懐かしの安全地帯 [無断転載禁止]©2ch.net
防護柵があるものは良いにしても道路標示だけで済まされてるものに至っては安全性の欠片もなかった。
かつては各地で見ることができた、懐かしの安全地帯スレのはじまり、はじまり。 安全地帯も正式には「プラットホーム」と呼ぶんだって、知らなかった。
プラットホームとは高床車が走る路線の駅にあるものに限ると思ってた。 あまりに旧いのは知らないが、最近まで残ってたのでは名鉄岐阜市内線がこれに当てはまる
競輪場前電停は標示さえなかったと思う 自動車事故で歩行者が巻き込まれてる事故が多発してるのに
柵一つもないグリーンゾーンに立って電車を待つことに躊躇いを抱くのは人情。 受け売りを書くが昭和30年代は車が少なかったこともあって
標示なしの電停が普通だったらしい 島くらいなら良いがガードレールなどでガッツリした囲いを造られると
車の運転者にとって右前方の視界が著しく遮られるので正直困り者
路面電車が邪魔モン扱いされた原因がここにもあるよ それはクルマの視点だな
交通体系全体を考えればそれは正しくない 雨避け、つまり屋根がついてない時点で接客として失格 >>4
土佐とか万葉にまだ残っている。
つーか>>1よ、路面電車系のスレがただでさえ過疎っているのに
伸びないような話題のスレ立てて何がしたいのか? バス停は歩道側にあるからまあ安全性では及第点
雨除けはなくても、仕方ないだろ 二度も書いてスマンが
安全地帯といえば、玉置浩二。 阪堺阿倍野上りを知ってる俺でも
昨年初めて乗ったときの土佐はあぶないと感じた 昔に比べてマイカーのドライバーの
運転技量は確実に落ちてる
安全地帯で電車待ちしていても
クルマで突進して来られる危険性は
高いと言わざるを得ない >>16
大阪の車は運転が荒い
土佐電鉄と危なさは大差なさそう >>20
トンキン流布のステレオタイプ毒され乙
俺は「安全地帯が存在しない停留所」として阿倍野のそれ時代を知ってる挙げただけ >>21
道幅狭くて交通量が多かった阪神北大阪線の海老江や大淀辺りでの下車はスリルあったな。 国道2号を走っていた阪神国道線は 乗降客が居て停車する場合は車掌が
赤旗を窓から出して、車の運転者に注意を促していたのは非常に感心した
思い出があるが、あの金魚鉢電車の車体から乗降用ステップが飛び出して
いたのはご愛嬌だった。 旗の件、他の路面路線はどうだったのかなあ・
・・南海上町・平野線はそんなことしてなかったと覚えているが・・・ 大阪の車は運転が荒いから怖いよ。
マイカーだけでなく、路線バスとかタクシーも怖い。 乗降用ステップと言えば福井鉄道を思い出した
路面区間での乗り降りで作動してるのを目撃したが、
なんともユーモラスな動きでファンを楽しませてくれた ドアに連動する乗降ステップは大抵の車両についてるからそんなに珍しいものでないかと ステップの最下段と地面が離れてると
高齢者は辛そうだな 極論はもうたくさん
いま手を打てることから始めるしかないのだよ 極論はいつの時代にもある
「道路混雑の原因は路面電車。こんなものは無くしてしまえ!」
という時代が、確かにあった 普通に考えればクルマが増えたから渋滞が酷くなったことくらい
アホでも分かるがね
当時は道路のど真ん中を我が物顔で走る市電が疎ましく見られる風潮でもあったのか 2国の西宮中心部以西では街灯の数が減り商店や民家の照明もすくなく、
夜はほぼ真っ暗、名ばかりの安全地帯で電車を待つのは怖かったとのこと 「裸電球が一つだけビーム代わりのワイヤーから吊るされて鈍い光を放っていた」
昔のピクトリアルにそんな記載があったよ 夜が真っ暗というのは例えば山間部のローカル駅でも同じだ罠
全く人の気配がない中で一人列車を待ち続けるのは恐いと思う
想像しただけで悪寒が・・ 今日、用事で豊鉄市内線の東田へ
ここは安全地帯なし、命懸けで乗り降りしていた岐阜市内を思い出した 豊鉄は東田1箇所だけ、岡電も1つか2つぐらいあったな
阪堺線も安全地帯ナシが存在した気がするが、既に安楽死の状態
岐阜じゃあるまいし、他都市は例外的なものだ レールを歩道側に寄せて歩道から簡単に乗降できるようになればいいのに 函館の冬は電停の場所がワカラン場所が多かった
今残ってる所は大丈夫