怒っている個人という感覚があるのではなく、
そこには「怒り」というそれを終わらせるエネルギーがあるのである
が、「あるべきこと」はそれに向き合いそこに留まり合一することよりも他人に向ける

悲しんでいるとき、そこには「悲しみ」という過去の執着を終わらせるエネルギーがあるのである
が、「あるべきこと」はそれに向き合いそこに留まり合一することよりも、それから注意をそらす慰めを与える。
誰も死を迎い入れていないので、死という観念が終わずにかえって死が常にまとわりつく。

羨望や嫉妬する個人という感覚があるのではなく、
そこにはその対象に縛られて傷つく関係を終わらせるエネルギーがあるのである。
が、「あるべきこと」はそれに向き合いそこに留まって合一することよりも
他人に向けて羨望や嫉妬を繰り返すことでおわる。

するとあらたに創作することは起きない。
閉塞感がある世間とはこれにハマっているのである。
あらゆる理想や憧れがいっぱいあるのにもかかわらず、そこは創造的な環境ではない。