皇室が縄文系か弥生系か明らかにされていませんが、日本語は縄文系統、日本文化は南方系(縄文・弥生とも南方系)であることが判明しています。

弥生人は独自言語を放棄して縄文言語に帰依したことも分かっています。

弥生人のY-O2系の言語は南方オーストロネシ系であることが多く、明らかに「日本・琉球語族」(最近の優勢学説)とは異なるというのです。

昨今の遺伝子研究から日本では虐殺や伝染病などによる民族交代がなかったことも判明しているので、農耕技術に明るく秀でたはずの弥生人が言語のうえでも一歩引いたかたちで縄文人と同化していったということがわかります。

そして倭人・弥生人・百越人ともいわれるY-O2系の最大分布地はインドネシアを中心とする東南アジア、日本に分布する陸稲・水稲の発生源でもあります。

ことに日本に水稲をもたらしたともいわれる弥生人Y-O2b1は日本を最大分布地・分岐地としていて、さらに朝鮮半島にまで勢力を伸ばしていたことも分かっています。

縄文・弥生どちらにせよ、日本文化の根源は南方系、神話の高天原もそこなのかもしれません。

ちなみにインドネシアを最大分布地とするY-O2b*は朝鮮半島にもまとまって移動分布していて、さらに少数ながら日本にも分布しています。

それは高天原から辰韓の地(後の新羅)に天下りながらそこを厭い出雲に移り住んだスサノオ出雲族の伝説に符合したりもしています。