国鉄湧網線
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昭和62年3月19日を以て廃止。
今、存続していたら「流氷列車ノロッコ号」を走らせて
いたのでは、などと考えてしまう。 摩周湖があらゆり湖の中で一番好きだけど、摩周湖がどこか人を寄せ付けない
(湖面に降りて行けない)孤高の厳しさを感じさせるのに対して、網走湖・能取湖・
サロマ湖は大衆的な雰囲気が漂う湖。やはり捨てがたい。 >>356-358
猿払は毎日運行の路線バスがあるけど
佐呂間は毎日運行のバスがイーグルライナーしかないからな
公共交通がここまで少ないと他の街に出ることや
他の街からくる需要があるのに減らされてしまうからな
観光客も公共交通があまりに使えないから来ることが難しい ここまで公共交通が不便な自治体も珍しい
極端に人口の少ない町でもないはず(旧常呂町よりも多い) 過疎化が叫ばれる地域のほうがよっぽど交通機関が発達している。
車を運転せず酒が好きなワシにとっては大げさに言えば「死活問題」。
社会の迷惑になりそうだから、ハナから車は運転しない。 >>379
網走だと一部曜日以外は札幌までJRかバスで移動してイーグルライナーに乗り換えないと佐呂間町に行けない >>380
網走→生田原(JR)
生田原(北海道北見バス清里線)
→遠軽厚生病院
遠軽厚生病院(佐呂間町ふれあいバス)
→佐呂間バスターミナル
遠軽厚生病院直行/月・水・金曜日/週3日運行 まあ、そんな面倒なことをしなくても
佐呂間ふれあいバス
網走線に乗れば良い >>383
曜日指定があって
北見、遠軽、網走線で使い分けるしかない
土日は運休なので、タクシー等が現実的だろうね 事故るのは、本州からの人が多いとか。
やはり、のんびり鉄道旅行が気楽でいいのに。 自転車だと廃線跡のオホーツクサイクリングロード
自動車の乗入れがないから快適で安全だよ サイクリングロードと秋の能取湖のサンゴ草の「赤い絨毯」との対比が
とても綺麗。 サイクリングロードと言っても、メンテされていない所もあるので要注意ね。
天北線跡は熊出没中で閉鎖
旭川神居古潭跡は崩落で通行止め
夕張鉄道跡は金欠で放棄されて熊の巣窟
などなど。 勇猛線。
素直に書くと、上記のような文字が出てきてしまう。 網走駅0番線。ホームの切れ端からひっそりと旅立つ・・・・・・・ 網走あたりは紅葉になりにくい。理由は分からないが。 サンゴソウ見たいなと思いつつ、時期を逃してはや10年。
気がつけば冬。
アホじゃw 現在も湧別町から委託管理されている方々
明るく接してくれて、施設を綺麗に維持して、気持ちよく利用できる環境にあるのには、本当に頭が下がります。 旧名寄本線紋別駅の近くに祖父さんの友達が住んでいる。
二人とも93歳。
凄すぎる。 >>407
計呂地駅の方々も80越えてる
皆さん凄いよね 能取湖は季節により淡水〜汽水だったのを、人工的に開削して、現在はほぼ海水。
サロマ湖も開削でしょ。 サロマ湖は2箇所で人工的に海と繋げて海水とほぼ同じの塩分濃度にした。 一種どころじゃないw
宍道湖でもやってる。岡山でも児島湖を作った。
最近有明湾でやって裁判になって国が漁民と農民の間で板挟み。
ちなみに自然現象でもよく起こること。
今の砂州で結ばれた地形は簡単にその姿を変える。 宍道湖は塩分濃度は薄いけど、海水が混じっている。そのため、本来は海の
魚のスズキが獲れる。スズキの奉書焼きというのを現地で食べた。
あと、ウナギのタタキなども。
中海というのが近くにあって、鳥取出身の男に訊いたら「あれは海みたいな
ものですよ」という回答だった。
網走湖は真水に近いが、オホーツク海から水が逆流して、アザラシが流されて
きたこともあった。カレイは生息しているとの事。 呼人あたりの風景が好き。冬の網走湖はワカサギ釣りのテントが散見していて
平和的な光景が広がる。 まずは毎日運行の路線バスを何が何でも再開させないといけない せっかくの景色のいいエリアだけに不便さが本当に惜しまれる。 しかしドライバーが集まらない。北の果ての悲劇。
まあ、そういうこっちゃ。 >>437
「運転手は君だ車掌は僕だ
あ〜との五人は…」 ホタテもカキも大きいのが特徴。この地方のを食べる
と他の地域のが物足りないと思うかも。 廃止された時、まだ国鉄だったんだ・・・・・・・・・ >>455さんが資金集めて観光鉄道で
復活させてケロ 同じことを思う人は、やはり結構いるんだろうな。
景色が素晴らしいのは分かるだけに、いやはや。 >>458
日本人と外国人の感性が同じと思わない方がよい 網走発8時42分。中湧別着11時05分。ここから先、どうしようか。
中湧別から湧別までの列車は1日2往復。少なすぎる・・・・・・・・・ 存続していたら「好きな路線ベスト10」にランクイン確実 国鉄湧網線かぁ〜、懐かしいなぁ!
1976年から1980年くらいまではよく乗ったし、最初は乗り潰しの走破で乗って暫くすると
乗り潰しとは別にゆっくり乗って降りたい駅で下車して北海道の雄大な景色を眺めているだけで
満足していたあのころ。下り急行大雪5号が網走駅へ7:52に到着すると8:30発の湧網線に
乗って中湧別〜興部〜雄武〜北見枝幸〜浜頓別を湧網線〜名寄本線〜興浜南線〜宗谷バス〜
興浜北線〜天北線と走破して稚内に19時半くらいに到着して急行利尻を宿代わりにしてた。
ひと通り走破すると特に予定も決めず、急行大雪5号が網走駅へ到着すると湧網線を乗り歩くか
釧網線を乗り歩くか気分次第で決めて動いていたけど1981年に就職すると大手企業でさえ、
完全週休二日制がまだなので長期の休みは取れず、週休二日制が施行された1988年では既に
目当てのローカル線も消えて旧型客車の定期普通列車も無くなり、更に道内特急の食堂車さえも
消えて暫し、ローカル線離れするようになった。
約2年前に還暦を迎えて定年退職するとシーズンオフの春(5月中旬〜下旬)か秋(10月)
に10日間ばかりの旅で往復フェリーに車を積んで道内の景勝地や観光地に温泉を巡りながら
昔よく乗った想い出のある廃止になったローカル線を尋ねるようになった。 >>466
これぞ旅行者の鑑ですなあ、素晴らしく壮大な旅。 >>466
今では味わえないいい旅をしましたね。
自分も当時、常呂から浜頓別まで湧網線,名寄本線,興浜南線,北線を乗り継いだが車内は生活感
が濃かった。相席の地元の方からスルメイカをもらったり、中湧別では子供たちから気さくに声を
かけてもらったり、会話の多い旅だった。周遊券の下車印や硬券入場券を見るたびに当時をよく
思い出す。
今では物理的にはゆったりでスマホいじりながらの旅となったが当時には遠く及ばない。
自分も1979年に就職。今年の3月に定年退職した。インターバルなして転職したが常呂、計呂地
など廃線跡でも当時を辿る旅を時間作れれば是非行きたい。 >>469
お疲れ様です。常呂は流氷の時期に私も是非訪れたいですね。 >>466.469
いい時代ですね
うらやましい
こういう旅をしてみたかったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています