寿都鉄道【1日0.5往復】
営業最末期は片道1本のみの運行した寿都鉄道。
水害が原因で昭和46(1971)年廃止に廃止となったが
既に昭和42(1967)年に営業休止と
休止から廃止まで4年と長い期間を要し国鉄買収を夢見たローカル鉄道・・・ >>3
当然いるだろうけど、お歳は間違いなく40歳以上、
ちなみに、8mmやカラー写真で現役時代を記録している人とか
皆無だろうな。当時は白黒写真のフィルムでも結構な値段だし、
8mmなんて高嶺の花 でも昭和30年代に北海道まで鉄道撮影にいくような人は
実家が裕福な人ばっかだったんじゃないの? >>5
沖縄が返還される72年までは北海道がいわゆる学生のバカンス先だったよ、
北海道ワイド周遊切符片手に急行八甲田で北海道に渡った若者が結構いた。
しかし、あくまで観光目的だから寿都鉄道へ物見遊山で行ったのはヲタくらいだろうな。
しかも、0.5往復のダイヤ改正前は2往復しか走っていなかった状態だから少ないでしょう 私鉄車両めぐり特輯(要は後世の再発行本のその後の変化補足記述)では、
休止前 上り列車1本のみになっていたらしいけどどう云う事?
どう考えても、下りが皆無だと不合理だし(・・・一日上下いずれか片便なら
解るんだけど・・・・)
古典ロコ軽便スレに書いたら、なんでもクレクレするなって呵られたからさぁ〜
だれか、事情とか辻褄の疑問に答えて頂けません?
途中で、蒸気機関車を淘汰せず、折角購入したディーゼル機関車を一両売却しているけど
これなんか明らかに、背に腹は・・・みたいな気がするのだけど・・・
あと、北海道では 北海道拓殖鉄道も結構 建設時のタコ部屋労働とか、長期
労働争議ストとか、結構荒んだ鉄道会社みたいな印象受けるんだヨな。
個人的憶測だけど、同じ野垂れ死にでも、山鹿温泉は湯口さんが、レールバス
物語りで触れているように、改造レールバスに補助車輪つけたり、マメと云うか
少なくとも建設的な運営を目指していた様な・・・・勿論 国鉄との連絡運輸
代金不払い・新潟鉄工車両代金の件とかあるけど・・・何より国鉄による買い上げ
とか、そんな理由だけでカタチだけの延命策図ったりしていない。好感持てる。 >>7
1日片道1便=復路は貨物取り扱いのみ(旅客扱いを実施しない)
この鉄道、紙(書類上)の最終日と本当に最後の運行となった日が
一致していない(不明状態)
会社解散で資料散逸、もう現役時代の真実を知っている人は他界していると
思うから、未だに真実は謎のまま。
アメリカ製蒸機って工作精度が低くて
すぐダメになるっていわれてるけど
全然そんなこと無いんだよね
要はメンテの問題であって >>10 俺は、蒸機なら アメリカ型が好き。・・・東野1・2が子供の絵みたいな
機関車でカワイイから気になったのがきっかけ。
イギリス型A8・B6等とかが、恰好イイのは理屈では判っているのだが・・・・
粗暴と云うか、荒削りなデザイン・他国のものと大きく異なるデザイン・しかし
メーカーがアルコ・ボールドウィン・ポータ−等異なっても 赤いナンバープレート
等共通のアイディンティティと分類マニアの食指をそそる。
それにしても 寿都の8105・8108共に2代目は、可哀想な野垂れ死の最期だな。
道内一裕福だった私鉄 定鉄から貧乏家へ左遷と云い・・・・。
ところで、例外的にユーザー都合で散見する、アメリカ製のイギリス型
(例えば小名浜C507)って評判どうだったの? イギリス製との決定的な違いは?
また他国例えば、イギリスやアメリカ 本国でもこういう事例あるのですか?
>>7
末期は鉄道と平行する路線バスも運行していた。
寿都駅〜中の川駅〜黒松内駅〜国縫駅
後に北海道中央バス→ニセコバスに路線は譲渡された。
もと相模鉄道キハ101 出身のユニ1の姿がマトモに掲載されている文献って知りません?
元東海道本線 急行用客車で3軸ボギー車の オハ8518って 当線には、アンバランス
な気がするのだが、軌道負担・曲線通過等問題なかったの?・・・まぁ いずれにして
もこの客車も可哀想な最期だったな。 >>9
>1日片道1便=復路は貨物取り扱いのみ(旅客扱いを実施しない)
ただ、実際は往復ともに客車は付いていたから、運がよければ乗せてもらえたことも。
(そもそも片道が回送扱いなのは労使問題で旅客輸送を片道廃止すれば
給料の賃下げの口実に出来るという思惑もあった模様)
昔はこの辺、大らかでよかった。 片道(上り)のみ 旅客列車設定って 下り旅各列車消滅時 国鉄から
社線内着の乗車券は、販売できないとか?
そもそも連絡運輸業務が廃止されていた?
黒松内駅での出札業務も廃止?
まさかと思うけど、定期乗車券や回数乗車券の発売はQ1、勿論
改正以前より(所持していた人居ただろうか?)には、どのよう
救済策が執られたQ2のかな?この会社の事だから
A1「片道しか列車ないよそれでも善いの?(実際 定期券・回数券の
常備は既に廃棄とか?) バスに乗った方が善いですよ」
A2「すいません 有効期間内はバスそのまま乗って頂けます」
法規上はどうか?しらないが 現場レベルの対応は、実際こんなモノだろうか?
>16
井笠とか、バス転換後も連絡乗車券を発券していた事を考えると、
そのまま連絡運輸は継続していたと思われる。 >>16
正直、不明だけど、憶測ですまないけど
既に自社の鉄道代替バスが走っていたから
改正前に定期を持っている乗客は救済措置としてバスにも乗車できたんじゃない?
有鉄の場合も末期は2往復だったけど鉄道とバスの両方使用可能の定期券だった。
すれ違いながら有鉄も5往復時代には朝の便で定期券を運転士に見せていたリーマンがいてた
さすがに2往復時代になるとそういうリーマンは見かけなかったわ
寿都も2往復時代に定期券利用者がいたんだろうか?ついでに言うと
神岡鉄道も末期は定期券や回数券ってあったのかな? 鉄道統計年報のコピーをもっていたのでひっぱりだしてみると、昭和42年度は定期
は無しになっているな。翌年度は未提出。昭和44年度は休止中 >>18
神岡は末期に回数券の在庫が切れかかったので、ヲタの趣味購入をNGにしていた。 誰か当時のダイヤって持っていない?
鉄道廃線跡を歩くにも少し書いているけど如何せん読みにくい。
>>21
交通公社時刻表1964年2月
S39.1.16改正
下り
黒松内発/中ノ川発/後別発/樽岸発/寿都着
630/632/651/706/720
930/942/1001/1016/1030
1135/1147/1206/1221/1235
1445/1457/1516/1531/1545
1615/1630/1651/1704/1715(太字、太字は列車)
1935/1951/2010/2026/2040
上り
黒松内着/中ノ川発/後別発/樽岸発/寿都発
600/548/529/514/500
710/658/639/624/610
1045/1033/1014/959/945
1400/1348/1309/1314/1300(後別発は誤植かと1329が正当と思われます)
1545/1535/1520/1510/1500(太字、太字は列車)
1745/1734/1715/1704/1650 交通公社1968.2
上り
715/723/746/757
925/933/954/1005
1025/1033/1054/1105
1140/1148/1209/1220
1435/1443/1504/1515
1620/1635/1709/1720(バス)
1735/1743/1804/1815
1805/1813/1834/1845
2020/2028/2049/2100
円40/120/150
黒松内駅○連/中ノ川/樽岸/寿都
下り
640/632/611/600
715/707/646/635
830/820/801/750
1040/1032/1011/1000
1410/1402/1341/1330
1540/1532/1511/1500
1642/1634/1611/1600
1900/1852/1831/1820 訂正します
1969.1は
>>23と同じ時刻ですがバスマークになっています
路盤流出で代替になっていたと思われます
次の手持ち時刻表1969.5からは一切記述がありません、地図からも消えています(1970.10まで確認) 時刻表上では以上の通りですが、末期の実態がどうだったのかは
よくわかりませんね
1956.12より
S31.11.19改正
黒松内−寿都○連
(寿都鉄道)
1135/1152/1211/1223/1235
1320/1330/1344/1353/1402
1635/1652/1711/1723/1735
1945/2002/2021/2033/2045
粁3.9/9.9/13.3/16.5
円30/70/100/120
発黒松内○連着/〃中ノ川発/〃湯別〃/〃樽岸〃/着寿都発
1010/957/937/923/910
1125/1115/1101/1052/1043
1510/1457/1437/1423/1410
1900/1847/1827/1813/1800
左表の他バス○非
黒松内発寿都行
630.930.1925
寿都発黒松内行
425.615.1600
駅名訂正 後別ー>湯別でした
425で寿都を出ると、
118列車 黒松内540(始発駅)->函館1035
123列車 黒松内602(長万部530発)->小樽956
に到着します この鉄道末期はレールの状態ひどかったみたいだね。
枕木が腐って、犬釘抜けて、その上をSLが走っている写真が
「寿都鉄道」にのっている。 私鉄車両めぐり特輯の 寿都鉄道の記事の書き出しで触れられている グラフ誌
「太陽」の当鉄道取材記事を以前古本屋で観た。高度経済成長に置いて逝かれ
弱り切った鉄道会社にあまりも、辛らつな記述だった・・・
確か機関士も年輩者だった。会社の姿勢はともかく、働いている人の気持を察して
取材して欲しいよな。・・・悪い事していた訳じゃ無いのだから・・・
腹が立つのを、通り越して非常に哀しかった。 >>22さん大変手間を掛けさせて、ありがとうございます。
>>27
山陰中央鉄道の広瀬線もかなりやばげな状態だったとか
なので運輸省から運行停止命令が下る直前に廃止したらしいね。
(町民が存続運動を展開するも4年目で急遽廃止を受け入れたらしいが)
全国各地のローカル線の保線状態は今以上の惨状かと この時期の道内時刻表ではどういう記述になっているのだろうか?
ぜひ、見てみたい
交通公社の時刻表には路盤流出のあと、代替バスがあったはずなのに
1969春ぐらいから無くなっている
現在のJR時刻表には寿都−黒松内−長万部(ニセコバス)は載っています
今は寿都5:55に出発すると>>26より早く小樽、函館に着きます
道路、バス、線路、気動車が良くなったからでしょうね >>18
有鉄はJR連絡乗車券で自社線内(鉄道・バス)の選択乗車制度があった。
但しこの制度、JR側の規定(連規)には一切記述が無く、社線側の一方的処置。
末期は連絡運輸を廃止、藤並駅JR側出札も放置プレイ。乗車券を発売しなかった。
連絡運輸があった頃は、JR出札で□西記号入りの社線内相互発着の硬券を発売していた。
スレ違いなのでsage 藤並の最末期は知らんが平成の時代でもJRホーム隣接の掘立て小屋で有田線内の軟券売ってたな。 >>32
ハイモ180が導入され、従来の富士急からきたキハ58が引退した頃には
窓口は閉じていたと思われ。
そういや、寿都鉄道の場合寿都駅や黒松内駅では切符を売っていたんだろうか?
当然、当時は客車だからワンマン列車のように直接運賃投入でなく添乗している車掌に
切符は渡すやり方だろうけど(無人駅から乗車したら社内補充券だよね)
黒松内駅も数年前に完全無人化になって悲惨・・・ 個人的先入観イメージなのだが、再起の悲惨な私鉄のなかでは、
寿都って 俺的にはかなり暗いイメージがある。・・・北の地だからだろうか?
山鹿も 事業者の前向き姿勢に反して2度の水害に遭う・・・気の毒、痛い
野上も 当然? 職員の対応・社内が荒れていたような。
しかし不思議と 北丹にはそういうイメージ 俺は感じないんだよナ・・・自分でも解らないが・・・
寿都は町ごと滅んでいったからね。ニシンが人を呼び鉄道を敷かせ、ニシンが消えて町も鉄道も消えた。
北の海に向かう鉄道というのも重苦しい。 北丹は最後は惨めな最期だったけど、後年北近畿タンゴ鉄道宮福線
としてかつての夢が叶ったからじゃい?
しかし、何を持って悲惨とか個人個人の主観があるから何ともいえないな。
客観的な杓子とかあるんだろうか?京福の永平寺線も悲惨なグループに入るが、
海和歌山港線の和歌山港〜水軒はどうなんだろう?
それに叡山電鉄も京阪が延伸するまでにいろいろ辛酸を舐めてきている。 >>36
そもそも北海道ほぼ全土(札幌以外)が徐々に衰退していっているからね。
かつて、黒いダイヤモンドや農林水産業関係の貨物が満載で
本土へ運んでいっていたのが嘘みたい。
水上勉の「飢餓海峡」(社会派ミステリー小説)
に寿都電鉄が登場する
岩内(小説中岩幌)の質屋一家強盗殺人放火犯は、函館に出て青函連絡船沈没事故
(洞爺丸遭難事故、小説中では層雲丸)に遭遇し、救助の消防団を偽ってボロ船で
本州へ逃亡するという話
犯人が函館に出るまでにどういう経路をたどったかというところで寿都電鉄が
可能性のひとつとして浮上する。(実際は岩内線を使ったと推測された)
この小説を中学の時に読み寿都電鉄の存在を知った。
>>40
ありゃ そうですか、よく文庫本ありましたね
ちなみに「飢餓海峡」は早い時期から映像化もされていて
映画版は、内田吐夢監督 (犯人)三国廉太郎 (娼婦)左幸子 (刑事)判淳三郎・高倉健
TV版は、浦山桐朗監督 (犯人)山崎努 (娼婦)藤真利子 (刑事)若山富三郎・村野武範
どちらも名作中の名作です これらには寿都電鉄は出てこないけど 映画は岩内線の9600が出てきたかな。
青森に逃走した後、犯人が森林鉄道に乗った気がする。 原作小説は確かに時代を終戦直後に変えてはあるが、「寿都電鉄」って設定だったか?
当時の道南で函館市電以外の電車は大沼電鉄だけだったはずだが…… しかし電鉄(ちゃんと、電化した)だったら 寿都も何故か寂れた風情を感じなくなるな。
>44
「電鉄」でも、せいぜい大沼電鉄か羽後交通レベルの雰囲気でしょうな。 大沼電鉄ってヤツも、戦後復活して直ぐまた廃止されて訳判らない、曲者鉄道
だね。電鉄だけど、企業体力は寿都の方が廃止時点ではあったと云う事だね。
北海道って、何気に路面電車も含めると戦前から私鉄電車ソコソコあったよね。 しかし都市の電車はわかるけど大沼はなんでわざわざ電化開業したんだろう?
そんなに本数もなかっただろうし。 >>47
大沼電鉄に点いては函館博物館の研究誌に論文がでている。
市立函館博物館友の会とぐぐれば市立函館博物館研究紀要9号及び10号に「大沼電鉄の足跡」があるからPDFをダウンロードすればよろし >48
いいものをありがとう。
後でゆっくり読みます。 >>47
旧型の気動車(機械式)は総括制御ができない。
機械式気動車で2両以上連結した場合、ウテシが2名以上いる。
最後まで機械式で2両以上連結した運用を持っていたのは鹿児島交通かと。
後ろのウテシは前のウテシの汽笛合図のみで操作していたから、
相当な熟練が必要だった。
>>50 ・・・って事は、江若の夏期輸送の3重・4重連は、とても大変だつたの?
この重連運転って後方の車は、機関の音で汽笛が聞き取れなくなるのでは・・・ 寿都でも江若でもないけど、ほかのスレでは
戦前のキハ42000は力行のON/OFFはブザーで連絡とりあってたとあるが。 >>50
オールドファンだらけのこの板では釈迦に説法だぞ
それに大沼って確か鋼製だけど直接制御の単車じゃなかったか? >>53
木造も居ましたけど
どっちにしても直接制御の単車で
多客時は客車増結でしたね。 大沼廃線後、茨城交通と富山地鉄にいったけどどっちもぱっとしなかった晩年みた
いね。
雑誌見たけど茨交は車庫にいるやつばかりだし、富山地鉄は写真も無い 上巻を読み終えた段階でエロ中学生(当時)に「寿都鉄道と飢餓海峡の関係」について小一時間、詰問したいのだが。 「飢餓海峡」には寿都鉄道の名前しか出てこないよね。
他に、寿都鉄道が出てくる文学作品あるのかしら?
>>45氏
私も同論文読んでみます。
ありがとうございました。
・・・なんでこんな文章の存在ご存知なんでしょう・・・(笑)
鉄は恐ろしい・・・(笑) >>50
南薩キハ(キユニ・キニ)100は液体式ですよ〜。
確かに総括制御はできんかったけど。 >>60 鉄道運営時代に任期が在った人?何時 最近ですか? まあ 故人情報になるなら
詳細は、マズイのかもしれないが・・・ >>61
> 故人情報になるなら
詳細は、マズイのかもしれないが・・・
別に公表してもいいのでは?社長さんの告別式やら新聞のお悔やみ欄に
かいているでしょ。長谷川町子のようによほど故人が死亡したことを
周囲に知られたくなければ不味いだろうけど 昨日、全国放送で寿都がでていたけど、寿都鉄道の話題はナシ。 とうとうネタが尽きたんだろうか。
正直現役時代に乗ったことのある人はおろか、
見たことのある人も少なそうだし。
「寿」という文字には、本来めでたいとか、良いイメージがある筈なのだが、
俺は、寿都鉄道 や 横浜寿町を、連想して 悲惨なイメージを抱いてしまうな。 寿命ってのもめでたいのかそうでないのか良くわからんな。 「寿都」という地名の当て字が空しいなあ……
「鬆津」(寂れて鬆(す)が入っている港)ってところじゃないか、今じゃ NHKで深夜にやってた「昭和のSL」で寿都の8108が出ていましたね。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
黒松内も無人化されて久しいでしょうが、最近の様子ご存知の方いますか?まだ昔の面影ありますか? 寿都鉄道には昭和27年と昭和29年に各一両ずつ東武鉄道から気動車が譲渡されていたみたいです。
昭和27年に譲渡されたのは成田鉄道から東武鉄道に転属したキサ11。寿都鉄道ではキハ1として使われていたみたいです。
昭和29年に譲渡されたのは北九州鉄道から東武鉄道に転属したキサ21。寿都鉄道ではハ21として使われていたみたいです。 キサ21 ガラクタながら、九州から北海道まで流れ着くとは凄い履歴だな。 寿都町には行ったことがあり、線路があった路盤は確認できました。
ここらへん汽車が走っていたという感触がありました。 >>76
大分交通のDLね
旭川通運に居たけど、残念ながら解体された模様。 客貨分離は、おろか無煙化達成できず
蒸機よりに追い出され釧路の丸彦建設に、嫁いだDB501は、何時絶命(多分だが・・・もしかして会社ごと跳んだとか・・・)? 手元に「北海道各線時刻表1955盛夏号」
国有鉄道監修・日本交通公社発行というのと、
「北海道各線時刻表1965,7」
国鉄監修・交通公社発行というのがあるのでみてみると。
30.6.1改正
黒松内・寿都間(連)(寿都鉄道)
黒松内発寿都行
〔17〕10:25、〔3〕11:25、〔5〕15:40、〔19〕19:40
寿都発黒松内行
〔16〕7:30、〔2〕10:00、〔4〕14:00、〔18〕17:30
黒松内〜寿都
所要60分、16.5キロ、100円 〔〕は列車番号
※上記の他バス運行(所要60分)
黒松内発寿都行 6:40・9:10・13:15・18:40
寿都発黒松内行 4:40・6:00・11:10・15:40
40.6.18改正
黒松内━寿都(連)(寿都鉄道)
黒松内発寿都行
〔21〕11:35、〔23〕16:15
寿都発黒松内行
〔20〕9:10
黒松内〜寿都
所要60分、16.5キロ、150円
※寿都鉄道バス便(40.6.18改正)
寿都駅前〜黒松内駅前〜大成局・国縫局
寿都駅前発黒松内駅前行 6:15、18:30
寿都駅前発大成局行 6:45、15:45
寿都駅前発国縫局行 8:15、14:30
黒松内駅前発寿都駅前行 7:15、(9:25、11:05、17:10、17:55)、19:55
※()は国縫発若しくは大成局発便黒松内駅発射時刻。
大成局発寿都駅前行 8:15、17:15
国縫局発寿都駅前行 9:55、16:10
○寿都〜黒松内 所要45分(国縫便のみ35分)130円
○寿都〜大成局 所要75分(黒松内で5分停車便)
所要115分(黒松内で35分停車便)210円
○寿都〜国縫局 所要95分(黒松内で5分停車便)230円
・寿都〜国縫局は全便湯別土谷通過、長万部駅前経由
寿都鉄道沿線に住んでいた親父が少年時代、機関士から「じゃが芋をくれたら乗せてやるぞ」と声を掛けられ芋を渡したら無料で乗せてくれたらしい。
釜があるから焼きイモにしたのだろう。
この板では触れられていないけど、昭和25年に正面衝突事故があって多数の人達が負傷した。 最近、どっかで、寿都鉄道の正面衝突事故のレスを読んだな
当時の新聞記事も含めたサイトも紹介してるスレのレスだったけど
どこだったっけ? >>82
「北海道の昔の鉄道の思い出を語ろう6!!」
↑板で「正面衝突事故があった」というカキコは私です。
親戚の方の話では、寿都の運動会に出場または見物するために乗車した大勢の子供達が負傷したそうです。
あと、中ノ川にあったコンクリート橋梁の付近の川で子供が溺れて亡くなったとか…鉄道とは直接関係ありませんが興味深い話が聞けました。 初めまして。通りすがりの者です。
私の鉄道趣味は昔から国鉄一辺倒のため、民鉄に疎く全く知識がないので、
どの程度の価値があるか、わかりません。
しかし、>>80さんのレスを見て、民鉄派のみなさんも
こんな趣味があるかも?と思いましたので、
とりあえず貼ってみます↓
43年10月改正(戦中です)
http://imepita.jp/20091016/101260
↑これは復刻されていない号なので、興味のある方がいらっしゃれば幸いです
ちなみに普段の私は、大抵こういうページしか読んでいません(同じ号)↓
http://imepita.jp/20091016/101540 昭和48〜50年頃に中ノ川でテレビドラマのロケが行われ、旧中ノ川の駅舎が登場したらしい。
幼少の自分もこのドラマを見たのだが、うる覚えながら古ぼけた建物が出たことは覚えている。
そういえば、この頃は中ノ川の橋梁も残っていたなぁ。後年、川の拡張工事により川が移動し埋め立てられてしまった。 寿都鉄道で国鉄からC12を借りて運行したことがあると、
20年以上前の北海道新聞「読者の声」欄の元職員の方の投稿を
読んだ記憶があるのですが、いつ頃のことなんですかね。
>>86
京極線も出ているのですね。
のちの胆振線は、この時期、京極〜喜茂別は胆振鉄道で、
喜茂別〜伊達紋別は胆振縦貫鉄道という私鉄(昭19買収)でしたね。
胆振縦貫鉄道という会社、
当初は、伊達〜壮瞥〜旧大滝村〜喜茂別を経て、
札幌まで開通を目指して出来た会社だったといいます。
その下に、南小樽〜定山渓の自動車線が掲載されていますが、
この会社(小樽定山渓観光自動車)は、
朝里川温泉〜定山渓に自前の有料道路を持っていた会社の路線です。
連投失礼します。
>>80で昭和43年6月改正時刻を書き込んだのですが、
黒松内行20列車には、
ちゃんと島牧方面の永豊発寿都駅前行の中央バス便が接続していた
ようです。
話し変わって、
寿都鉄道は結局、鉄道廃止後バス事業のみ残したものの、
末期は労働組合の自主運行になって、
それでもままならなくて、中央バスに路線を売ってしまったそうですが、
洞爺湖電気鉄道のように、昭和14年頃から鉄道廃止を見越して、
バス9路線の免許取りや他社の買収をしてみるとか、
なんとかならんかったんですかね。
島牧村〜寿都駅前や岩内駅前〜寿都駅前すら取れなかったのだから、
仕方ないのでしょうか。
正面衝突の件は、私鉄車両めぐりの、同社蒸気機関車1・2(形式7170)
で触れられているね。
ココの客車で、オハ8518なる3軸ボギーの元一等客車が払下られているが、
非弱な当線には、オーバースペックな気がするのだが、軸重や車両限界等問題なかったのですか?
もう少し小型で新しめの客車(買収の雑型とか)にすれば良かった気がするのだが、場当たり対応というか、とにかく予算最優先の選択なのですか?
国鉄も国鉄のような気がする。 三軸ボギーはすごいw
でも昔の寿都って先進開発地域だったから
住民のプライドがそうさせてたりしてね 三軸なので線路への衝撃は小さいでしょう。一軸あたりの重量を考えてみてください。
まあ、車体がでかすぎというのは認めるw
でも譲渡されたころはこの大きさが時には必要だったのかもしれない。 >>89
昭和31年に自社の機関車故障で国鉄よりC12を借り入れ。
昭和24〜25年頃、除雪の為国鉄よりC11を借り入れ。
9600も入線したが、国鉄管理局より線路に対して重すぎるとお叱りを受けた。
いずれも「南後志をたずねて」ホームページより
三軸ホギーといえども明治の客車なので車体は小さい。 先日スカパーのヒストリーチャンネルで「蒸気機関車時代」という番組を
やっていたんだが、その北海道編で寿都鉄道が出てたよ。 ネコパブリッシング鰍フRMラブラリーで寿都鉄道を詳細に紹介する
らしいです 寿都と北海道拓殖って 根室拓殖より設備、規模 地理的条件どれも良さそうなのに何故か荒んだ最期なんだよな。
>>98
でも、拓鉄は、鉄道はともかく、
会社としては運送業者として残っているし、系列のバス会社も未だやっているんだから
根室拓殖や寿都よりも、いいんでは? >>99 拓鉄の日本鉄道史上最長ストとか、開業前だが建設時のタコ部屋労働者雇用とかね。
根室は、最後まで沢山(客車の定員を考えたら相対的に、だが)人が乗っていて旅客の要望もあっての発展的バス化だし・・・ >>100
そういえば昔、鉄道何とかリアルとかいう雑誌に、
岩内線と寿都鉄道とを比較する記事があったね。
規模や条件などが割と似ているこの二路線を比べ、
その中にあって大きく違う部分を考察することで、
国鉄と民鉄との違いに関し論ずる、
そんな記事だったと思う。
その記事における結論等はすっかり忘れてしまったのだが…
誰か知っている方はおられますか? 先日の北海道新聞に、寿都町が現在保有する
寿都鉄道株をこの度、廃棄する記事があったはずなんだが
いつの記事か忘れてしまった。
たしか見出しは「まだ持ってたの」でなかったか。
そして、長万部町も同社株式を今年度廃棄するとか書いてあったはず。
株主てことは営業報告とかもらっていて保管しているのかな。そっちがきになる
それもあっても廃棄するってことだわな
株券、官公庁オークションにかければいいのに >>105 まったくその通り。
失礼ながら、寿都町をはじめとする、株所有の各自治体は、人口少ないんだから暇だろ。
何故、今まで営業報告書や株券を、放置(敢えてそういわせて頂く)マニヤや資料を探している人向けに競売にかけなかっんだ。
それどころか、ヌケヌケとこの不況、財源難のご時世に廃棄とは・・・
役人の怠慢どころか、地域住民に対する背任行為だな。 保守がてら。
長万部町保有の寿都鉄道株って、額面で10万円分らしいね。 >>108
こりゃいいや
国鉄時代の付録DVDに収録されていた寿都の8105が大変良かった
撮影者の注文に応じて機関士が嬉しそうに走らせてくれた下りが特に。 「すっつ」と読むと思っていたら、「すつてつだう」だった。 最終的には、片道1本しか営業運行してなかったから。 プレス・アイゼンバーンが本を出版してますよね。それなりに写真はあるのでは? >>118 あんな社史みたいな立派な気合の入った作り(表紙大きさ)にしないで
簡素化してもう少し安くして多くの人に後世まで存在を伝えるべきだよな。 >>120みたいなの、どこにでも必ずいるよなw
クラス集合写真で一人だけ異常にデブとか横向いてるとか目を閉じてしまったとか、あと当日休んでしまい
右上の片隅あたりに顔だけのヤツみたいになw うん、いるいる
自分では何も出来ず、人の批判をすることにしか自身の存在価値を見いだせないヤツ
君のまわりにも居るっしょ >>121 >>122 助け舟有難う。 >>120は、プレス エーゼン関係若しくは当事者そのものかと・・・・。 正しく1日1本常に同一方向!!(復路は回送)
純粋に国鉄買収(用地)による廃業保障利権温存のためだな。 切符って片道しか用意してないんだろか。余りまくりで問題は無かったんだろうが。 黒松内発券の乗車券でバスに乗れたんじゃ内科医?
と推測してみる。その時代だとワンマンカーではないだろうし。 >>135 素晴らしい動画を有難うございます。
白黒の所為もあるかも知れませんが、機関車の状態が意外とよく手入れされているように見えました。
ココは、機関車の大きな整備(ジャッキアップ伴うような作業)でも自社でこなしていたのですかね?
やはり西濃のB6が国鉄(浜松工)に出していたみたいに国鉄にだしていたのですかね。
それとも、道内の比較的有力な私鉄他社(定鉄や夕張)若しくは道内車両メーカー 泰和とか の出張工事とかだったのですかね? 最後の頃、機関士さんたちが「ひまだね〜」と言っている写真が道新に載っていた。
時間があったから、機関車を磨いていたのかな?
末期に無煙化を止め逆行したのは何故。
安価に廃業他社の石炭でも引き取ったの? >>138
出発しようとする機関車に石炭が積まれてなかったのが末期の状態。
ディーゼル機関車では除雪できないから、無煙化は不可能だった。
以下の雑誌に元社員の思い出話が色々と載っている。
ttp://homepage3.nifty.com/minami-siribesi/contents/osirase.htm
>>139
買ってきた
石炭を毎日1トンづつ買っていた話など読み応えあり 会社が傾き始めている状態を
従業員の皆さんはどのように感じていたのだろうか? >>141
早めに見切りつけて辞めた人が退職金もらえて良かったみたいですね。
残った人は給料も退職金も不払いで大変だったようで。
産業がなくなった結果として鉄道もなくなるんだから
潰しもクソも、仕事の口があるわけないだろ
アホなの? 末期の職場は荒んでいたんだろうなあ・・
時代は下って、野上電鉄の廃止直前のドキュメントを大阪の民放で流していたが
やはり「頑張ってもこの先何も無い」という喪失感が充満していた
寿都もこんな感じだったのだろうか 確かに大阪万博等 高度経済成長もヤマ場超え情報や流通も格段に変貌した
昭和40年代半ば働く人々のモチベーションも落ちていただろうな。
でも、おそらく当時はマダ古参の職員(困難な戦前、戦中を経験)した人々も多く在職していただろうから
バブルを過ぎた頃 現代っ子若手職員の多い職場になって廃業した野上ほど荒れては居なかったのでは?(冷やかし葬式鉄もさほど湧いて 感情を逆撫でしてないだろうし)
・・・寿都は、以外にも裕福な定鉄より名義上は、長生きだし 運炭で羽振りの良かった夕張をはじめとする運炭の廃業や斜陽も同時期だし
格別悲壮感というわけでは・・・但し 軒並みの廃業で同業他社への転職を困難だったと思う。 >147
>運炭の廃業や斜陽も同時期だし
それ故に「周りも同じ」と諦めムードあったのかも。 長いこと車両は(運行管理も?)国鉄だったり臨港線買収後は実は留萌管内走ってないとか
あとDR101CLとかケハ501・502とか独特の車両多いよね
>>150 留萌は気動車が茨城交通に嫁いだからそれほど謎が多い気はしないんじゃないかな?
寿都は比較的道央寄りながら末期1本が災いしたのか情報が少ない確かに謎だ。
北海道拓殖や根室拓殖(車両が奇抜で話題に挙がりやすい所為か近年情報が発掘?) 茅沼炭鉱の電車(特に) とかのほうが、謎でしょ。 個人的には真狩村営軌道が一番謎w
一応内燃化もされたらしいが写真を一度も見たこと無い >>153 通だな・・・戦後も存在した路線ですよね?
存在すら知らなかった・・・・不覚。
私鉄ではないが、道内車両メーカーについて深く記述のある文献がないよな。
・・・そんな中 銀竜号の田井自動車が今も自動車整備業者として実在するのが驚きだが・・・。 >>154
1936開業(馬力)→1938内燃化→1954廃止
だそうな…そりゃ記録無いな>真狩
車両メーカーは昔ピクで特集やった時に名前と略歴と代表作にさらっと触れた位かな
通常号で全国のメーカー扱ったから仕方ないけど
あと基本的に「鉄道」車両メーカーの特集だったから田井自動車とかは載ってなかったはず >>154
>内車両メーカーについて深く記述のある文献がないよな
10年まえのファンに小樽の橋本鉄工所の記事があったな >>156 無知承知でスマン!
ソコは簡易軌道のの自走客車製作とか道内鉄道会社にそれなりに改造とか実績あるの?
憶測だが十勝鉄道あたり取引あるそうな・・・
泰和車輌・釧路製作所・運輸工業 この3社 +旭川鉄道同志社が、一般に道内メーカーだと思っていたのだが・・・
田井自動車による根室拓殖の2両は、引き受けるメーカーや予算、資材の無い時代の産物かと。 >>156
>156
「小樽の機関車メーカーものがたり」NO.499、501(2002年11月号、2003年1月号)
残念ながら戦前戦中の蒸気機関車しか製造してなくて王子製紙とか森林鉄道や軍に納入している。現在機関車が王子製紙苫小牧工場に保存されている。
あと道内のメーカーとして中山機械(札幌)、内燃関係は他に札幌車両工務所、本多鉄工所、札幌交通機械、夕張製作所の名をあげている
是非一読のほど 何気なく買った「北海道アルカリ天然水」というミネラルウォーターの
採水地が「北海道寿都郡黒松内町」になっていた。
寿都、黒松内という文字をみて「ああ・・・」と思い出してしまった。 そうだね、黒松内という地名見ると速効で寿都鉄道を連想するわ 北海道の軽便やローカル私鉄の実態は凄まじいものがあったんだな
労働環境、職場の士気、線路や車両、駅の整備状態とか
今ではとても考えられない
寿都もかなり謎めいた鉄道の一つだけど、
なんどかこのスレにも出てる北海道拓殖鉄道も、長期間スト(それでもほとんど影響はでなかったとか)、異様な低賃金とか
相当に現場は荒んだ雰囲気だったんだろうな 落ちるぞ・・・
>>161
その時に現場に出向いた鉄道ファンは感じ取れなかったのかな。
最近、末期の筑豊炭田の失業者のすさまじさを記したノンフィクションを読む機会があったのだが、貝島とか聞き覚えのある炭鉱名がちらほら出てくるんだよ。
様々なレポートが残されてるだろ。蒸気機関車だけではなくて社会派的なルポルタージュという視点から写真集を残した鉄道ファンはいないのかな。
写真の片隅に移る機関士、鉄道員、そして一般の人々の暮らしは目に入らなかったのだろうか。
誌的な表現に昇華している例はいくつかあるけど、そんなんじゃねえだろ。
基隆炭鉱だって現地人はくたびれ果てているだろ。揃いも揃って機関車のケツばかり追いかけまわしやがって。 >>162
かつて「蒸気機関車」誌に常磐の「重内炭礦専用線」のルポ記事があったね。
もっともこれも趣味師の領域内での社会派ルポルタージュであってやはり叙情的にまとめられたグラフ記事ではあった。、しかし晩年の廃線になる炭礦の重々しさ
を若干でも表現してあったかも。 >>162
>>163
蒸気機関車誌に「廃煙」という映画シナリオが載った時があったね。
瀬野八の無煙化前夜が舞台で、
D52乗務員たちの苦悩が描かれていた社会派ドラマだった。
一般誌ではないがプロレタリア文学全集の類に国鉄の職場を描いたものがあって、
いくつか読んだ記憶がある。
当時はどの職場でも文芸活動が盛んで、
探れば色々面白い読み物が出てくるのではないかな。 問題は現代のレベルと単純に比べてしまうこと
当時の平均的な労働者の生活を描いた作品も読むべし ttp://homepage3.nifty.com/minami-siribesi/contents/suttu_tetudousaigo.htm >167
そのリンク先にある
>NHKニュースでは「まぼろしの西海岸鉄道」という特集が組まれ
の映像が見てみたいなぁ。
NHKの事だから、支局に残ってそうだ。 167の映像は、カラーの寿都鉄道の動画が映ってる。 漫画ゴラクの新連載で寿都町が取り上げられてたのでいろいろ調べて見たらこ
の町にかつて鉄道が走っていたのを初めて知った >>170
蒼太マニアの方ですね
「黒松内」という地名でこの鉄道を思い出す人もここにいます。 寿都出身の田舎娘が主人公の漫画を見る事になるとは思わなかった。
「ビューだね!」にはコケたけどw 「すっつ」と思ってったけど、正しくは「すつ」なんだね。 読みは「すっつ」で合ってるけどね。
田舎かつ昔の事とは言え、なんであんな表記だったんだろ http://www1.ocn.ne.jp/~suttutnk/
ツアー申し込み、今日が締め切りです。 俺地元だけど「すつっっうう〜」って皆いっとるよ。
「すつ」は電信用語っしょ? 関係ないがいまやたらと出てくるみのもんたのラジオのアシスタントの
出身地が「寿都」と聞いて、そこだけ気になった。
唯一の有名人か? 南波の娘さんだね。
漫画家の本庄敬も出身者だよ。
有名人ではないか・・・。 そうですかね
ちょっと考えりゃ往復のどちらか片方が客扱いしないことくらい想像つきますけど? >>189
”片道一本”よりずっと目をひく。
スレタイの付け方がうまいよね 営業しない事の意味が判らないと言えば判らないな・・・・。
何か経費削減の要素、あるか?片道営業。 >>192
Wikipediaによれば
>末期には1日に1往復であったが黒松内駅は国鉄の臨時列車があるときはホームが使用できず黒松内行きは旅客扱いをしないという有様であった
だそうな なるほどw
ホームから乗れなければ営業もしにくい訳だ。
臨時列車とはいえ、確約できなければ法律面でまずい事も起こるだろう。
国鉄も酷い事をする。 >>193>>194 開業当時とか、それなり繁盛していたのに 黒松内には自前の構内が
無かったのか? にわかに、信じがたい・・・
地元民に対する公共性とかの観点からも、国鉄(本来国民の利益に供するべきように配慮すべき)の臨時列車の影響で黒松内ゆきの運行が出来ないなんて
どういうこと?
そもそも 昔の中小地方私鉄っていうのは、国鉄OBの天下り先で ナアナアで車両不足、事故、災害等 経営上 困窮する事態に遭遇してもある程度コネで援助、協力が得られる筈なのだが・・・
この会社 国鉄を余程 怒らせる事でもしでかしたの? 開業当初から赤字続きで補助金だのみ、戦後はその補助金も大幅削減。戦前は冬になれば道路は積雪で橇で行くしかなかったけれど、戦後は除雪もされバスも運行できれば勝ち目はない
最近出た本で「鉄道会社と財務諸表2」に寿都鉄道が取り上げられているが、負債は増える一方で国鉄への連絡運賃の精算を運転資金に回してしまい国鉄への支払いが遅れるという不義理をしている。 戦前は指導責任がある監督官庁だったわけだし、国鉄になってからも中小私鉄は何かと目を配ってやらねば、という姿勢だった筈。
中の人の意識はそう簡単に変わる物じゃない。
とはいえ0.5往復には、国鉄の指導があったんだろうなあ。指導を受けるキッカケとして、とんでもない所で客を乗せている所が見つかって・・w しかし今やコヒが右肩下がりだっていうんだから何ともはや 1964年の時刻表を見たけど寿都発2本で黒松内発3本だからまえから旅客扱いしない列車はあったようだ。 >>196 連絡運輸運賃の使い込みは(気の毒にせざる得なかった)、山鹿温泉鉄道でもあったな。
寿都も北丹も 名目的なものだろうが、昭和40年代半ばまで生きながらえていたことになっている。(そういう諸手続きすら緩慢な体質、経営状態?)
なら山鹿温泉みたいに、マダ日本中が十分豊かになりきっていない(悪く 云えば 働いている人々の勝ち負けがハッキリしていない時代)昭和30年代半ばに廃止になった方が働いている人たちのためにも良かったのかもしれない! 寿都も町に鉱山があったみたいだけど、
ここは運炭や鉱山輸送を主目的に敷設した鉄道じゃないよ。
ニシンの輸送が目的
北海道拓殖鉄道や根室拓殖鉄道と共に道内では、珍しい純旅客輸送目的の地方私鉄 >ニシンの輸送が目的
>道内では、珍しい純旅客輸送目的の地方私鉄
何だって? 会社が傾くと同様に
社員のモチベーションも落ちて行ったのかな 既出だがここは何かと謎めいた会社で、
まだネットが普及していない時期に自分なりにいろいろ調べてみようと図書館に行ったり
大型書店で専門書の取り寄せを試みたりとかなりのめり込んでいた時期があった。
2000年頃にルポライターの方が地方新聞のサイトでお書きになった考察記事が一番印象にあるのだが、
本にはなってないみたい。返す返すも残念。 >>207 失礼な!開業時は、ニシンの輸送で繁盛したらしい
戦時中も物資調達は困窮しただろうが、貨車の重量制限?割り増し特認を受けたくらいだから
ソコソコ繁盛したでしょ。 >>211
>ソコソコ繁盛したでしょ
戦前は貨物が年間1.5千トンから3万トンで営業損益毎年赤字で政府補助金と拓殖補助金を毎年もらっていたのに そいえばグランデに鉄道会社と財務諸表2というマニア本がおいてあって戦後の寿都鉄道をとりあげていたな 往復のうち片方回送って異常に効率の悪い運用してたんだな 効率なんて関係ないんですよ。乗客はゼロでもかまわない。
国鉄新線建設のために、用地買収して欲しい。その時に廃業と営業では補償の出し方がまるで違う。
だから、営業の体裁を維持し続ける必要があるから、本当に最低限の客扱いをしていた。 つまりバスの「免許維持路線」的な存在だったわけか
休日1日1往復の路線とかあってそれに乗車目的で訪れるバスマニアがいる
京都バスなんか年1回春分の日しか運行しないとか凄まじい路線がある >>217 バスの免許維持路線って定期乗車券あるのかね? 実に優雅な木造客車がいた。
模型化が難しい。側面の凸凹の関係からして理解不能だ。
丸ごと模型化できそうで、8100以外となるとハードルが想像以上に高いのが寿都。 株主総会なんてものは開かれたのかしら?
凄まじく悪い業績を報告する機会がなかったのかな >>197 とんでもない処に旅客を乗せて・・・
昭和30年代だとマダ大手も含めて混雑時ドア開けっ放し走行とか屋根上乗車
機関車デッキ等に旅客が鈴なり乗車の写真を散見するけどな。
どんな事が問題になったのかスゴイ気になる。 トロッコが好きだった少年が客車のデッキから落ちて死んだのは1980年代だったな 自分が生まれる前に廃止されてしまったから縁もゆかりもないが
妙に興味をひかれて学生時代夏休みに現地で廃線跡トレースをしたことがあったが
記念碑的なものが当時は一切なくてまるで地元にとって記憶から消し去りたい歴史なのかと
こっちが訝しんでしまうくらいに何も顕彰する雰囲気がなかった >>227
同じ感想を抱いた者です。
戦前に廃止された路線でさえ碑文が残ってるというのになぜ、全くないのか
程度の差こそあれ、地元にさまざまな恩恵を齎した事実は否定できないと思いますが。。。 それを帳消しにする何かがあったのでは?
ただの臆測にすぎないがね。 明らかにされない方がロマンがあって良いという人もいる RMライブアリーで取り上げるとしたら 山鹿、北丹、野上、有田に次ぐ最期悲劇の地方私鉄
だな。昔 交友社から寿都鉄道をテーマにした本があつたけど、入手難だし(当時の同好者を
考えると部数も期待できない)高価だろうから是非ともRMで扱い取り挙げて欲しい。 >>102
> 鉄道何とかリアルとかいう雑誌
鉄道ピクトリアルですか?
寿都と言えば漁業の町。当然貨物列車で魚を運んだと思うのですが、魚油で線路がギトギトになって滑ったりしなかったのか…と心配 鮮魚は鉄道運搬に向いてないと思うのだが
どうだろう 最盛期の1946年
4往復
橇を牽くより鉄道の方が効率よかったんでしょう
https://i.imgur.com/QK6kL3N.jpg >>234 冷蔵車等の冷蔵設備がないと、鮮魚の輸送、保存は難しい。短時間であればともかく、当時の列車で急いでも寿都から札幌まで半日はかかるだろ。
輸送するなら干物にしてからだね。 237の言う通り、
寿都は北前船の頃から
身欠きニシン(干物)がメインでしょう
大量生産するための加工場、
加工品を輸送する鉄道 不漁のときもあっただろうに
農業なら凶作不作でも来年回復できる見込みがあるが
漁業は数年サイクルといわれるし、またサイクルがないものもあるというし、
海産物を当て込んだ鉄道経営は結構綱渡りみたいなとこがあったのな 北海道のニシンに関しては研究多過ぎではっきりしてると思う。
数年サイクルではない。建設時には処理に困るほど獲れていたものがバッタリ来なくなった。
これを、先を読めというのは難しかろう。
単一の目的のために建設された鉄道が構造的に弱いというのは確かだが。鉱山鉄道とか。 汽船が大半の頃、
船が着岸できる浅瀬のある場所は、重要な中間拠点となる。
寿都もニシンの水揚げ、加工出来る事に特化した港の一つ
船同士での積み替えや集荷は、大型船が着岸できる港が限られてしまう
また、航路では都市への移動距離が延びてしまう。
必然的に鉄道が建設されるに至るが、漁獲量の減少は読めなかっただろうね。
https://i.imgur.com/o9iC9dJ.jpg 魚粉肥料と沃度原料が需給とも消滅することを予測するなんて
化学工業と農業の死滅を予測するようなもんだぞ
想像もつかんというか、そんときゃ国が終わるから想像してもしょうがねえって感覚だろ モノカルチャー経済みたいな地域は不安定なんだ。
北海道には多い。 >>242
そりゃ昭和30年代は鉱山関連が新卒の人気企業だったからなぁ・・・ そばを流れる朱太川が大雨になるとたまに氾濫して線路を傷めたらしい
が、その都度地元民が無償奉仕で復旧を手伝っていた
中にはなけなしの金を叩いて寄付金を持ち込む村民もいたという
「おらが村の鉄道はおら達で守るっぞ!」という心意気があったみたい
やる気無しで一貫してた経営陣とはずいぶん対照的だと思った >>246
時系列で整理し直したほうが良いと思う。
>やる気無しで一貫してた経営陣
末期だけだろ。
妙な階級闘争始めるなよ。 今日までのあらゆる歴史は、階級闘争の歴史である。
今日までのあらゆる階級闘争の歴史は、敗北の歴史である。
勝手に決めるなあ〜!
このスレは、団塊老害老人しかいねえのか。
階級闘争なんて言葉、日常に出てこねえよ。
>>246の偏見も相当だな。 246はひどいなw
昔246みたいな作り話が流行った時代があったような気がする。
寿都は町だから、黒松内の人の事なんだろうな…おらが村の・・・w 力がない会社も、支えようという人もいただろう。
それを表現するのにステレオタイプな美談仕立てにする必要がどこにある?
それは史実を歪めて伝えるだけだ。まあ一次情報になど当たってないんだろうが。 1960年代まで田舎の道は未舗装だらけ山道は狭くてクネクネ
やはり地方の小私鉄が生き残れたのはこの年代辺りまで
80年代まで生き延びた会社も支線は60年代末で廃止している >>257
今もコロナ絡みで花盛りよ
これは国民性の問題なのか? 島牧の組合長もごみくそだがそれよりも寿都の町長のが超ごみくそでヤバイな頭いかれてるんか? >>261
多額の原発関連助成金が出るので、寿都鉄道が復活するかもしれませんよw
もしかしたら複線電化で復活するかもw 寿都の町では使い切れないほどの金が国から降ってくるからな。
寿都鉄道だけでなく、岩内まで伸ばそう。 ジョークにしても、空しくなるね。
ど田舎にお金を掴ませたらイカンよ
竹下内閣のときのふるさと創生交付金で金塊を買ったアホな役場があったことを思い出した。
誰も乗らない鉄道とか、誰も通らない橋とか、
そんなことはさせてはならない >>265
金は価値が極端に下落することは無いから、金塊を買ったのはアホじゃないよ
アホなのは維持費の掛かる建物を造ったところ
もっとアホなのは宝くじを買って一億円をさらに増やそう目論んだが、高額当選が無く金を減らしただけのところ 鉄ヲタとしては助成金で寿都鉄道復活プロジェクトを組まれたし >>267
ネット掲示板なら笑い話だが
これが役場では大真面目に考えられかねないのが恐ろしいところ
役人、議員は自分の懐が傷まないのを良いことに好き勝手やるから許せない 寿都は当て字と思うが、寿と都を持ってくるなんて
いいセンスしてるなあと感心した
あ、これは鉄道は関係ないかw 使いきれないほど金が入るのは確実だし、長万部−小樽間は新幹線札幌延伸時には廃止になるから、
長万部−黒松内間を購入して、黒松内−寿都町役場西側まで新設すればよい
風力発電ができるほど風が強いことを考慮し、黒松内の中継所南から寿都町役場西側手前まではトンネル(ホームだけトンネル外)
長万部(乗り場2つ)−長万部高速BT−二股(棒駅だけど続行運転させるため絶対信号機設置)−黒松内(乗り場3つ等)−黒松中ノ川−湯別(交換駅)−寿都(乗り場2つ)
黒松内に車庫と工場
軌道回路検知式特殊自動閉塞
普通の気動車というか上周りはキハ22 600番台ほぼそのまま(区分棚と車掌室・貴重品箱なし)
下周りはキハ150を近代化したもの
それと除雪用気動車(キヤ291) 自治体の生き残りも、いかに手早く金蔓を見つけるかが勝負の分かれ目なのね 寿都鉄道復活は今後50年は無いだろうが、仮にあったとしても片道一本の朝専用通学列車になる予感 仮にまた豊漁になったとしてももはや人々はニシンを口にしないでしょう
魚離れは止まらないよ
サンマもそうなりつつある まあ当時から
獲れた魚をすべて人間が食べてたわけではないけどね 金回りが苦しい中で石炭とか油とかどうやって買えてたんだろ
掛け売りでもしてくれる小売がいたのかな
かつて鉄道業の信用は大きかったという話は聞いたことがあるが ある大手私鉄の創業期
各駅の出札から日銭かき集めて支払いに回していたとの話なら聞いたことがある ニシンを満載した貨車からニシン油がレールに滴り落ちて、列車がスリップして難儀したとかいう都市伝説?は本当なんだろうか?
今にして思えば贅沢な悩みといったところか ニシン御殿など立てられるのは、あとのことを考えていないということ
再生を考えず、今だけ良ければ良いとして、取れるだけ取ってしまたため
いずれ破綻する時がくるでしょう
種芋まで食べてしまったようなもの
原発も同じ
後のことを何も考えていない
最初の金を取ったら、国は食いついたハブと同じで絶対に引き下がらない
そんなに世の中甘くない
ちなみに、本当に最終埋め立てが日本にできるなら、寿都でよければそれはそれで大歓迎
原発稼働してしまった以上、どこかに造らなくてはならないから
世界ではフィンランドくらいしか正式に最終埋め立て地が決まっていないと聞きました
(間違っていたらすみません)
今も昔も、将来のことを深刻に考えていないようにしか思えないです
ちなみに、寿都鉄道再建を最終埋め立て地に確定する条件にしたら、
本当に寿都鉄道はできると思います >>159
黒松内には「北限のブナ林」があるから
近年は水で売り出してるんよ 本当に寿都鉄道復活したら、マジですごい
可能性は、0.1%あるか? 国が、何か政策的なヤバい施設を作るときは、
その補助金の額の量は半端ではない
原発関係がよく知られているが、それだけではないと思う
防衛関係の特別施設とかもその可能性
原発は一度麻薬的な補助金漬けになると、ばその自治体は自主的に抜けることは困難
だから、原発2号機3号機…、となって、原発銀座状態になり、補助金が継続される
その補助金で、あり得ない箱モノをたくさん作るとか
本当は、全町民村民に線量計などを渡して、
緊急時の教育の充実や避難訓練含む施設や避難経路を強力に確保するとかすべきなのに
そちらは手薄だらけ
原子力船の時も似ているらしい
たまたま原発関係が表になったが、他も基本同じでしょう(軍事基地など)
その金額があれば、余裕でJR北海道を、その町長村長の生きている程度の年月なら十二分に維持できる
いずれにしても、国や道が、総合的な政策として何か行う引き換えに、
であれば、可能性は皆無ではない、と思う
少し論点がずれましたため、sageで、ここまでにしたいです
ずれて申し訳ございません なるほどね
そうやって寿都鉄道を看板にするかはともかく密かな国営化や延命工作が出来なくもない この会社を舞台にしたドラマなんか作れないかな
特に末期の金欠に陥った断末魔の叫びみたいな描き方で… >>300
青木先生なら一度は題材にしてみたくなる会社だったかも知れないね 現在も残ってたら高レベル放射性廃棄物輸送に挑戦できたのに
JR貨物が放射性物質の輸送に挑戦した事例がないか
海外では核燃料の鉄道輸送の実績がある 例えば、国が防衛や緊急時の輸送を見直して、本当に鉄道が要と判断したらあり得るでしょう
もちろん核燃料輸送なども同じ
本気度による
長万部−函館も同じで、国策的に要となれば国鉄復活する
ただし、あくまで国策レベルのため、一般の旅客輸送どうこうなどは二の次三の次、あるいは実施しないもあり
貨物だけもあるし、軍事関係が最優先等になると、陸上自衛隊管理で機密上時刻表どころか地図から消える可能性
核燃料輸送専門とかになると、近づくだけでも困難とか(マニ30の撮影とかに似ている?)