南部縦貫鉄道について語るスレ
>>1 ナニを語るの?1 南武縦貫鉄道
2 南部縦貫鉄道
3 南部鉄道
4 南武鉄道
5 南武瞬間鉄道
6 南武獣姦鉄道
>>4
キハ10は晩年はほとんど動いていなかったですね
未だに動く状態にある貴重なキハ10です GWのイベントでは、3日以外も車庫公開するのかな? 南部鉄道ってのもあったんですよね。南武鉄道はまた別の県でしたけれども。 南部縦貫鉄道→日本最後の機械式レールバス
南部鉄道(南部バス)→日本最後のK-CJM500 今日、南部縦貫のイベントへ行かれた方、キハ10は動いていましたか? 南部縦貫鉄道はタクシー会社「南部縦貫」として現存
南部鉄道はバス会社「南部バス」として現存(>>10
南武鉄道も太平洋セメント関連会社「太平洋不動産」として現存 湯口先生も指摘していたけど、南部鉄道は何故筆頭株主(そもそも上場してないような)がいすゞ自動車だったの?
バス購入の有力ユーザーに対する支援? このスレの訪問者少ねぇが、ありし日の縦貫みないだなorz 最末期に乗った
バカでかいカメラ持ったやつで混んでいた
乗り心地もさることながら、道路を並走してる軽にあっさり抜かれたのは笑えた
営業運転してる方が不思議という代物だったな 30年位前に、シキが入線したのをご存知の方はおられますか? >>16
F誌の読者投稿でそう言うのあったねぇ、確か。
記憶が正しければ写真入りだったと思ったけど。 >>15
まだ廃止が発表される少し前の95年9月初めに初乗り。ハナから仕舞いまで客は自分
のみ。不思議な体験だった。きさらぎ駅の類が現れても驚かない雰囲気かもしれぬ。
廃止が発表された後の97年3月初めに再訪。座席がほどほどに埋まる程度の乗客。
帰りの…確か13時台の野辺地行に乗ったらJR線と並行するあたりからED75重連の下り
コンテナと併走するもジワジワと引き離されたっけな。 キハ10を導入したときはまだ乗客は多かったのかな? >>19
宮脇翁の「時刻表おくのほそみち」によると通学時間帯向けに導入したようだ。
レールバスは過負荷になれば軸バネが伸びてしまい車輪のフランジと床が擦れた、
なんて話がかなり昔のウヤ情に書いてあったっけ。確か95年あたりに。 縦貫線の沿線にナントカ高校ってのができて、沿線民はそこに通うようになって旧キハ10は使わなくて済むようになったってな。 キハ100のレールバスはニュトラにして惰行してる場面に遭遇したことがなかった。
つまりはいつでも力行状態。
旧キハ10もそうだったんかなぁ? キハ10を定期運用で使ってたのは80年から84年頃まで
それ以降は不定期で団体向けや休止間際の混雑時に動かした程度 80年代初頭って団塊ジュニア世代が高校入学する頃で現存しない地方私鉄でもラッシュがあったし、朝しか動かない車両に乗りたくて、夜行で出かけたものだわ、南部縦貫に急行八甲田で乗りに行った時はレールバス+DL の除雪列車だった。 1997年、JR10周年謝恩フリーで大阪から乗りに行ったな。
あの時、レールバスの老朽化が深刻なために座席定員以上は乗せないとかで、1便あたりの乗車券発売数を制限してた記憶が。
だから乗れなかったらどうしよう…とドキドキしながら早めに野辺地へ行ったなぁ。
ま、無事に切符が買えて乗れたわけだが、あの脳天まで達するような激しい揺れと、車体が壊れるんじゃないかと心配するくらいの悲鳴に近い走行音は今でも忘れられないな。
七戸からはバスで十和田市に抜け、こちらも今はなき十和田観光電鉄に乗って三沢に抜けた。
あの頃の旅路が懐かしいな。 何ゆえに、南部「縦貫」というどでかい名前を付けたのか(謎) >>27 製鉄所建設需要を当て込み、やがて三沢辺りまで延伸する構想があった。