【米子】C51【亀山】
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C51スレがなかったので立てます。
末期の運用など、ご存知の先輩方の情報お願いします。 いわゆる「SLブーム」以前に消えてるからなぁ、50年前のファンたちも若くても60代後半だもの情報は少ないし新たにも出て来づらいよなぁ。 亀山や米子 C51 でググルと何か出ないの?
C51は蒸気機関車ブームの前に廃車されてるからな。
それでも追いかけている人が居るから、個人のHPで見れるのでは? 「燕」はともかく、戦後の優等列車に使用された例って何があるのだろう。
ネットで調べたら、1957年11月時点での配置区は
室蘭(10)、苗穂(7)、岩見沢(6)、青森(17)、福島第一(14)、秋田(3)、新庄(10)、
米沢(8)、酒田(8)、新津(8)、新潟(6)、直江津(2)、成田(2)、名古屋(3)、富山(4)
梅小路(7)、亀山(13)、奈良(10)、山田(5)、福知山(3)、豊岡(5)、和田山(10)、米子(16)
若松(9)、早岐(14)、長崎(10)、鹿児島(4)、吉松(6)、宮崎(15)、都城(3)
「大雪」「あかしや」「洞爺」「まりも」「日本海」「津軽」「みちのく」「北斗」「十和田」「きたかみ」
「鳥海」「北陸」「越路」「大和」「伊勢」「いずも」「「阿蘇」「西海」「雲仙」「たかちほ」
あたりは牽引していたのだろうか。 北海道ではC55〜57、東北では電化に追われたC59/60/61に。近畿、山陰ではDF50に追われたC57に、九州では東海道を追われたC59を基にした型式改善で。「玉突き」されていったんだよね 「玉突き」の伝説的なのが山陽本線電化の例。高崎線に115系を新製、捻出した80系を静岡に、EF58を広島へ、C59を熊本へ、C60・C61を鹿児島へ、C57を大分・宮崎へ、C55を吉松、若松へ。最後に廃車になったのが若松のC51と人吉の8620だった・・・・・という その高崎線の115系がずいぶんと後になって広島に転属してきた時に、すっごい奇妙な縁を感じた。その一部はつい最近まで生き残ってたし 中国に送られたC51は89年まで現役だったらしい
RJがよく中国行ってたみたいですが画像は見かけないですね 大宮の鉄道博物館に本物のC51車両が保存されていますよ! 静態の方はカットボディばかりで値打ち下げてるというのもあるぞ 配置スペースの問題もあるし贅沢言っちゃいけねえやw 古すぎるから知ってる世代も限られてる
よって人気も出ない SLスレって何時もこういう応酬になるなあ(´・ω・`) 連投
18
だから思い入れのある世代というか層を正確に把握できれば良いと思う。
ニーズがなければ手を出さない。 >>15
「古すぎる」ってなんだよ。
系列廃車が早かっただけで8620や9600と同世代じゃん 置き換えが結構一気に進んだまでで1950年代まではかなりの数が残ってたしな リアル世代じゃないC51形式のイメージ
(当方四十路)
・形式に旧制時代があった、その時代の機関車であること
(余談だがなんでハチロクやキューロクだけそのままなのか)
・お召列車のイメージ
・山陰本線京都口のイメージ
・六軒事故のイメージ→証拠品として長年放置されてたイメージ 昭和34年生まれの従兄弟が幼稚園の頃に書いた絵のSLが、ドームが2つで客車引いていてどうみてもC51らしい。遅くまで10系気動車とか走ってたし。新幹線接続サービスキハ65とかピカピカの50系客車とかで優遇されるようになったのはそのあとの話し >>10
形式名がパシク形?→PX9形→SL9形
らしい
向こうでは満鉄規格の罐の方が使い勝手が良かったと見えて早々と本線運用から退いて支線などで使われた後最後は小運転と客車入換用として使用されていたらしい >>24
当方は50代だが、イメージは亀山区の形式入りプレートの225かなw 設計時は重心の高さが懸念されたが杞憂に終わった。搭乗した機関士が「重心が低く安定度が高い」という皮肉なコメントも、ただ燃料を喰うとのこと、SLは皆そうだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています