失敗作だった鉄道技術やサービスなど★5 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>113
つまり、所沢工場の廃止がなければ9000はでなかったということか
それは >>112
その時期、銀色に塗り替えられた元京急1000がなかったっけ?
使ってなかったのかな? >>117
その7150形(元京急1000形)も含めて、北総・公団の車両はすべて8両編成だったため、日中
は京急の新町検車区に留置か、都営浅草線の押上・泉岳寺−西馬込間の折り返し運転に
使用されていて、一方で、その時間帯の北総・公団線は>>112氏が仰っているように、都営
・京成・京急の6両編成で運転されていた。
>>112
当時の京急空港線が6両編成だった最大の理由は、羽田(現天空橋)駅の先にあった
折り返し用の引上線の長さが6両までだったため。羽田駅開業時点では、空港関連の設備
が引上線の先にあり、当時工事が進められていた羽田空港の沖合移転が完了するまで
引上線を延伸することが出来ず、反対側(大鳥居駅側)は急勾配があるため駅の位置を
ずらすことも出来なかったため、羽田駅開業時点では6両編成での運転となった。 >>118
7150形は4+4の7160形と共に全て三菱の大爆音車だけで固めていたから地下は大爆音轟かせていた。
ちなみに京成で貸して千葉急行開業でも使っていた1029〜1032 1037〜1040も爆音車だった。
ただ一方は片方が東洋(爆音はない)もう片方が三菱大爆音だった。 東急6000の総数が42両って、9000を廃車したのも42両で同じじゃないか
製造している一方で廃車するとかね・・
9000は、一旦5両にしたとき全廃車しなければ、7両化できたんじゃね?
例外は9007だけど >>15
ベイリゾートは、通勤輸送を主体にすれば(当然車両も通勤車、停車駅や列車種別も変える)、まだ需要はあったと思う。
しかし、そうしたら、メトロ車両は東武、西武、東急、小田急と、自社を入れて5社分の保安装置を搭載しなければならなくなるので大変だ。
やるなら、ベイリゾートと同じく、小田急の片乗り入れか。 近い将来推計人口は中央快速通勤E233グリーン車がここに来る、のか >40年使用する時代はもう終わった
>今の車両は電子部品が多数使用している為
>車両を更新するよりも直接新車に代替した方が経営的にも良くなった
>5300や12-000は塗装車体の維持、東急9000や解体された205は保守部品確保の為
>8年前とは車両に対す扱いがすっかり変わったんだ
>今の電車は20年した持たない
40年使用する時代はもう終わったというが都営は元々40年使用する概念がない
昔から25〜30年で廃車だっただろ
5300・12-000は廃車時期なんだよ 昔の国鉄は、車体構造などに問題なくても、30年くらいを目安に
廃車にしてなかったか?
都営地下鉄はその頃の考え方を踏襲しているだけかも。 >>115
>西武通運は西武鉄道系列じゃないよ
>西武沿線の中小通運業者が戦時統合されて出来た会社だから西武と付くだけ
そもそも武蔵国西部だから「西武」なのであって
(西武信金とか西武ガスとか西武学園とか)
今は西武=鉄道&セゾンのイメージしかないが、堤家がいかに横車を押しまくったか、という事なのだな。 >>115 資本関係なくても、西武鉄道が地元業者の連合体に、西武線の駅の荷物運送業務を独占させ、ついでに駅そば出店についても独占させたということなのでは?
「西武」の名称がつき、かつ駅構内で運送業務に当たっているという外見から、表見代理や名板貸しにまで行かなくても、西武運送の業務上のミスが西武鉄道のイメージダウンとなる危険性がある。それを承知で「西武」の名称を用いることを認めたということなんでは? >>128
いい加減しつこいぞ
ここはお前の妄想を書き並べるスレじゃない
もしかして、いつも珍説書き込んでるシッタカ厨房? >>125
5300系は、わざわざ京急の久里浜工場で再塗装しているのを止めたいから。 雨ですが、選挙に行きましょう。これ以上生活が苦しくなったらオタ活動にも支障が出ますよ。 >>115
西武通運は日通系
「西武通運」の書体が日通と同じで、ロゴも日通と同じ〇通マークがついていた。 西武運輸も西武通運もどちらも実在するよ。
西武運輸(現セイノースーパーエクスプレス)…元西武グループ、今は西濃グループに入ったけど依然として西武鉄道が株式の一割を保有。
西武通運…昭和19年に地域の通運業者が合併して成立、日通法下での大同合併には参加しなかったのかな?(○通マークは日本通運の独占ではないらしい) C51形蒸気機関車
下手に優秀だったため改軌計画を潰した島安次郎のオウンゴール 世田谷線に引き継がれなかったペコちゃん東急200は失敗作? >>136
失敗作の例の中でも最も有名な部類だね
もちろん過去スレでは既出だが、制御器が屋根上にあって保守が大変とかよく揺れるとか脱線しやすいとか他の車両より収容力が小さいとか欠点だらけだったらしい
屋根上に制御器を置くのは現代の路面電車では当たり前になってるけど、当時のメンテナンスフリーでない抵抗制御ではまさに手を焼いた しかも玉川線の車がほとんど吊り掛けの中で唯一のカルダン車だったからね。
ボディマウント式をやめてオーソドックスな車で作ってたら世田谷線移籍後も300に更新せずに
しばらく使っていたかも知れないけどね。 でも東急で300系設計するとき、参考にしたのは200系なんだよな。
東急で経験のある連接車ってそれしかないし、同業他社に頭下げられないしw ただ、中身的には江の電を小さくした車両って感じで路面電車要素はそれほど多くないようにも思う キハ60ってトライして成功したモノってある?強いて言えば2軸駆動の台車と、軽量、防音の床構造くらい?
あ、外吊戸みたいに何十年か経過してプラグドアとして実用化されたようなのは当時の技術じゃ無理だったって事で失敗とみなすと キロの空気バネ台車は気動車初で後の特急気動車の開発には役立ったらしい
あと、外吊り扉は両開きにしたのがキハ35系で使われたから失敗とまでは言えないかな >>143
残念ながら同じ外吊りでも構造が違うからね
>>141も言ってる通りキハ60のはプラグドアだから
もっとも何十年か経過しなくてもサシのドアとしてはポピュラーだったよね プラグドアや外吊りドアはなんで定着しなかったんだろう?
採用されてる車両が少なすぎる
戸袋窓があると中に蛾が入って気持ち悪い >>145
人に尋ねないでまずは自分自身で考えてみればいいと思うよ。 >>145
新交通で外吊りやプラグドア、特急でプラグドアが多く使われてるから、マイノリティであっても
定着はしてる。
そして君が思う失敗とは結局戸袋窓なんだと思う。 >>145
プラグドアの成功例って300系新幹線くらい? >>149
300系では特に問題出なかったけどその後の車両ではやめてるから成功とは言いがたい気もするな
東のE2系は途中でやめた
空気抵抗や騒音的にドアの凹みは大した問題ではなかったらしいがN700系は先頭車の一番最初のドアだけプラグドアにしてる
コストが高いという問題がまだ完全に解決してないようだ 近鉄特急は戸袋にスペース潰されるのを嫌がるから長らく折戸だったし近年は外に出るプラグドアだな
ここ最近はバリアフリーとかでホームとの段差や隙間を減らす方針なので外にはみ出る欠点が露になってきたが、車体をやや小さめにつくってドアが開いたらステップ出すようにすれば解決はできる >>149
300系も失敗だった
高価な上に機構が複雑で故障が多く途中で普通の引き戸になった
それに何か段差があって躓きやすかった
N700系は最前部だけ流線形がドア部分にまで及んでるために変形ドアになってるための苦肉の策 車体の経年変形にドア合わすのって
大変みたいだよね >>149
生産数ならそうだけど、採用数なら新潟トランシスのLRVじゃないの >>144
食堂車のプラグドアは業務用で従業員が管理の上手動で開閉、ロックだからなぁ、不特定多数の乗客が走行中もたれたりする可能性もある自動ドアとは前提が違うからどうだろう? >>149-150
四国2000系・東武100系「あ、あのー」 スレチだが、JRの253系は異様に早い廃車だよな
最終期の物は長電とギンギラ塗装になって東武日光行になってるけどさ
初期車だって特急運用だけで走行も少ない筈
それなのにライナー運用に転用もせずに即廃車だもんな
短編成なんだから使いかってはいい筈なのにな
いまだに、特急と共用とはいえ185系が走ってのに意味不明だよ >>159
253が廃車早かったのは、空港特急独特の設備が多すぎて転用できなかったため。
e351も少数派が理由で転用せずに廃車する予定とされている。
同じく少数派の255も危ないかも。
まあ一時保管されていた651が最近になって徐々に廃車されてるし… 空港特急独特の設備と言えば聞こえがいいけど短距離なのをいいことに手を抜いたからすぐ通用しなくなった
転用するにはまともな特急車に改造しなきゃいけないけどあまりにも大規模かつ数も多いからあきらめて廃車するしかなかった >>78
205系でインドネシアに譲渡された編成も、インドネシアからの声が無かったら編成ごと廃車解体だっただろうし >>161
E259もあのままで強引に踊り子にまで使う有り様だしな。中央本線と富士急も走れることもわかって
185がなくなればはまかいじに回せる布石にもなるし。 京王6000系5ドア車は、晩年は動物園線専用になったけど、どちらかというと、競馬場線のほうがよかったんじゃないか。
競馬開催時の混雑は半端じゃないし。 直線で落っこちた先に人が無防備で
座ってるのはまずいわ
らせん状や踊り場状になってるのは
意味あるんだな >>170
住宅でも、大手は踊り場付き階段をデフォルトに設計するよ。
安もん建て売りは知らん。 >>23
新宿線の件はデジタルATCに更新があったから仕方ない。
先頭車が10-000形のままでは対応できなかったらしい。 >>170 改良や改善措置で対応できる程度でも失敗作というならば、
車内の手すりに鋭角があって乗客が怪我をした、ドアなし貫通路にしたが地上に出ると冬場は隙間風で寒いという苦情が出たという、東京メトロ6000系
MT比1:1では瀬野八で補機牽引によらざるを得ず、平均速度が下がってしまったという151系
こういうのを上げていったらきりがないわなあ・・
欠陥や問題点が全くない工業製品を造れると思っているのか? >>173
むしろどんどんあげたらいいんじゃね?
キリがないどころか過疎スレなんだし
むしろ、些細なことはイチイチあげるな!ってイチイチキレる方が、鉄道界が完璧なものであることにしたがってるように見える >>174 ここをアスペの隔離スレとする考え方はある >>121
9000の余剰車はサハ28両とデハ14両だったためサハが多く、改造して再利用するメリットが無いと判断されたものと思われる。
1000はデハ多いから譲渡できるが。 >>172
10-000のオールステンレス車はD-ATC取り付けたぞ
対応できないのではなく改造するなら置き換えた方が費用が安いということかと そりゃ、わかりやすく言えば最終型は東武30000系初号機よりも新しいしな。
見た目だけじゃなく走行設備がスペックアップしてるのも当然。 千代田線のロマンスカーがメトロ提案なら、メトロ側でも車両用意するでしょ
当初は、ロマンスカーの乗り入れ営業は湯島までの予定だったんだよ
でも、それじゃ、降車の手間でダイヤが乱れる可能性から急遽、綾瀬まで来て折り返す事になった
メトロとしたら「お付き合い」レベルでしょ
朝のロマンスカーの折り返しは「回送」だからな
メトロ提案なら、綾瀬基地に数時間停泊して、帰りは箱根行きロマンスカーとして運転でしょ
(その方が、特急料金稼げる可能性有るんだからさ) >>179
霞ヶ関〜桜田門の連絡線を使って有楽町線の新木場まで臨時ロマンスカーもやってるし。
湯島は根津側に北千住からの湯島行き最終が留め置きに使う折り返し線があるけど車内清掃出来ないし、
トイレの排水作業や給水作業もやらないといけないので結局空車回送する位なら営業で綾瀬に持っていくしかない。
綾瀬車両基地にわざわざロマンスカーのために給水施設と汚水処理施設作ったんだっけ。 >>179
>千代田線のロマンスカーがメトロ提案なら、メトロ側でも車両用意するでしょ
しないかもしれないでしょとしか言えないな 有楽町・副都心線の話だが、あのケチ西武がメトロ乗り入れ用の特急車両製造するか?w
今のNRAだって、殆どの編成は足回りは廃車からの流用でしょ
仮に作ったとしても、副都心線直通だと池袋は素通りになる
それじゃ、池袋が拠点の西武にとってメリット無し
渋谷の西武が元気な頃ならともかく・・でしょ 都電荒川線の愛称「東京さくらトラム」
半年前に名付けられた愛称だが、全くと言っていいほど定着しておらず、過去スレで挙がって
いた「E電」・「りんかんサンライン」・「東京メガループ」などと共にやがては死語となりそう。 JR東海が東海道線に新快速を設定した際に「オレンジ快速」って愛称付けたけど定着せずあっと言う間に消滅。
その他主要駅停車の快速を「ブルー快速」、岡崎以東各駅停車の快速は「グリーン快速」としていた。 しかも幸田停車の新快速みたいに快速 新快速に1駅ちゃっかり停車ありタイプも。
ダイヤ改正でそのタイプもなくなった。 小田急の2600、あの時に(8連化せずに)解体した方がマシだったんじゃないのか?
90年代は当時最古参の2600をわざわざ東急に送って8連化までしたのに、急に8000以外の鋼製車を全廃に追い込み
バブル期のHiSE・RSEまで廃車に追い込むくらいなら
せめて2600だけはNSEと並行して90年代に置き換えすればよかった
90年代は1000・2000はあまり増備しなかったし、京王・西武はその時代は小田急2600と同期が淘汰されていたんだし・・
っていうか旧4000・9000は急ピッチで淘汰する必要あったのか?
5000だって狭義の5000は40年近く使ったけど、6連の5200は大半が30年未満で即廃車というあっけない最期だもんな
まぁ、昔でも2400は30年使われなかったけどさ
最近ではまだ新しい1700すら廃車になると言われてるし・・ >>187 90年代の小田急は複々線化の用地取得や工事の負担が重いから、新車増備の予算削ってたんだろ。複々線化が一段落ついたから、3000系大量増備始めたってわけで。
で、小田急2600と同期の京王の車両って、18m車の旧5000のことか?京王は複々線化中止したし、20m車統一のための新車増備に振り向ける財源があったというわけで。 既出だろうけど国鉄(現JR)北千住駅の特急ひたち停車。
あっと言う間に消えてしまった気がする・・・・・・。 >>187
知らないようなので改めて教えて差し上げよう。
90年代の小田急が通勤車をあまり製造しなかったのは、複々線化工事に投資を集中したため。
その複々線化工事も、反対運動や、バブル景気による土地価格高騰により計画が大幅に遅れていたため、
ラッシュ時のピークサイドに数本しか増発できなかったことから、通勤車(1000形・1700形・2000形)はあまり製造されず、従来の通勤車の廃車も出なかった。
また、5000形5200番代の更新を途中で打ち切って、最終的に全て廃車したのは、
複々線化計画が、下北沢住民の反対運動により、代々木上原〜梅ヶ丘が高架から地下に変更されて、
梅ヶ丘付近に地下から高架への急勾配が設置されることになったため、その区間に対応できないためである。
要は、通常走行では問題は無いものの、故障車が発生した時、その故障車を回送する際に後ろから押し上げるパワーが無いことが理由。
更に、HISE・RSEは、落成から15年以上が経過して更新が検討された際に、
ハイデッカー車体であるため、交通バリアフリー法に引っかかり、出入り口の段差解消などの改造工事が、大掛かりになって改造工事の費用が嵩むことと、
抵抗制御の為、省エネの観点からも、更新工事を施工してまで継続使用するのは得策ではないと判断されたため、廃車となった。
念の為に言っておくと、HISEが登場した80年代後半はまだVVVFが高価であったため、停車駅が少ない特急車では起動・減速の回数が少なく、省エネ効果が低いため、
HISE・RSEは同時期の近鉄アーバンライナー・さくらライナーなどと同様に、 VVVFを導入するメリットが無いと判断された。 >>185
愛称は定着しなかったが、311系・313系の種別表示幕や駅に掲示されている時刻表では
今でも色分けで表示されて定着している。ちなみに、特別快速の種別幕表示は1999年の
運転開始当初は黄色地に白文字だったが、白の特別快速の文字が見えにくいということで
直後に黒文字のものに変更された。
>>192
東武で最初のVVVFインバータ制御車は1988年製造の10080型だよ。(100系は1990年製造) スペがVを採用したとき、特急にVなんか使う意味あるのかね疑われてたんだよな
小田急の他に、近鉄のアーバンも抵抗制御だったし。
JRだって特急は直流モーターで界磁添加励磁だったし。 >>195
5720での直角カルダンの失敗の教訓からか、量産する通勤電車で
最新技術は導入せず、失敗して総取り替えになっても数が少なくて済む
特急車で新技術採用、ってことらしい。 >>195
新幹線の300系も当時は驚いたらしいな >>193
急行時代の東海も快速アクティーとそんなに変わらない停車駅で、戸塚と真鶴が停まらないだけだった。
だからといって東日本管内区間で停車駅が快速アクティーと変わんないじゃんと熱海や小田原から
平塚だの大船だの横浜とかで快速の感覚で乗ったら東海の車掌が即来て急行券をぼったくられて
初めて急行だと知る。
>>194
10080型はVVVF試作だけでなく10030 10050ら軽量ステンレス車体の試作での最初の車でもあった。
VVVFが死亡して修理パーツもなく長らく北春日部の車庫の奥に放置されてそのまま廃車か?まで追い込まれた。
ちなみに北春日部の車庫ではあわや三鷹事件か?と思えた家屋突入寸前なんてことをやらかしてる。 小田急1500形・1700形
>>191でも書かれているように、90年代の朝ラッシュ時の混雑が激しく、高架複々線化工事も大幅に遅れていて、
ピーク時の輸送力増強が困難だった為、1列車の輸送人員増加目的で1991年に投入された。
同年に登場した京王6000系最終増備車(6721〜6724F)が5ドアなのに対して、小田急は、整列乗車の観点から、
4ドアのまま、ドア幅を、2メートル(運転台直後は1.5メートル)に拡大、車内の座席を減らし、乗車人員を増やすことを試行した。
(座席定員は中間車で20名減少、ドア間の座席は収納式)
結果は、収容力は向上したが、ドア幅を拡大したことにより、駆け込み乗車を助長させてしまい、列車遅延発生を増やしてしまったこと、
小田急では、乗客の平均乗車距離が長く、座席数減少で着席機会が減ったことから、乗客の評判も悪く、期待したほどの効果が無かった。
収納式の座席は営業運転では一度も収納して使用されることはなく、1992年の増備車(1500形のみ)では、
通常の座席に変更して各車とも座席定員を6名増加、1994年には1次車の座席収納機構撤去を実施したが、
1997〜1999年に東急車輛製造でドア幅を2メートルから1.6メートルに縮小して、車内の座席定員を増やす改造工事を施工した。
(運転台直後のドアは1.5メートルのままで、座席定員は中間車で1次車は12名、2次車で6名の増加となっている)
その後、2004年に、3000形の大量増備に伴う、旧4000形・9000形などの置き換えに関連して、
8両固定の2000形・3000形を優先して、新宿口各停に使用、8000形・1000形の4+4の運用を置き換えて、
4連を急行などに転用するのと併せて、加速度3.3に上げられない1500形も、新宿口各停の運用から外すことにした為、
再度東急車輛製造に入場し、4連6本を6連4本に改造、急行や江ノ島線などの運用に転用された。
(同時に1700形に編入され、1500形は消滅した。これは当時の鉄道誌に書いてある) >>198
軽量ステンレスは、東武ではすでに9000系第1編成で採用してます(これが、東急以外の軽量ステンレス解禁第1号です)。
したがって、10000系も当初から軽量ステンレスです。
ただ、当時は、さまざまな事情で、軽量ステンレスと感づかれないように、従来からのコルゲート車体で艤装(偽装)していました。 >>200
軽量ステンレスであることは別に9000でも10000でも隠してはいないはず
最初は垂直断面ではビード加工にする技術がなかったからコルゲーションにした
京王7000や京成3600もそう
東急車輌がが全く製造に関わってない場合に名目上セミステンレスにすることはあったらしいけど >>200 >>201 >>202
25年ほど前のRF誌に、当時の東急車輛のお偉いさんが回顧録を連載で執筆されていたが
、東急8090系の開発〜製造に関する記述の回の中で、「東急8090系の実用化により、東武
鉄道が軽量ステンレス車体に興味を示して、地下鉄有楽町線直通用の9000系で採用する
ことになったが、東武には当社(東急車輛)の他にA社(おそらくアルナ工機)も納入していた
ため、当社とA社の共同設計ということになった。そのため車体の外観はコルゲートとなり、
旧世代のステンレス車のようになった。それでもA社は当初は大変苦労されたことと思う。
(一部要約)」と書かれていた。
>>202最下段
住宅・都市整備公団2000形(→9000形)だっけ? >>203
10年くらい前のRF誌にもその回顧録載ってたよね それと日比谷線が遅いというが、遅くて当たり前
日比谷線は拠点間を最短に結ぶように設計されてない
中目黒から、霞ヶ関に行くのに、遠回りして急カーブで六本木に寄るし
東銀座から大回りして、急カーブで築地、八丁堀と寄る
銀座から上野ならJRが最速
まあ、どんどん減って下さいとは思わないだろうがが、適正規模ってあるからね
日比谷線の場合、これ以上輸送力を増強するには、かなりの投資も必要だからさ
ソコソコでいいと思ってるだろうよ
これは、銀座線、丸の内線も同じだろう 大船渡線みたいなもんだな。直線距離で246は霞ヶ関から欅坂→六本木と行くが、日比谷線は
東京タワー近くの神谷町に寄るために港区ながら飯倉あたりに大きく外れる。しかもトンネル区間
ながら意外に長い。
千代田線は町屋〜北千住間の隅田川を潜る辺りは小竹橋通りが狭くて複線トンネルが掘れず、
上下で小竹橋通りと別の道路下に単線シールドで掘ったためにかなり離れる。
総武快速線・横須賀線の新橋〜品川もしばらく旧海岸通りを通って田町は浜離宮下をぶち抜いていて
そのまま田町の車両センターがあったあたりに入り込む配線。 >>205
>>206
それらの路線はよく乗るけど、全然どこ走ってるのか認識してなかった
勉強になりました
ありがとうございます >>196
モハ5720形(東芝)や、モハ5800形(日立・汽車)の駆動系不良は
・減速機(ギヤボックス)の油漏れ
・ベベルギヤの破損
・高回転が起因するフラッシュオーバー
上記の他に
モハ5720形(5700系C編成)が日光線を走行中
プロペラシャフトが脱落する事象まであったとか
花上氏情報によると?
すぐに乗務員が気づかずそのまま走行し続けたため
部品の回収に手間取ったらしい(日光線を歩いて探す羽目に)
一方、モハ5800形は
駆動系不良により1954〜1957年の間
旧車号のモハ5424(初代)、5325に改番(形式変更を伴う)
台車交換の上、釣掛駆動に戻された
そのため、東武における直角カルダンの実用化はなかった
のちに、東洋が開発した「中空軸平行カルダン」を1700系が採用
それ以降、電車用パワートレインにおいて東洋と日立の2社が納入
一方、東芝は、一貫生産の機関車以外
電車用機器においては補助電源や空調などに専念 おい!東芝は電車用の
主制御器と主電動機は連綿と作り続けているのだけど?
駆動装置は、中空軸平行にもWNにもTD継手にも乗っかれる様になっておる。 >>208 訂正と補足
モハ5800形とモハ5320形(5324、5325)が同一車両
モハ5800形の形式と車号の変遷
クハ550形(550、551):1951-1952
モハ5320形(5324・初代、5325):1952-1953、1954-1957
モハ5800形(5800、5801):1953-1954、1957-1975 >>209
あくまで、東武向け車載機器の東芝納入事例だから
付け加えてパンタが2000系や電機で採用されたくらいかな
他者(国鉄・JR、私鉄、公営など)向けでは、東芝が
パワートレイン(制御装置、主電動機など)の納入は多数ある >>209
>>211のつづき
しかし・・・
東芝のおひざ元である関東において
パワートレインの大手私鉄向け納入事例が少ないこと
小田急ロマンスカーや、近年の東急ですら
制御装置のみで主電動機は皆無
かつて
東急初代5000系や、初代6000系B編成では?パンタを含む一式納めてたし
8000系列(8500、8090含む)での東芝製MM(日立・東洋の互換品)採用があった
だから関東では?
東芝製「鉄道車両用駆動機器」が
事実上の官公系(国鉄・JR、公営)御用達的な感じ 東武1700に使われたTDK823は、名鉄5000〜5500辺りも使ってたよね確か そういえば名鉄3850と東武57も、ES系制御装置にTDK528、住金のゲルリッツ台車を使った兄弟車だ まあ、その時の財政状況だろうが・・
半蔵門線のメトロ車両入れ替えは相当後になるんじゃね?
8000は全車更新して機器揃えたんだし中途半端に新車種入れて、3社間の乗務訓練、保守の手間増やしたく無いだろうよ
東急の2020の導入後評判にもよるだろけどさ
でも、それなら2020に相乗りする形で8000は初期車を更新せず、18000系=2020系として新製だろう
東急だって、スケールメリットによるコスト低減はしたいだろうから、メトロに事前に話は持っていってる筈
7000後継は、そんな早い時期は無理でしょ
8連作らなきゃいけないし、その分は副都心専用になるわけだからね
7000がそんな早く置換えなら10000の8連新製でしょ、その方がコストメリットは高い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています