キハ10系とキハ20系を語る2
キハ110系の運転室構造がキハ20系に通じるところがあるよな キハ10のあのふにゃふにゃの床をまた踏みたいもんだね。 鉄模ファンはキハ20+キハ20+キハ20よりキハ20+キハ20+キハ25と繋ぐのが好き キハ10は車体幅2.6mしかないのでただでさえ低いホームと隙間が大きく開いて問題になった?
その車体幅の狭さを利用して銚子電鉄に入ったことがある キハ10系列は何といってもオープンエアみたいな仕切りの無い運転台が良かったなぁ。
かぶり付きの解放感や運転士と同じ空気を吸ってる感が良かった。。。。 昭和48年? 東京から福岡筑豊まで家族で里帰り。
岡山までは新幹線、それからボンネット485しおじで多分下関まで小学一年生の
オレは飽きて疲れて怒りまくり。下関から門司で乗り換えたか直通だったか定かでないが折尾まで。この時、常磐線で言う赤電で、かなり不機嫌ながら少しは
気が紛れた、かと思いきや、次が10系気動車で、見た途端チンチクリンな粗末な
つくりと乗車後予想通りの狭さうるささ乗り心地悪さ、そして帰宅ラッシュで
怒り再発!!泣きまくり怒りまくり。宥めるオヤジ。すまんかった。
あれがキハ58ならそうでもなかったろう。キハ20ならまだマシだったろうが
ちゃんと幼児ながら10系気動車とわかってるあたりオレは生粋の鉄なんだなと思う キハ10系は現役時代には乗ったことないからうらやまし。 海水浴シーズンの房総地区でオールキハ17とか罰ゲーム急行あったな
車体幅が狭いとあって座席が小型でしかも枕ばねが防振ゴムで乗り心地最悪だったとかこんなんで急行料金徴収していいのか疑問だった
挙句の果てにはキハ35まで急行に駆り出す有様 相模線のキハ10、クロスに座ると真後ろに座る人が深く座るとこちらの背中が
押されるフニャフニャな背ずりだった。
全然快適じゃなかったよ。 キハ50は幾ら何でもゲテモノ
車体長が22mあってしかもナローボディであるため妙に細長く見える
推進軸を縮めて21.3mにしたキハ51が長いこと気動車標準だった上にブルトレ用客車でも21.3mが波及した
電車では381系や651系とか希少 一般色と首都圏色コンビの編成美はキハ17系に限る
同じ組み合わせのキハ20系は近代的過ぎて 1974年夏、米坂線でキハ20系と10系混合の普通に乗った。
10系は編成中間に組み込まれていたが、車体の幅が狭く、蛍光灯でないから20系に比べ夜は薄暗い。
1969年の八高線も、キハ20系と10系の混合、3両くらいの編成だったような。 キハ17、バス窓で喜んだ覚えが。車内の真ん中に排気管とか、あの変な薄緑の車内とか
あの頃だから普通なんだけど、ちょうどキハ40が入って来た頃に連結してたことあって、外観も
車内も40の方が衝撃的だったな あの頃はキハ10に限らずキハ20も111系も153系もシートの周りの床がたばこを
踏み消した三角形の焦げ跡だらけだった。。。 DMH17エンジンってよく整備されてたら音がよく聞こえるのか?
何かエンジンの音がよく聞こえる車両と聞こえない車両があるような気がする >>324 エンジン1個の車両でも、耳障りなほどよく聞こえるよ。 >>324
形式や座る位置でも違うんじゃね。やっぱりキハ58より20や10はうるさかった
デッキないし床が薄いし、排気管が客室を通ってるし。キハ126、おまえのことだ 1983-1
分ノカ キハ20
27 37 41 50 53 69 70 71 90 397 433 434 444
→DT19C…27 37 50 70 71 90 >>313
限界測定せずキハ20に車種変更してガリガリ… >>327
懐かしいな。高千穂線ではJR化後もバス窓が残る快挙だった。
三セク化決まってたから置き換えも考えずに バス窓は10のほうがいいな。
20より数が多いし。 キハ10系、クロスシートがいっぱいで小学生の頃は良い車両と思っていたが、いざ乗車したら座席の幅も間隔も狭くて、これは不評だったなと初めて分かった
加悦鉄道廃止の時で、俺は大学新入生で鉄研入りしたばかりだった キハ17系の首都圏色(タラコ)は哀愁が漂う末期的な雰囲気で似合わなかった
従ってキハ20系の同色以上に毛嫌いしていた鉄道ファンも多かったと思われる >>332
色褪せてくるとその哀愁というか退廃的というか、益々凄くなってたしね。。。 キハ17系のタラコはキハ55系のそれに通じるところがあるね、キハ55系のタラコもなかなかの哀愁車両だった
(スレチだけど)キハ26の400・600番台に乗って見たかったな特に400番台、資料で見ると車内のくたびれ加減と適当改造の座席配置が見事にマッチしている >>334
回転クロスは向かい合わせで固定されしまいクッションの
ウレタンは劣化して意図せざる低反発素材と化していた。 キハ10系は車体幅が2.6mしかなくホームとの隙間が問題になった?
乗り降りに難儀しそう
幅の狭さを活かして銚子電鉄に入線した事がある 南薩鉄道の300型は国鉄キハ17系が基本だが両運としての運行開始はキハ10より僅かに早かった
因みにキハ07ベースの100型(103号)は鹿児島県南さつま市加世田の鹿児島交通バス整備庫にて静態保存 >>337
10cmの差なんて特に問題にはならないと思うが 国鉄で車両限界が小さくて20mで幅2.8m車が入れなかったのは鶴見線の武蔵白石駅大川支線ホーム位か
あれはクモハ12が1996年まで残存してたが老朽化してたので泣く泣くホームを撤去して安善駅まで行って折り返し可能な特例が設けられた
小さすぎてキハ10系必須は国鉄線内では聞いたことが無い 門司港のキハ07も展示ホームから相当隙間があって隙間を木で埋めてある 夏の宵
ぶら下がった裸電球
駄菓子屋の柱の銀玉鉄砲のパッケージ
カーブから走り込んで来る宇品線のキハ04
遠い記憶 >>339
確かキハ17からキハ20に代わって、同じ気分で銚子電鉄に乗り入れたら
車体の裾を擦ったとかいう話を読んだ経験がある >>342
あそこのホームもともと車両に寄せて作ってないじゃん
クハ481とかにも追加してあるし どこかにキハ20保存されているところある?
車内も入られる車 >>347
5年前の話だけど旧大隅線鹿屋駅跡にある鉄道記念館にあったな…今はどうか知らんけど。 あの半室運転室構造というのか、
キハ110系みたいで直ぐにでもワンマン改造できそう。 1954年に日車がインド国鉄向けに製造したディーゼルカーはDMH17系水平型エンジンを搭載していたので
キハ50試作時に試験的にDMH17系水平型エンジン搭載も可能だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/DMH17系エンジン#cite_note-1
その気があればキハ55系、キハ20系にはDMH17系水平型エンジンの採用が可能だった
キハ51と同じ1955年東急製造の小田急キハ5000は車体長20.0mだし
https://ja.wikipedia.org/wiki/小田急キハ5000形気動車
同じく台湾鉄道向けに製造したDR2500はカミンズのNHRBS-600(12.2L 300HP)搭載していた
https://zh.wikipedia.org/wiki/台鐵DR2500型柴油車
外国製のエンジンの本格採用は外貨規制で不可能でも
仮にキハ11なりキハ51なりの一部に新エンジン開発の比較用にNHRBS-600採用されていたら
キハ80系が登場する1960年には日本はまだ技術途上だとしても6気筒15L 200Hpのエンジンが実用出来ていたと思う 戦前のエンジンを改良したDMH17の低出力や不具合に泣かされたのに
その後の高出力エンジン開発で同じく戦前製のDMF31を改良して
DD31やキハ60に乗せようとした考えが判らない >>352
> DMH17の低出力や不具合に泣かされたのに
縦型DMH17系機関でどの様な不具合があったのか教えて欲しいな。
扱う側として伸びしろは無くとも堅実な機関だったからさ。 >>352 現在も使用されているロシア軍のT72戦車のエンジンは、遡ると1930年代に開発されたイスパノスイザ航空器用ガソリンエンジンが原型なんだけどな 九州でキハ52にキハ58の貫通扉を移植して変な顔になってたのあったな
部品共通化? 当時は水平直列型エンジンは潤滑性能の問題もあり、なかなか改良が進まなかった。
シリンダーを横に寝かせた形状のエンジンは、潤滑する方式をちゃんと作らないと、
偏った方向に潤滑してしまい、シリンダーが偏摩耗して焼き付きを起こすからね。
それは、航空機の水平対向エンジンでも同様の問題点を抱えていました。 うちの田舎の筑豊本線は石炭生産が衰えても割と優遇されてる方なんだろうか?昭和56年頃、
キハ66とか45とか客車で50系とか割と最新のDCが割り当てられてた感じがある。大昔は支線にハイカラ蒸汽動車走ってたしなw。
いや10系気動車いたしキハ20キハ30いたしそうでもないかw >>355
廃車部品の流用だそうな
>>356
航空機の星型エンジンはどうだった?
>>357
門司局はまあまあの扱いだったな
交流電化ということもあって近郊型電車にも新車がコンスタントに入っている
キハ66・67は特別扱いだな >>356
倒立V型12気筒のダイムラーベンツDB601など、昔の航空機用レシプロエンジンはどうだったの?
このエンジンを国産化した飛燕のハ40の潤滑に問題があったのか
356の理屈に合った回答を熱望する リンク+ ◆BotWjDdBWA
猫娘+ ◆BotWa53rWA
こいつ鉄関連の板で唐突に流れとは関係のないレスを繰り返す頭が足りない奴だから相手にするだけ無駄 356ではないけど、航空エンジンの話があったので
昔の日本のガソリンエンジン(1945年以前)は真円度が平均して低く、最後は熟練整備員が調整してかみ合わせを行っていた
そのため、均等に潤滑油が回らなく、また潤滑油切れを起こして墜落ないし停止を頻発
※航空機のは、欧米に比べて潤滑油タンクの容積が多く、パナイ号事件前後では「日本軍機は油を振り掛けに来ている」とまで書かれた乗客手記もある
ハ40系の話
ニッケルを使うな・ただし大量生産しろとの事で頑張ったけどやはり無理だった
ほぼ同じアツタはそれほど多く求められなかったため、2週間も連続焼き入れを行い(それでも苦情を出される寸前の歩止まり率)、陸軍以上にベアリングの高真円度率のものを使ったため、そこそこまともに前線でも動いた
鉄道用水平シリンダ・ディーゼルエンジン
ちなみにこの時代(1937年前後)に鉄道用ディーゼルエンジンで水平(もしくはほぼ水平)シリンダなのはほぼなく、たぶん日本が世界初ではないか? >>363
最近戦中の名古屋地区における航空産業について調べていて、
アツタとハ40(彗星と飛燕)の差について気になっていました。
有難うございます。 ふと気になったのですが、
キハ22 1って何か外観などに特徴ってあったのでしょうか? 改番してないけど600番台相当の簡易荷物車になってたんだっけ?
ピク誌の特集で形式写真見た気がするがちょっと分からん 天竜二俣に保存されてるキハ20
443、メンテしてるけど屋外だからずいぶん荒れてきたよ 一回だけキハ16の初期型の仕切りの無い運転台でかぶりついたことがある。
あの仕切りが無いだけで解放感は全然違ってた。 >>371
助手席側が解放になっている運転台?
キハ110系のワンマン仕様も同じでは? >>372
10系気動車の初期型は運転席背面の仕切りが助手席側がオープンだったが、大人の腰の高さ
位の仕切りはありか「助手席側解放」にはなっていなかったと思う。 キロハ18にリアルで乗った人居ますか?モケット色が、赤か青か緑色か知りたいのです。格下げせず即郵便荷物車に改造されたので。雑誌のアーカイブモノクロ写真だとサロ85と同構造には見えなく見劣りした記憶。 キロハ18が改造で消滅したのは1961年・昭和36年、60年前よ。
当時中学一年生でも今73歳?
そんな御仁が5chに居るんですかね。 東海道新幹線開業前にクソ高い一等料金でレアもの(製造8両)に乗ったというのは今となっては難しいんじゃね あれ? 二等級化施行おそいから現役当時はほぼ二等料金か失礼
(1960/7二等級制) 南薩キハ300に2回乗ったがキハ10の兄貴分に当たると聞かされるまでは分からなかった キハユニ17 1
廃車留置で、厚狭でみました
22mの長い車両、ということを後で知りました
1986年と思いました 地上設備改修不要が配属の条件だったんだろうがその辺の実情についての逸話は残ってないよねキハユニ17
1の廃車は昭和55(1980)年だそうなので86年が正しいなら随分長期間放置されてたことになるな すみません、間違いでした
1980年の7月でした
キハ17 27も映っていました
見た目廃車扱いかな、と素直に思っていました そういえば1977年頃拝島にも相模線用だった西ハチにキハ17とキハ16がEF13と一緒に
2休留置されていた。
駅から遠かったが写真撮っておけばよかったよ。 最後に乗った10系は、
キハユニ15、加古川線(これを10系と言っていいならですが)が1980年
キハ51、大糸線、1980年(もしかしたら1981年5月も)
意外とあっさり引退、という印象
同じ大糸線からの引退でも、旧型電車と10系では結構な違いです 関鉄のキハ310系?
今では平日の朝だけですが、でも現役
夏休みでも乗りに行きたくなりました DT19現役はいないんじゃない?
鉄博のキハ11も静態化しちゃったし ひたちなかのキハ20乗ってきた
やっぱりあのエンジン音はカッコ良い! キハ22は最後までDMH17Cで製造されたのが意外
キハ52みたいに途中でDMH17Hに変更されてもおかしくなかったが現場が嫌がった? ぬくぬく客室内から点検・一部整備できるため
おしいことはキハ52 0番台の北海道バージョンが作られなかったことだが、冬季は片方を荷物車代用として利用できた 九州で貫通扉をキハ58と同じのに交換してた変形車があったな
顔つきが明らかに異質 今号ピク誌がキハ20系特集号だが変形貫通扉装備車についてようやく触れた気がする キハ10系列の中間車、組成の制約もあるけど
何より車掌サイドから「これじゃ集札が難しい、不正乗車を黙認するのか」という指摘が多数あったんだろうなと 10系気動車の運転台寄り戸袋が凝ってると思う、窓一個分を2個に分けて
片方だけ戸袋になっていて。現代の感覚だったらまるまる埋めちゃうだろう 近郊車の車端もそうだった
クーラーないし、照明も暗いからできるだけ窓にしようとしてるんだな >>401
小田急の2400形以降の一般電車が非冷房時代、運転室背後の戸袋窓をルーバに
していたことがあった。
当初は夏だけルーバにしていたが、しまいには一年中ルーバのまま、冬場だけ
内側から鉄板で塞ぐやり方に変った。冷房化でガラスに戻ったが。
スレ違い失礼しました。 一般形気動車で運転台のない中間車は馴染まなかったな
他に北海道のキハ201系しかない
キロ28格下げ車は先頭車化改造しないと扱いにくかったはず >>402
あの小田Qのルーバーは時々髪の毛絡まってエラク不快な思いをしたもんだ。
まだ相模線に西ハチのキハ10が走っていて、俺にまだ頭髪というものがあった頃の話だ。 新日本紀行日南市に日南線を走るキハ10系とキハユニ20が映っていた。
昭和42年撮影とは思えないリマスター映像でちょっくら感心した。 >>407
52も同じ運命を辿るんだろうか。。。
52の次の全検っていつなんだろう。 >>407-408
28が先に引退でよかったね。52は両運で単行可能だからね
逆だったら、いすみ現行車と必ず連結しなければならなくなるし 連結器が同じじゃん?ちがうの?
同じなら、引き通ししなけりゃ可能でしょ?
片側をトレーラー扱いにすれば済むわけだし
電源はそれぞれ自車で可能だし キハ40系とキハ150も併結出来なよね?それと同じ 北海道のキハ150はキハ47系と併結運転可能ですが何か キハ10とかキハ20はまことに顔が秀逸
その後のキハ23ときたら >>420
俺は誰が何と言おうとキハユ15の顔推しだ。 個人的にはキハ58モデルチェンジ車が至高
ただ10&20は平窓オンリーだが味がある 湘南顔のキハの前面窓を何故か小さく改造した顔があったが、なんだか目を背けたくなるくらい超不細工で驚いた記憶がある。 >>424
キハ45など、あの顔は登場時は画期的だった
一般向け気動車がようやく電車並みになった印象だった
が、シートピッチや車両重量面で・・・・ キハ53に初めて乗ったときシートピッチにショックを受けた
まさか膝のぶつかり合いになって52に劣るとは思わなかった
そりゃ九州じゃ優先廃車されるわけだわ元々少数派ってこともあったけど そうはいうけど、115の0番台とかと20mmしか変わらないから近郊型はそんなもんでしょ
電気機関車顔だよね、キハ23。間延びしたED75って思ってた 正面も側面もいかにもキハ20系列までの時代からキハ47系列への過渡期という感じがする<キハ23 >>423
キハユ15の顔は一年前に出たキワ90と同じ顔ですかね・・・? >>432
確かにほぼ同じかもね。言われて気がついたワw ただそのままその顔が使えるかは知らないなぁ…
個人的に鉄コレ22弾だったかのケースのオマケ、キハユニ16の素ボディ(使う予定もなし)はあるしキワも予備であるから、側面含め弄くりまくってキハユなりキユニの作製にチャレンジしてみようかな 鉄コレかあ
そんなのあったのね
集め出すと沼にはまりそう >>413
キハ181系は、連結器は同じでも、ジャンパ線に互換性がないため、総括制御ができないというわけ。
簡単に言うと、オープンリールテープのトラックの構成みたいなもの。
片面2トラックステレオで録音したテープを、大いに普及した4トラックステレオのレコーダーで再生すると正常な再生ができない。
4トラックステレオのレコーダーは、片面が終わったら、テープを裏返してB面に録音ができた。 >>437
あった
RPキハ20系特集、1980年代じゃなく、その次のやつ
下関?での、準急色キハ25 200番台の写真がある 昭和59年の今頃、紀勢線のEF58を撮りに
名古屋亀山、紀勢東線から新宮に入った。
紀勢東線ずっとキハ20で、ただでさえ非冷房で暑いのに各駅停車後のエンジンからの熱風が
入って来て、ホント死んだw 暑い中思い出しちまったじゃねぇかよ >>438
あったのか!
だとすればひたちなかの準急色は偽物ではなく本当の意味でのリバイバルと言ってもいい訳だな! キハ10以後中間車製造が取りやめになったのって
気動車を投入する線区で柔軟な組成が求められること、
そうした線区には無人駅が多く車掌による集札業務をより効率良く行うため
運転台のある車両が望ましいといった事情か
四国東海では中間運転台使う車掌結構見かける(てか集札サボってる東日本や西日本がおかしい) >>449
だったらどこで語ればいいんだよ自治原理ハゲ
国鉄の気動車を語れみたいなスレ無いんだぞ?
現行キハ40系ネタも総合/路車/懐し全てに無いし >>445
文末の件、おかしくないし。
価値観は一枚岩ではない
バカみたいに走り回るほうが本来イレギュラー 常時3両編成以上って線区がそもそも少なかったと思うしなあ
ほぼほぼ気動車化しても通勤通学用に客車列車が残った路線も多かったよね 小湊も200だけの頃の連結運転時には車掌は中間が定位置だったな(キハ40が増えてからは知らない)
無人の各駅には「車掌は各列車の最後部に乗務しております」と書いてあるのだが… スレが建って8年
次スレが建つであろう8〜9年後の時は
キハ23や45も追加しとけw 北海道のおふくろの両親の実家の中標津や
祖父の葬儀のとき
まだ標津線もあった頃だった。
道内で乗車したDCは主に急行すずらんがキハ22(釧クシ)27、56(札サウ、函ハコ)だった。
結局特急には一度も乗れずキハ82にもお目にかかれなかった。
キハ12、21にも乗車することはなかった。
キハ21には道内でなく、一関で本州唯一いたグループに乗った。
それから10年後
仙台でその一関の(盛イチ)のキハ21に再会した。
首都圏バーミリオンに塗り替えられて台車はDT22に換装されていた。
なんか顔も忘れていた旧友に再会できたようでうれしかった。 自社発注だとうらぶれた感じはないが、やはり降格みたいな印象になるのか 牧歌的なローカル線をゆくキハ20+キハ20+キハユニ25とか乗りたかった
もうキハ40系世代 >>458
昭和50年の夏休み
三陸で旅行行ったとき
大船渡線でキハ20+25+キハユニ26の3連乗ったな。
KATOのNゲージの3種そのものに乗ってるみたいだった。 キハ16か17の運転室屋根に運転室空気取り入れ口があるんだな
大抵は前面腰板や前面幕部にあるけど 国鉄が銚子電鉄に乗り入れしていた時のこと、通常はキハ10系のところが、キハ20系になっていた。
銚電に入りなんとホームを擦ってしまったとか。
なんとも牧歌的な時代だった。 キハ17に乗車した時だが車内通路を歩いたら床がフニャフニャのとても不思議な感触だったが、あれはキハ17系じゃなかったかな・・・? 腐っていなくとも
長年繰り返される雨の日で
浮いたりするわな。 乗客を楽しませるためにフニャフニャ床にした可能性もある 中間車のキハ18は、撮影以前に見た記憶もないです
キハ19などはそんな形式あった?というレベル
その後に普通DC用の中間車ができるとは、全くおもわなかった キハ19は昭和39(1964)年に5両中4両がキニ16(翌年キユニ19に再改造)で残る1両も昭和41(1966)年キニ19改造で形式消滅している
ここには東海道新幹線開業時の頃から車両追いかけていたような筋金入りのベテランはおらんだろ >>472
2020年12月号は持ってるよ
最近の研究を反映して電気式気動車を試作車としてきちんと位置づけた構成になってる キユニ19_2とキユニ19_3は撮っていたが、当時はあまり意識なし
最近になって、40年前の画像を確認して、キハ19の改造車であることを理解したお恥ずかしいレベル
キハユニ15やキハユニ16は気合を入れていたのに、この落差はダメですね 昭和30年代と40年代前半はローカル線は道路網整備遅れている&駅が基本有人駅で手荷物扱ってた&郵便輸送も鉄道依存大
だが輸送量自体は当然少ないので合造車の客車輸送を気動車化すると気動車も合造車に
戦後郵便・荷物気動車の新造がキハユニ25x7&26x59とキユ25x4と割と頑張って造ったけど圧倒的に旅客車優先だから不足分を改造車でまかなう方針だったよ
試作要素強い旧電気式やキハ15キハ50に接客面問題や少数派でもあった合造優等車のキロハ18やキハ26の300台(元キロハ25)は全車が改造されてる
なお使いにくいと各区所で散々不評の中間車キハ18改造が1両(キハニ15)のみで終わったのは謎扱いされてる いーろづくやあまーやあまふりむきながら わたしを乗せたデイーゼルカーわ
キャンディーズの気軽な旅の歌詞だけど10系20系気動車を連想する >>477
そうそう、なんでキハ18のキハユニやキハニが少数なのか不思議
全部改造されてもおかしくはなかったのに なお雑学
元キロハ18のキハユ15(→再改造でキユニ15)とキニ15は車体の向きが逆になった
理由はキハユ15が二等室部分をそのまま客室に残したのとキニ15が一等室部分のトイレを有効活用したかったため運転室取り付け場所が両形式で反対になった
形式図で見るとエンジン設置位置が逆なのが見事に分かる
また投入線区の都合か改造時の都合かキユニでは郵便室と荷物室が同一形式で続番なのに前後が入れ替わっている例が見られる
キユニ16(1,2と3)とキユニ18(1,2と3~6)が該当
(キユニ17は番台区分されていたはず) むかし、RMが
そのあたりの改造の合造気動車の各形式の詳しい特集記事があって
そこだけ抜いて保存してたことあった
実家探せば出てくるかも
直近で語ってるスレ民なら持ってる人いるよね? 今年RM Re.Libraryとして旧RMライブラリー2冊を合本化して再版されたよ 多量に造る訳に行かないので小ロットで多様な使途に対応できるように細かな仕様の変化が合造車研究の楽しみ 今年は16番でキハユ15のスーパーディテールを作るぞ! 10系というとエンジン縦置きバス窓の印象
湘南顔のキハユニとかあった
20系というと23のパノラミックウインドウの登場が劇的だった 23はキハ20系ではなくキハ45系
シートの幅も間隔もキハ20系より狭い >>485
用途 1エンジン 2エンジン
一般型 キハ20 キハ52
近郊型 キハ23 キハ45
急行型 キハ28 キハ58 >488
キハ23の2エンジン車はキハ53
木次線に行ったときは旧国鉄色のキハ52を期待していたら首都圏色キハ53で当時は正直はずれだと思った 今見ると標準色のキハ45って良いなと思うよ。
キハ47よりずっと良い。 >>485
キハユニが最高峰
湘南顔とバス窓サイコーですやん キハ19は中間車よね
まあキニ16キユニ19キニ19の先頭車改造車のことなんだろうが
キニ16はキニ19の誤記を疑って16と19両方あってどっちもキハ19改造とは想像もせず
元がキハ19だから19付けるんじゃないのという勝手なガキの思い込み 佐原のキハ10、タラコにしちゃうの?
個人的には今の鹿島臨海鉄道カラーのままで良いと思うんだが
鹿島臨海鉄道にキハ10が走っていたという生き証人だから >>19
ブルマの縦型に見えた
疲れてるのかな、俺?