脳にあらかじめ用意されてきた生き方がすべて通用しない虚しい個人という感覚があるのではなく、
それは個人の終わりなのである。

だが、「あるべきこと」は、それに向き合い留まり統一することよりも他人に向けるのだ。
君、理想を抱き給えと

教師や崇拝されている宗教家たちとは「あるべきこと」の権化ではないのか?
すべての混迷を終わらせられないのは、「知っている」人たちによってである。

果たして、生き方など誰が知っているのだろうか?
それを言っている人自身が、恐怖そのものなのである。