寝台特急出雲号スレ【凸口口口口口口口口口口】
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なくなって、早5年が過ぎた「出雲」。
でも、山陰の利用者・鉄道員をはじめ、多くの人に愛され、
未だに愛してやまない人がたくさんいる出雲。
そんな客車出雲を語るスレです。
住人の総意により、Part18から懐かし板に移りました。
また、単独スレで立てます。
前スレ
寝台特急出雲号スレ Part18【そして懐かし板へ】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1227410559/ >>104
ぜひ今度の天理臨につけてほしい。
「出雲」の代わりに「天理」でもおk。 銀河には死にたいくらいに東京に憧れ東京を目指す大阪人が結構乗り込んでだが
出雲にはそういう京都人はあまり乗ってなかっただろう ほう、そいつのどこがどうきちがいなのか
論理的に説明してもらおうか
どうせできないんだろうけどさw などと意味不明な言葉を口走るID:WF1bHuAKであった
つづく 寝台特急出雲号東京行きが真夜中の京都駅に滑り込む
ふと目の前を見ると、リクルートスーツに身を包み
京都の言葉を喋る清楚な女子大生の姿が…
なんて出会いを一度はしてみたかったよ! かって午前0時を回った京都駅から上り出雲に乗車するのはたまに物好きな男性がいた程度
現在の上りサンライズ出雲では大阪駅から乗車する若い女性も少なからずいる 大阪のあさかぜ・サンライズ共々、銀河乗れよwってとこだからな
ギリギリまで飲みたいとか特殊な事情がないと使わないわ
現在のサンライズは他に(鉄道の)選択肢がないから少々事情が異なる 今のサンライズはノビノビ座席と言って
普通の指定席特急料金で乗れる車両があるからな
ただ、若い女性が利用するのはちょっとヤバいかも >>114
物好きというか、京都で遊びすぎて
新幹線どころか銀河にも乗り遅れたから出雲に乗ったんだろう 福知山駅にはまだ出雲の乗車口標が残っているらしい
https://twitter.com/tsu_chi381/status/500435458384355328/photo/1
8号車の乗車位置が残っているなら9、10、11のも残っているのかな
たしか福知山駅は高架化する時にフル編成出雲に対応するホーム長にしたはず カマを入れれば13両編成相当だからなぁ。
昼行列車は早い内にふがいない編成になってしまったから、
福知山駅のホーム長は「出雲」最後の遺産だな。 今さらだが、下りを朝四時前に京都に停める意味ってあったのかな 深夜の京都に停車する意味って…
西村先生の小説のネタにもなってるやん 今日の朝、尾久駅車両基地で寝台特急出雲の客車一両見かけた。寝台特急出雲 出雲市行になってた。まだあったんだね。懐かしい >>124
その車両を朽ちる前に何とか方向幕どおり出雲市まで走らせてやりたいな
サンライズ出雲に連結して連れて行ってもらえんかな
電源や整備で無理なのは承知だが客車出雲ファンの夢をかなえてほしいな 食堂車だぜ
北陸や夢空間と混ぜておいてあった頃ならまあワンチャンあったが 寝台特急富士の復活運転ができるのなら出雲も何とかなるんじゃないか のんびりとした旅行によく利用されたってのは
ちょっと歴史的事実とは異なるのではないかなぁ 一回乗った事があったかな
ガラガラだったけど、、、こういうのを旅情豊かというのかな 1、
真っ赤な太陽 西から浴びて
山陰走る 青い車体
黄色い砂丘 広がる街に
ピンクのネオンが 灯る頃には
窓の縁も 闇に隠れる (ゴー ゴゴー)
出雲の大社で良縁祈願を
させてもらって きたけれど
事実恋愛 御縁がない
2、
真っ赤なランプが 光って止まる
深夜の古都に 青い車体
黄色い声で 誰かと話す
ピンクの頬の 京都弁女子
乗らず縁の希望も消えた (ゴー ゴゴー)
出雲の大社の神様たちよ
返せオイラの 五円玉
事実恋愛 御縁がない
3、
真っ赤な太陽 上る頃には
もうすぐ東京 青い車体
黄色い朝焼け せまる大地と
ピンクの桜 花びらたちを
照らせ縁の朝の陽で (ゴー ゴゴー)
出雲の大社と首都圏の夜行
ここで語って! でもやはり
事実恋愛 御縁がない 寝台特急出雲号スレ【凸口口口口口口口口口口】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1343201265/主題歌
1、
真っ赤な太陽 西から浴びて
山陰走る 青い車体
黄色い砂丘 広がる街に
ピンクのネオンが 灯る頃には
窓の緑も 闇に隠れる (ゴー ゴゴー)
出雲の大社で良縁祈願を
させてもらって きたけれど
事実恋愛 御縁がない
2、
真っ赤なランプが 光って止まる
深夜の古都に 青い車体
黄色い声で 誰かと話す
ピンクの頬の 京都弁女子
乗らず緑の希望も消えた (ゴー ゴゴー)
出雲の大社の神様たちよ
返せオイラの 五円玉
事実恋愛 御縁がない
3、
真っ赤な太陽 昇る頃には
もうすぐ東京 青い車体
黄色い朝焼け せまる大地と
ピンクの桜の 花びらたちを
照らせ緑の朝の陽で (ゴー ゴゴー)
出雲の大社と首都圏の夜行
ここで語ろう でもやはり
事実恋愛 御縁がない 出雲のラストラン以来、山陰地方に行ってない。
今年は久しぶりに、美味しい出雲そば食いに山陰方面に行ってみようかな・・・ 経由こそ違うが、サンライズが残っているうちに乗らないと
夜行で赴くことは永久にできなくなるぞ。。。
九州へは永遠に無理になってしまった 夜行バスを挙げずにフェリーを出してくる所に味わいを感じる
フェリーも割とシャレならんからな…
西のクルーズトレインが山陰に通うのは間違いなく、
それに先行して山陰トワも数年間やりそうだが >>136
それは言える。
北海道方面の夜行列車が全廃されたら、サンライズに殺到するだろうな。 DDH183のロゴマーク公募に、もろに出雲のHM風の奴を出したけどさすがになかったなw トワイライトが7月から山陰本線をツアー列車で走るみたいだけど、やっぱ客車の色は青じゃないと萌えんな。 初めてシングルツインに乗った時
あまりにも興奮して横浜着くまでに買ってきたビール全部飲んじゃった
目が覚めるとちょうど餘部鉄橋で
そのあと二日酔いで苦しんだ思い出 出雲に東京から乗って帰省する時
都会の夜景やすれ違う列車を眺めながら東京の事や故郷のことを考えて時間を過ごし
だいたい浜松あたりで飽きてきてベッドに横になり眠りにつく
列車の揺れで目が覚め車窓を見ると、園部を過ぎたあたりでまだ真っ暗、
山陰線は線路が悪いななどと思いながらそのまま再びウトウトすると
だんだん夜が明けてきて香住前におはようございますと放送が流れる
餘部鉄橋の手前で日本海がちらりと見えると、帰ってきたんだなあという気持ちになる
何回乗っても同じような感じだったが、乗れなくなってからもう何年も経つ
今でも寝台特急出雲に乗って帰省したことをふと思い出す 冬場に鳥取に向かうとき、山陰線に入ると単線のため分岐のポイントを通過する時によく目が
覚めました。途中の香住駅だったかな、アベ鳥取堂の車販が乗ってきて、食堂車で営業してたね。
かにずしとホットコーヒーをよく買いましたわ。雪景色を見ながらの食事もおつでしたよ
これらは、もう経験できないとなると寂しいものがあります 何回も乗りたいが為関西から東京会議で翌日山陰に仕事入れ松江まで数回乗車したな 。特に春先の乗車は城崎から穏やかな車掌氏と歓談しながらの但馬の風景は忘れられない。 出雲1・4号が食堂車を営業していたころ、ときおり、食堂車が連結されずに
運転されることがあったが、食堂車の運用の都合か寝台車増結のためだったのだろうか >>146
かにずしか・・・
あったなあ
一度だけ食べたが本当に美味かった たくわ号の主催者が健在なら長野に行った北斗星を山陰まで引っ張って来てほしい 板の特性かもしれないけど、よく生き残ってるなこのスレ あのHMは地味だが好きだったなあ
書き写して下敷きの中に挟んでいたw あと2ヶ月もすれば出雲廃止から丸10年か、時間が経つのは早いな。
まだ数年前の出来事のような気さえする。 記憶の中にシングルDX、ツイン増結した出雲2.3号のTVCM。
出雲市駅で浜田から来る1.4号の客車を繋げるため長時間に渡る踏切どめ。DD51出雲のヘッドマーク外し、だいせんに繋げ出発迄暖気運転している光景が今も鮮明にある。高架化する前の出雲市駅は子供の頃毎日鉄道ショーだった。本当にいい時期を過ごさせてもらった。 サンライズ編成をDD51に牽かせて
米子〜京都まで抜けさせたいけど、
許認可やら停目やら習熟とか一切抜きにして
物理的にのみ考えたら、可能?
(建築限界だめとかなら仕方ないけど) ぱっと思い浮かぶ事なら
サービス電源確保は?
待避線の有効長は? 国府津にEF65とカニ24置いて訓練やってたけど…もしや285系導入絡みだったのかな? ヘッドマークのデザインを担当してた方の一番のお気に入りが、出雲の
ヘッドマークとのことです。
何十年前かの鉄道ジャーナルか鉄道ファンに記事が載ってました。
確か、他にゆうづるの名前が挙がってました。
C62をイメージしてデザインしたとのこと。 1985年の出雲1号・3号の食堂車メニューってどんなメニューがありましたか? エビスビールのおまけのヘッドマーク出雲だけがどうしても見つからない
一番欲しかったのに izumoじゃなくてidumoじゃねえのと、40年くらい前から思ってた >>173
それは同じく朱色のHMだったゆうづるのyuzuruと同じでそんなもんだ そんなもんというかヘボン式ローマ字の決まりだ
http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/passport/documents/0000000485.html
日本語知らない外国人に読んでもらうものなんだから発音優先なんだよ
日本人なら「ず」も「ぢ」も元々は違っていたけど今では両方同じ発音なのは知っているけど
外国人に「du」と書いたら「でゅ」と発音されちゃうよ 1・4号は、いつも満席で結局一度も乗れなかった。
2・3号は空いてたこともあったが
貴重な旅費を格下の三段ハネに投資する気になれなかった若造時代。
後年、ようやく乗れたがものの食堂車が・・・(´;ω;`) >>178
この年代の人は、2??3号を「いなば」として差別化していたんじゃないかと思われ・・・
せっせとバイトで稼いだなけなしの旅費を、エセ出雲に使いたくなかったんじゃないかな?と
サンライズが走り始めた頃、似たような現象が起きたでしょ。 >>178-179
「いなば→エセ出雲」というのもあったが
食堂車の有無が最大の理由だった。
あとは単純に、なけなしの旅費を三段ハネで散財したくなかっただけ。
三段ハネに使うくらいなら写真代にした方がいい、と当時は思ってた。 「いなば」は米子まで乗るにはクソ列車だった(「出雲3号」も同じ)
但馬や鳥取に行くなら、「いなば(出雲3号)」のほうがずっと良かった そしてムキになって繰り返すリアル知的障害者であったw 出雲1.4号の食堂車のメニューは上野営業所時代は他のブルトレと一緒だったのか? >>186
ホント暇なんだな。
無色ニートのゲーマー 2号も4号も上りの東京着が6時台と早かったな
せめて4号だけは東京着9時半くらいでも良かったのでは?
朝7時半から9時半までは通勤電車の時間帯だから
寝台列車のスジを挿入できないから仕方ないけど >>189
2号6:35、4号7:00、同一特急がたった35分の差で相次いで到着してたな……(;^ω^) >>190訂正
2号の到着時刻は6:25ですた。スマソ… まあでもゆうづるだと5分差とかあったし
上には上がね >>190
これが結構後の方まで続いていたんだよな
あと出雲の列車番号が一桁の時代もあったよな 東京〜京都間で利用。
新幹線終了後の最終手段だった。
今ならバスがあるけど当時はなかったからね
京都駅には未明の3時40分到着。
下車する人も少なかったなぁ
サンライズ出雲だと京都も大阪も
通過するから使えない 上りのサンライズ出雲は一応、三ノ宮の大阪には止まるけどね 現行のサンライズ、せめて上りだけでも京都に停めようよ
東京に憧れる京女たちが上京しやすくなるようにね 京都と出雲といえば、昼間の梅小路にEF65Pの
ヘッドマーク付き出雲牽引機が止まっていたな。
後年、上り出雲牽引のDD51はなぜか30番線に
一旦引き上げてのち、梅小路へ回送されてた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています