも玉川線の車がほとんど吊り掛けの中で唯一のカルダン車だったからね。 ボディマウント式をやめてオーソドックスな車で作ってたら世田谷線移籍後も300に更新せずに しばらく使っていたかも知れないけどね。 でも東急で300系設計するとき、参考にしたのは200系なんだよな。 東急で経験のある連接車ってそれしかないし、同業他社に頭下げられないしw ただ、中身的には江の電を小さくした車両って感じで路面電車要素はそれほど多くないようにも思う キハ60ってトライして成功したモノってある?強いて言えば2軸駆動の台車と、軽量、防音の床構造くらい? あ、外吊戸みたいに何十年か経過してプラグドアとして実用化されたようなのは当時の技術じゃ無理だったって事で失敗とみなすと キロの空気バネ台車は気動車初で後の特急気動車の開発には役立ったらしい あと、外吊り扉は両開きにしたのがキハ35系で使われたから失敗とまでは言えないかな >>143 残念ながら同じ外吊りでも構造が違うからね >>141 も言ってる通りキハ60のはプラグドアだから もっとも何十年か経過しなくてもサシのドアとしてはポピュラーだったよね プラグドアや外吊りドアはなんで定着しなかったんだろう? 採用されてる車両が少なすぎる 戸袋窓があると中に蛾が入って気持ち悪い >>145 人に尋ねないでまずは自分自身で考えてみればいいと思うよ。 >>145 新交通で外吊りやプラグドア、特急でプラグドアが多く使われてるから、マイノリティであっても 定着はしてる。 そして君が思う失敗とは結局戸袋窓なんだと思う。 >>145 プラグドアの成功例って300系新幹線くらい? >>149 300系では特に問題出なかったけどその後の車両ではやめてるから成功とは言いがたい気もするな 東のE2系は途中でやめた 空気抵抗や騒音的にドアの凹みは大した問題ではなかったらしいがN700系は先頭車の一番最初のドアだけプラグドアにしてる コストが高いという問題がまだ完全に解決してないようだ 近鉄特急は戸袋にスペース潰されるのを嫌がるから長らく折戸だったし近年は外に出るプラグドアだな ここ最近はバリアフリーとかでホームとの段差や隙間を減らす方針なので外にはみ出る欠点が露になってきたが、車体をやや小さめにつくってドアが開いたらステップ出すようにすれば解決はできる >>149 300系も失敗だった 高価な上に機構が複雑で故障が多く途中で普通の引き戸になった それに何か段差があって躓きやすかった N700系は最前部だけ流線形がドア部分にまで及んでるために変形ドアになってるための苦肉の策 車体の経年変形にドア合わすのって 大変みたいだよね >>149 生産数ならそうだけど、採用数なら新潟トランシスのLRVじゃないの >>144 食堂車のプラグドアは業務用で従業員が管理の上手動で開閉、ロックだからなぁ、不特定多数の乗客が走行中もたれたりする可能性もある自動ドアとは前提が違うからどうだろう? >>149-150 四国2000系・東武100系「あ、あのー」 スレチだが、JRの253系は異様に早い廃車だよな 最終期の物は長電とギンギラ塗装になって東武日光行になってるけどさ 初期車だって特急運用だけで走行も少ない筈 それなのにライナー運用に転用もせずに即廃車だもんな 短編成なんだから使いかってはいい筈なのにな いまだに、特急と共用とはいえ185系が走ってのに意味不明だよ >>159 253が廃車早かったのは、空港特急独特の設備が多すぎて転用できなかったため。 e351も少数派が理由で転用せずに廃車する予定とされている。 同じく少数派の255も危ないかも。 まあ一時保管されていた651が最近になって徐々に廃車されてるし… 空港特急独特の設備と言えば聞こえがいいけど短距離なのをいいことに手を抜いたからすぐ通用しなくなった 転用するにはまともな特急車に改造しなきゃいけないけどあまりにも大規模かつ数も多いからあきらめて廃車するしかなかった >>78 205系でインドネシアに譲渡された編成も、インドネシアからの声が無かったら編成ごと廃車解体だっただろうし >>161 E259もあのままで強引に踊り子にまで使う有り様だしな。中央本線と富士急も走れることもわかって 185がなくなればはまかいじに回せる布石にもなるし。 京王6000系5ドア車は、晩年は動物園線専用になったけど、どちらかというと、競馬場線のほうがよかったんじゃないか。 競馬開催時の混雑は半端じゃないし。 直線で落っこちた先に人が無防備で 座ってるのはまずいわ らせん状や踊り場状になってるのは 意味あるんだな >>170 住宅でも、大手は踊り場付き階段をデフォルトに設計するよ。 安もん建て売りは知らん。 >>23 新宿線の件はデジタルATCに更新があったから仕方ない。 先頭車が10-000形のままでは対応できなかったらしい。 >>170 改良や改善措置で対応できる程度でも失敗作というならば、 車内の手すりに鋭角があって乗客が怪我をした、ドアなし貫通路にしたが地上に出ると冬場は隙間風で寒いという苦情が出たという、東京メトロ6000系 MT比1:1では瀬野八で補機牽引によらざるを得ず、平均速度が下がってしまったという151系 こういうのを上げていったらきりがないわなあ・・ 欠陥や問題点が全くない工業製品を造れると思っているのか? >>173 むしろどんどんあげたらいいんじゃね? キリがないどころか過疎スレなんだし むしろ、些細なことはイチイチあげるな!ってイチイチキレる方が、鉄道界が完璧なものであることにしたがってるように見える >>174 ここをアスペの隔離スレとする考え方はある >>121 9000の余剰車はサハ28両とデハ14両だったためサハが多く、改造して再利用するメリットが無いと判断されたものと思われる。 1000はデハ多いから譲渡できるが。 >>172 10-000のオールステンレス車はD-ATC取り付けたぞ 対応できないのではなく改造するなら置き換えた方が費用が安いということかと そりゃ、わかりやすく言えば最終型は東武30000系初号機よりも新しいしな。 見た目だけじゃなく走行設備がスペックアップしてるのも当然。 千代田線のロマンスカーがメトロ提案なら、メトロ側でも車両用意するでしょ 当初は、ロマンスカーの乗り入れ営業は湯島までの予定だったんだよ でも、それじゃ、降車の手間でダイヤが乱れる可能性から急遽、綾瀬まで来て折り返す事になった メトロとしたら「お付き合い」レベルでしょ 朝のロマンスカーの折り返しは「回送」だからな メトロ提案なら、綾瀬基地に数時間停泊して、帰りは箱根行きロマンスカーとして運転でしょ (その方が、特急料金稼げる可能性有るんだからさ) >>179 霞ヶ関〜桜田門の連絡線を使って有楽町線の新木場まで臨時ロマンスカーもやってるし。 湯島は根津側に北千住からの湯島行き最終が留め置きに使う折り返し線があるけど車内清掃出来ないし、 トイレの排水作業や給水作業もやらないといけないので結局空車回送する位なら営業で綾瀬に持っていくしかない。 綾瀬車両基地にわざわざロマンスカーのために給水施設と汚水処理施設作ったんだっけ。 >>179 >千代田線のロマンスカーがメトロ提案なら、メトロ側でも車両用意するでしょ しないかもしれないでしょとしか言えないな 有楽町・副都心線の話だが、あのケチ西武がメトロ乗り入れ用の特急車両製造するか?w 今のNRAだって、殆どの編成は足回りは廃車からの流用でしょ 仮に作ったとしても、副都心線直通だと池袋は素通りになる それじゃ、池袋が拠点の西武にとってメリット無し 渋谷の西武が元気な頃ならともかく・・でしょ 都電荒川線の愛称「東京さくらトラム」 半年前に名付けられた愛称だが、全くと言っていいほど定着しておらず、過去スレで挙がって いた「E電」・「りんかんサンライン」・「東京メガループ」などと共にやがては死語となりそう。 JR東海が東海道線に新快速を設定した際に「オレンジ快速」って愛称付けたけど定着せずあっと言う間に消滅。 その他主要駅停車の快速を「ブルー快速」、岡崎以東各駅停車の快速は「グリーン快速」としていた。 しかも幸田停車の新快速みたいに快速 新快速に1駅ちゃっかり停車ありタイプも。 ダイヤ改正でそのタイプもなくなった。 小田急の2600、あの時に(8連化せずに)解体した方がマシだったんじゃないのか? 90年代は当時最古参の2600をわざわざ東急に送って8連化までしたのに、急に8000以外の鋼製車を全廃に追い込み バブル期のHiSE・RSEまで廃車に追い込むくらいなら せめて2600だけはNSEと並行して90年代に置き換えすればよかった 90年代は1000・2000はあまり増備しなかったし、京王・西武はその時代は小田急2600と同期が淘汰されていたんだし・・ っていうか旧4000・9000は急ピッチで淘汰する必要あったのか? 5000だって狭義の5000は40年近く使ったけど、6連の5200は大半が30年未満で即廃車というあっけない最期だもんな まぁ、昔でも2400は30年使われなかったけどさ 最近ではまだ新しい1700すら廃車になると言われてるし・・ >>187 90年代の小田急は複々線化の用地取得や工事の負担が重いから、新車増備の予算削ってたんだろ。複々線化が一段落ついたから、3000系大量増備始めたってわけで。 で、小田急2600と同期の京王の車両って、18m車の旧5000のことか?京王は複々線化中止したし、20m車統一のための新車増備に振り向ける財源があったというわけで。 既出だろうけど国鉄(現JR)北千住駅の特急ひたち停車。 あっと言う間に消えてしまった気がする・・・・・・。 >>187 知らないようなので改めて教えて差し上げよう。 90年代の小田急が通勤車をあまり製造しなかったのは、複々線化工事に投資を集中したため。 その複々線化工事も、反対運動や、バブル景気による土地価格高騰により計画が大幅に遅れていたため、 ラッシュ時のピークサイドに数本しか増発できなかったことから、通勤車(1000形・1700形・2000形)はあまり製造されず、従来の通勤車の廃車も出なかった。 また、5000形5200番代の更新を途中で打ち切って、最終的に全て廃車したのは、 複々線化計画が、下北沢住民の反対運動により、代々木上原〜梅ヶ丘が高架から地下に変更されて、 梅ヶ丘付近に地下から高架への急勾配が設置されることになったため、その区間に対応できないためである。 要は、通常走行では問題は無いものの、故障車が発生した時、その故障車を回送する際に後ろから押し上げるパワーが無いことが理由。 更に、HISE・RSEは、落成から15年以上が経過して更新が検討された際に、 ハイデッカー車体であるため、交通バリアフリー法に引っかかり、出入り口の段差解消などの改造工事が、大掛かりになって改造工事の費用が嵩むことと、 抵抗制御の為、省エネの観点からも、更新工事を施工してまで継続使用するのは得策ではないと判断されたため、廃車となった。 念の為に言っておくと、HISEが登場した80年代後半はまだVVVFが高価であったため、停車駅が少ない特急車では起動・減速の回数が少なく、省エネ効果が低いため、 HISE・RSEは同時期の近鉄アーバンライナー・さくらライナーなどと同様に、 VVVFを導入するメリットが無いと判断された。 >>185 愛称は定着しなかったが、311系・313系の種別表示幕や駅に掲示されている時刻表では 今でも色分けで表示されて定着している。ちなみに、特別快速の種別幕表示は1999年の 運転開始当初は黄色地に白文字だったが、白の特別快速の文字が見えにくいということで 直後に黒文字のものに変更された。 >>192 東武で最初のVVVFインバータ制御車は1988年製造の10080型だよ。(100系は1990年製造) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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