懐かしの総武線 [無断転載禁止]©2ch.net
半蔵門線8000系が一時期東西線にも使われ、西船橋でも見かけることができた
紫の帯を締めた電車が西船橋に居ると違和感を覚えたものだ。 営団も昔は5000系だけでクーラーなしの頃でも国鉄103系に比べたらまだまし 三 鷹
(地下鉄経由)
西 船 橋
(地下鉄経由)
経由の「経」が糸へんのない字のタイプがあった
製造時期の違い? 西船橋駅の無機質な改札口が思い出深い
エスカレーターもエレベーターでもなくただ階段を延々と上っていくだけ 雨避けが無くて濡れるのが嫌だった
階段部分に屋根が付いたのはいつ頃かな 東北新幹線開業前、昭和50年代後半に読んだ鉄道本で、
総武線の営業係数は確か86だった。
山手線、新幹線がそれぞれ47、57だったと記憶。
中央本線、東北本線がそれぞれ100、106だったかなあ。
総武線は「総武本線」とは書かれていなかったと記憶しているけれど、
千葉以東も含んでいたのかどうかは不明。 >>108
この頃は国電専用折り返しホームという概念はなかったのかな >>110
この時期は例外はあるものの1路線につき1つの番線だったようです。
中央総武線は3番線、写真の一番左のホームの右側の番線ですね。
朝ラッシュ時にどう捌いていたのかは気になりますが、残念ながらわかりません。 >>92
三河島事故をネタにしたこともあるし、晩年にはスト権ストを批判した >>108↓
【中央区】老朽化進む千葉市民会館 千葉駅隣接、JR千葉支社跡地へ移転決定
https://nordot.app/890862937882968064
〉再開発施設には商業施設や宿泊施設なども 昭和44年が一番楽しかった。
船橋駅近くの踏切で見ていると、SL牽引の貨物列車あり、DC急行あり、東西線からの5000系もあり、見ていて飽きることはなかった? 快速の新宿乗り入れを再開していただきたい
(千葉各線〜)千葉-津田沼-船橋-市川-錦糸町-<転線>-両国-秋葉原-御茶ノ水〜中野(〜三鷹)
または御茶ノ水でもう一度転線して
御茶ノ水-四ツ谷-新宿〜三鷹方面 東西線5000系にクーラーが付いたときは嬉しかった 総武快速の木更津行、いつの間にかなくなっていた。
かつては東京発11:54と16:39の2本が設定されていた。
前者は木更津折返し後千葉14:58発(時期によって少し前後する)で、
下り、上りとも(その他の時間帯では)外房線直通快速のスジだったのが印象的だった。
また、1990年代初頭までは運転間隔の不均等さも懐かしい。
千葉発9:50(成田空港始発、11両)の次が9:53(千葉始発15両、市川での退避なし)とか。
前者は激混みで後者は閑散とした感じだった。 >>118
一時期、臨時快速「おくたま」で千葉ー奥多摩があった。
なんと201系。総武快速線を201系が走るのは珍しかった。
お便所がなく大変だったのではないか? 2002年まで通勤で総武快速を使っていたが、朝の上りで鈍足の列車が2本あった。
1. 千葉8:43->東京9:32(成田空港始発)
2. 千葉8:50->東京9:40
どちらも市川で特急通過待ちをするのだが、
この時間帯の通過待ちのない列車が千葉−東京を42分で結んでいた事を踏まえると
時間が掛かり過ぎていた。
今はこれらに相当する列車は
1. 千葉8:46->東京9:32(752F)
2. 千葉8:56->東京9:41(806F)
となっており、改善はされたかと。 もう20年ほど総武線を使っていないが、
緩行線の平日東行、御茶ノ水発19:43の次が19:50でこの間に回送列車のスジがあった。
大井工場で検修を受けた非ATC車を幕張、習志野、京葉の各電車区に送るためのものだったとか。
西船橋駅を20:25くらいに通過し、幕張駅の中線でしばらく休んでいた。 >>93
ほのぼのしてるのはテレビアニメ版だけで、「サザエさん」も「いじわるばあさん」も基本的には軽いブラックユーモア漫画よね
話を総武線に戻して、113系の側面方向幕「東京行」「千葉行」のような「行」が入ってたのはなんでだろう?しかも全車ではなかった 糠味噌臭い漫画は海外ではさっぱり通じないらしいがなw >>127
「行」があるものが3、無いものが7の比率の印象 客車のサボは「行」付きがデフォルトだからその伝統を受け継いだと思ってた
電車の方向幕は「行」無しが主流なのか >>132
末尾に行が付いてる方向幕なんか見たことないよ 「行き)がついた方向幕、東海道線東京口の113系で私も見た記憶あります
ヤフオクにも出品されてますね http://otorikk.jp/katarogu/323.html
の写真が収められた本を持っていました。
その本では写真の車両(クハ111)と右隣の車両(恐らくモハ112)が写っていて
左は「千葉行」なのに右は「千葉」という趣旨のキャプションがありました。 「行」が駅名と同じ大きさのものと、少し小さめのものがありました。 両国発
急行 外房
急行 内房
急行 水郷
急行 死神 当時の富士急でスマソだが、
5700形も「河口湖行」とか「三つ峠行」などと
「行」がついていた。
富士吉田行き表示をみることはかなわなかったが、
5文字入れられたのだろうか?と気になっていたのを思い出した。
ちなみに1988年当時の5000形も「大月行」と筆文字で表示されてた。 幕張本郷駅開業まで運転されていた、
外房線、内房線からの乗り入れの113系幕張行に乗ってみたかったというか見てみたかった。
幕張本郷駅開業時は現在の千葉市美浜区在住で且つ小学校高学年だったので
リアルで知っていて当然だったはずだが、その列車の存在を全く知らなかった。 内房線、外房線から直通する113系幕張行は
千葉方面から通う幕張電車区勤務者の通勤を担っており、
彼らは終点幕張に到着後も引き続き乗車していた、と。
津田沼からはクモハ11の単行が運転されていたようで。 乗りたかったといえば、千葉始発終着で房総各線に1日1往復(朝上り、夕下り)運転されていた千葉快速。
1975年から1981年まで運転されていたとか。
行き先は以下の通りだったと記憶。
内房線 : 館山
外房線 : 安房鴨川
総武本線 : 銚子
成田線 : 銚子
停車駅が総武快速(と重なる区間)と異なっていたのも興味深い。