追伸

これは、大阪に限ったことかもしれませんが、大阪は今から十数年〜二十年位前の採用試験、特に高等学校の5教科の試験は、激烈を極めていました。
近畿の他府県は、「軒並み高校の職業科以外の教員の募集はなし(欠員があれば、中学校合格者から廻す)」「数年ごと(採用数が複数期待できる年のみ)に実施」とかの措置を続ける中でも、大阪は主要5教科でも「各教科最低1名は」募集を続けていました。
そのため、近畿圏の「高校教員以外は、眼中にない」という希望者が大挙して押し寄せ、主要教科の倍率は軽く30〜50倍、毎年1名の社会科は100倍を超えていました。
このような時代ですので、高学歴者(修士、博士)の受験者も殺到していました。

当時は一次は「一般・教職教養」と「小論文のみ」(面接は二次以降、専門教科の試験が二次以降なのは、当時も同じ)でしたので、本当に「すごい学校歴に人たち」が二次進出者の枠を占めていました。(講師特例もまだありませんでした。)
ですが、その中からの最終合格者が、採用されてもなじめずに(やはり、現任者の行きたがらない困難校への配属が多かったため)、辞めて他県へ行くような人が結構な割合でいたそうです。
この反省もあって、またかねてから組合等の要求もあり、それまでの筆記重視から、人物重視へ大きく方針転換した(文科省の方針とも合致した)ということです。

注意されたいのは、ここでいう「人物評価」の対象とは、それまでの学校歴や社会人経験歴ではなく、「キツイ学校でも、耐えられるかどうか」ということです。
ですから、「新卒やそれに類する若手」か「講師歴(しかも大阪で)のある人物」ということになるわけです。

ですので、あなたの「華麗すぎる経歴」に対して、面接員が「困難を極めた往時」を思い出して、良い評価を付けない可能性があるのではないか、と危惧は致します。

以上、何かのご参考になれば、幸いです。