【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 67laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 66laps
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured ピケは勝負強いっていうか、83年とか、チャンピオンシップに重要なレースに
きっちり勝つ印象。 87年は獲るつもりが無い感じに見えた
マンセルに獲らせてあげたいのではと
ホンダからは契約金20億とか貰ってたんだっけ? >>693
80年もですね。
(アラン・ジョーンズがチャンピオン) >>693
80年にジョーンズに負けてる
しかもスタートで二人接触して赤旗再スタートの末 A・ジョーンズって、決して”速いドライバー”じゃ無いんよね、どちらかと言えばしぶとい粘り強いタイプ。
車が”史上最高のコピーマシン”なんで当時速くは有ったが‥まあピケと同じ様なもん。
速さなら年寄りだけどロイテマンの方、但しこの方全く逆のタイプで逆転負けの常連。 ピケの凄さはあの重ステだったウイングカーでミッションを壊さない運手技術だな
前にどこかで呼んだ気がするが、予選終わった後にギヤーボックスを開けたらオイルが綺麗だったとか
刃こぼれとかしないでの変速をする技術があるんだろう
だからエンジンをオーバーレブもさせないでパワーレシオを使いこなす そのピケが10億だか契約金もらって大騒ぎになったのが三度目のチャンプのころ?
そしてセナがマクラーレン最後の年契約金16億をめぐって開幕ギリギリまでもめてたね。 10億円だと1台エントリーチームの年間予算、
16億円だと2台エントリーの泡沫チームの年間予算くらいだな… >>690
ただし「対プロスト」「対ピケ」に関しては実際に両方ともチームメイトとして接してるんで
当事者的評価としてはあながち外れてないんじゃないのかな。
実際同じ車で走るとか、状況によってはデータシート見比べるみたいなところもあるのも込みで、
シリーズ戦った結果としてはまあ2人共に負けてるんだけどw
局面ごとに切り取った時に自分の方が勝ってたところの多い少ないとか、
「ここは絶対あいつに敵わない」って部分とかは一緒に仕事をした仲じゃないと分からない事はあるんで。
その点でいうとベルガー×ピケ×プロストの三者間はお互いが一緒に仕事した事無いし、
ピケはプロストやセナと一緒に仕事した事無いってところになる。
マンセルはこの五強でいうとチームメイト経験が無いのはセナとだけじゃない? >>702
ピケ対マンセルのシーズン対戦成績は1勝1敗ですよ。(86年マンセル勝ち、87年ピケ勝ち)
そういえば、五強は絶妙に皆が2人とはチームメイトになっていますね。(マンセルだけがおっしゃるように3人と組んでいる) そう五分だね
ただマンセルは他の三強全員とチャンピオン争いしていてそれぞれに負けてランキング二位という辛酸なめた
しかし3人全員に一矢報いることが出来たのもこの世でマンセル1人
86年にピケを下す
90年後半に同僚プロストの脚を引っ張る
92年にセナを下してチャンピオン
ランキング二位はパトレーゼだが、この年は完全にアシスト役だったはず
三位シューマッハは完調のマシンでマンセルとまともにトップ争いしたのは皆無
やはりチャンピオン争いの相手はあくまでセナだったと言える
マクラーレンがもっとウィリアムズと接戦だったら面白かった ピケだけ、五強のうちで組んだのはマンセルただ1人だった。
(パトレーゼとごちゃごちゃになってた。ついでにパトレーゼもピケ、マンセルと組んでる) >>704
もっと接戦だったらマンセル記者に何言い出してたかわからんw
スペインのあとで「病院行った方がいいってのはお前のことだ」てのはすごかった。 >>706
いやあ切れてこそのマンちゃんだからああいう(>>127)場面もっと見たかった笑
ビッグ4は延々と老醜晒したりすることなく綺麗に去っていった(まあセナは不幸な去り際だったが)ので、
まだ見たかったというか、30年近く経ってもいまだに渇望感が残ってる部分があるんだよね そういやあったなw
まあプロの中のプロでも一回くらいあるだろ >>698
昔はオーバーレブで終了が多かったからな一時期F1がセミオートマでいいのか?マニュアルに戻さないかった話しがあったらしいけど
全チームがオーバーレブで物凄い損害があるしシフトチェンジなんか観客が見るわけじゃないからと全チーム反対したって雑誌で見た記憶がある >>704
92年のマンセルにタイトル争いの相手はいなかった、というのが俺の感想かな
ホンダのエンジンが回りだしたカナダあたりでは少しお?と思ったがマニクールでそれも消えた FW14BみたいなスーパーF1にトップクラスのドライバーが乗ってりゃ
いかにセナといえどもノーチャンスだったな、相手がアレジだったら
チャンスあったかもw 実際パトレーゼはマンセル程に無敵な感じでは走れて無かったからね
90年みたいなジョイントナンバー2体制だったら付け入る隙は有ったかも
まあ最終的にはやっぱりタイトル獲っちゃったと思うけどな >>711
♪私は嵐〜 SHOYAバージョンもかっこよかったな >>714
セナがチャンピオン獲った時に
スタンドの従業員さんとかお客さんとかシェルの技術者とか油田の採掘の人
(多分もちろんそれを演じてる役者さん)に感謝の握手をするバージョンとか色々あったけど
当時のシェルのCMは結構完成度高かった。 >>709
いまは無いもんね
その代わりにドライバーはコーナーに集中しなくちゃならないからコーナーは物凄く速くなった
ただ、FW14Bとかって、そんなにタイムは今のと比べると遅いんだよな
技術の進歩が早過ぎてサーキットが追い付かないだろうな
でもなのだが、87年のレギュレーションで今の技術でF-1をw造ったらどうなるんだろう?
こないだ、未来のF-1の画像がF−1模型のスレで貼ってあったがどれ位違う物が出来るのか
シーミュレーションしてみて欲しい >>716
個人的には今の技術でベンチュリーカーだったらどれくらい速いんだろうと興味ある >>717
鈴鹿のタイムが知りたいよね
FW07が非公式で走ったとかで1分41秒を出したとか、当時としては凄かった
今だと1分20秒とかは切るとして、13秒とか12秒とかなったりして 今のエイヴォン製ヒストリックF1用タイヤは、このスレの頃のGYと比べてどうかはともかく
ベンチュリーカー時代の当時物から比べればむしろ性能高いレベルだっていうから
当時の車を完全整備するとか、レプリカで1台仕立てただけでも現役当時より速い可能性すらある。
DFVにしても松浦さんに「排気量はそのまま」って以外は条件付けずに1台組んでもらっちゃったら
3リッター規定最後期より馬力出てて何の不思議もないし。
「ベンチュリーカーのまま『進化したら』」の話にしても、
FN06以降のフォーミュラニッポン/スーパーフォーミュラはその仕様で作られてるから
鈴鹿に限っていえばエンジンパワー・最高速差とかの部分を修正入れて比較する基準になるかも。 >>709
シフト技術もドライビングスキルのひとつだとすれば、難しいところですよね。
シフトチェンジが下手なドライバーだと、エンジンやギアボックスへの負担も大きいから、リタイアも増えるとかね。 >>704
プロストの足引っ張ったことが一矢報いたことにカウントされてるのにはわろた
しかしそれ以外、マンセルがプロストに一杯食わせたと言えることないね。 youtubeで、2017年のマシンと、MP4/4やFW14Bなどを同時に走らせた
シミュレーション動画あったけど…もう無いかな。
あれ見ると、てんでダメだったザクラーレン・ホンダも昔と比べたら断然速いのねと思ったよ。 初開催マニクールでの643デビューウィンを阻止したのは一矢報いたと言えるかもね
お互いシーズン初優勝を掛けたバトルだったけど >>721
あの年はマンセル完敗だが、
プロストが生涯のチャンピオン奪取失敗の中で最も痛恨のシーズンでもあったらしいから、
プロストに痛い思いを味合わせたという意味ではマンセルは悪魔だった
予選だけ8勝8敗の互角だが、マンセルがサンポールに対しプロスト0ポールというのも、
「らしさ」があって味わい不快 マンセル前年のエストリルではセナの足を引っ張ってセナを地獄の底に突き落としてるから…
結果WCを取ったプロストにアシストしてあげたとも言えるのが皮肉
そして91年は自らがエストリルに巣くうマモノに足を引っ張られて絶体絶命というねw
トリックスターの申し子みたいなマンセルinポルトガル フィオリオは引退発表後のマンセルを乗せ続けたことを今でも悔やんでるそうな。
さっさとモルビデリに代えておけばよかったと。 アレがなきゃ90年はプロストがチャンプになってたかもな。
終盤になってさあこれからって時に、事故でレース中断、終了という
運の悪さだったし。 >>724
元々ポルトガルのプロストはろくなことがないぞ
1984年…プロストは優勝したのに同僚ラウダに0.5ポイント差で逃げられ史上最小差でチャンピオンを逃す
1985年大嫌いな豪雨でリタイヤを選ぶ
チャンピオン争いするには幸先の悪い第二戦目となる
1987年…通算優勝を28としスチュワートを抜き単独トップに
1988年…優勝したが、上で話題になったのセナの幅寄せで一気に険悪に
1989…狂ったマンセルリバースギア
1990…撃墜する気まんまんまんの発狂マンセルにレースプランを狂わされる
1991年…マンセル脱輪
プロストは全く良いところがなくリタイアし、アニエリ会長の不興を買って解雇の端緒に
1993年…引退発表はこの地であった >>726
翌年自分がモルビデリに代えられるとは思わなかっただろうしなあ
>>727
なってたと思う
当然鈴鹿のセナとのクラッシュもなかっただろう
大体ここで良くも悪くも一暴れするのは1にマンセル2にベルガーのイメージ この時代のポルトガル→チャンピオン争いしているドライバーが勝てないイメージ
スペイン→チャンピオン争いで劣勢な方がここで勝つが、見事にチャンピオン逃すイメージ
イベリア半島2大グランプリのジンクスは92年のマンセルがサクッと終止符を打つまで続いたとさ ピケもイベリア苦手
あんなにキャリア長いのに優勝はおろか表彰台もいつかのエストリルの一回だけだった気がする 90年のプロストがもしマンセルを仲間にしていたら獲れたのか
そしたら即引退だったのかな
四度獲ってたらもういいだろうと思うし、フェラーリで幽囚の美を飾る事が出来たのか
ただ、その後マンセルはフェラーリからウイリアムズ移籍はしてるだろうから歴史は余り変わらないか 幽囚の美ってとジェラール・ラルースの歴代共同経営者的な。 プロストは4回取ってるけど、それでも印象としては取り逃しが多かったなと思ってしまう 82年なんかは開幕2連勝してるんだから、エンジンがまともなら
獲れてたよな。
83年もエンジンがまともなら獲れてた。
84年も惜しかった。 現代F1と違ってこの当時はエンジンブローやミッション壊れるなど、マシントラブルで
リタイヤすることが多かったからね。 90年のフェラーリってマンセル用のマシンにはヘボパーツ付けてたような気がしてならない。
フランス、イギリスとプロスト連勝でマンセルはマシントラブル→リタイヤってのはどうにも。
そりゃプロストの方がマシンに優しい乗り方だとは思うけど、マンセルだって加入1年目じゃないんだし
チーム側もマンセルの乗り方わかってるでしょと思ってしまう。 プロストのことだからパーツが1個しかないときは自分が優先的に使用できるよう
フェラーリとの契約条件に入れていたのでは。 そう言えばマクラーレンのエンジニアかなんかが95年のマンセル車を見て驚いたって言ってたな
タイヤは奇麗だしマシンにほとんど消耗のない乗り方をしていると
ま、プロストやピケなどはもっと優しい乗り方してるんだろうが、意外だったらしい ステファン・ヨハンソンと同じくらいの成績を残せる日本人が現れたなら大満足ですよ
思い残すことはない
チャンピオンはおろか、優勝も遠すぎる夢だから wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>738
>>739
でも確か、641→641/2の投入とか、新しいエンジンの投入もマンセルのほうが早かったような覚えがあるんだけどな。 >>743
641/2は二人分をデビューレースのイモラに持ち込んだがプロストは風の巻き込みがひどいとかで641(/1)を実戦で使ったそうだ >>743
プロストは慎重だから懐疑的に感じるとマンセルに試させるんだろう >>744
>>745
なるほど。そういうことですか。
性能とか信頼性とか、絶対ではないですもんね。 >>745
なるほど・・・、プロストは新エンジンを最初はマンセルに使わせて様子見していたのか。
プロストらしいな。 >>738-739
641/2のセミオートマのセンサーだかが、リアウィングステーの真下、ディフューザーの真ん中のすぐ上部にあったらしくて、積極的に縁石を使うマンセルは、その部分への衝撃が大きかったらしい。
それで、ギアボックスのトラブルが多かったって、今宮さんが言ってた。
>>740
パトリック・ヘッドが、マンセルはマシン自体には、実は優しい乗り方をしているって言ってた。
ただ、時々、コースじゃないところを走ってくるから、マシンに荒い印象があるのだと。 そうそう
プロストはそんな感じだよね
目まぐるしく変わるハイテクF1時代に生きながら、新パーツには慎重だった。
特にルノー在籍時に、相次ぐトラブルで脚を引っ張られた事がそういった石橋を叩いて渡る習慣につながったのかもしれない。
ホンダの後藤がその辺のプロストの姿勢を皮肉ってたが…
ただ裏を返せばニューパーツによる少々のディスアドバンテージが生じたとしても、レースになれば己の腕でひっくり返してやるという自信の裏返しでもあったのかもしれない。
少なくとも信頼性不足のマシンでポイントをパーにするよりはずっとマシであると。 >>744
641/1って見た事が無いのか記憶が無い
どこかで確認は出来る所有る?
/2とどう違うんだろう サイドポンツーンの一部が違うくらいしか分からない
/1はたった3戦だけでメディアも/2以降の写真ばかり使ってるから 田宮のF189にカーナンバー1貼ってなんちゃって641造りました >>749
最後に乗ったマシン、FW15Cの扱いはさすがのプロストでもあんまり上手くなかったけどな
マンセルが残ってたらマンセルのがいい結果出せてたわ >>750-751
あと、/2に比べると、ノーズがスクウェアだよね。
イモラの映像で、プロスト車のカウルとマンセル車のそれでは、明らかに違う。 >>750
まだ手に入るかわからんがGPカーストーリーの641/2がお勧め
641/1.5みたいな仕様も載ってて勉強になった
「641 ブラジル」で検索するとほんの少しだが実車画像も出てくるよ >>754
ノーズ上面のふくらみ具合は641/2と同じなのだが先端が640みたいにスクエアなんだよな
面白い造形の車だと思う 90年モナコ
・プロストが一週目でクラッシュ、赤旗
・マンセルのスペアカーに乗り換える
・マンセル車が7速なので、6速車を使ってたプロストはコクピット待機中のマンセルにレクチャー受ける
という映像を見た記憶があるんだよなあ
どっちも/2だと思うんだけど、子供の記憶なんで曖昧 どっちも641/2だよ
プロストが乗り換えたTカー(7速)がマンセル仕様なのかプロスト仕様なのかいつも忘れる
ベルガーはセナ仕様のTカーに無理やり乗ったけど >>758
記憶は正しかったわけか
同じクルマなのに違うんだーと子供心に興味もったんだよなあ
どうもありがとう >>755
さんきゅーっ
ようつべで検索したら、かなり形が違うんだな
あれだと別物のカウルだが、中は同じなのか?
速さは同じなのか伸びが有るのか?と ロータスの99T→Tbの差異はいまいち判然としないし
(違うのは空力だけじゃない説もあるし)、
ウィリアムズFW11→11Bはモノコック自体から違うとまでいわれるけど
世の中にはモノコックは一緒で空力と足回りが違うだけでもタイプナンバー違うって結構ある展開で。
公言されてる車名自体は変わってても使ってるモノコック自体は古いやつそのまんまで
貼ってあるプレートのタイプ&シャーシナンバーも実は変わってないってのもよくある展開。
※理由があって貼り替えや新旧併記になる場合もある >>757-758
モナコからはプロストも/2で、プロスト車は、モナコでは、6速仕様(事実上の4速ミッション)。
Tカーは、マンセル仕様の7速だったので、マンセルに訊いてたね。 412T1とT2なんかは色以外に共通点無いもんな
フェラーリの番号付けはホントいい加減だよな ベネトンなんか毎年189Bとか190Bみたいに前年型で開幕してたけど、あれってどれくらいのBスペック度合いなんだろか。
ほとんどカラーリング以外の違いがわからない。 B189Bは長らく採用されてたフロントベンチュリーを捨ててフロントウイングになったな
B190Bは前後ウイングが新規定に合わせて変更されてる
実質B192BのB193Aは新規定に合わせた変更とセミオートマ、アクティブサス搭載
目に見えてわかるのはこんなところかな
B191Bが速かったのはやはりタイヤかねえ? B189bはキャメルの黄色が抜けて銀色?になったので正体不明感があったな。
あと89終盤絶好調のナニーニがこの車では何故か劇遅だった >>763
補足ありがとう
みんな詳しいな
つべで探してみたら、どこで何速に入れるか(多分)、マンセルが指の本数でプロストに示してる動画がありました
ほぼ記憶通りの絵面で、変なとこで感動したわ あのモナコからエストリルのスタートに動画を切り替えると一段と感慨深いよ() プロストのは、飛ばしダウンが出来る仕様じゃなかったっけ?
スペアカー(マンセル仕様)は従来通り、順番に落とす仕様だったような記憶が。 >>764
ほんと、そうですよね。
89年のフェラーリ640の前期型と後期型なんか、こっちのほうを640と640/2みたいに番号分けしたらいいくらいに思う。(インダクションポッドの形状が明らかに違う) >>757
当時、決勝スタート後、数周以内の赤旗のときは最初からレースをやり直しだったよね。
だからこのようにTカーに乗り換えられるシーンも観られた。
現在のルールは厳しすぎる感じ、もう少し緩和しても良いルールもあると思う。 タミヤの製品でも初期型は存在してたはずなのに幻化してる
(1/20のプラモデルでも後期型の商品化と入れ替わりに生産終了して以降再販無し、
RCカーは元々後期型のみ)ってやつですね。
当時は金型作るのに手間が掛かったうえに分割が難しいんで丸ごと直しちゃうことがしばしばあって、
そうなると改修前の商品が再販不可になる(ロータス107の92年仕様もこのパターンといわれる)
というのがよくあったけど、設計データさえ残ってれば、あとはロットが期待できれば何とかならないものかと。
F189前期型の立体製品ってのは他ではあまり聞いた事無いし。 現在も同じも思うが、当時のプラモデルは最初はメーカーの社員が設計図が無い状態から
少しずつ金型を作り上げていったのだろうな。
まさかF1チームから設計図の写しをもらっていたとは思えない。 ユーロブルンのランジェスや、コローニのチャベス、アンドレアモーダのマッカーシーにライセンスが発給されて、なぜ中谷明彦には発給されなかったのか未だに謎 >>775
中谷はライセンス発給条件を満たしていなかったから。
国際F3000に出ていなかったし、前年のF3チャンピオンでもなかった。
F3タイトルを取ったらすぐに申請していれば通ったのにね。 でもあんなチーム状態なブラバムじゃ乗らなくてかえって良かったと思う。
ヤマハV12からジャッドV10にエンジンが変わって
軽くなったはずなのに戦闘力も活動資金もガタ落ちになって予選すら突破出来なくなるとは・・・
89年ザクスピードの亜久里の二の舞に成りかねなかった。 同意
持参金だけ取られて何も得るものなく終わってたと思う
ヴァン・デ・ポールもアマティ後任のヒルも当時は綱渡りドライバー人生真っ只中とは言えよくあんな所に乗ったわ >>778
デーモンは親パワーがあったんじゃないかな
その後チャンプ取るほどに化けるとは誰も思わなかっただろうけど >>780
ヒルはフットワークのF3000車両でも予選通ってみせたし、実力の片鱗はすでに見せていたよ。 デーモンはテストドライバー時代が長くても腐らず頑張って、マンセルやニューウェイのお気になってたのもデカイ マンセル自身も苦労人だったからか、ヒルを弟分のように可愛がってたのは何となく分かる >>774
確か金型起こす前段階で、反転する前の雄型形状にするための木型は
当時の工程として普通は作ってたというんだけど
(今はこれが3次元データからの出力→確認して手修正→またスキャンしてデータ化)、
この手彫りの木型自体が残ってるか、それを作る前だったり事後に採寸した図面なりが残ってれば
そこから起こすのは何とかね。
「いよいよとなったら未組立の製品そのものがあればリバースエンジニアリング的な手順でも作れる」
みたいな荒技もあるとは聞くけど(要はよくある海外製パチモノキット的手順)、
まあ結局は見込めるロット数と、それに対して立ち上げの復刻コストやロイヤリティが見合わなくて
30年間一度も実現してないんでしょうね。
ST27やエブロ辺りで「変更された内容に相当する部分をレジンとかで作ったトランスキット」
(タミヤの部品を複製したというのではなくて、自社のオリジナルで設計して
『T社後期型』に嵌まるように作るという仕様なら権利関係は問題無いし)っていうんでもよいけど。
RCカー用ボディはもうちょっと簡易な金型で出来るし、「タイプF-89」かなんか言って
デカール無しで売る分には無版権で出るからハードル低そう。
「M-L91」かなんかいってメーカーのサンプル品塗装が紫色でサイドポンツーンが妙なやつとか。 >>780
親父さんとっくに飛行機事故で亡くなってたうえに
飛行機の保険に不備があって金銭的にも大変なことになっちゃったって経緯はあるし、
そのうえお母さん自身は息子がレースに出るのは反対だったって意味では
直接的な意味での「ヒル家の後押し」ってのは無いよ。
もちろん「父グラハムのかつての仲間達」っていう人脈もあったり、
「父親はイギリスの国民的英雄」って面はあるにはあるからこそ、
奥さんのジョージーさんが内職しないと生活は苦しいってくらいの状況とはいえ
レース続けられる程度のスポンサーには何とか恵まれるとか、受け入れてくれるチームはあるとか
そのくらいには助かったかもしれないけど。
それでもウィリアムズのテストドライバーに行きつくところまでは
ジャック・ヴィルヌーヴのヨーロッパ時代みたいなもので、差し引きでいえば
「今は亡き偉大な父」の存在は重圧の方がでかかったんじゃないの。 マンセルへの恩は死ぬまで忘れない的な事を言ってたよね
ヒル >>775
やっぱり当時の日本人だとF3かF3000どっちかチャンプ取るかせめて2位まで行かないと厳しかったよ。
服部はF3チャンプ獲ってたからコローニでも一応乗れた。 >>788
元全日本F3のチャンピオンだから、話がややこしいんですよ。 なんだかんだ言っても、ヒルはセナ亡き後にチームがファースト待遇と優先権を明確に与えてない状況下でも
常にクルサードより速かったし >>789
正攻法だと「申請する直前のシーズンのF3チャンピオン」とかいう基準だから、
やっぱりF3のチャンピオン取った時点で「当時はJAFが渋った」とかなんとか言っても
拝み倒してでも一旦申請しとくべきだったってのが本当のところだろうなと。
で、その2年の期限が切れるまでの間にスポット参戦で乗るという方法もあったし、
海の向こうではインディカーのオーストラリア開催絡みで
マイケル・アンドレッティのスーパーライセンス発給についてバレストルが脅し掛けるなんて一件も
既にその前年に起きてたんだし、
さらにいうと国際F3000の権威をちょっとナメてたんじゃないか感もある。
全日本F3000の成績単独で通るには「オートポリスで1勝しただけ」というのは少し厳しくて、
その他の実績との合わせ技でというには、当年の海外実績が皆無というんじゃ流石にと。
87〜92年デビューの日本人F1ドライバーで、スポットですら国際F3000出走実績が無い人居ないでしょ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています