寿都鉄道【1日0.5往復】
>>99 拓鉄の日本鉄道史上最長ストとか、開業前だが建設時のタコ部屋労働者雇用とかね。
根室は、最後まで沢山(客車の定員を考えたら相対的に、だが)人が乗っていて旅客の要望もあっての発展的バス化だし・・・ >>100
そういえば昔、鉄道何とかリアルとかいう雑誌に、
岩内線と寿都鉄道とを比較する記事があったね。
規模や条件などが割と似ているこの二路線を比べ、
その中にあって大きく違う部分を考察することで、
国鉄と民鉄との違いに関し論ずる、
そんな記事だったと思う。
その記事における結論等はすっかり忘れてしまったのだが…
誰か知っている方はおられますか? 先日の北海道新聞に、寿都町が現在保有する
寿都鉄道株をこの度、廃棄する記事があったはずなんだが
いつの記事か忘れてしまった。
たしか見出しは「まだ持ってたの」でなかったか。
そして、長万部町も同社株式を今年度廃棄するとか書いてあったはず。
株主てことは営業報告とかもらっていて保管しているのかな。そっちがきになる
それもあっても廃棄するってことだわな
株券、官公庁オークションにかければいいのに >>105 まったくその通り。
失礼ながら、寿都町をはじめとする、株所有の各自治体は、人口少ないんだから暇だろ。
何故、今まで営業報告書や株券を、放置(敢えてそういわせて頂く)マニヤや資料を探している人向けに競売にかけなかっんだ。
それどころか、ヌケヌケとこの不況、財源難のご時世に廃棄とは・・・
役人の怠慢どころか、地域住民に対する背任行為だな。 保守がてら。
長万部町保有の寿都鉄道株って、額面で10万円分らしいね。 >>108
こりゃいいや
国鉄時代の付録DVDに収録されていた寿都の8105が大変良かった
撮影者の注文に応じて機関士が嬉しそうに走らせてくれた下りが特に。 「すっつ」と読むと思っていたら、「すつてつだう」だった。 最終的には、片道1本しか営業運行してなかったから。 プレス・アイゼンバーンが本を出版してますよね。それなりに写真はあるのでは? >>118 あんな社史みたいな立派な気合の入った作り(表紙大きさ)にしないで
簡素化してもう少し安くして多くの人に後世まで存在を伝えるべきだよな。 >>120みたいなの、どこにでも必ずいるよなw
クラス集合写真で一人だけ異常にデブとか横向いてるとか目を閉じてしまったとか、あと当日休んでしまい
右上の片隅あたりに顔だけのヤツみたいになw うん、いるいる
自分では何も出来ず、人の批判をすることにしか自身の存在価値を見いだせないヤツ
君のまわりにも居るっしょ >>121 >>122 助け舟有難う。 >>120は、プレス エーゼン関係若しくは当事者そのものかと・・・・。 正しく1日1本常に同一方向!!(復路は回送)
純粋に国鉄買収(用地)による廃業保障利権温存のためだな。 切符って片道しか用意してないんだろか。余りまくりで問題は無かったんだろうが。 黒松内発券の乗車券でバスに乗れたんじゃ内科医?
と推測してみる。その時代だとワンマンカーではないだろうし。 >>135 素晴らしい動画を有難うございます。
白黒の所為もあるかも知れませんが、機関車の状態が意外とよく手入れされているように見えました。
ココは、機関車の大きな整備(ジャッキアップ伴うような作業)でも自社でこなしていたのですかね?
やはり西濃のB6が国鉄(浜松工)に出していたみたいに国鉄にだしていたのですかね。
それとも、道内の比較的有力な私鉄他社(定鉄や夕張)若しくは道内車両メーカー 泰和とか の出張工事とかだったのですかね? 最後の頃、機関士さんたちが「ひまだね〜」と言っている写真が道新に載っていた。
時間があったから、機関車を磨いていたのかな?
末期に無煙化を止め逆行したのは何故。
安価に廃業他社の石炭でも引き取ったの? >>138
出発しようとする機関車に石炭が積まれてなかったのが末期の状態。
ディーゼル機関車では除雪できないから、無煙化は不可能だった。
以下の雑誌に元社員の思い出話が色々と載っている。
ttp://homepage3.nifty.com/minami-siribesi/contents/osirase.htm
>>139
買ってきた
石炭を毎日1トンづつ買っていた話など読み応えあり 会社が傾き始めている状態を
従業員の皆さんはどのように感じていたのだろうか? >>141
早めに見切りつけて辞めた人が退職金もらえて良かったみたいですね。
残った人は給料も退職金も不払いで大変だったようで。
産業がなくなった結果として鉄道もなくなるんだから
潰しもクソも、仕事の口があるわけないだろ
アホなの? 末期の職場は荒んでいたんだろうなあ・・
時代は下って、野上電鉄の廃止直前のドキュメントを大阪の民放で流していたが
やはり「頑張ってもこの先何も無い」という喪失感が充満していた
寿都もこんな感じだったのだろうか 確かに大阪万博等 高度経済成長もヤマ場超え情報や流通も格段に変貌した
昭和40年代半ば働く人々のモチベーションも落ちていただろうな。
でも、おそらく当時はマダ古参の職員(困難な戦前、戦中を経験)した人々も多く在職していただろうから
バブルを過ぎた頃 現代っ子若手職員の多い職場になって廃業した野上ほど荒れては居なかったのでは?(冷やかし葬式鉄もさほど湧いて 感情を逆撫でしてないだろうし)
・・・寿都は、以外にも裕福な定鉄より名義上は、長生きだし 運炭で羽振りの良かった夕張をはじめとする運炭の廃業や斜陽も同時期だし
格別悲壮感というわけでは・・・但し 軒並みの廃業で同業他社への転職を困難だったと思う。 >147
>運炭の廃業や斜陽も同時期だし
それ故に「周りも同じ」と諦めムードあったのかも。 長いこと車両は(運行管理も?)国鉄だったり臨港線買収後は実は留萌管内走ってないとか
あとDR101CLとかケハ501・502とか独特の車両多いよね
>>150 留萌は気動車が茨城交通に嫁いだからそれほど謎が多い気はしないんじゃないかな?
寿都は比較的道央寄りながら末期1本が災いしたのか情報が少ない確かに謎だ。
北海道拓殖や根室拓殖(車両が奇抜で話題に挙がりやすい所為か近年情報が発掘?) 茅沼炭鉱の電車(特に) とかのほうが、謎でしょ。 個人的には真狩村営軌道が一番謎w
一応内燃化もされたらしいが写真を一度も見たこと無い >>153 通だな・・・戦後も存在した路線ですよね?
存在すら知らなかった・・・・不覚。
私鉄ではないが、道内車両メーカーについて深く記述のある文献がないよな。
・・・そんな中 銀竜号の田井自動車が今も自動車整備業者として実在するのが驚きだが・・・。 >>154
1936開業(馬力)→1938内燃化→1954廃止
だそうな…そりゃ記録無いな>真狩
車両メーカーは昔ピクで特集やった時に名前と略歴と代表作にさらっと触れた位かな
通常号で全国のメーカー扱ったから仕方ないけど
あと基本的に「鉄道」車両メーカーの特集だったから田井自動車とかは載ってなかったはず >>154
>内車両メーカーについて深く記述のある文献がないよな
10年まえのファンに小樽の橋本鉄工所の記事があったな >>156 無知承知でスマン!
ソコは簡易軌道のの自走客車製作とか道内鉄道会社にそれなりに改造とか実績あるの?
憶測だが十勝鉄道あたり取引あるそうな・・・
泰和車輌・釧路製作所・運輸工業 この3社 +旭川鉄道同志社が、一般に道内メーカーだと思っていたのだが・・・
田井自動車による根室拓殖の2両は、引き受けるメーカーや予算、資材の無い時代の産物かと。 >>156
>156
「小樽の機関車メーカーものがたり」NO.499、501(2002年11月号、2003年1月号)
残念ながら戦前戦中の蒸気機関車しか製造してなくて王子製紙とか森林鉄道や軍に納入している。現在機関車が王子製紙苫小牧工場に保存されている。
あと道内のメーカーとして中山機械(札幌)、内燃関係は他に札幌車両工務所、本多鉄工所、札幌交通機械、夕張製作所の名をあげている
是非一読のほど 何気なく買った「北海道アルカリ天然水」というミネラルウォーターの
採水地が「北海道寿都郡黒松内町」になっていた。
寿都、黒松内という文字をみて「ああ・・・」と思い出してしまった。 そうだね、黒松内という地名見ると速効で寿都鉄道を連想するわ 北海道の軽便やローカル私鉄の実態は凄まじいものがあったんだな
労働環境、職場の士気、線路や車両、駅の整備状態とか
今ではとても考えられない
寿都もかなり謎めいた鉄道の一つだけど、
なんどかこのスレにも出てる北海道拓殖鉄道も、長期間スト(それでもほとんど影響はでなかったとか)、異様な低賃金とか
相当に現場は荒んだ雰囲気だったんだろうな 落ちるぞ・・・
>>161
その時に現場に出向いた鉄道ファンは感じ取れなかったのかな。
最近、末期の筑豊炭田の失業者のすさまじさを記したノンフィクションを読む機会があったのだが、貝島とか聞き覚えのある炭鉱名がちらほら出てくるんだよ。
様々なレポートが残されてるだろ。蒸気機関車だけではなくて社会派的なルポルタージュという視点から写真集を残した鉄道ファンはいないのかな。
写真の片隅に移る機関士、鉄道員、そして一般の人々の暮らしは目に入らなかったのだろうか。
誌的な表現に昇華している例はいくつかあるけど、そんなんじゃねえだろ。
基隆炭鉱だって現地人はくたびれ果てているだろ。揃いも揃って機関車のケツばかり追いかけまわしやがって。 >>162
かつて「蒸気機関車」誌に常磐の「重内炭礦専用線」のルポ記事があったね。
もっともこれも趣味師の領域内での社会派ルポルタージュであってやはり叙情的にまとめられたグラフ記事ではあった。、しかし晩年の廃線になる炭礦の重々しさ
を若干でも表現してあったかも。 >>162
>>163
蒸気機関車誌に「廃煙」という映画シナリオが載った時があったね。
瀬野八の無煙化前夜が舞台で、
D52乗務員たちの苦悩が描かれていた社会派ドラマだった。
一般誌ではないがプロレタリア文学全集の類に国鉄の職場を描いたものがあって、
いくつか読んだ記憶がある。
当時はどの職場でも文芸活動が盛んで、
探れば色々面白い読み物が出てくるのではないかな。 問題は現代のレベルと単純に比べてしまうこと
当時の平均的な労働者の生活を描いた作品も読むべし ttp://homepage3.nifty.com/minami-siribesi/contents/suttu_tetudousaigo.htm >167
そのリンク先にある
>NHKニュースでは「まぼろしの西海岸鉄道」という特集が組まれ
の映像が見てみたいなぁ。
NHKの事だから、支局に残ってそうだ。 167の映像は、カラーの寿都鉄道の動画が映ってる。 漫画ゴラクの新連載で寿都町が取り上げられてたのでいろいろ調べて見たらこ
の町にかつて鉄道が走っていたのを初めて知った >>170
蒼太マニアの方ですね
「黒松内」という地名でこの鉄道を思い出す人もここにいます。 寿都出身の田舎娘が主人公の漫画を見る事になるとは思わなかった。
「ビューだね!」にはコケたけどw 「すっつ」と思ってったけど、正しくは「すつ」なんだね。 読みは「すっつ」で合ってるけどね。
田舎かつ昔の事とは言え、なんであんな表記だったんだろ http://www1.ocn.ne.jp/~suttutnk/
ツアー申し込み、今日が締め切りです。 俺地元だけど「すつっっうう〜」って皆いっとるよ。
「すつ」は電信用語っしょ? 関係ないがいまやたらと出てくるみのもんたのラジオのアシスタントの
出身地が「寿都」と聞いて、そこだけ気になった。
唯一の有名人か? 南波の娘さんだね。
漫画家の本庄敬も出身者だよ。
有名人ではないか・・・。 そうですかね
ちょっと考えりゃ往復のどちらか片方が客扱いしないことくらい想像つきますけど? >>189
”片道一本”よりずっと目をひく。
スレタイの付け方がうまいよね 営業しない事の意味が判らないと言えば判らないな・・・・。
何か経費削減の要素、あるか?片道営業。 >>192
Wikipediaによれば
>末期には1日に1往復であったが黒松内駅は国鉄の臨時列車があるときはホームが使用できず黒松内行きは旅客扱いをしないという有様であった
だそうな なるほどw
ホームから乗れなければ営業もしにくい訳だ。
臨時列車とはいえ、確約できなければ法律面でまずい事も起こるだろう。
国鉄も酷い事をする。 >>193>>194 開業当時とか、それなり繁盛していたのに 黒松内には自前の構内が
無かったのか? にわかに、信じがたい・・・
地元民に対する公共性とかの観点からも、国鉄(本来国民の利益に供するべきように配慮すべき)の臨時列車の影響で黒松内ゆきの運行が出来ないなんて
どういうこと?
そもそも 昔の中小地方私鉄っていうのは、国鉄OBの天下り先で ナアナアで車両不足、事故、災害等 経営上 困窮する事態に遭遇してもある程度コネで援助、協力が得られる筈なのだが・・・
この会社 国鉄を余程 怒らせる事でもしでかしたの? 開業当初から赤字続きで補助金だのみ、戦後はその補助金も大幅削減。戦前は冬になれば道路は積雪で橇で行くしかなかったけれど、戦後は除雪もされバスも運行できれば勝ち目はない
最近出た本で「鉄道会社と財務諸表2」に寿都鉄道が取り上げられているが、負債は増える一方で国鉄への連絡運賃の精算を運転資金に回してしまい国鉄への支払いが遅れるという不義理をしている。 戦前は指導責任がある監督官庁だったわけだし、国鉄になってからも中小私鉄は何かと目を配ってやらねば、という姿勢だった筈。
中の人の意識はそう簡単に変わる物じゃない。
とはいえ0.5往復には、国鉄の指導があったんだろうなあ。指導を受けるキッカケとして、とんでもない所で客を乗せている所が見つかって・・w しかし今やコヒが右肩下がりだっていうんだから何ともはや 1964年の時刻表を見たけど寿都発2本で黒松内発3本だからまえから旅客扱いしない列車はあったようだ。 >>196 連絡運輸運賃の使い込みは(気の毒にせざる得なかった)、山鹿温泉鉄道でもあったな。
寿都も北丹も 名目的なものだろうが、昭和40年代半ばまで生きながらえていたことになっている。(そういう諸手続きすら緩慢な体質、経営状態?)
なら山鹿温泉みたいに、マダ日本中が十分豊かになりきっていない(悪く 云えば 働いている人々の勝ち負けがハッキリしていない時代)昭和30年代半ばに廃止になった方が働いている人たちのためにも良かったのかもしれない! 寿都も町に鉱山があったみたいだけど、
ここは運炭や鉱山輸送を主目的に敷設した鉄道じゃないよ。
ニシンの輸送が目的
北海道拓殖鉄道や根室拓殖鉄道と共に道内では、珍しい純旅客輸送目的の地方私鉄 >ニシンの輸送が目的
>道内では、珍しい純旅客輸送目的の地方私鉄
何だって? 会社が傾くと同様に
社員のモチベーションも落ちて行ったのかな 既出だがここは何かと謎めいた会社で、
まだネットが普及していない時期に自分なりにいろいろ調べてみようと図書館に行ったり
大型書店で専門書の取り寄せを試みたりとかなりのめり込んでいた時期があった。
2000年頃にルポライターの方が地方新聞のサイトでお書きになった考察記事が一番印象にあるのだが、
本にはなってないみたい。返す返すも残念。 >>207 失礼な!開業時は、ニシンの輸送で繁盛したらしい
戦時中も物資調達は困窮しただろうが、貨車の重量制限?割り増し特認を受けたくらいだから
ソコソコ繁盛したでしょ。 >>211
>ソコソコ繁盛したでしょ
戦前は貨物が年間1.5千トンから3万トンで営業損益毎年赤字で政府補助金と拓殖補助金を毎年もらっていたのに そいえばグランデに鉄道会社と財務諸表2というマニア本がおいてあって戦後の寿都鉄道をとりあげていたな 往復のうち片方回送って異常に効率の悪い運用してたんだな 効率なんて関係ないんですよ。乗客はゼロでもかまわない。
国鉄新線建設のために、用地買収して欲しい。その時に廃業と営業では補償の出し方がまるで違う。
だから、営業の体裁を維持し続ける必要があるから、本当に最低限の客扱いをしていた。 つまりバスの「免許維持路線」的な存在だったわけか
休日1日1往復の路線とかあってそれに乗車目的で訪れるバスマニアがいる
京都バスなんか年1回春分の日しか運行しないとか凄まじい路線がある >>217 バスの免許維持路線って定期乗車券あるのかね? 実に優雅な木造客車がいた。
模型化が難しい。側面の凸凹の関係からして理解不能だ。
丸ごと模型化できそうで、8100以外となるとハードルが想像以上に高いのが寿都。 株主総会なんてものは開かれたのかしら?
凄まじく悪い業績を報告する機会がなかったのかな >>197 とんでもない処に旅客を乗せて・・・
昭和30年代だとマダ大手も含めて混雑時ドア開けっ放し走行とか屋根上乗車
機関車デッキ等に旅客が鈴なり乗車の写真を散見するけどな。
どんな事が問題になったのかスゴイ気になる。 トロッコが好きだった少年が客車のデッキから落ちて死んだのは1980年代だったな 自分が生まれる前に廃止されてしまったから縁もゆかりもないが
妙に興味をひかれて学生時代夏休みに現地で廃線跡トレースをしたことがあったが
記念碑的なものが当時は一切なくてまるで地元にとって記憶から消し去りたい歴史なのかと
こっちが訝しんでしまうくらいに何も顕彰する雰囲気がなかった >>227
同じ感想を抱いた者です。
戦前に廃止された路線でさえ碑文が残ってるというのになぜ、全くないのか
程度の差こそあれ、地元にさまざまな恩恵を齎した事実は否定できないと思いますが。。。 それを帳消しにする何かがあったのでは?
ただの臆測にすぎないがね。 明らかにされない方がロマンがあって良いという人もいる RMライブアリーで取り上げるとしたら 山鹿、北丹、野上、有田に次ぐ最期悲劇の地方私鉄
だな。昔 交友社から寿都鉄道をテーマにした本があつたけど、入手難だし(当時の同好者を
考えると部数も期待できない)高価だろうから是非ともRMで扱い取り挙げて欲しい。 >>102
> 鉄道何とかリアルとかいう雑誌
鉄道ピクトリアルですか?
寿都と言えば漁業の町。当然貨物列車で魚を運んだと思うのですが、魚油で線路がギトギトになって滑ったりしなかったのか…と心配 鮮魚は鉄道運搬に向いてないと思うのだが
どうだろう 最盛期の1946年
4往復
橇を牽くより鉄道の方が効率よかったんでしょう
https://i.imgur.com/QK6kL3N.jpg >>234 冷蔵車等の冷蔵設備がないと、鮮魚の輸送、保存は難しい。短時間であればともかく、当時の列車で急いでも寿都から札幌まで半日はかかるだろ。
輸送するなら干物にしてからだね。 237の言う通り、
寿都は北前船の頃から
身欠きニシン(干物)がメインでしょう
大量生産するための加工場、
加工品を輸送する鉄道 不漁のときもあっただろうに
農業なら凶作不作でも来年回復できる見込みがあるが
漁業は数年サイクルといわれるし、またサイクルがないものもあるというし、
海産物を当て込んだ鉄道経営は結構綱渡りみたいなとこがあったのな 北海道のニシンに関しては研究多過ぎではっきりしてると思う。
数年サイクルではない。建設時には処理に困るほど獲れていたものがバッタリ来なくなった。
これを、先を読めというのは難しかろう。
単一の目的のために建設された鉄道が構造的に弱いというのは確かだが。鉱山鉄道とか。 汽船が大半の頃、
船が着岸できる浅瀬のある場所は、重要な中間拠点となる。
寿都もニシンの水揚げ、加工出来る事に特化した港の一つ
船同士での積み替えや集荷は、大型船が着岸できる港が限られてしまう
また、航路では都市への移動距離が延びてしまう。
必然的に鉄道が建設されるに至るが、漁獲量の減少は読めなかっただろうね。
https://i.imgur.com/o9iC9dJ.jpg 魚粉肥料と沃度原料が需給とも消滅することを予測するなんて
化学工業と農業の死滅を予測するようなもんだぞ
想像もつかんというか、そんときゃ国が終わるから想像してもしょうがねえって感覚だろ モノカルチャー経済みたいな地域は不安定なんだ。
北海道には多い。 >>242
そりゃ昭和30年代は鉱山関連が新卒の人気企業だったからなぁ・・・ そばを流れる朱太川が大雨になるとたまに氾濫して線路を傷めたらしい
が、その都度地元民が無償奉仕で復旧を手伝っていた
中にはなけなしの金を叩いて寄付金を持ち込む村民もいたという
「おらが村の鉄道はおら達で守るっぞ!」という心意気があったみたい
やる気無しで一貫してた経営陣とはずいぶん対照的だと思った >>246
時系列で整理し直したほうが良いと思う。
>やる気無しで一貫してた経営陣
末期だけだろ。
妙な階級闘争始めるなよ。 今日までのあらゆる歴史は、階級闘争の歴史である。
今日までのあらゆる階級闘争の歴史は、敗北の歴史である。
勝手に決めるなあ〜!
このスレは、団塊老害老人しかいねえのか。
階級闘争なんて言葉、日常に出てこねえよ。
>>246の偏見も相当だな。 246はひどいなw
昔246みたいな作り話が流行った時代があったような気がする。
寿都は町だから、黒松内の人の事なんだろうな…おらが村の・・・w 力がない会社も、支えようという人もいただろう。
それを表現するのにステレオタイプな美談仕立てにする必要がどこにある?
それは史実を歪めて伝えるだけだ。まあ一次情報になど当たってないんだろうが。 1960年代まで田舎の道は未舗装だらけ山道は狭くてクネクネ
やはり地方の小私鉄が生き残れたのはこの年代辺りまで
80年代まで生き延びた会社も支線は60年代末で廃止している >>257
今もコロナ絡みで花盛りよ
これは国民性の問題なのか? 島牧の組合長もごみくそだがそれよりも寿都の町長のが超ごみくそでヤバイな頭いかれてるんか? >>261
多額の原発関連助成金が出るので、寿都鉄道が復活するかもしれませんよw
もしかしたら複線電化で復活するかもw 寿都の町では使い切れないほどの金が国から降ってくるからな。
寿都鉄道だけでなく、岩内まで伸ばそう。 ジョークにしても、空しくなるね。
ど田舎にお金を掴ませたらイカンよ
竹下内閣のときのふるさと創生交付金で金塊を買ったアホな役場があったことを思い出した。
誰も乗らない鉄道とか、誰も通らない橋とか、
そんなことはさせてはならない >>265
金は価値が極端に下落することは無いから、金塊を買ったのはアホじゃないよ
アホなのは維持費の掛かる建物を造ったところ
もっとアホなのは宝くじを買って一億円をさらに増やそう目論んだが、高額当選が無く金を減らしただけのところ 鉄ヲタとしては助成金で寿都鉄道復活プロジェクトを組まれたし >>267
ネット掲示板なら笑い話だが
これが役場では大真面目に考えられかねないのが恐ろしいところ
役人、議員は自分の懐が傷まないのを良いことに好き勝手やるから許せない 寿都は当て字と思うが、寿と都を持ってくるなんて
いいセンスしてるなあと感心した
あ、これは鉄道は関係ないかw 使いきれないほど金が入るのは確実だし、長万部−小樽間は新幹線札幌延伸時には廃止になるから、
長万部−黒松内間を購入して、黒松内−寿都町役場西側まで新設すればよい
風力発電ができるほど風が強いことを考慮し、黒松内の中継所南から寿都町役場西側手前まではトンネル(ホームだけトンネル外)
長万部(乗り場2つ)−長万部高速BT−二股(棒駅だけど続行運転させるため絶対信号機設置)−黒松内(乗り場3つ等)−黒松中ノ川−湯別(交換駅)−寿都(乗り場2つ)
黒松内に車庫と工場
軌道回路検知式特殊自動閉塞
普通の気動車というか上周りはキハ22 600番台ほぼそのまま(区分棚と車掌室・貴重品箱なし)
下周りはキハ150を近代化したもの
それと除雪用気動車(キヤ291) 自治体の生き残りも、いかに手早く金蔓を見つけるかが勝負の分かれ目なのね 寿都鉄道復活は今後50年は無いだろうが、仮にあったとしても片道一本の朝専用通学列車になる予感 仮にまた豊漁になったとしてももはや人々はニシンを口にしないでしょう
魚離れは止まらないよ
サンマもそうなりつつある まあ当時から
獲れた魚をすべて人間が食べてたわけではないけどね 金回りが苦しい中で石炭とか油とかどうやって買えてたんだろ
掛け売りでもしてくれる小売がいたのかな
かつて鉄道業の信用は大きかったという話は聞いたことがあるが ある大手私鉄の創業期
各駅の出札から日銭かき集めて支払いに回していたとの話なら聞いたことがある ニシンを満載した貨車からニシン油がレールに滴り落ちて、列車がスリップして難儀したとかいう都市伝説?は本当なんだろうか?
今にして思えば贅沢な悩みといったところか ニシン御殿など立てられるのは、あとのことを考えていないということ
再生を考えず、今だけ良ければ良いとして、取れるだけ取ってしまたため
いずれ破綻する時がくるでしょう
種芋まで食べてしまったようなもの
原発も同じ
後のことを何も考えていない
最初の金を取ったら、国は食いついたハブと同じで絶対に引き下がらない
そんなに世の中甘くない
ちなみに、本当に最終埋め立てが日本にできるなら、寿都でよければそれはそれで大歓迎
原発稼働してしまった以上、どこかに造らなくてはならないから
世界ではフィンランドくらいしか正式に最終埋め立て地が決まっていないと聞きました
(間違っていたらすみません)
今も昔も、将来のことを深刻に考えていないようにしか思えないです
ちなみに、寿都鉄道再建を最終埋め立て地に確定する条件にしたら、
本当に寿都鉄道はできると思います >>159
黒松内には「北限のブナ林」があるから
近年は水で売り出してるんよ 本当に寿都鉄道復活したら、マジですごい
可能性は、0.1%あるか? 国が、何か政策的なヤバい施設を作るときは、
その補助金の額の量は半端ではない
原発関係がよく知られているが、それだけではないと思う
防衛関係の特別施設とかもその可能性
原発は一度麻薬的な補助金漬けになると、ばその自治体は自主的に抜けることは困難
だから、原発2号機3号機…、となって、原発銀座状態になり、補助金が継続される
その補助金で、あり得ない箱モノをたくさん作るとか
本当は、全町民村民に線量計などを渡して、
緊急時の教育の充実や避難訓練含む施設や避難経路を強力に確保するとかすべきなのに
そちらは手薄だらけ
原子力船の時も似ているらしい
たまたま原発関係が表になったが、他も基本同じでしょう(軍事基地など)
その金額があれば、余裕でJR北海道を、その町長村長の生きている程度の年月なら十二分に維持できる
いずれにしても、国や道が、総合的な政策として何か行う引き換えに、
であれば、可能性は皆無ではない、と思う
少し論点がずれましたため、sageで、ここまでにしたいです
ずれて申し訳ございません なるほどね
そうやって寿都鉄道を看板にするかはともかく密かな国営化や延命工作が出来なくもない この会社を舞台にしたドラマなんか作れないかな
特に末期の金欠に陥った断末魔の叫びみたいな描き方で… >>300
青木先生なら一度は題材にしてみたくなる会社だったかも知れないね 現在も残ってたら高レベル放射性廃棄物輸送に挑戦できたのに
JR貨物が放射性物質の輸送に挑戦した事例がないか
海外では核燃料の鉄道輸送の実績がある 例えば、国が防衛や緊急時の輸送を見直して、本当に鉄道が要と判断したらあり得るでしょう
もちろん核燃料輸送なども同じ
本気度による
長万部−函館も同じで、国策的に要となれば国鉄復活する
ただし、あくまで国策レベルのため、一般の旅客輸送どうこうなどは二の次三の次、あるいは実施しないもあり
貨物だけもあるし、軍事関係が最優先等になると、陸上自衛隊管理で機密上時刻表どころか地図から消える可能性
核燃料輸送専門とかになると、近づくだけでも困難とか(マニ30の撮影とかに似ている?)