WRC グループB時代 SS2
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落ちてたので建てました。
※長文ことドリラジ君は書き込む事自体が荒らしそのものなのでご遠慮下さい。
※前スレ
WRC グループB時代
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1285400638/ サファリラリーの現場でメンテナンスするからとかプライベーターにも供給する
(そこまで前提にしないと事実上は一般客の需要を見込めない車を200台も作れない)
とかいうことまで考えた結果、「自然吸気でキャブレター」という仕様で作ったといわれてるけど
流石にちょっと発想が古すぎたんじゃないか感が。
実際には燃料噴射だから現場のメカニックが弄れないってもんでもないし
(セッティング弄る余地が必要だっていうなら電子制御じゃなく機械式の方にする手はあるし)、
ルノー5ターボやセリカターボはもちろん、メカニカルスーパーチャージャーの037ラリーだって
それが原因で壊れるってもんでもないってのは結果的に証明されちゃったし。
4駆にするしない論は、当時の日本メーカーの体力だとまだシリーズ全体にワークス参戦とはいかなくて
主にアフリカラウンド専用機として使われるという点では、ライバルの動向
(ランチアもデルタS4が出てきてからもサファリでは037使ってた)からいうと
サファリや象牙海岸で4駆使う必要性ってのは不思議と高くなかったようだし。 >>171
.開発担当の山洞氏の話だと、FJターボをテストしたらめちゃ速かった。
だがレギュレーションと公認の関係で何台作らなきゃならないという事は、
生産の方と折り合いがつけられなくて使えなかったが、
10台作ればOKなら無理矢理持っていくことが出来た。
そう答えてるから240RSの改良車を投入することは無理みたいね。 エボリューションは20台で良いけど、キャブのをインジェクションにすることすら駄目というくらい
(機械式を電子式にして良いかは知らない)意外と厳しいところは厳しいんで
当然もともと自然吸気なのをターボには出来ないからね。
百数十台売れ残ってるやつをベースに改造して、さらに足りない分を追加生産して
200台でございますっていうのは駄目だったんだろうかw >>172
S12でグループBのホモロゲ取って、エボリューションモデル20台作ってホモロゲ取れば良かっただけでは? ヨーロッパ仕様にS12のバーフェンの限定車があったけど
もしかしてアレはGr.B用にインタークーラー付きRSターボを200台作ろうとして
ポシャったやつの金型代を回収しようとした流れか。 偏見は良くないけど、IP:39.111.238.74さんってナイフ持って小学生の列に飛び込みそうな人じゃない? みんな、バイオレット(PA10)の後、すんなり240RSになったと思ってるから、
読み間違いをしてるんだよ。
バイオレットの後、910ブルーバード・ターボって、とんでもない喰わせ者が居た
って事に気付け。
そしたら、全てのピースが難なく納まるから。 ヒューズと空目してアンペア数間違って燃やしたのかと。 要は240RSが自然吸気+キャブレターで、足りない分だけ排気量ちょっと増し、後輪リジッドという
ある意味では当時としても旧弊きわまりない設計になった原因として、
そのブルーバードターボを実戦で試してみた結果てきめんに壊れた「ハイテク」の部分を諦めて
信頼性重視に振ったから、という事ですか? >>180
ググってもヒットせんな、ノスタルジックヒーロー辺りで扱ったネタかもしれんけど
ラリーカーズのバイオレット号に僅かな記載があったな。
当時のTDEのマネージャーの話だと
素晴らしいマシンだったが事情を知らされずにお蔵入りになったと書いてある。
だから喰わせ物の内容が他の文献が無いだけに詳細が分からんな。
ついでに流れを書くと PA10⇒PA10の2Dr⇒PA10⇒ブルーバード⇒S110⇒240RS
というのが開発の順序だな。 910→S110となる時点で後ろがリジッドに退化してるという見方も出来るし
使い慣れたPA10のプラットフォームに戻したという見方も出来ると。
独立サスで設計の新しい910ブルのプラットフォームにFJエンジンという組み合わせだと
上手くいくのか駄目なのか的なところも気になりますが。
S110シルビアだと通常量産車でZ18ET版とFJ20E版と両方、さらに240RSはFJ24まで積まれるので
エンジンそのものの重量がそんなに違って問題になるようには素人目には見えないし。
独立サスで壊れることが理由で止めたんだったら、現場で仕切った人が
「素晴らしいマシン」って褒めることと符合しないけど、戦績や当時の評価的にはこれはどうだったんです? 主力を910にチェンジするなんて考慮もされてないでしょう
1レース出走したのは広告を打つ目的じゃないの?
当時のカタログには後ろの方のページに「モータースポーツでも活躍する〇〇」って小さく記載されてた、あれが目的でないか
日産のラリーはサファリで勝つだけが目標
だから実績あるPA10をパワーアップしただけの後継車で良しとしたんでしょうに
そうして1983年サファリの後で若林監督が「エンジン以外変わってないから(信頼性は従来通り高いと考えて)大掛かりなテストはやらなかった」とコメントしてたが、現実はあらゆるものが壊れたっていう 日本サイドはS110を走らせて満足しこれにデカいエンジンを積めば
勝てるという認識で240RSへと走ったと有るね。
欧州サイドはグループBのレギュレーションを見抜いてプロジェクト90という
パルサーベースにリヤにスチールフレームを組んで
VGを縦置き+ヒューランドギアボックスの車を設計しようとして止められた
経緯があるというのが面白い所。
日本人監督の若林氏が止めたけど037を見て気付いたときには240RSを
止められない所まで来ていたともあるね。
この辺はラリーカーズでしか読んだ事のないお話ね すると欧州の現場は910ブルに好感触を得たけど
本社の思惑としてはありゃーただの広告用の一発花火だった→早々にお蔵入り
欧州が独自に自分達の欲しい物を試してみようとした→本社がプロジェクト潰した
→そしたら向こうの潮流からいえば実はそれは本来正しい未来だった
そして実戦の主力になったのは既に時代に取り残された旧弊なシロモノと。
…日産が過去にもその後にも何度もやらかしたパターンと全く同じやつなような。 >>186
こういう昔話は ムック本みたいなのが出ているのがとっても稀で
もちろん検索なんてしても出てこないよ(ブルーバードの話が本当かどうかは知らないが)
当時のオートスポーツやオートテクニックのこぼれ話みたいなコーナーに
ブルーバードターボ開発中の噂 ブルーバード好感触! あれは使い物にならなかったww
なんて感じで 数カ月や数年に渡って載ってたのを 昔のファンは覚えてていて話してるんだから・・
だから正確かもしれないし 怪しいかもしれないw むしろGr.Bの場合はコルシカの悲劇に伴う突然の終了で参戦機会を失ったやつを含め、
計画がどこまで進んだかはともかく実戦投入されずに終わった系は結構あるんで、
「名車の幻の次期型」とかいう形で既に取り上げられたやつを抜きにした分だけでも
ムック本の1〜2冊くらい作れそうな。
スタリオン4WDとかオペルカデット(こっちは「4×4」表記だったと思う)とか、
発表もされたし割と普通に存在知られてる系の他に
シュコダも一見したら向こうの珍走が勢い余って作っちゃったようなのを
一応は発表までこぎつけてたし。日本じゃベタ記事扱いだったけど。
その他に実験段階とかペーパープランだけで終わったキワモノ系に至っては
調べたら何倍も出てきそう感が。
スタリオンが公認無くても使えるミルピストラリーとかに試験参戦したというのと似たような形で、
マツダもSA22Cを4輪駆動にしたやつをロッド・ミレンに渡してアメリカのラリーで使ってるし。
ただ、モデル末期のSA22Cであの時点で始めて200台作るとは思えないんで
どう展開するつもりだったか読めないやつだけど。 速い時点でエアリストリクターによる300ps制限を実施すべきだったけど
それやったらスーパーチャージャー+ターボという重量問題いとわない装備してるランチアが許さないみたいな感じが 実際グループB公認終了からGTカーレースに至るまでの空白期間が痛すぎる
結局GTカーレースの需要はずっとあったのにFIAが認めないみたいないびつなことが続いたのは良くなかった
結局「FIAブッチの非公認だろうが勝手にスーパーカーレースやるわ」で、レイ・ベルム、ドン・パノス、ステファン・ラテルが
大正解だったという カデット4x4はグループSぢゃ(´・ω・`)ノ
てかパリダカにも出てたやん。 80年代半ばにFIAがサーキットでグループBやるべといっても
乗ったのがフェラーリだけしな
1995年に欧州はBPR、北米はIMSAが細々と続いてたけど
マクラーレンF1GTRが普及するまでは動きか遅かったよな >>199
あれってGr.B終わらなければ200台作るつもりでやってたのかと思ってたけど
最初からGr.S用として計画されてたやつなんですか。
すると「当時は極秘扱いで後から出てきた系」
(マツダのあのFC3Sのバケモノみたいなやつとか、公式にどちら用と明かされてないけど
トヨタ222DとかアウディのミッドシップクアトロやRS002みたいな辺り)とは違って、
車両自体は発表されてて、Gr.Sで使う予定なのも明らかとか公然の秘密っていう系統の
ランチアECVとか日産MID4とかと並ぶ系統のやつであったと。 >>200
スーパーカー系のGTはそもそも言ったって作れるというか、
80年代には作ってペイ出来ると算盤弾けるところが実質それしか無かったというところじゃ。
実際スーパーカーブーム末期くらいで、まだGr.4規定の頃にBMWはM1作って大火傷したから
あの時点では二度とやらねぇってレベルだったし。
959のホモロゲが予定通り取れてた暁に、ポルシェがどう使うつもりだったかは興味のあるところ。
市販バージョンでも豪華装備や電子制御が一部省かれた、ロードゴーイング走行会仕様的な
「ライトウェイト」の設定があったくらいだし、後にはルマン24時間用に961も作られるんだから
Gr.Bカテゴリが継続するようならサーキットレース活動があってもおかしくない。 >>201
長文も古本以外で情報を仕入れろ!!
Vauxhall Astra 4S >>206
まあインターネット時代になって凄いと思うのは
海外の資料がある程度(「翻訳ソフトで生成されるさらに難解な言語」
と格闘しないで済むためには相応の外国語能力も求められるので)
気軽に当たれるようになったって点ですね。
向こうは現物からして(しかも日本車すら)残ってる率まで高いし。 クアトロを持ち込んだフェルディナント・ピエヒが亡くなったな エンジニアと経営者の両方で成功したからね凄い人
モタスポの懐古本に登場する前に亡くなったな 寂れてるな…
他所の掲示板に貼られてた写真でパイクスピークを走る
プジョー205T16のリアウイングがエスコートの様な二段ウイングになっていたのには
驚いた GRヤリスが現代版のデルタインテグラーレとかストラトスとか言われてるけど
あのなりふり構わない感はデルタS4だろ……。
現行WRカーなんて、現代に甦ったグループB&Sみたいなもんだし。 現代版デルタとか一瞬アレかと思ってちょっとびっくりした 四国自動車博物館にあるデルタS4のシャシーナンバーは86年のツール・ド・コルスでクラッシュしてトイボネンとクレストが亡くなったやつと同じらしい
とは言っても内外装を本物に近づけているだけで違う個体なんだろうけど 四国自動車博物館、037、デルタS4、RS200をレストア
037とデルタS4は完了してエンジンが掛かるようになったな ティーポで不動だった205T16をE2の外装取り寄せて復活させ始めたぞ つべでグループBゆっくり解説動画見たけど、コメント数けっこう多いね。
オッサン爺さんには相変わらず孤高の存在として、グループBカーは記憶に残ってるということか。
それに比べたらレーシングオンのアホは、馬鹿の一つ覚えみたいにグループAマンネリネタを繰り返すな。 トヨタが日本で所有しているTA-64セリカって何台あるんだろ?
四国博物館にあって後にトヨタが引き上げた1986年サファリ仕様のゼッケン2
ワルデガルドが来日して走らせた車両がサァリ仕様ゼッケン3
トヨタ博物館で限定展示中の物が1985年仕様のゼッケン21
結構持ってるんだね 6R4関連だけどフランク・ウィリアムズ氏が亡くなったな・・・ リアルタイムであの狂乱の時代が追えたのは、間違いなく幸せだったと思う。 そういや全部重なってるね
F1のセナ時代、ルマンのグループC時代 この時代にWRCをメインに見ていたモータースポーツファンってのは
ほんの一握りだったろうけどな レーシングオン誌でモゲて落ちてるブレーキキャリバーが印象的でした >>229
最近再びレストア再開して更に調子良くなった模様
そういえばプラモだけどグリフォーネカラーが半年遅れで出たな この動画かなり見ごたえがある
Group B Classics | When Henri Toivonen ruled the rallying world with 600 bhp Lancia Delta S4
https://www.youtube.com/watch?v=LY-CFMir-Qw 当時トヨタでセリカ・ツインカムターボの時代のトヨタWRCワークスドライバーをしていたパー・エクルンドさんが
メーカーから貰ったAE86に乗ってニュルブルクリンク、スパ・フランコルシャンを激走する映像がある
だが、↓の映像は彼の実力の凄まじさを証明する映像になる。
https://www.youtube.com/watch?v=0GoWMQSfG9o
https://www.youtube.com/watch?v=a3tFDcVo1rU
↑で、すべてにおいて素人のドリフト族なんかと全然違う
荷重移動からの美しい慣性ドリフト、勢いと慣性ですっ飛んでコーナーを抜けていく
まるで漫画「頭文字D」の世界のようなシーンを、パー・エクルンドはリアルの世界に出現させた
だけど、ニュルやスパを攻めるにしてはタイヤ細いなぁ笑
それもそのはず、このAE86は、タイヤはもちろん、ホイールまでもド・ノーマル仕様
もしかしてブレーキもノーマルのままかも? 当時トヨタでセリカ・ツインカムターボの時代のトヨタWRCワークスドライバーをしていたパー・エクルンドさんが
メーカーから貰ったAE86に乗ってニュルブルクリンク、スパ・フランコルシャンを激走する映像がある
だが、↓の映像は彼の実力の凄まじさを証明する映像になる。
https://www.youtube.com/watch?v=0GoWMQSfG9o
https://www.youtube.com/watch?v=fvo2UoiBW_w
https://www.youtube.com/watch?v=a3tFDcVo1rU
↑で、まるで漫画「頭文字D」の世界のようなシーンを、
パー・エクルンドはリアルの世界に出現させた
だけど、ニュルやスパを攻めるにしてはタイヤ細いなぁ笑
それもそのはず、このAE86は、タイヤはもちろん、ホイールまでもド・ノーマル仕様
もしかしてブレーキもノーマル? ヒョンデのブリーンがクロアチアのプレイベントテストで亡くなったらしい…残念だ 1987年頃成田空港貨物地区で仕事してたとき
フォードRS200が何故かずっと置きっぱなしになってて
白いボディがどんどん汚れていって哀しかった。
他にシトポンスのNSR250のコンテナ、ウイリアムズFW10の載ったパレット
AARのGTOセリカ等々色んなレーシングカーを見られてキツかったけど楽しかった。 フォードRS200は三菱自動車が1台買って
走らせて実験 研究に使った後 普通はバラバラにしてポイだけど
もったいなかったのか社員の人に払い下げたという話を聞いたことがある 関東在住なら外国製ラリーカーに強い店も何件か当時からあったからお守はできそうよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています