周囲に何も無かった駅©2ch.net
荒涼たる風景にポツンと佇むプラットホームと待合小屋。
周囲に何も無かったために設置目的が怪しげな駅を懐かしむスレ。 能勢電鼓滝
1970年頃までは本当に何もなかったようだ 新京成も宅地化が始まるまでは殆ど何もなかったらしいよ それを言ったら東京・大阪近郊の路線は全部当てはまってしまう >>97
大糸線北小谷とか国鉄時代はそんな感じだった >>85
83氏の意図は不明だけど
駅名だけみたらどっちも乳首 中国国鉄広東省湛江西駅。バナナ畑の中に長い単式ホーム一面。
湛江市の外れにあるが、長沙や海口方面の列車が通る。列車の
発車時刻が近づくと何処からともなく人がわらわら集まってきて
結構な賑わいになる。 新神戸も、山の中にあって何もなかった
ホテルが出来たのはポートピアが決まってから 何もないと言っても駅前に売店や食堂の一つや二つはあっただろうし、
地下鉄駅があるじゃないか
このスレでは、荒野のど真ん中にあるような本当に何もなかった駅を扱うことになってるよ。 >>108 駅前に売店も民家も全くないような駅だったら、とっくに廃止されているんでは?
森林鉄道等、産業用鉄道の停留所のようなものは別として。 >>17
遅レスだが勘弁
昨日現地に行ってみたが、すっかり宅地化されて、鄙びた空気は微塵もなかった
近くにあった商店でたずねても、かつてこの辺りを電車が通っていたことを知る世代が減ってしまったという話だった 関西線湊町駅はどうだろう
周りが荒野というわけではないが、これが大阪市内なのかと思わせるくらいに何もなかった >>113
言わんとしてることはわかるけど
>>1の定義には合わない 都市部で駅前に商店の類が全くなくて
いきなり民家が建ち並んでるという風景はそんなに珍しくないんじゃないかな 行ったことあるのは下館
数年前に関鉄のりに行って乗り継ぎ待ちに駅でたらバス路線は全て廃止で駅前の3階建てくらいのスーパーが新しいのに廃墟で怖かった 昭和41年開通したばかりの都営地下鉄6号線を、親父に連れられて乗りとおした。終点は「高島平」ではなく「志村」だった。
これから団地の造成を始めるところで、全く・・・というほど、何も無かった。道路すら。 西武線 西武立川が周囲に何もない駅だったけど、
いつの間にか住宅地になっていて驚いた 小幌駅って上の国道から岩屋観音までの歩道を整備すればもう必要ないよな 前橋駅前の過疎も酷いが日曜夕方の高崎西口の人気のなさにもぞっとした かつての流山線の幸谷(移転前の旧駅)は
70年代初頭まで周囲なにもなく「荒野」といわれたほど(武蔵野線が無かったころは尚更)
馬橋から平行する常磐線が横を通り過ぎるだけだし・・・
幸谷の集落が常磐線を挟んで反対側にあったのが関係している
http://www.geocities.jp/omotetu/omoide2/nagareyama/ryutetsu02.htm
http://www.dagashi.org/local/nagareyama1.html
なぜか住所は?
幸谷駅が新松戸で、新松戸駅は幸谷 >>128 開業時の武蔵野線の駅の多くはそんな感じだな。
新座に東所沢も駅前は畑や空地が広がっていた。飯食うにしても、小さなラーメン屋位しかなかった。 東所沢なんか今でもそんなに変わってない。
沿線には巨大な観音様や血の出る松の木の碑もある。 地方の田舎を除けば、新横浜の何もなさは異常だったろ
昭和50年代まで何もない >>132
横浜線の小駅としてみればあんなもん
新幹線も昔はこだま駅で利便性低かったし >>132
横浜市内の場合、横浜線だけでなく東急田園都市線の駅の周辺も開通した頃は何もなかったからね。 碓氷川乗附駅
駅前は国道18号線,ホーム反対側は土手とその向こうに河川敷が広がるばかり 初代千歳空港駅。飛行機から降りてホームに降りたら反対側は薄ら寒い林が広がって怖かった。
当時は開発されてなかったし。 北大阪急行(大阪市交)江坂駅
万博開業時は田んぼの中の高架駅
駅近のビルはサニーストンホテルだけ。
内環状高川の土手から電車丸見えだった。 いずみ野線全部。南万騎が原は現役
そういえば、上永谷も何も無かった。舞岡は現役。 鶴見線もある意味、国道駅以外
何にもない。ただし、ぬこはいる。 近鉄東大阪線吉田。
開業時は廻りは荒れ地ばかり
倉庫や工場が建ち始めて平日の操業日は幾分賑わうようになったが土日はゴーストタウン
これは今も変わらない 開業直後の北総線(北総開発鉄道)小室も何にもなかった。
新京成から乗り入れの200形が吊り掛け音ぶっ放して爆走してた頃。 >>148
駅前の雑居ビルにあった喫茶店でバイトしてたけどな このスレのお題とは逆に、昔色々あったが今は何もないという駅
例えば、わたらせ渓谷鉄道足尾駅。観光施設以外は炭住や商店街の廃墟しかなくなった。 >>153
キリンビール工場があったじゃないか。
移転後の塩尻駅
寂しい所だったな。 泉北高速鉄道の開業時
深井駅周辺は田園地帯、泉北ニュータウンはまだ造成中で、泉ヶ丘まで延伸開業したときも、
同駅付近も造成中で何もなかった 大阪環状線弁天町駅
開業当初は交通科学館、高速道路、地下鉄中央線は未開業
駅周辺は高層マンションもビルもなく、広大な空き地が広がっていて何もなかった。
そのため駅ホームから福島区まで見渡せた >>148
駅の南西にたこ焼スナックがあったわ
他はただの原っぱ >>153
たしかに、工場しか無かった
北口から少し東方向(大阪方面)に歩くと割りと大きめの食堂兼売店みたいな建物があり、
昼時には工場作業員がたむろしていて独特の雰囲気に包まれていた。
建物に足を踏み入れると「何しに来たんや」と言わんばかりの
店番のオバちゃんの鋭い視線にビビりながら
缶ジュースを買ったのを覚えてる。
テンプレ>>1とは違うが、唯一の店がこんな有り様だから
事実上何も用を足せない駅ではあった 近鉄ファミリー公園前駅も、何もなかった
健康ランドができて普通の駅になった 田奈(東急・田園都市線)
唱和末期まで周囲は田んぼしかなくて、駅周辺にはダイクマくらいだけしか
くらい店舗が無かった。 開業当時の国鉄片町線藤阪駅
元枚方市長の山村富造が持っていた田んぼのど真ん中に誘致した政治駅
肝心の藤阪ハイツは1キロ西。過疎集落の旧藤阪村からも離れている
今でも駅前はロードサイドのラーメン屋と老健施設、後からできた高校ぐらいしかない 旧海ノ中道駅、現信号所。
松林の中に池があるだけで民家すらない。
現在も海浜公園があるだけで民家はない。 >>169
国鉄前は閑散としてたのは確かだが一応駅前の表情はそれなりに残ってたよ
何もないわけではない >>172
サラ金が社会問題化するきっかけの一つになった業者が広告出してたっけな
今みたいな立派な建物はないが、そうは言っても何もなくはない >>171
建て替え前の阪急デパートから新大阪駅が見通せたという話
淀川南岸は背丈の低い民家か工場倉庫が密生してたが北岸は何もなかった
ただひとつ新大阪ステーションビルだけがぽつねんと佇んでいたとか。 開業当初の海浜幕張駅。
荒涼とした無人の荒野が広がっていた。 >>177
マジでネットで調べてしまった
紛らわしいこと書くんじゃねえよ笑 小郡は当初から問題があったな
福岡県に同名の市があったから >>182
新山口駅が小郡駅として開業した当時はどちらも小郡村だからなあ >>181
何のお店か覚えてないが「小郡〜広島45分 小郡〜新大阪3時間 小郡〜東京5時間半」の看板があった
何もないことはなくて機関区もあってそれなりに大きい駅 小幌なんかベタなんだろうな
まだ現役だし(´・ω・`) 東山
どうやって板張りホームまで行ったらいいのかと思うた 開通当初の武蔵野線南流山駅。
今ではつくばエキスプレスも通り、隔世の感がある。 >>184
新山口になって、県都山口市に隣接してるってことでステイタスはちょっぴり上がった 座間の入谷でしょ。今は少しは家が増えたようだけど。 平成初頭の秋田駅東口。
連れ込みっぽい旅館やら本屋やらあったからスレチにはなるが、わざわざ東口というより単に駅の裏口だった。
なお現在は。 代官山
メインは八幡通り沿いで駅前にはほとんど住宅しかなく閑静だったが、渋谷寄りにキャッスルマンションが出来た頃から住宅街の裏道にまで店が進出してくるようになった