文豪ドストエフスキーの「罪と罰」誰もが学生時代に一度は読んだことだろう
この罪と罰と同時期に書かれた本が「賭博者」だ

罪と罰を執筆していた頃のドストエフスキーは深刻な経済的に直面してた
兄のミハイルと共に出版していたロシアを代表する文学誌「ブレーミア」が
1863年のポーランド反乱を支持したとしてロシア政府の検閲を受けて休刊になってしまったのである

兄のミハイルが亡くなったことによりドストエフスキーは借金が雪だるま式に膨らんだ

莫大な約束手形を背負っていたドストエフスキーは当時は合法だった債権刑務所に収監される寸前で心は荒れ果てていたという

進退極まった1865年夏(日本の幕末)ドストエフスキーは悪徳出版業者ステロフスキーと、3000ルーブルの前借りを条件に過酷な契約を結ぶ

それは罪と罰を完成させると同時に1866年11月1日までに新作「賭博者」を完成させることだった

この条件を達成できなければドストエフスキーは過去と未来の作品の版権をすべて失うことになった

追い詰められてヤケクソ状態のドストエフスキーはルーレットに没頭した

ドイツのバーデンバーデンなどのカジノから彼は妻のアンナあてに金を無心した
アンナが金を送っても送ってもドストエフスキーは金をカジノで溶かしてしまった