【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 86laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 83laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1605129624/
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左に避けるのが暗黙の了解って言い換えてもいいよ >>309
セナの汚いブロックに対して「あいつはチャンピオンになる資格が無い」まで言ったのに
PP獲得数でセナを越えたときは「セナは僕のヒーローだ」とウソ泣きされたら
信者がキレるのも無理はない。 >>325
まだそれでも人間味のあるコメントじゃね?
これが完璧なコメントならホントにターミネーターだよ。
ちなみに俺もシューがF1をつまらなくしたと思ってる。
ここでも書かれてるように勝つ為の下地作りは素晴らしいと思うけどね。 ライバルよりピットストップ回数を増やし、常に少ない燃料で予選並みのラップタイムで走り、ピットストップで逆転するシューの勝ち方に驚いた。
いつぞやのビルヌーヴとの鈴鹿でのチャンピオン争いで、アーバインの華麗なアシストとともに勝った例など、チーム一丸となって勝利を手にするやり方は見事だと思ったが。
2000年以降の呆れるほどの強さ、速さは確かに面白くなかったが、それはライバルが不甲斐なかっただけ。 >>293
それこそ国内の印象がF1のレベルに比例しないのは中野と高木が実証した >>327
たしかに同等のライバルが居なかったってのはあるね。
別カテゴリーくらいの差を感じて自分はF1熱が冷めてった。
セナの時はプロスト居たから良かったのかも。
逆にどちらかが居なかったらセナプロ時代もあれだけ盛り上がらなかったんだろうね。 >>328
どこに眼つけてんの?
中野はとにかく高木はデラロサと互角に渡りあって充分にF1の平均レベルはクリアしてただろ
2年目は安定感ある走りだったし、もし翌年もアロウズで走れてたらデラロサやヨス・フェルスタッペンに負けてないと思うが
結局、金集めできなかった甲斐性なしの中嶋が悪いわ 2000年にフェラーリでダブルタイトルを獲って一区切りして
そのあとも絶対王政で勝ち続けたのがF1をつまらなくした要因だね
確かにライバル不在だったけど、本人にそんな相手を育てる気もなかった感じ
ラウダがプロストを育て、プロストがセナを招き入れたような次代のスターを継承する意識があっても良かったんじゃないか
それがたとえ自分を窮地に追いやるような結果になったとしても、より高次元なドラマが見られたと思う >>330
後半の言いたいことは分かるが、一般のスポンサー候補企業の担当者から見たら、高木に魅力を感じるかは正直微妙な線かなと思う。
言語と論理の両方でコミュニケーションが取れないというのでは長続きしない。モデナみたいになるしかないよ。モデナはイタリア語だから、高木の日本語よりより多少は条件いいはずなのに。 中嶋や亜久里も英語できなかったじゃん
でも虎は間違いなくこいつらより速いよ F1をつまらなくしたのはシューマッハだけじゃないと思うな
空力や車体や技術の進化もその要因の1つだと思う
特に空力の進化でオーバーテイクが難しくなったのが1番デカいかな
92年頃からDRS導入までの20年近くつまらないレースばかり観させられたらそらファンも減るよと >>331
プロストは別にセナを招き入れたわけじゃなくて
マクラーレンがホンダを招き入れたら、ホンダはセナと一心同体だったというだけ
プロストはそれでもチャンピオンは自分が獲れると思ってたんだろうけど >>336
俺が読んだ書籍だとセナを推したのはむしろプロストのほうだったって書いてあったし
本人もそうコメントしてるんだけどなあ
何にせよ承諾したってことはドリームチームを望んだってことだと思うけどね >>331
プロストはヒルにいろんなこと伝えたように思える
シューはマッサにいろんなこと伝えたように思える
マッサがタイトル獲れてたらシューの評価はどうなっただろうかね プロストは88年に自身がWCになって、89年にセナがWCになってキレイに引退とか考えていただろうね。
なるべく早く、五体満足なウチに引退したいと考えていた人だから。 そんな親心も知らず初年度から歯向かってきてチャンピオンもいきなり取られちゃったわけだ面目丸つぶれだったろうな とはいえそこでプロストの心に火がついたおかげで我々はハイレベルな戦いを見ることが出来たんだから感謝しなきゃな 89年もセナの車にトラブル集中してなければセナが順当に勝ってたと思う >>340
それこそ自身とラウダの時のように
「来年は君の番だよ」とカッコよく決めたかったのかな >>332
分かるw
企業イメージを良くして売上の為にスポンサードするのにぶっきらぼうでコミュ障の奴を進んでサポートする理由がない
それらを断ち切るだけのぶっちぎりの強さ速さがあればそれでもっていうのは出てくるだろうが速さでデラロサとトントンで実戦の安定感では勝ち目ないし 結果ノーポイント
それが全てよね
逆に言えば速いのにもったいなかったねぇ >>329
プロストに関してはセナがいなかったらホンダとがっちり組んだピケが毎年のようにバチバチやり合っただろうから退屈しなかったと思う >>344
それでもポルトガルで2位が取れてればかなり楽だった
確か鈴鹿を2位で終えても最終戦に臨みを繋げられたんじゃなかったか >>330
正直デラロサとトントンには見えなかったわ、若干劣勢に見えてた
ここの人もそうだけど、一部虎のことを過剰に持ち上げてる人を見ると違和感しかない
過去の日本人ドラで一番過大評価されてると感じてる >>351
確かにそれは言える。
チームやマシンが脆弱だったのを差し引いても、印象に残るレースも無いしね。 中嶋でいつもガッカリするのは、スタートの下手さ。ポジションを上げたのって数レースしか見た事無い。大体3、4つポジション落とす感じ。 >>353
スタートで最高 88年メキシコGP 予選6番手からフェラーリ2台抜いて4番手に
スタートで最低 88年日本 予選6番手からエンジンストール後方に下がる
ただ結果は逆で
メキシコGP 数週でフェラーリ2台に抜き返され、燃料トラブルでリタイア
日本GP 雨の中格下マシンを抜きまくり、7位でチェッカー この世代でスタート上手かったのは右京かな。意外と亜久里も悪くなかったと思う。 >>350
プロストがホンダはセナに良いエンジン載せてるって文句言ってたけど、結果的には逆だった >>356
後藤「エンジンはここまで回せ!(キリッ)お前のためにタコメーターに印つけてやるよ(嘲笑)」
プロスト「そこまで回したら(俺の経験上のカンでは)壊れるだろ、このメガネは俺にリタイアさせるつもりか?」
セナ「しっかり回したら速いぜ、プロストは遅いくせにアホ」
後藤「そうプロストはアホ」
結末は皆の知る通り… セナとプロストは一時期の関係は最悪だったけども
お互いに実力は認め合ってたと思う
が、そこに後藤が乗っかって調子こいた発言しまくってるのが
今から振り返るとイタすぎる ゴトーガーゴトーガーをいまだに繰り返すプロヲタが一番イタい 中嶋の88年日本GPのスタート失敗後のインタビューで誰かが押してくれたのかもの下りで今でも号泣できるわ
あの週末に最愛の母を亡くしてるんだよな >>344
そもそもタイトル争いで厳しくなったのは、開幕戦のブラジルGPで脆弱なマシンと評判だったF189のベルガーと意味がない意地張ってスタートから接触し、ポルトガルGPではまたもやF189の失格マンセルと無用な意地張って接触リタイア。
この2レースのセナは、ディフェンディングチャンピオンらしからぬ失態レースだったな。
>>368
あと88鈴鹿の中嶋の印象深いコメントとしては「今年は静かだね」だったな。
前年の盛り上がったF1ブームから、当時はバブル景気も絶好調だったのに日本でF1ブームが盛り下がったのは、マクラーレン退屈症候群が最大の要因だっただろう。
あとターボが大幅パワーダウンして、千馬力F1の迫力がなくなったのもあるな。 TV回ってないとこじゃ普通に会話してたらしいじゃん
ホンダだったかマクラーレンだったかのフジの特集番組で皆で新しいギアボックスの議論してる場面で
アイルトンどう思う?みたいに話しかけてたのちらっと見たことある 中嶋、88年の鈴鹿ってエンジンストールしなかったら4位には入れたのかな。 いやあの年のターボはチートだからストレートで抜けたかも >>365
中嶋がベネトンをパスする光景が想像出来ないな。 >>360
くだり で検索して正しい使い方を覚えるように。 ブーツェンは予選10位だけど、決勝のFLはセナプロに次ぐ速さだった。
展開を考えたら1コーナーは4位で通過して、10週以内にセナに交され5位に落ちるのは免れない。
カペリが途中止まって順位が繰り上がるけど、ブーツェンを抑えつつベルガーを交わせれば3位フィニッシュ。 ブーツェンはセナに抜かれたあとずっと張り付いてファステストラップまで出していた。
ピケもスピンしたナニーニにさえ抜けず引き離されていった。
実力的には中嶋の三位は無かったと思う。がしかしストールは今でも悔しい。 >>366
あの年のホンダターボはチートだがシャーシが逆チートで相殺 ブーツェンは36秒差の3位だったから、現実的には中嶋表彰台は無理だったろう。
ただ4位ベルガーは1分26秒差だったから、4位の目は充分あったと思う。
余談だが、終盤まで4位を死守していたナニーニは周回遅れのアルボレートに執拗にブロックされ追いついたベルガーに交わされる。
レース後アルボレートに掴みかかったのは言うまでもない。 アルボレートはほんと晩節汚したよなぁ
ベルガー程度にボコられて しかしベルガーの高速コースやコーナーの速さはセナも舌を巻くレベルだった訳で
速さの秘訣は当時一般化してなかった左足ブレーキによる制御だった 88年までのベルガーは本当に速かったと思う。
一人でマクラーレンと闘っているみたいで格好良かった >>373
中嶋とベルガーのベストタイムは0.05秒差やね。バトル見たかった。
しかしベネトンとは差がある。無理だわ。 アルボレートは全盛期は日本で放送されてない時期だったから日本じゃビミョ〜に遅い人のイメージが
で、居たなぁと思って今どうしてるんだろと調べてショックを受けた思い出 アウディのテスト中にあれだったか
2001年か2000年だった記憶 没年(2001)で44歳だが、スレ年の時代でそれぐらいの風格があった。 85年にチャンプ争いしてたってんで色々調べたら最初だけ勢いあって中盤には完全に失速しててまやかしのチャンプ争いだったと分かった YouTubeにてサンマリノGPのフェラーリアルボレートがロータスセナを追い詰めて抜くシーンを見て感動した アルヲタの逆鱗に触れたとの誤解を招いたのだとしたら申し訳ない >>366
88年はターボとNAにはチートというほど差はないよ
レース序盤こそ搭載燃料の差があるから重量差が小さいけど、レース終盤に向けて残燃料が減るとNAが40kgほどターボ勢より軽くなるので有利になる。レース中盤から後半でロータスがベネトンを抜くのは割と至難。 >>385
いやいや開幕戦のリオデジャネイロの裏ストレートへの入口のヘアピンで詰めるのにストレートでガンガン離されていく様を見たらチート以外の何物でもないわ
サンマリノでもナニーニがピケを数度抜いてはホームストレートからトサ迄にあっさりと抜き返されるの覚えてるだろ モレノとブランドルへの思い入れが強いスレだとは思っていたけど
アルボレート好きもいるのか 積み上げた積み木を一気に崩され精神崩壊しながらも諦めずまた詰めて積み上げる
しかしそれもまた過給器の一蹴りで崩される
あの時もう僕はレースを見るのを辞めようかなとまで思ったんだ 元々マニアックなスレだからな渋めの実力派がマッチする 1985のアルボレートは、前半後半に分けたら後半は失速ではあるけど、
序盤中盤終盤に分けたら中盤までは良いレースしてたと思うんだけどね。
終盤の失速はKKKがアップデートをポルシェだけに提供するみたいなことがあって、
急遽採用したギャレットのトラブルが続いたことが失速の要因でしょ。
トラブルでリタイアが続いたのはクルマの問題で、アルボレートに責任をもとめるのはちょっと違うかなと思うよ。 ティレルでの走りを買われイタリア人がフェラーリに乗る重みを受けたアルボレートを見下してはねぇよ
ベルガーにボコボコにやられてゲルハルトに良いエンジンが行ってるようだとか言っちゃうのがあれだって言ってるだけ >>392
当時見てりゃアホでもなければすぐにわかることだけど、ネットやYouTubeでかじった適度しか知らない奴だと、アルボレートがミスしてチャンプになれなかったとか思ってんじゃね? ベルガーは「チャンプを獲るためにマクラーレンに移籍する(キリッ」 までが一番カッコよかった F1て難しいよなチームと環境が変われば化ける例もあれば逆もまた然り
複数のチームで結果残せるドライバーはひと握り
アルボレートにしたって亜久里を完膚無きまでに叩きのめしたの見てパワーバランスの複雑さを垣間見た >>395
85年のフルレースはフジのレジェンド8戦しか見たことないけど
後半悲しい位に車が失速してるのはわかった
チャンプ決まったブランズハッチなんかは見てて泣けてくる 亜久里とフットワークで組んだ時、さすがにチャンピオン争い経験してるドライバーはレース運び上手いなと思った。亜久里完全に負けてたもんな。 >>400
フットワークの2年間は結局亜久里の引き出しの少なさを露呈するだけになってしまったと思う
経験豊富な大ベテランと組ませて学ばせたかったのかな 亜久里が壊滅的にレース運びとか戦略とか駄目だったのもあるけどなw
一周一周繋ぐのが精一杯で組み立ても糞も感じられなかった アルボレートって性格に難があったって聞いた事があるんだけどどうなんだろう
88年の鈴鹿でナニーニをしつこくブロックしたのもオープニングラップでの接触を根に持ってたからって言われてたし、アグリとも反りが合わなかったらしいが 最近のインタビューでもマシンが乗りにくかったと振り返っているから
当時はもっと言い訳がましかったんだろうなと思う アルボレートのベネトン入りを見たかった
テストでかなり遅くてダメだったみたいだが 電気系がー
アランジェンキンスの作る車は総じて乗りにくい >>400
ということはワーウィックがチャンピオンクラス並みに凄かったのか亜久里がヘボかったのか >>390
今でも現役で日本に来日してたのもデカいんでないの?
最近はWTCR観れてないけどやっぱタルキーニ気になるもの。 >>400
当時の完走記録凄かったもんな
6位以下は0Pてルールだから目立たないがインディカーみたいに完走したらポイント付くシステムだったら良いとこないかと思ったり >>357
それ日本では、まことしやかに語られとるが
後藤が流したデマやで
プロストから糾弾されて、信頼関係が崩壊した後のエピソードやわ
話半分に聞いておくのが正しいぞ >>403
運のない人というイメージが強い
チャンピオン争いしてるときはエンツォがkkkと揉めてターボチャージャー変更
の憂き目にあい戦力減、ポスルズウェイトの肩を持ったらバーナードに露骨に
袖にされる、古巣のティレルに戻って表彰台までたどり着いたらチームがキャメルと
契約して追い出され予備予選、フットワークに三顧の礼で迎えられたがポルシェが
クソエンジン供給、無限ホンダエンジンが手に入ったと思ったらなぜか自分は予備予選、
通算5勝してる割には扱われ方がひどい印象 最後はテスト中に事故死だものな・・
アウディのエースとしてルマンで何回勝てただろうか フットワークとアロウズはネーミングライツに近い関係だったに過ぎない
しかし亜久里が活躍するとフットワークの影響力が強まって完全な支配下に置かれることを危惧したジャッキー・オリバーが
担当エンジニアとか差をつけて亜久里がアルボレートとワーウィックの前を走れないようにしたんだよ
もともと大橋オーナーは中堅チームで満足してたアロウズの体制温存したままでは停滞から抜け出せないと考えて
プロドライブと提携を結び、オリバー更迭して人事を刷新しようとしたんだけど察知されて、両者は緊張状態だった
その間に亜久里は挟まれていた >>410
改めて92年のアルボレートのリザルト凄いな
14/16戦の完走、4強に割って入る順位の完走率は圧巻だと思う 前半の陰謀論はともかく後半は合ってるハズ
自分の記憶だとプロドライブじゃなくてウォーキンショウだっだ気がするけど
金の切れ目が〜じゃ無いけど
93年末に亜久里の解約で揉めたのはこの更迭失敗の余波もデカい
内情はワーウィックも大橋氏もぬるま湯だって言うてるからなぁ ウォーキンショーはリジェでブリアトーレと株式折半で実権を握れなくて
96年シーズン開幕してから(モナコでのパニスの優勝の前に)TWRのスタッフを連れて
アロウズ買収だったと思うけど、それ以前から候補に入れてたのかね >>412
その内容が事実か否かはどちらでもよくて、そんなふうに他人を嘲笑する話を恥ずかしげもなく自慢げにしている後藤さんというのは面白い人だなと思ってね。 ホンダ退職後のインタビューやコメント読むと後藤氏は、すごく癖の強い人だな 桜井氏の薫陶を受けた人ってことなのかね
類共で良いコンビだったんじゃねえの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています