【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 66laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 65laps
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まあ何か車の性能を突き抜ける速さみたいなのは持ってると思う。
それこそアンドレアモーダだとしても、若き日に「これが貴重なF1のデビューレース」
とかいうことになればちょっとしたショーが見られるくらいには。
ただモレノさんと違うのは、アレジが失敗すると次のレースは2台だったものが1台になりかねない点。 92年はフェラーリが二重底、ダラーラの楕円形エアインテーク、ヴェンチュリのペンシルノーズ、ジョーダンコピーのフットワーク、バナナノーズのベネトン、バラエティーには溢れてたな。 各チームともフロントウイングにあれこれ模索が見られたのに
マクラーレンは相変わらず旧来の形でこりゃ駄目だと思ったなぁ まあマクラーレンにおいては前年はそうじゃなかったものが
一応ノーズの底面とウィングがツライチになって、下側がまっ平らじゃなく流線型っていう
「レイトンハウスとかティレル018くらいの水準」には達したという意味では、
あそこの基準でいえば清水の舞台から飛び降りるくらいの一大決心はしたんですよ多分。
それでも当時の空力アヴァンギャルド系みたいな「床下5割理論」には遠く及ばなかったにせよ。 F92はモナコでカペリの有り得ないリタイアに尽きる >>724
Dタイヤは、当時の決勝用では、一番柔らかい。 >>716
>>717
なんだかんだ言ってバーニーに嫌われてると走れないよな
モレノとか嫌われてたのかな?
うまくても禿げてるとかだとスポンサー付かないって話も有るしな
ジャックビルヌーブもそうだし
ヒルはその点上手にブラバムから結構良い所にまでのし上がってる
当時のステファノモデナとかのブラバムとかかっこいいんだよなぁ
ザ・フォーミュラー使いって感じの雰囲気がさ
ピケもそう 予選用のタイヤ、たしかアウト・インラップを覗きホットラップの1周しか持たなかった。 >>722
3位3回じゃないか?
>>729
何かアクシデントらしきものが写ると「またカペリか」と予期して画面注視する時代だった >>731
全くのゴリ推しまではやらないし、興業主視点でフィクサー的にしか動かないエクレストンが、
私情で自ら動いたのがパトレーゼだったな
1993謎のベネトン入りなど何らかの取引があったのだろう
翌年もパトレーゼ本人が走ろうと思えばどこかで走れたらしい
しかしその年はシューマッハに見るも無残の大差をつけられ、完全にモチベを失ったらしく、引退宣言こそしないものの参戦を見送った
そしてセナの死でショックを受けてもう走らないと決めた
エクレストンは徹底的にビジネスで動く人だけど(ルックスもちゃんと加味してるところとかね)、
自分が貧しく下層階級の出身のせいか、少々血統主義のきらいがあった
ヒル以降二世ドライバーが増加していったのも納得がいく ピケがあっさりシート失ったのはなんでだろう?
パトレーゼより、まだまだやれたと思うけどな。 >>737
トップ4以外はピケの年俸が払えない
本人は最低10億以上希望してた
リジェが本気出したらくらいの額
>>722
調べたら最高三位二回だな
アレジでは三位なら大成功だろう >>737
ベネトン首脳陣からはモレノと馴れ合いでレースしているように見えたそうな。
給料に見合った働きをしていないと判断されたんだろうね。 隙あらばモレノネタ
皆本当モレノとかタルキーニとかいぶし銀ドライバーの話好きだな >>741
ここの人たちはモレノとアレジが大好きだからな アレジ… 世間的に過大評価の代表格
モレノ… (一般的には)過小評価の代名詞
ネタ豊富で日本との縁もある
こんな所か (実際のところは分からないが)モレノは何をやっても失敗するダメオヤジのイメージがあった。
ピケとモレノはモレノが7歳も若いのに、髪が薄いから7歳差には見えない。 >>723
やっぱり軽かったのかね?
30年近くたってもオフレコみたいなのが出てこないんだよね >>744
俺もそんな感じの印象。
話の流れで名前を出したけど別に好きじゃないw
91年は自国の英雄ピケ相手にヘラヘラしちゃって全然プッシュしてなかったそうだしな。
好人物かもしれないが好きなドライバーではないなぁ。 モレノ好きからするとある意味ベネトンでの二戦目以降はむしろ暗黒期じゃないか
この人はNo.1というか、実質一台というか、弱小チームの運命背負った時が本領
この時代の典型的予備予選常連泡沫チームAGSはたった2ポイントしか取れてないが
その内1ポイントはモレノ
もう1ポイントはタルクィーニがもぎ取ったもの
こんなかっこいい実力派ハゲはなかなかいないぞ タルキーニさんの92年シーズンは辛かったな。
リンランド先生のフォンドメタルはフォードHBとの相性良かったと思うのだが資金が尽きた。 >>750
もうちょっとあのマシンに信頼性があれば…
or
せめてシーズン閉幕まで参戦出来ていれば… ハゲ偉大だな
古代ローマの英雄カエサルもハゲでモテモテだった
ベルガーはカエサルの生まれ変わりかw ハゲ:モレノ、タルキーニ
もじゃもじゃ:マルティニ、モデナ
両極端だが、どちらもこのスレでは人気者だw >>749>>751
トールマンやね
>>750
GR02めっちゃかっこよかったな
リンランド先生の翌年のC12に繋がるのか
ろくに見れず終わってつくづくもったいなかった
こいつにタルクィーニならまともに資金が持てば最終戦までに入賞だって夢じゃなかった
https://i.imgur.com/Tf9FTtM.jpg
https://i.imgur.com/XiNTxFF.jpg >>756
チームメートのキエーザが予選落ち繰り返したあげく約束の持ち込み資金も持ってこずケンカして出てったよね。
ヴァンデポール最初から乗ってればもう少しマシだった? >>748
ファビが一瞬分からなかった。
こんなフサフサの時代があったんだなあ。 モレノさんといえばこの衝撃のF1デビューであろう(当時23歳)。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/Moreno_at_1982_Dutch_Grand_Prix.jpg
某ミスタールマンくらいの営業力があれば…と思うが
アルシンドといいマウリシオ・サンドロ・サラといい、ブラジル人は別に禿げても被る習慣が無いのか。 >>762
白髪だらけのお前が何言っちゃってんの?w 亜久里は94年もアロウズと交渉してたみたいだけど、フットワークと無限が抜けたチームはまともに取り合ってたのだろうか…
ちなみに98年は右京は持ち込みゼロでも乗ってくれってミナルディに言われてたみたいね
翌年の中野は契約直前でバドエルに奪われた
フェラーリの圧力がかかったとか何とか >>754
今さらだが、ブーツェンてアメリカ大統領顔だな
日本だったら立候補打診されそう >>754
90年にベネトンがシンボルのデザインをあっさり変えたのにはびっくりした。 ウイキで見たが、現在ブーツェンは飛行機の売買ディーラーしてるのね。
F1引退後、実業家になるドライバーは多いね。 >>730
つまり温度は上がってないけど、これから間違いなく乾いてくるし
ラインを選べば充分いけるという状態でレインから履き替えるには最善選択と。 >>764
ブリアトーレが、右京をかってたからね。
ベネトン入りしかり、ミナルディ入りしかり。 この時期の割とどうでもいい思い出のひとつ。
「スクーデリアイタリア」という呼称が定着する前の段階で、
今宮氏が「ダララ↓」と発音していた件。
今なおアレは英語圏でもダラーラに近く発音するんじゃねーのかと。 マジメかおまえ
ブリアトーレが本気で右京なんぞ買ってるわけがない
ブリアトーレは昔からセカンドは商売用と見なしてた奴
94年冬の件は右京を使ってJTからさらに金をせびろうとしてただけ
90年冬にも亜久里から星野まで声かけまくってたしな >>772
今宮はちょっと独特の言い方をするからな
ダララよりもレトーの方が気になってた ケイヨ・エリク・ロズベルグ
イルキ・ユハニ・ヤルビレート 長キチ=今宮
妄想で文章を書く
ありもしない事を事実のように語る
他人と違う言い方、表現を好む
語っても書いても中身は意味不明 英語も話せない癖に独特の言い回しで優位性を示そうとするわファーストネームわ呼ばわりするわ人の話に割り込んで手柄を横取りするわ醜悪な人間性ですよ GTOという言葉を聞いた場合に
・GT Overall
・Great Teacher Onizuka
・とりあえず北米後期のNAシングルカムでFFでATのを逆輸入して神を倒しにかかる
…どれに該当するかで世代と嗜好がわかる。 しまった。ギルフォードテクニカルオフィスが必須なのに入れるの忘れてたわw
アレは確かマクラーレンがF1(ロードカーの方)作る時に買い取ったっていうから
現マクラーレンオートモーティヴの社屋って事でよいのか。
なお、こやつはDOHCだけど前輪駆動のやつ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/be/White_Mitsubishi_3000GT_front.jpg >>774
俺はジャットをジャドーに違和感あったよ。 あれだけ軽く作りゃー、ってなるけど
ティレルに載ってた92年はそこそこ完走率が高くなってたんで
出走初年度のレイトンハウスの印象が強すぎるんじゃない?
マーチの方もモントリオールでヴェンドリンガーの渾身の走りに応えたくらいだから
やっぱり2年目以降(その後ザウバーに載る→最終的にメルセデスエンジンになる)は
良くなってたんだと思う。
ティレルとマーチの2チーム体制だった92年に関しては分からないけど
94年のザウバー(こっちはもうメルセデス)/パシフィックの2チーム供給の時は
パシフィックの方はハイニ・マーダーに移管されてた模様。
インディでもイルモアだけで面倒見切れない分はペンスキーやジム・ホールのところに外注してたというから
この種のアウトソーシングはイルモアにおいては珍しくないようだけど。 マクラーレンMP4(マクラーレンプロジェクト4)
ウィリアムズFW(フランクウィリアムズ)
ジョーダンEJ(エディジョーダン)
はわかるけどマーチCGのCGはなんのイニシャルですか?
フットワークFAはF特の「セピア色の追憶」という記事でようやくわかった。 カペリのマネージャーだかしてた、チェザーレ・ガリバルディの
略だったかな? リジェのJSはジョー・シュレッサーなのだけど
彼の名を冠した車が最後に無限ホンダを積むことになり、
そしてその最後の2シーズンが久々に輝かしいものになるという歴史の皮肉。
>>790
フェラーリのGTO系ってのは一応その「GT Overall」に由来してると思ったのでw
そしたら違って「Omologato」の方なんすね。 >>781
発想の端々に糞貧乏が垣間見えるんだよな >>782
オモロガートが無いのはなんで?
モータースポーツファンなら最初に出る人が多いだろ。 >>791
チェザレ・ガリボルディ
カペリのマネージャーだった人だっけ。
亡くなった翌年から採用された記憶 >>793
なるほどね。
でもまあ、フェラーリなら1960年代の250GTOから続く名前でもあるのよ… >>782
GTO神が降臨した時(か、その直後)
オレGTOスレにいたわ。
歴史の目撃者になった。 アロウズは90-91年にフットワークになって暗黒期だったな。92年から多少持ち直したけど。 90年は前年健闘した中堅チームが外したイメージがある
アロウズとかブラバムとか 約30年も前のF1のことに、これほどの書き込みが今もあるというのは驚愕だね。
いかに今のF1がつまらなく、この頃のF1が面白かったかという何よりの証拠なんだろうな。 もし、この時代のチームやマシン、トップドライバーほか、実力派の個性あふれる中堅ドライバーもごっそりそのまま持ってきてF1をやるといったら(全く過去を再現するという意味ではありません)、喜ぶ人間もかなりいそう。かくいう自分もそうだけど。 >>799
設計に取り掛かってたかどうかはともかく
とりあえず93年の開幕時点ではCG911Bをさらに93年規定に合わせて再改造したもの
(CG911C?)で臨む予定になってた。
茂木にあるティレル020ホンダが一時期BS製のタイヤセットで走ってたことがあるんで
車体側を全く改造しないで93年以降ルールの細幅リアタイヤ付けても
危険じゃないレベルで走行自体は可能。なので予算の都合で最悪そのレベルってのはありうる。
それでもキャラミにはエンジンが届かなかった(英語版)だか、「車両すら来なかった」(日本語版)だかで
走らずじまいに終わったと、Wikipediaの各々の記録にある。 >>803
当時はマクラーレンですら年間予算は50億位と言われてたからね。
新規チームの参入も多く、新しい血の多い分野ほど活気があるのはどのスポーツも同じ >>804
そうなんですか。
どうやら'93シーズン開幕後も、イギリス?にあるファクトリーに、前年のまま、マシンは放置されてたっぽいですね。
ドライバーはキャラミに来てたらしいですけど
次のブラジルGPで、マーチはF1撤退を表明したらしいので、その後のマシンは破産管財人により処分されたんでしょうね… 90年代になって2年落ちシャシーを継続使用するのって、余程開発費が無いのかと思うくらい
マゾとしか思えん。(ティレル020Cが最後か?)
マーチはまかりなりにもF3000やインディなどでシャシー販売とかもしてたけど、
この頃はもうフォーミュラからは撤退してたのかな? >>807
この頃のマーチはF1しかやってないですね。 そしてセナの2レース分のギャラ相当で年間予算を賄えて
(そのうち結構な比重がベイリーとバーテルスの持ち込み)
3ポイント獲得出来てしまったチームロータスの奇跡…。
ヨーロッパラウンドでは貸切バス取って、トランポの運転手さんを別とすれば
ドライバーやチーム首脳陣から下っ端のスタッフまで全員揃って和気藹々と移動していたという。
92年のマーチにしても、フライアウェイ先のホテル代とか飯代にまで事欠く惨状なのに
モントリオールでヴェンドリンガーが2ポイント獲得してみせるし。 >>809
'92マーチの末期は、毎戦綱渡りしてる感じでしたね
スポンサーを現地調達してたようですし
あと、マーチを辞めたスタッフが、'94からシムテックに参加していたような事を聞きました。 まあこのころはチームの貧乏エピソードだけでもスレ埋まりそうな感じ。
91年ラルースも「だってこれ燃えたら次乗る車ない」と亜久里は最終戦でクラッシュでぶっ壊すまでその焦げあとの残ったマシンを使い続けましたとさ。 カナダあたりであまりの極貧ぶりに地元の篤志家が同情して無料で飯を振る舞ったり、
スポットスポンサーの呼び掛けがあったとは聞いた。だからカナダ以降、超小口スポンサーが増えて
耳無し芳一状態になるも、それでも何とか継続参戦ギリギリだったと >>807>>808
レーシングカーとしての名称使用権をレイトンハウスに売却してしまってたので
(だから一時的に「レイトンハウス・マーチ」になってた)
元々市販レーシングカーをやってたマーチグループの方はラルトを買収して
ラルトのブランドで車売ってたという状況。
92〜93年にF1やってた方のマーチは組織や人員の連続性からいうと
旧レイトンハウスの現地部隊の人達で、これは当時全日本F3000に出てた
ハギワラレーシング(要はスタッフの再就職先が見つかるまでの間、
萩原光選手の弟さんの任さんがチームを引き継いで運営してた)みたいな感じ。
一方で92年時点で、結局実車は出来上がらずじまいで
御覧の通り風洞実験モデルまでで終わった、SWC用の「マーチ92S」という車が発表されてるけど
http://www.mulsannescorner.com/march92s.html
プロジェクト自体はおそらく量産レーシングカーをやってたマーチグループ側で進行していたとして、
この時点で名称使用権関連がどうなってたか
(旧レイトンハウス側にも引き続き許諾はしつつも権利自体は取り戻してたのか、
実際に量産にこぎつけた時にはラルト名義で売る事になったのか)というのは不明。
フォーミュラ以外はマーチ名義で売ってよかったというならそもそも問題にならないけど。
インディライツ用ワンメイクシャーシの「ワイルドキャット」(F3000用の86Bがベースで92年まで使用)は
CARTとの供給契約の都合もあるだろうけどマーチブランドのまま継続してたし。 >>812
いいね、カナダのマーチのそれこそ小さいスポンサーロゴペタペタ。
それで4位に入るとか堪らないっすね ピケとマンセルがタイトルを争い、予選でクラッシュしたマンセルが悲痛な顔をコクピットから覗かせていたあの年はほとんどセナを知る人はいなかった。
3日間あった予選のさすがに木曜日は行けなかったけど金曜日からは堪能したよ!
観客数も金曜日が3万人で土曜日でも4万人と、その翌年とは比較出来ないほど空いてた。
マスコミに作り上げられたセナ現象のせいで、予選中に場所を変えての観戦もできなくなった。 >>815
ウソこくなよ
ホンダのエースで中嶋の相方だぞ 1986年時点で、「ホンダとマクラーレン以外」で何とか追いすがってこれたのが
ロータスのセナとベネトンの新鋭ベルガーくらい、という状況だったんだから
ある意味よっぽどなニワカじゃなきゃ知ってるレベルだったでしょ。
中嶋さんも「年齢的には下だけどF1では尊敬してる先輩だ」っていって、
チーム内事情的にはいくらか面白くないことはあったにしても
公式な場ではきちんとエースドライバーを立てる側に回ってたし。 >>806
エンジン無しの状態で最終のを売りに出してる画像が出てくるね
どこかの金持ちのお城みたいな階段の下の広いロビーに置いてあって
中はエンジン無しでマフラーが排気の部分だけでアンダーパネルにくっ付いてて
レイトンカラーに塗られたままのスポンサー無しだね
それでもかっこいいんだよね、あれ
ギヤーボックスとコイルさ明日ペンションが又なんか良いのよね〜
走って欲しかったな〜と思ってしまう最後で ミナルディが1年浪人しようとしたセナに、年棒払えない代わりにマシンを君の好きなカラーリングにしていいからどう?ってオファーした話が好き。セナも契約はしなかっものの嬉しかったみたい。 セナとミナルディの話はよく出てくるね。
いつもミナルディのモーターホームで美味しい物食べさせてもらったセナが、
最後の1年はミナルディに乗ると約束してたって話とか。
もしセナが生きていてこの約束を果たしたとしたら97年くらいになって、
もしかしたら右京と組んだって可能性もあるのかな? バブル崩壊後によくディスカウントされてたなレイトンハウス
F1ショップでもティレル、ラルースと並んで安売り対象だった
一方スポンサーのヒューゴー・ボス、トミー・ヒルフィガーはその後さらに人気ブランドに レイトンハウスって名前だけは残ってたのか、田舎のイオンで
レイトンブルーじゃない普通のトレーナーとか売ってたなw まあ、地上げ屋だしな。
モータースポーツでスポンサーするにあたって耳当たりの良いレイトンハウスという言葉を作って、
不動産屋では格好が悪いからアパレルを始めただけだし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています