>>117

その7150形(元京急1000形)も含めて、北総・公団の車両はすべて8両編成だったため、日中
は京急の新町検車区に留置か、都営浅草線の押上・泉岳寺−西馬込間の折り返し運転に
使用されていて、一方で、その時間帯の北総・公団線は>>112氏が仰っているように、都営
・京成・京急の6両編成で運転されていた。

>>112

当時の京急空港線が6両編成だった最大の理由は、羽田(現天空橋)駅の先にあった
折り返し用の引上線の長さが6両までだったため。羽田駅開業時点では、空港関連の設備
が引上線の先にあり、当時工事が進められていた羽田空港の沖合移転が完了するまで
引上線を延伸することが出来ず、反対側(大鳥居駅側)は急勾配があるため駅の位置を
ずらすことも出来なかったため、羽田駅開業時点では6両編成での運転となった。