懐かしの流線形車両を語るスレ
誰か科学的に実証と思わなんだのかな
なんとなく効果がありそう、だけで決まったのかな >>279-280
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1258263/13
キハ43000の取扱説明書に「窓上は帯黄灰色、窓下は藍青色」(いわゆる旧気動車色)と書いてある。
旧気動車色のカラー写真は「昭和30年代鉄道原風景」の国鉄編に載っている。 >>289
結論ありきの検証だったかもね
神鋼事件、小保方事件を思い出すまでもなく
データの改竄なんて技術屋の世界では今も昔も変わらず続けとる 仙台市電43秋保に似てる都電1200後の1500ここまでなし 酔っぱらって書いた上の自分の文章が死ぬほど恥ずかしい 名鉄イモムシとナマズが元気だった頃、
戦前を代表する流線形二傑が併結してくれないかと、妄想してました イモムシはいつも4連
ナマズは兄弟車800系一党から中間車を迎えて3連の時代があった 戦後、京阪1000型や1100型の運転経験のある人によると、
雨の日は運転室内に水が通風機辺りから落ちてきたこともあったらしい。 >>306
近鉄にも、流線形ではないがあの京阪1000(T世)と同じ形の通風器があり、
雨水の流入に苦労したと言う話だ >>305
1980年頃平日昼間岩倉行準急の出番多し 西鉄が戦後間もない時期に相次いで流線形カテゴリーに入りそうな新車を続けてくれ新製したのは気になる 初代600系(のちの1300系)は出色
量産してほしかった 半流線型といわれても見た目にピンと来なかった国鉄クモハ53等 学研の図鑑にはデゴイチにも半流線形がいたと解説されてたが
挿絵に出ているものはどう見てもそのようには見えなかった >>313
初代600形は国鉄52系に似てるから流線型カテは分かるが、
他にもあった?
313形は流線型でもなく湘南型でもなく… >>316
オオナメクジというあだ名もあったらしいが
やはりそのようには見えない 半流線形というからには満鉄パシハぐらいの外観にしてほしかった >>74
名古屋市も鋼体化改造単車の最初の2両(151・152)は多少影響を受けていた
153~204は並の車体になったが >>304
名鉄3400が前面にジャンパー栓をつけて他車と併結可能になったのは
1980年代以降の最晩年でしたね 長いと映えるけど、短編成や短い車長だとずんぐりしてそれほどかっこよくない 全く同感です!
名鉄イモムシは四連がちょうど良かった 大阪市電932→熊本市電403はまだ保存されてるのかな。
ビア樽とか太鼓腹のあだ名のある、
くの字に曲がった車体が特徴的な流線型車両だよね。 名鉄の3400+850、最末期に連結したようだけど
何の本で写真を見たかは忘れた
3400が連結可になったのは1984年
3900や7300と共通運用に 立ち読みしてた西春駅前の本屋で鉄道ファンの短信記事でそれを知って思わず声を上げた >>278
一形式一両で約30年ふつうに使っていたとは知らなかった >>317
西鉄313は小田急2200と形状が同じですね
傾斜と中スジがない2枚窓
玉電80型は2枚窓の両脇に細い窓の4枚だけど、流線形というには微妙か? 湘南塗りにしてくれたらちょっとは流線形っぽく見える 大正昭和初期の前面5枚窓の玉子型といわれる電車は関西や中京で、関東はフラットになっている。
空気抵抗を考慮したのではなく、運転台を広くするためと、米国の影響もあるらしい。
湘南型のような流行かな。 333(σ・∀・)σゲッツ!!
333キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
333(・∀・)イイ!! 広くしすぎて無駄なスペースが出来ることになってしまった そう思う
片上の有名な2ライト車に実乗したが
とても広々していた
運転席から、客室との仕切りとしての背面板までに、相当なゆとりがあった
新型通勤車の方がよほど窮屈 岐阜駅においてある510形も大正~昭和初期製造のなのかな 名鉄丸窓はもし揖斐急行に抜擢されてなかったら早々にお釈迦にされてたかな 521-526のうち連結運転に対応しなかった521だけ先になくなっている