レッテル張りしている人間とは、いったい誰と関係しているのだろう?

はたして親とは関係したのだろうか、
肩書のない使い道がない自分の子供とは関係しただろうか、
肩書のない使い道がない友人とは関係したのだろうか、
役割がなくなった途端に最愛の人ではなくなる最愛の人とは関係したのだろうか? 

それらはすべて関係ではなく、
肉体的、経済的、精神的な「自己満足の追求」だけではないか

国家主義を目指す人たちにおいては、
「天皇の肩書」を利用することとのみ関係していて、その人格は無視され続けてきたのではないのか?
それは国家や天皇や宗教を利用する、「自己満足の追求にすぎない」のではないのか?

これではイスラムの原理主義で起きたことと変わらない

名称と形象の世界に生きて、レッテル貼りしている人間の活動とは自己保全のみである。
それは一切の関係の拒否なのであり、孤独に耐えられないゆえになおのこと「自己保全」を繰り返すのである。
で、その自己とは満足はしたのだろうか? 常に欲求不満で、まるで自分のしっぽを追いかけてグルグルまわる犬ではないか?

「どこの誰でもなかった」のなら、
その関係を拒絶するための運動にすぎない自己保全活動もなかっただろうに

その生涯がレッテル貼りの活動にすぎなかったあなたが守っていることとは、
本当はどこからやってくるものだろうか?

関係への恐怖からやってくることは明白なのであり、
自己とは、最初にも最後にもそれしかない。