軽便鉄道2
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
数少ない現役路線、消えた路線、想い出話や保存されている車輛の話題などなど ナローが急曲線しきやすいんじゃなくて軽便鉄道法がゆるかったんじゃないのか? >>807
軽便鉄道法下の標準軌(1435mm)もあるんだが。 >>808
それのことを言ってるんだけど日本語大丈夫? >>811
塩江は地方鉄道だった。
日本語大丈夫?って何? 草軽特別興味なかったんだけど、軽井沢の駅で実物見たら模型ほしくなっちった ジェフリーとか、なんで草軽はいれたんだろうね?
鉱山の様な建築限界があるような所ならではの運転台の低さ狭さなのに。 廉かった以外の理由無いと思うよ。
工事現場終われば処分対象だろうし、しかし電気機関車は軽便鉄道が新品で買うには高い。
やはり無理があるので、先台車を追加したり側面に錘を追加したり色々としてるでしょう。
安物買いで現場じゃ飼い慣らすのに苦労してる。 電車は新軽井沢口のローカル折り返し専属みたいな存在だったし
それもフルに活用できなかった感じ
(でなけりゃ戦後すぐの輸送力が求められた時代、栃尾鉄道に一部売ったりしないでしょ) 流石に草軽沿線まで買い出しに来る輩は少ないんじゃないか。
硫黄の出荷だって減るだろうし、観光地の敗戦直後は暇だったのでは?
機関車の居住性の悪さは語り草であったというし、拘りは謎といえば謎。
線路追従性は電車用台車の方が上でしょう。
混合列車が常であれば、貨物理由でも判るが・・・。 カブトムシが生きながらえたのは持ち前の低重心で
草軽の劣悪な道床に対応できたからだよ
「開業以来バラストを補充していないんじゃないか」と当時のファンに疑われるレベルだし、
ほとんど土に埋もれた枕木に、たるんだレールの継目の写真を見ればさもありなん
>>816が言ってるような改造は原型に設計的な欠陥があったからした訳ではない
脱線が頻発するような保線状況を改善するのではなく、車両側で対応した結果
約56kmの保線を改善するより9両の機関車を改造した方が楽だと考えたんだろう
居住性改善のためか、デキ21を凸形に改造したけど高重心のため持て余し早々に売却、
電車を導入するもこれも重心が高く全線の運用を諦めるとか、アホかと
(写真が残ってるので三笠以北に入線実績がない訳ではないらしいが)
開業以来劣化する一方の貧弱な路盤にテコ入れはしない、
高い石炭から安い電力に切り替えてコスト削減したい、という欲張りな方針(ビンボーが悪い)に
中古の工事用電気機関車で対応したのは見事な泥縄経営だと思う いや、ホギー車が追従できないような線路であれば、客車も無理だろという事でしょ?
ホギー車の追従能力が草軽の電気機関車に劣るなんて言い訳が信じられないって話。 >>822
重心の問題だと例をあげて説明したつもりなんだが……
大体、草軽の電車はいわゆる雨宮タイプの板台枠台車で
イコライザーが付いて無いから線路への追従能力は2軸のデキと大差無いぞ イコライザーはむしろ速度領域の問題になるだろう。
実際問題、あれだけカーブの連発になる勾配路線じゃ
山岳区間では電車本来のスピードも期待できない。
軽井沢口のフリークエントサービスに電車を使ってた史実の方が、輸送需要にも即していたろう。
また、脱線が日常茶飯事だったという路線だから
電車よりは、台車枠そのものに先輪付けて動かしてるようなデキの方が
人力頼りの脱線復旧もやりやすかったんじゃないか。 あーだこーだ推測してるところ申し訳ないが
正解はこれだな
ttp://blog.livedoor.jp/tetsudoseinen/archives/48623840.html
運転士の証言は、
「重心が高く下りのカーブで怖かった。」
「草軽では唯一のエアブレーキ装備車だったが、草軽の急勾配・急カーブにはハンドブレーキの方が使いやすかった。」
だってさ。 >>826
またすごいHPだな。
ってこの人俺何十年も昔に会ったことあるわw
面影変わっっちゃって・・・・w 俺もかw >>821
>>高い石炭から安い電力に切り替えて
終戦後なら理解できるが、大正時代でも同じことが言えたの?
他の地方を見ても、戦前はまだまだ蒸機・ガソリンが幅を利かせていたハズですが。 宮城県登米市の「仙北鉄道展」に行ってきた。場所は古い街並みにのある登米でなくかつての佐沼だった。瀬峰駅から数すくない市民バスで30分(100円)でかつての廃線跡に沿って走ったが流石に何も痕跡はなかった。
スイッチバックの米谷(まいや)駅もバスターミナルになって駅舎が残っていた終点登米駅も近年解体されたそうです。 >>829
充分な裏付けはなくて、仮説。
草津温泉の電化と関係するのではないだろうか。
如何に山奥とはいえランプで営業できるわけではなかろう。
草軽は配送電事業も兼営していたんですよ。電化はオマケで、戦前は線路に沿って送電線が引かれていた筈・・・。
開業時は普通の軽便だったんですよ。コッペルをはじめ何両もの蒸気機関車を運用していた。
ひょっとすると、これが使い物にならなくての電化なんじゃないかって思い始めています。
そうなると重心重視説も裏付けが出てくる。
電化があまりにも古くて、理由が判らない。草軽は他の軽便のパターンが当てはまらない。 学研によれば乗客増の波に乗り電化とあるがどうなんだろ?
ttp://rekigun.net/original/travel/kusakaru/kusakaru01.html
二度上の名の由来も「列車を分割しないと登らなかったから」っていう説があるし
40‰の急勾配をコッペルが登るのはいかにもキツそうだ
翌年に草津延伸を控えて好調な経営、
廉価な電気機関車も調達できそうなので思い切って電化、って感じ?
官報でも読まないとはっきりはわからないな
電化の計画があって電気機関車を調達したのか、
機関車を入手したので電化したのか、ちょっと怪しい気がするけど
>>831
開業時のコッペルも工事用の中古なんだね
線形の件と言い、本当に金が無いんだな >>832
官報は開業、廃止の事実が載っているだけで、見てもそんなことは分からないよ。
単純に非電化でスタートしたものの、非力さに気が付いて、すぐ電化したとか。 >>830
仙北鉄道といえば大手軽便鉄道の雄ですね。
軽便鉄道で一つのジャンルとされていますが、大手私鉄と地方私鉄を分ける様に軽便も少し気を配って良いかと思います。
仙北は1067ミリへの改軌も検討されたほどの路線ですから、立派ですよね。
鉱山も無いのにこの車両と設備は誇ってよいかと思います。最後の気動車は軽便の常識を超えている。 草軽の電気機関車は硫黄鉱山で説明がつきそうな気がします。時代を遡れば遡るほどに硫黄の出荷は盛んであった様です。
交換設備も限られるので混合列車が多かった事でしょう。電車以外は全て混合列車だったのではないでしょうか。
そもそも、目的地とした草津温泉ですが、どう考えても沼田方面から入る方が合理的ですよね。
軽井沢から敷こうという目論見は、最初から硫黄も運ぶつもりではないか。後の電化でも貨物列車ありきであった筈。
その沼田方向から上流へと遡る吾妻軌道が興味深い。馬車鉄道から始まり草軽の後を追う様に電化しているが、草軽の成功が影響したのは確実でしょう。
ただ吾妻は762ミリでは珍しい路面電車スタイルの電車となった。
元馬車鉄道ですから、軌道状況は同時期の草軽よりも悪かった可能性が高い。草軽はそれまで蒸気機関車が走っていたのです。
この車両の差は、硫黄輸送の有無から来るものではないでしょうか。
そこから考えると、草軽機関車の低重心は結果的に良かったけど、電化時に意図して求めたかどうかは判りませんね。
電気機関車が欲しかったけど、当時は中古で買える機関車はトンネル工事用しかなかった。買ってみたら低過ぎる重心が思いのほか使い良かった。
元の軌道が悪かったからというより、低重心に甘えて悪い軌道が許された?
そういう流れではないかと思います。 >>836
RMライブラリーのあとがきに
「草津温泉から長野原方面へのルートも考えられた様であるが、
川を渡る困難さから遠い軽井沢方面へ出ることになった」とあるね
草軽創業当時、渋川は馬車軌道しか来ておらず、官営鉄道の軽井沢を目指した、
というのも理由に考えられないでしょうか?
吾妻軌道の電化に関しては草軽の影響もあるかもしれないけど、
乗り入れ先の利根軌道の電化計画に引っ張られた面も大きいと思います
電化のモデルが花巻電鉄とのことだけど、どちらも温泉が目的地なのは面白いね 温泉地ってだいたい行きにくいところにあるからな
そういう鉄道はたくさんあるぞ 利根軌道も、さらにいえば花巻も、草軽の事は横目で見ていたと思います。
草津温泉って江戸時代から温泉業界ではビッグネームですよ。
温泉ってなぜか歴史が綴られ難いんですよね。
旅館同士の意地の張り合いとかあるんでしょうね。 軽便鉄道の発想は現在のLRTに受け継がれているのかなーと思う。 >>831
大正13年の電化は大正12(13?)に吾妻川電力(東信電力系)の傘下になったのが大きいのでは?
吾妻川電力は大正14年から水力発電を開始しているが、
建設資材の輸送に嬬恋まで開業している草軽に目をつけたのだと思う
買収したものの「ラッパ煙突(雨宮製蒸気?)」の機関車は非力だったので、
電化して貨物輸送に本腰を入れよう→水力発電の工事軌道で使われていたELを中古で導入
まあ電力会社の系列が微妙に違うんですが(東京電燈系から東信電力系へ移籍)
これならば電化の流れも自然じゃないでしょうか?
今井発電所が発電する大正14年8月までの10か月はどこから電力の供給を受けたかわからんのですが、
地理的に後に事業を譲渡される草津水力電気(大正8年送電開始)でしょうか? >>836
草軽は折からの軽便鉄道ブームで起業してるけど、
・高崎から渋川まで路面電車、中之条まで馬車軌道、草津まで30kmの悪路を
4,5人乗りの馬車(小走り程度の速さ)で移動という、草津までの遠路(草津街道経由)の打開
・信越本線で東京直結の軽井沢と高崎までが遠い中之条の起点としての魅力の差
・信越本線開業後賑わいを見せる沓掛街道の鉄道化
・別荘地として賑わう軽井沢からの資本出資
・中之条までの30kmより軽井沢までの55kmの方が沿線の開発が進んでいないので土地が安い(推測)+架橋費用を圧縮できる
こうした理由が複合して沓掛街道経由になったんだと思う
特許出願時の沓掛起点を(軽井沢の)出資者の圧力で軽井沢起点に変更したりしているし、
それ以前の測量開始時は草津側から順次開業の計画(この時点では草津資本が大勢か?)だったことを考えると
資本的に軽井沢は無視できなかったんでしょう 硫黄鉱山から離れたくは無かったのかも。
草軽とは別に中之条方向から762ミリの硫黄輸送軌道が伸びてきていたという話もあります。
動力は確認できず、おそらく馬力。
接続せずに軌道も短命であったらしいのですが、結ばれていたらどうなっていたことやら。 >>843
これとは別の路線ですか?
http://yamaiga.com/rail/joshin/main.html
戦時の未成線です
なお、戦後に草軽(というか東急)が買収を試みています あとこの論文も興味深いです。
http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/Ronso/414/ogawa.pdf
草軽軽便鉄道と吾妻温泉馬車軌道は敵対していたことが伺えます
(湯治客を奪い合う関係)
草軽側はちょうど経営破綻した吾妻牧場を入手し、
広大な敷地を線路敷と別荘地に転用、開発しています
また、軽便鉄道なので工費は公金の補助が投入されています
(実際にそれを当てにして敷設したという証言もある)
路線長が長くなっても構わない(土地は入手済み)ので、
トンネルなし、架橋費用の圧縮を図った、あの蛇行したルートになったわけですね
対して併用軌道の吾妻温泉馬車軌道は馬車道(牛馬道よりは広い)に
併用軌道を敷設するため、自費での道路拡幅、架橋を国(内務省)に要求され
管理者の群馬県が内務省をとりなして最低限の改良に留めるなど
資金的にも不利な状況が伺えます >>843
草軽の計画が始まった明治末期の時点では吾妻鉱山は発見直後で、
本格的な採掘は大正中期以降
測量時点では硫黄鉱山のことは考えていないと思われます
大正5年の草軽の株主総会でも、今後の貨物需要の見込みは
「木炭(当時の吾妻の主要産業)、温泉水から取れる硫黄、木材、一般貨物の増加が期待される」
とただの一般貨物程度で、数年後に需要が飛躍的に伸びる鉱山からの硫黄及び精錬用石炭、
水量発電用の貨物輸送の需要が全く予想されていません
硫黄鉱山、水力発電開発はかなりの急ピッチで大正年間に進んだと考えるべきでは?
(明治末の創業時の予想需要は純粋に旅客が主) ≫844
違う路線らしい。
南側にかなり離れて、全体としては並行している。
どの資料で見たのか思い出せないのだが・・・ 芥川龍之介の世界でもあるな。
運賃はいつどこで払うのかとか、経営が知りたいな。 豆相人車鉄道が多分こんな路線だったと思う。
グネグネのアップダウン。
歩いてくる人と衝突すると駄目だなら口笛吹いてるのかな?
昔の日本の人車鉄道はどうしてたんだろ?
鐘や鈴が鳴るようになってたのか?
それとも口笛やったんかな? 模型とラジオ 1956年6月号の表紙は西武園のおとぎ列車 別スレで簡易軌道のことを今で言うコミュニティバスという表現してたけど、言い得て妙だなと思います。 希望をもってつくられた簡易軌道
希望を消すまいとつくられたコミュバス 戦前、既に各地の軽便軌道はバスとの競争に押されて廃止されてたりしたんだけどな。
朝倉軌道とか。戦争で燃料の供給が厳しくなることがなければ、多くの軽便がもっと早く廃止されていた。 NHKの地方の放送局にNHKの古い映像を無料で見れるコーナーがあるよ。
そこに貴重な簡易軌道の映像やら馬車軌道のもあったよ。
暇なときに行ってみたらどうかな? 小出しにするなら著作権切れてるんだしちゃんとスキャンして公開してくれ
デジタル万引きじゃないんだから 最近デジカメの使い方をやっと覚えたジジイに高度なお願いは無理 シーケンシャルに全部スキャンして公開しろって言うなら
国会図書館にでも頼めよw 小出しと言われるのが良く解らないが
どれだけ出せば良いの? フラッシュが壊れたとか苦しい言い訳する小出し爺のことですね>鉄屑
本人さん必死だな >>832
定山渓鉄道も石山越えで列車の分割をしてたようだ。
頂上付近に先行貨車用の留置線があったとか。
この鉄道も軽便法による開業のはず。 >>858
簡易軌道が北海道の植民軌道を指すなら大半は貨物輸送が主目的だから
こじつけるとしたら宅配便だろ >>892
高校社会科(地理)教師だった俺の父親(故人)には通じたよ。
父親は別に鉄オタでも何でもない。 >>887
正しく確かに「けいべん」だが、一般庶民が「けいびん」と呼んでいた地域もあるんだよ。
元々、郵便が「ゆうびん」なので、そう連想したというのも頷ける。
歴史的な経緯も知らずに、強ち誤読と片づけない方がいい。 一般の人でも理解できる名称がいい
例えば軽便から大便小便の便を取って軽鉄道とか
で、軽便は軽便法に絡む場合のみに限定して使用する このスレタイでは人来ないな。
ナローゲージとか語句混ぜとかないと。 >>886
遅まきながら、それ行ってきたわ。
話しとしては、鉄道路線が建設された経緯あたりがメインで車両面といったところの話しは無かったね。
RMライブラリとかだとは違った切り口なんで鉄としてはちと肩透かしかな? >>895
沖縄以外では知らんが
「言葉は変化するもの」「方言だ」理論でただの誤りを擁護して定着させていくとろくなことにならんぞ レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。