短命に終わった列車 [無断転載禁止]©2ch.net
青梅線183系快速
H7年頃前日のホームライナー青梅運用車の戻し回送の内土曜日のみ青梅ー立川を客扱い、
停車駅は河辺、拝島で3列G車も普通車扱いで開放していた
いつから客扱いしていたのか不明だが、自分が初めて乗車したのは6月
その年の12月改正で消滅、末期は市販の時刻表にも載ってた >>138
スレチだがみらい公園になっても一部の店では未だに「チボリ店」と称する店もあるらしい 特急おき(初代)
1971年新大阪〜出雲市間を伯備線経由で直通したが、試金石の役割と言うか、
翌年山陽新幹線岡山開通により岡山始発の特急やくもに発展的解消した。 急行竿灯
1989年は3本が設定されたが内訳は
団臨→一般発売→台風で運休 急行 南越後
新潟鉄道管理局持ちの列車なのに
何故に「とがくし」と言う長野県内の地名を付けるのだ。と異論が出て
「南越後」になったが
「南越後」と言う言い方は無い。と言う事で数年で廃止 >>27
今だったら観光列車として復活させられそうだな
>>45
停車駅増加で時間延びた分の埋め合わせがスーパー特急だと思ってたけどそれも激減したな 速達需要は今はないのか? >>157
「赤倉」の愛称は名古屋に取られちゃったんだろ
名古屋-妙高高原間の臨時急行に赤倉って付いてた とがくしって長野までのもあったけど元来上田行だからな
松本行がとがくしだったらおかしいわな
急行赤倉の区間短縮で南越後に改称→急行とがくしと南越後を統合、赤倉に改称
という流れだよね 松本発着だが、甲府以東多停車型特急はあずさではないということで付けられた
(信州かいじ)の副称が一年で消滅
(多停車型の定期あずさが出来たので、差別化の必要がなくなったため) まぁ、もともと田沢湖線の改軌工事の間の代替列車だったから…
でも、北上線ほっとゆだ駅に停車する列車もあったから、秋田新幹線開業後も残るかもしれない、という噂はあったよね。 >>61
キハと書いてくれw
東海道線のおおとりも短命だった。 短期のうちにニーズがなくなって消滅するのが定石だが
端から短命を見込んで設定されたものも中にはあったかもしれない 西武の拝島快速
通過駅救済のためにわざわざ田無-玉川上水にガラッガラの普通まで設定してた ジョイフルトレインみやび
1986.4.1〜1987.2.10 内房、外房線の線内快速
総武直通の快速よりも停車駅が少なかった >>170
それはそんなに短くなかっただろう。
1992年の新千歳空港駅開業から、つい数年前まであったから。 165系の急行赤倉
無くなったので名古屋〜新潟が往来しにくくなった いわゆる「発展的解消」ってやつなら短命でも不幸感はないね まあ列車としてはね
でも列車名としては短命なのは不幸感があるだろう だからそれも発展的解消でしょ
後継列車がなく完全にダイヤから消えてしまうものの中から探さないと >>198
ことごとく後継列車に名前が引き継がれなかったから薄幸感があるわけで カートレイン名古屋
専用色マニ44まで用意したのに・・・ 快速あまるべロマン号
余部鉄橋で徐行サービスがあった サロンエクスプレス踊り子
サロンエクスプレスそよかぜ 「モトトレイン日本海」
語呂が悪く一瞬で「モトとレール」になるものの
やっぱり即廃止・・・ 走ってたらいいな、って列車ばっかだな
問題なのは、書きこまれてる列車を
「走らせるはいいが、国鉄JRは、どれだけ国民に広報して知名度を浸透させたか?」
これが問題なわけだ
俺の言わせれば、昔から走らせるはいいが
「もったいない走らせ方」
が多すぎるからな
ぶっちゃけ、JRって大企業なのに広報の仕方、浸透の調査がなっちゃいなすぎるからな? 大阪環状線内だけの快速
すぐに奈良行直通快速に変わったような >>206
元取れんどころか末期は五割り増しになって元取れまくりと言われたものだ 立川発川越行き
やはり青梅線八高線経由だと時間かかるのか数年で廃止
立川から川越は国分寺から西武線の方が圧倒的に早いし安いから当たり前か >>205
そよかぜは乗ってみたかったなあ
EF63とにらめっこ出来たのかな >>212
下り列車の最後尾スロフ14-701の展望室に陣取れば出来ただろうね 逗子〜高崎:EF5861orEF65PF
高崎〜軽井沢:EF62(横川〜軽井沢:EF63+EF63)
バブル時代の豪華リレーですな>サロンエクスプレスそよかぜ ED76-500牽引の「利尻」「大雪」
大型ヘッドマーク付だったけどDD51の通し運用になり短期間で消滅 >>144
宝塚線通勤急行がもっと短かなかったっけ