【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 66laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 65laps
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このカナダGPも覚えてます。
最終盤(ブランドルのリタイア後)で、優勝したベルガーがファステスト出すまで、ファステストラップはブランドルの快走。完走して2位か優勝だったら、イギリスGPより、むしろこちらのほうが内容は上だったと思う。
ちなみにモナコGPでもマンセルのあの有名なタイヤ交換が無ければ、ファステストラップはブランドルだった。
1984年の成績抹消といい、どこか運が無かったドライバーだった。 >>570
そうだったなあ。
ウィリアムズでもセナでもシューマッハでもない優勝争い…。
それをベルガーとブランドルがってだけでワクワクさせられた。
>>572
ブランドルのこの年唯一のマシントラブルが、あのカナダだったっていうのも、
ブランドルのとことん持ってなさを象徴してる気がする ブランドルは勝てなかったけど少なくともアレジやブーツェン、ナンニーニ辺りより劣ってたとは思わない
引退前の顎相手にあそこまでやれたのはブランドルだけだよね そうなんだけど顎がキャリア2年目でまだ指針となる奴が居なかったのと本人の地味さがとことん仇になった >>569
あのタキをして「やられた」と言わしめるとか相当のF1ジゴロだったんだと思う
>>557>>574
故ウォーカー氏によれば、ブランドルは84年のダラスのクラッシュで両脚やってしまい、以後自由なベダルワークが出来なくなってしまって、それが予選の遅さに繋がったという
あの両脚粉砕がなければ、運が良ければチャンピオン争いまでいかなくとも
ベルガー未満ブーツェン以上は勝ってた気がする
ナニーニと同じ59年生まれか 96年も凄かったな伸び盛りのバリチェロに後半勝ち越しとか ブランドル3位の92鈴鹿はNo2揃い踏みで『表彰台は陰の男達...』の実況が忘れられない。 ブランドルがそんな酷い怪我してた事なんて蛆のF1中継見てる限りでは知り得なかったよね
ふざけてるわ >>577
ベルガーなんてそんな大したもんじゃ無いと思うけどな
87??88の印象が良かっただけで他は相方を圧倒出来て無いし >>575
また内容被っててワラタ
>>576
F1のボス受けメディア受けは良くなかっただろうね
顔は俳優みたいに渋いんだが、キャラクターが超地味だし
ただこの人がまともにF1残ってたら、歴史は少し変わってたかな
例えば年の近いヒルは浮かび上がれなかったかもしれない
>>578
あのエディ・ジョーダンがF1来てから持ち込みゼロで金払ってとった最初のドライバーがブランドルだったそうな
バリチェロに健闘したように、晩節汚してないから余計に実力者のイメージのままなのかもしれないね >>580
今でも軽く脚引き摺ってるらしい
サッカー好きなのに、F1関係者のサッカー大会出てもパスワークするだけで、あまり走れなかったそうな ハーバートの怪我はかなり触れてたよな
ふざけてるわ >>581
ベルガーは良くも悪くも「時々とても速かった」ドライバーかな
たまに主役を食う名脇役なんだけど年間通しての活躍って出来なかった
ベルガーにブランドルの粘り強さとコンスタントさがあればチャンピオンだったな ブランドルを語ろうみたいな流れにあやかって…
そう、84年ダラスで大ケガ以降欠場なんだけど、ダラスの前戦のデトロイトで、優勝したピケのすぐ後ろの2位でフィニッシュしてるんですよね。
ライバルセナのモナコ2位に並んだみたいな感じで…
ダラスのケガと、成績抹消は本当に痛かっただろうな。 >>580>>584
その点はやっぱり実況と解説の不勉強さとかもあると思う。
レース界全体で見るとブランドルはメジャーなドライバーの一人だったはずなのに、彼らからするとF1出たり入ったりしてる中堅以下の扱いだったんだろう。
>>578
ジョーダンの96年後半は確かに予選も決勝も互角以上だったイメージ。
華はなくなってたがザ・仕事人という感じで俺は格好いいと思ってたよ。
ずっこけベルガーも嫌いじゃないけどねw
>>579
ビッグ4一人もいないパトレーゼベルガーブランドルの鈴鹿ってのは、
今思い返してもユニークな場面だったよ。
>>587
当時のヨーロッパではセナより僅かに遅く、セナよりわずかに安定感で勝ってたイキの良い新鋭というイメージだったらしい。
セナと同じでストリート得意だったから、同じようにストリート連戦で結果出すはずだった。
しかも相方同じようにストリート強いベロフだもんな。 >>577
Murray Walker氏ご存命だぜ。勝手に殺さないように! >>588
それは初耳です。ありがとうございます。
でも、実際、83年イギリスF3でも、そんな感じでポイント重ねて、最終戦迎えた時はブランドルがわずかにランキングトップだったんですものね。 まぁ なんだ。
長生きできた人の方がいいように感じるんだが。
新撰組の永倉新八的なポジションかね。 >>589
おお、すまん
>>590
イギリスのレース界の盛り上がりは凄かったらしい。
クラーク、ヒル、スチュワート、ハントのチャンピオンの系譜と期待されてた。
マンセルあたりがロータスで悪戦苦闘してた時期でそこまでの見込みないと思われてた時代でもある。
>>591
96年開幕メルボルンとかも一歩間違えば死んでもおかしくなかったからな。
ベロフが耐久で亡くなった時は、前年の怪我のこともあり、ショックで辞める事も考えたそうな。
無事これ名馬という意味ではブランドルは幸せなのかもしれない。 2000年前後のハッキネンも、健康にキャリアを終えられることが一番だとしきりに言ってたなぁ。
自身が死の淵を彷徨ったり横死するドライバーを目の当たりにしてきた重みを感じた。 予選でマイケルの後ろにコンスタントにいたのはマーチンだけだったな 並んで走ってたからベネトン変態と言われてたな
ただタイムはめっちゃ離されてたけどね
でもJJもハーバートもアーバインもめっちゃ離されてたか
と言うか前年のピケが入って来るなりいきなりやられたからな
レースであんなにシューマッハの前を走れたのはブランドルだけだな
まともに戦えるマシンで走れたのは一年だけで、その年がウィリアムズ独走のシーズンだったのも痛かったな 「唯一の白黒の旗チェッカーフラッグ あとは全てユニオンジャック!」
古舘のこの叫びはなぜか今も覚えている<92年イギリス >>582
>あのエディ・ジョーダンがF1来てから持ち込みゼロで金払ってとった最初のドライバーがブランドルだったそうな
あのモデナもスポンサー持ち込んだのか…。意外だw とことん持っていないブランドルということなら、92年ベルギーGP ← シューマッハ初優勝のやつ。
終盤、シューマッハがコースアウトし、すぐ後ろを走っていたブランドルに抜かれる。この時、ブランドルのタイヤにブリスターがあるのを発見し、復帰後すぐタイヤ交換 → トップに浮上し、全員タイヤ交換後もマンセルのマシン不調もあり、トップを守りきって優勝という流れ。
本来、タイヤ交換するのはブランドルであり、予定通りのタイヤ交換なら(シューマッハがコースアウトしなければ)、優勝はブランドルだったはず。 「まさに奇跡!ミラクルウィン!」
からのFACESが一番印象に残ってる >>597
モデナは国際F3000でオニックス・マーチ乗ってた時(この時マルボロフルカラー)から
マルボロドライバーだったはずで、92年もヘルメットにマルボロのステッカー貼ってあったとすれば
プラマイゼロか、少額とはいえ持ち込んでたという辺りかと。
もしくはイタリアンドライバーにしばしばある、表に名前出さない後援者さんが居たパターンか。 FACESってセナ自身は聴いた事無いんだろうな。聴いてもらって感想聞きたかったな。 >>601
「いいとも」に出演した時、登場する際に「FACES」が流れていたように思う。
ただ、それをセナが自分のテーマ曲だと認識してたとは思えないが。 すまん、勘違いしていた。
登場した時流れたのは「TRUTH」だったわ。 ハントのもとに旅立ったか…。
キャリアの最終盤にプロストを0.5差で下したのをギリギリ知ってるから
そのレベルで充分凄い人なのだが、
このスレの時代だとラウダは確かにフェラーリのアドバイザーだったり
「グッバイ・ヒーロー」のインタビューの人。
ハントはBBCの解説の人ってなるな。 >>604
アドバイザー就任は92年でしたかね
その時の功績はよくわからんけど、
ベルガーにとっては心強かったのかな RUSHという映画はとてもよく出来てるからお勧め、76年のハントとラウダを描いてる 1976年F1日本グランプリ、ニキ・ラウダ雨により自主リタイヤ NHKのニュースでもソコソコ時間を割いてやってたな ブラバムBT46BとマクラーレンMP4/1か2がいい 今宵は故人を偲びつつエルム街の悪夢でも見るとするか ラウダは94年にセナが亡くなったあとに、ドライバー組合の音頭を取っていたのが印象深い。
>>607
ラッシュ面白かったよね。
ライバル二人と当時のF1を丁寧に描いてた。
まだ見てない人にはお勧め。 F1を観始めたのは1987年からなので、ニキ・ラウダの凄さは正直実感ないな。 F1観始めたのは、1976年当時スーパーカーブームでサンスターのシャンプー買ってチケット入手して
晴海に見に行ったり、78年にポールポジションっていう映画の宣伝で同じく晴海でティレルP34のデモラン観たりと
富士の日本GP観たり、まさにラウダハント時代から観始めたな
それ以降、TBSダイジェスト版でビルニューブ、プロスト、ピケ等を知ることになる ラウダは偉大なドライバーなんだけど94年モンツァでアレジの走りをニコニコ見てたりアマティに手を出したりだらしなかった 400戦目のオーストリアGPの優勝者が地元ラウダとか500戦目の90年オーストラリアGPの際に振り返ってたな
たしかキャリア唯一の地元勝利だとかなんとか スタローンが当初ドリヴンをF1を舞台に企画していたのが、
あまりにロイヤリティが高すぎて無理だったから映像作品に協力的なCARTと組んだと聞くと
RUSHの制作チームはとてつもない努力をしたのだろうなとは容易に想像できる。
なにしろ撮影用に集めた車が、クラッシュで壊す用とかを除いて基本すべて本物だ。
ましてや「グッバイ・ヒーロー」や「ポール・ポジション」(それらの描写内容について議論はあるとして)
みたいに
当時の映像そのものを使ってドキュメンタリー作ろうとした方が余計めんどくさいって日には
どうしろっていうんだよ二次元でやれってかよという話に。 本当に後にも先にもあれだけミハエルの前を走ったのはブランドルだけよ 「たいれる」懐かしいな
P34とM23は今でも好きなマシンだ >>622
確かにそうだけども、
1.チームが極端なシューマッハ偏重体制でまだなく、それにチームオーダーも(おそらく)無く、自由に走れた。
2.マシンが後に有名になる「シューマッハスペシャル」仕様じゃまだなかった。
という点は考慮しないといけないかな。 そうそう。
さらに実質フル参戦初年だしな。
ブランドルが凄いというより、シューマッハの才能のほうが際立つよ。 いやミハエルはほかに比して最初から完成されてただろ
いきなりデビュー二戦目しかもシーズン途中から来てピケがあのやられっぷりだったんだぞ
別の意味でミハエル(&ブランドル)を舐めすぎ そのミハエルもロズベルグには勝てなかったな。
だからやめたんだろうけど。 >>627
最後の3年はオマケみたいなもん。
でも最終年モナコの予選アタックは鳥肌立った。やっぱりシューはシューだと思ったよ。 >>626
まあ初めての鈴鹿でいきなり無茶して飛び出してるけどな。
最終的なリザルト確認するとピケ相手では別に圧倒してない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BBB191
アデレードの成績が凄く明暗を分けてる。
この時点ではまだ「速いには速いけど安定性には欠ける」ってところじゃないの。
デビュー戦のジョーダン191も、確かにクラッチの品質に問題があったことは事実とはいえ
初めて乗る車の扱い方として適切ではなかったし。
あるいは菅生で乗ったチームルマンのラルトRT23が、車そのものはヘッポコでも
整備水準に限っていえばあまりに良すぎて何やっても壊れなかったのかもしれないが。 >>604
この頃だと飛行機おじさんのイメージやな シューマッハの話してると、つくづくアレジが大成しなかったのが残念に思うな。90年の段階では間違いなく次世代チャンピオン候補だったのに。 まあアレジも安定性という面ではあまりに難があり過ぎたというか
マンセルやベルガーの方がよっぽどレース運びがって感じだったので。
最強の無冠の帝王とか引き立て役的なポジションかもしれなかった感はある。
そうはいっても流石に1勝しか出来ないとまでは思わなかった。 フェラーリのどういう面がアレジと合わなかったんだろう
どこのチームがアレジを活かせたのかな >>634
出来の良かった95年のフェラーリで一勝しかできなかった時点で選手権争うようなドライバーではなかったのかもなぁ。勿論、ここぞと言う時車の故障があったりアレジだけの責任ではないと思うけど…。 >>635
運や巡り合わせも優勝するには大事な要素だよね。
そこを引き寄せられるかどうかも能力の差って感じはするなぁ。
たとえば棚ボタ優勝でも、棚の下で虎視眈々と機会を窺う能力が必要だと思うし。 アレジも持っていないと言えば、持っていないドライバーだったな。
フェラーリが下降期に入るまさにドンピシャのタイミングでフェラーリ入りし、それがこれまたドンピシャで上昇期に入るウィリアムズ入りを逃してっていう… 88年カペリ
89年ハーバート
90年アレジ
期待の新鋭だった3人だけどなあ…。 ハッキネンも正直危ういタイミングだったと思う
よく遅咲きしたと思うよ 結局はその時所属しているチームの戦闘力が大部分を占めるわけで…
カペリなんかでも、1988年の走りからして、もっと早くトップチームに行けていれば、どんなに大成したかわからない。 フェラーリってのは最後に骨を埋めるところなのかもしれないなぁ
成長期に行っちゃダメな感じ 顎が412T2に初乗りした時ベタ褒めしてたんだよな
こんな良い車であの戦績はおかしいみたいな事言ってたよね
翌年は信頼性さえ確保出来れば良い線行ってたろうにバカデザイナーがガラッと変えて変な車出して来たのが惜しまれる ベルガーナニーニハーバートはクラッシュ事故大怪我のアクシデントでチャンピオンになれなかったイメージ
カペリアレジは元々チャンピオンクラスではなかったイメージ カペリは遅くとも90年シーズン後には別のチームへ移籍すべきだったと思う。
可能性があったのは、ナニーニの事故でモレノが中々決定しなかったベネトンくらいしかないけれども。
ジョーダンはいいマシンだけど、流石に新参チームに移籍するのはリスクが高すぎるし…。 ちょっと話題からそれるけど、逆にヒルなんかは93年に薄い確率を引き当ててウィリアムズで走れて、本当にラッキーだった人。
それまでの評価として、開発ドライバーとしては定評があったが、レーシングドライバーとしては??だったはず。
それがウィリアムズで腕を上げて、アロウズ、ジョーダンでのあの素晴らしい走り。 >>644
それはあるね
自分もカペリの成功ルートを考えると91年からベネトンしか思い浮かばなかった カペリ…もっと早くならば、89年からのウィリアムズ入りはどうなんでしょうか?ブーツェンか?カペリか?みたいな。
もしくはブーツェン抜けたあとのベネトンか? >>648
88年時点でブーツェンかカペリかで選ぶんなら、普通はブーツェンを選ぶんじゃないか?
それに、カペリもレイトン・マーチの実力と上昇機運に期待していた部分があったとしても不思議ではないので、
移籍を全く考えてなかったかもしれんし。 ゾルダーで天に還った星は再び天翔る馬に乗り 崇高な戦いを挑んでいるのであろうか・・・ >>647
アレジは過大評価の極みだよな
知り合いは「アレジは才能あったからこそ、それを生かせずシューマッハを独走させた戦犯」
みたいな事言ってたが、
元々あの程度のドライバー
ティレルで活躍出来たのはたまたま奴の走りにピレリがあってただけ
精彩を欠いたプロストにボロ負けの91年でハリボテがバレた アレジはピレリタイヤのお陰で過大評価された
カペリはニューエイ車の確変で過大評価された
同チームに二人を揃えた年は見るも無残な有様だったそうじゃ アレジの評価が低いのはまあ仕方ないが、ヒルの評価がここでは高いのが謎だ。
ヒルこそタイトルを争う器じゃ無いし、アロウズでのハンガリーもブリヂストンのおかげじゃん ハーバートはF3000の足の怪我が本当に悔やまれるな。キャリア後半ではいくつか勝ったんだし。 >>654
自分もヒルは大したタマだとは思ってないがプロストのケツに火を点けてペヤングや弱禿をどうにか凌ぎ切った事実は無視出来ないとは思う
あのマンセルだって歯車が噛み合わなければ2流として消えてた可能性だって有る訳だしね デイモンはブラバムで辛抱強く走ってたと思うんだが。
この頃からハンガロリンク上手じゃなかったかな。 >>654
アレジとヒルは境遇が真逆だから比較されやすい。
そして、残した結果と数字からアレジには分が悪い。
仮にこの2人の境遇が入れ替わったとしたら、アレジはウィリアムズでタイトル若しくはそれに準ずる結果を残すだろうが、ヒルがティレルで輝やけたとは思えない。当然フェラーリ移籍なんてあり得ない。 そう思うと、デビューから実績を積み重ねて、トップチームに移籍し、チャンピオンになることの、実力以外の運の占める大きさって感じ。
この運が極力少なく、限りなく実力でチャンピオンになったドライバーって誰だろう。
「なるべくして、チャンピオンになった」みたいな… いやいや、わからないぞ?
ヒルの開発能力は半端なかったっていうじゃないか。
ヒルの解雇がニューェイの離脱を引き起こしていることや、フランク御大が後年「ヒルの解雇は間違いだった」と話していることを考えれば、
そこまで捨てたもんでもなかったと思うよ?
まぁそれと速さとは別だし、引退間際のやる気ない走りは無様だったけどさ… >>642
Aスズキさんと顎はそういう時ばっかりは結構似てるんで。 >>660
ヒルは91年のウイリアムズテストドライバーの時代からテストでは評価されてたな
タイムもマンパトに準ずるタイムでコンスタントに走れたらしいし、ヘッドにもニューウェイにも信頼されてた
一方でアレジはティレル時代から????という 「当時、優勝を逃しているうちに優勝から見放されていったアレジとは対照的に、優勝をひとつひとつ拾っていくうち、本当に優勝できる実力を身につけてしまったヒル。
その走りに速さとか強さとかを感じることはできないけど、運を味方につけているヒルは、ある意味で強い」
Byグラ特の作者
勝てる時にはやっぱり勝っておかないとな 当時、未勝利ドライバーだったアレジがなぜフェラーリへ移籍できたのか不思議だったわ。 >>666
アレジの他にもナニーニにもオファーしてたし、イタリア系のドライバー欲しかったんじゃない?アレジはフランス人だけどルーツはイタリアだし。 ヒルのハンガロリンクの奇跡も、あの屈辱的な状況を耐え忍べなかったら不可能だったと思うぞ。 >>666
未勝利でフェラーリ入りはニキ・ラウダもジル・ヴィルヌーヴもそうだったんだけど、まあ、若いしプロストの2ndならとおもったんじゃ。 >>666だけど、そういえばマッサも未勝利でフェラへ移籍したからな。
要は、セカンドドライバーのポストで移籍したってことか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています