信念に依存することは小鳥が巨大な像の背にのって
私はなんて大きな生き物なんだろうかと思っているようなものであろう。

信念は、単純に孤独に耐えられないのだ。
だが最後の最後には、なにも一切存在しない孤独と向き合うしかなく、

「私」だのという、寝たらなくなるものにも関わらず永遠の魂だのとふざけたことを言っているものは、
「感覚」にすぎなかったという虚しさに向き合うしかない

その「絶対的な虚しさ」そのものであるあなたが、とてもではないが耐えられないので、
信念で世界をがんじがらめにしたことが、世界で起きているカオスそのものである。

あなたは集団的で社会的信念では偉く、疑問すらなく答え合わせをし続けるのだろうが、
「絶対的な虚しさ」にいすらできなかった者でしかなく
一体どこに愛があるのだろうか?

「コレであってはいけないアレにならなければなたない」という二元性のプログラムは、
腑に落ちるものではなく「虚しい」よくぞここまで来たというしかない。