モンテカルロラリーでパルサー系を走らせてたチームマジョルカも
単純に面白いからそうしてたのか、日産から何か頼まれ事というか
「この車を使ってくれるならお安く出せます」的な提案でもあった、とかいうことなら、
同時にサーキット仕様も作って実戦走らせて
後のパルサーGTI-Rに至るGr.Aラリー用の基礎実験がその段階で始まってたって線も。

今はコンピューターシミュレーションの中での解析とかも進んで開発時間が短縮されてるけど、
この当時の新車開発は数年かかるのが当たり前で、通常の4年サイクルのモデルチェンジで回す場合は
新型を発表した時点でもう次のやつの開発始まってるなんてのは割と普通の事だったんで。

1986年にGr.Bの世界ラリーで事故が続発して「来年からは世界選手権をGr.Aでやる」は決定して、
翌87年の開幕時点でランチア・デルタHF 4WDとセリカGT-FOURとファミリア4WDが出そろった状況を見たら
日産もこの潮流に乗ろうと考えて不思議な事は無い。

もっともブルーバードSSS-Rは既に用意出来てたんで、
普通にリアシートまである仕様を内外合わせて5000台作って捌けば
Gr.Aラリー第一世代としては上出来なんだけど。

ギャランやレガシィから比べれば一回り小さいって意味では期待は出来て、
結果的にパルサーGTI-R要らない流れだったかもしれないし。