中2の不登校女だけど質問ある?
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>>109
思考回路が完全に朝鮮人だな
対話は無理だわ >>111
自分の言う通りでないと「議論でない」というのもインチキ教祖が良くやる手。 >>112
常に答え合わせに終始するあなたは、
自分のもっているイメージと話しているだけだ。
誰とも話などしていないし、なにも見たことがない。 >>113
あなたにとって民族意識とはなにか?会話できるのだろうか?
あなたが頼って生きているそれの正体を探ることはできるのだろうか?
国家がつくりあげた「決まりごと」に服従すべきというとき、
朝鮮であっても日本であってもどこの国であっても
人間よりも超越した絶対権威者を必要とするだろう。
人間は、自分自身が頭で作り上げたものにすぎない神を崇拝するべきなのだろうか?
だがその崇拝こそが
「これであってはいけない、あれにならなければならない」という二元性の元凶ではないのか 君の書き込みは現状に対する批判ばかりで自分の主張がない
つまりは、「あるべきこと」を批判はするが、結局批判だけが君の主張なんだ
その結果、君自身を形作っているのは「現状の裏返し」であり、それは結局「あるべき形」のお陰でできているにすぎない 青春は思い返せばいいものだというあなた自体が
レッテル張りに明け暮れていて自ら誰とも関係を閉ざしているではないか
まるで学校の先生のように、誰かの答えが載ったマニュアルの答え合わせに明け暮れていて
この生存にすら疑問がでることもない、みな病み老いて死ぬしかないのに疑問すらみないでないで死んでいく。
いや疑問があることを見ないようにする、なにかがあるのだ。
疑問があることをみたくない、あなたは「信念」を必要とするのだろう。
信念とは、すべて「コレであってはいけないアレにならなければなたない」という二元性のプログラムなのであり、
どのようなものであれ信念があるとき、事実はすべて思考の捏造品である。
いまや自分たちでつくった神や権威者の「宗教的信念」のために人間を殺し
「国家的信念」のために人間を殺している始末なのである。
地域的信念、学校的信念、学級的信念、クラス的信念、お友達的信念、
マクロのマクロまで疑問をみないように信念しかない。
それはただの人間であることを、その人間が許せないという馬鹿げた話である。 信念に依存することは小鳥が巨大な像の背にのって
私はなんて大きな生き物なんだろうかと思っているようなものであろう。
信念は、単純に孤独に耐えられないのだ。
だが最後の最後には、なにも一切存在しない孤独と向き合うしかなく、
「私」だのという、寝たらなくなるものにも関わらず永遠の魂だのとふざけたことを言っているものは、
「感覚」にすぎなかったという虚しさに向き合うしかない
その「絶対的な虚しさ」そのものであるあなたが、とてもではないが耐えられないので、
信念で世界をがんじがらめにしたことが、世界で起きているカオスそのものである。
あなたは集団的で社会的信念では偉く、疑問すらなく答え合わせをし続けるのだろうが、
「絶対的な虚しさ」にいすらできなかった者でしかなく
一体どこに愛があるのだろうか?
「コレであってはいけないアレにならなければなたない」という二元性のプログラムは、
腑に落ちるものではなく「虚しい」よくぞここまで来たというしかない。 >>117
とても単純ではないか?
すべて「あるべきこと」の信念で出来上がったあなたとはそこに思考があるという
かゆみみたいな「感覚」にすぎず、死ぬも生きるも存在すらしないのだ。 なんの解答もなくなったときに、はじめて生命は花開くのである。 なら何でここで自分の考えを牛の涎のように垂れ流してるんだお前は。
どうせ死んで終わりなんだから。 つくったものには終わりがあるが、
つくっていないものには終わりも始まりもない 過去をたらふく食えば、その知識によって、
「私」というかゆみやしびれみたいな、いっときの「感覚」を得ることができるだろう。
その「私」という感覚は、思考がつくりだす一時的なものにすぎないので、「あるべきもの」という時間を要する信念を必要とするのである、
ゆえに信念とは常に脅迫観念でできている紛い物である、それの抱える理想とは現実を混乱に落とし入れて葛藤がはじまる。
信念が生み出す理想とは、思考の延長を生み出すことがそもそもの目的なのであって達成はないのだ。
葛藤は最終的に、みんなセックスや暴力や自殺や、ドラッグや酒や宗教という陶酔や、国家思想や共産主義という思想に行きつくが
それは忘我という「私の感覚の終わり」を求めているのであって、どれもまったく同じことではないのか?
しかし代用品によっては、かえってエゴの強化があるだけで、ただの宗教的エゴイストや国家的エゴイストになるにすぎない。
偉大なあなた様は、かえって、わびしいことを隠さなねばらなくなる活動に終始するだけでおわるのだ。 忘我とは、忘我しようと坐禅や瞑想やあれやこれやすることではない。
社会的安定を望んで信念を持つのではなく、それら欺瞞にかえって疑念をもち
既存の社会とはまったく合わずに傷つきやすくあるのならば
それは過去の誰にもならないだろうが、思考がつくりあげた「感覚」でしかないものではない。
個人のものではなく
人間存在の深い悲しみと共にあり
「とても鋭敏であるもの」ならば
無選択に批判なく、すべてを逃さずに見つつ
無選択に批判なく、すべてを逃さずに聞きつつ
完全に起きつつあるリアルをありのままに全面的に受容しているときは
「私」という感覚が入る隙間と時間はなくなる。 「どう生きたらいいかわからない」
周囲の大人は自分たちももわからないのに、わからないからこそ
君たちに原理主義をくれるだろう。昔はこれで良かったのだと。
イスラムに生まれたのならイスラム原理主義
日本に生まれたのなら国家主義だ
それで安心できるのだろうか?
それは人間主義ではない、どれも使い捨ての非人間主義だ。
いまや人間の意識の中身はその悲しみの集積所にすぎないではないか
原理主義者たちはどこに神を探しているのだろう?
その深い悲しみのなかを深く深く見給え。意識の高揚のなかではなく、そこで見つけるだろう。
原理主義者たちこそ生きているうちに見るべきである、
死んでからでは断滅されるだけでとうに遅い。 で、牛の涎君は5chにこだわってむなしくないの?
むなしくないんだねw 「どう生きたらいいかわからない」
この生存には深い悲しみがある
まったくだ。 >>127
生き返ったときに禅の坊主になれといわれたが、
日本中のどこのどこのにもすでに「道」がなかった。
思考停止と誰から正解を与えられたせいで
みんな「道」とは違うことをやっていて、ただ眠っている 日本では、疑問と疑問の間にいるだけのことを「悟り」というらしく、
死から招待されてそのなかに迎え入れられることもないのだろう。
坊主こそが門を閉ざしてしまったのではないのか?
不登校の子供のほうがはるかに直面していてマシである。 >>129
で?5chに粘着してんのは何で?
不登校がいいって?
まあそういう綺麗事は実に「らくちんな話」でね。
当事者でない奴は、お口ではどうとでも言えるんだし。
落ちこぼれではなく「落ちこぼし」だとかね。
この表現は、一時流行したけど、「何の解決にもならない」から廃れた。 >>129
あんた「坊主崩れ」なんか。
それで、釈迦は大したことがないとか言い出してんだな。
酸っぱい葡萄を地で行ってる訳だ。
何で教育板ってこんなのが寄ってくるんだろう。 >>132
有名な宗教家がテレビ一般人の生活相談にのっていた
彼はこうしたらいいと迷える人にアドバイスしていた
宗教家とは、そうやって信者をゲットしてきたのだろう。
とても無駄なことではないだろうか
教えを与える彼らに払った賽銭のすべては無駄だ。
真逆に、彼がどうしたらいいのかなんてなにも一切「知らなかった」のなら
いくらでも金を払う価値はあるだろう。
彼が正解をなにも「知らない」のならよかったのに
「解」答を「脱」していて、まったく「知らない」未知の者がはじめからそこに共にいるしかないのなら
グルや教祖様たちはなんでもご存知だ、
崇拝や依存や信念を持つには調度いい。 >>132
ええ、あなたの教祖様は、
未知についてよくご存知でしょう。
死後がどうの、未来がどうの、神がどうのと、未知をよく知っていることでw
未知をよく「知っている」という完全な矛盾にさえ気づかずにw
知らなかったらそれが本物だったでしょうが >>132
あんたは常に自分なかのイメージとしか会話していない。 >>135
「お前も自分のなかのイメージとしか会話してない」
のだが、気が付かないのか。
流石何も知らないだけあるな。 >>133
「真逆に、彼がどうしたらいいのかなんてなにも一切「知らなかった」のなら
いくらでも金を払う価値はあるだろう。」
それソクラテスがとっくの昔に言ってることで、それをなぞってるだけ。
「お前も過去の成功者のイメージで話してる」だけの存在。
批判してる者と同じ行動をしとるという矛盾。
これをはぐらかさずキチンと説明してみ。 この牛の涎が、IDを変えて「複数人」を装ってるのは何でかな。
133と135は同じ人物なのがバレバレ。
128、129、130もそうだね。IDは変わってるけどw レッテル張りしている人間とは、いったい誰と関係しているのだろう?
はたして親とは関係したのだろうか、
肩書のない使い道がない自分の子供とは関係しただろうか、
肩書のない使い道がない友人とは関係したのだろうか、
役割がなくなった途端に最愛の人ではなくなる最愛の人とは関係したのだろうか?
それらはすべて関係ではなく、
肉体的、経済的、精神的な「自己満足の追求」だけではないか
国家主義を目指す人たちにおいては、
「天皇の肩書」を利用することとのみ関係していて、その人格は無視され続けてきたのではないのか?
それは国家や天皇や宗教を利用する、「自己満足の追求にすぎない」のではないのか?
これではイスラムの原理主義で起きたことと変わらない
名称と形象の世界に生きて、レッテル貼りしている人間の活動とは自己保全のみである。
それは一切の関係の拒否なのであり、孤独に耐えられないゆえになおのこと「自己保全」を繰り返すのである。
で、その自己とは満足はしたのだろうか? 常に欲求不満で、まるで自分のしっぽを追いかけてグルグルまわる犬ではないか?
「どこの誰でもなかった」のなら、
その関係を拒絶するための運動にすぎない自己保全活動もなかっただろうに
その生涯がレッテル貼りの活動にすぎなかったあなたが守っていることとは、
本当はどこからやってくるものだろうか?
関係への恐怖からやってくることは明白なのであり、
自己とは、最初にも最後にもそれしかない。 どこの「誰でもない」というところからはじめられないことが
人間の諸問題ではないのか? >>138
この五千年で教師や宗教者はどのくらいでたのだろうか?
とても数えきれないほどいただろう
原理主義者は、みんなどういきたらいいというアドバイスや、死後という未知へのアドバイスや
未知のことを知っているというあからさまな嘘で信者を獲得してきた
はんとに既知の人たちなのである。
教師やグルや救世主や宗教とは、
どういきたらいいのか「わからない」という
真新しい人間をまったく生み出せなかった。 137は都合悪かったねwwwwwwwww
アンタの主張って「ソクラテスのパクリ」だもんねwwwwwwwwww
”””誰でもない所から始められないのか(キリッ)”””
でもソクラテスの単なるパクリじゃん牛の涎君wwwwwwwwww >>141
[どういきたらいいのか「わからない」という
真新しい人間をまったく生み出せなかった。 ]
それ良く引きこもりが言ってるよ。
5chの「ダメ板」とか「のほほんダメ板」に行けば佃煮にするほど居る。 >>142
君は、国家やピカソやソクラテスをよくご存知だ
私はあったこともない。
情熱にはあったことがある、それは古い執着物をすべて捨て去ったときにだ
叡智にはあったことがある、「あるべきもの」すなわち知識が一切滅んだときに
知識は約束した平安や安全をあなたたちに与えただろうか? 最高の知識人があつまった世界であっても殺し合いがやまないのではないのか?
知識はあなたたちにけっして終わらない葛藤を与えはすれ、情熱を与えなかったのではないのか?
「なにも知らない」ところからよくよく起きつつあることを見逃さずに観察し
私は「誰でもない」というところから関係をはじめれば自ずから秩序はあるのではないのか? >>143
あなたは人間に、いったい人間以外の「なに」に、成れとおしゃっているのでしょうか?
どのような理想をお持ちなのでしょうか?
人間が70億人いても意識の中身はどれも同じであって、恐怖と混乱と悲しみです。
それからの逃避が、理想に「成ること」すなわち自殺的な無限の「葛藤」です。理想が人を殺すのです。
多くの人間が、「即座の行為ができなくる」のはあたりまえなのではないでしょうか?
理想によって葛藤がつぎつぎと生まれるときに、さあやってみようとはなりません。
絶え間ない成長という目標自体が、すべての停滞の原因なのです。
あたりまえに、いまここに実際にあるものしか誰も即座には扱えないのです。
いまここに実際にあるものは何でしょうか? 理想がいう安全と安心と創造なのですか?
否、否、絶対に違います。まったく違うのです。
いまここに「人間に実際にあるもの」とは、恐怖と悲しみと、葛藤という停滞なのです。
そのみじめさなのです。その事実あることに反発することがあなたの信念なのであり、
「わたし」という感覚のしていることなのなのです。
あなたは国家やピカソやソクラテスをよくご存知ではあるが、
「わたし」ことを知らなさすぎませんか? 理想や希望や信念は、悲しみの向こう側にある真新しいものを知りえません、それからの全力の逃避なのです。
深い根源的な悲しみに時間をかけず即座に逃れずにいればわかることでしょう、
深い悲しみのなかでは、古いこと古い執着はすべては破壊されるのです。
希望とは、けっして創造的ではなく事実のごまかしなのです。
天国やら永遠の魂やら、そこに思考があるという感覚にすぎないものが永続することはありえません。
思考は生命ではありません時間のなかの知識です。
思考がなければ「私」という感覚は存在しえないという事実があります、そこに生への根源的な恐怖があるのです。
しかし、「私」がいないにときあるものを知っていますか? ええ、あなたは知り得ません、それだけは思考が触れ得ない完全な未知です。
私という感覚の死には愛があります、それは絶対に知り得るものではありませんが、すべての葛藤の解決なのです。 もし国家的思考があるならば、そこには自由があるのでしょうか?
共産主義ならば、宗教的ならばどうなのでしょうか? それらが望む自由と安全はあるのでしょうか?
理想のどれもが、自由には思考させないものなのです、
理想があるときは、無限にひろがる創造的な空間を持たないのです。
思考は、最初に正解を与えれば、その枠内からは出らません。
国家的、宗教的、原理主義者たちは、彼らが崇拝する未知なものとは完全に隔絶されているのです
それら信念や理想に疑いを持ち、いまの人類のありさまに深い悲しみがあるときにだけ、
そこには生きながらにして出逢うチャンスがあるかもしれません。
我々はこうあるべきという信念に依存するばかりで、実際はまったく自由を望んでいないのです
強固な信念を数々作り上げるのは、その極度に限定された範囲から飛翔することが不安だからです。
ひきこもりとは誰なのでしょうか? 信念に依存するあなたなのでは? 自由自由と言う割に、「不自由な5chに拘って停滞してる」のはお前。
即時行動という割に、レスが遅いお前。
偉そうにすんな偽物。 そも「不安」が「悪」と考えるのが「アナクロ」
不安がなければ核大戦争をやらかして人類は滅んでいます。
分かる?分からないよねw 公立学校をすべて潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育をすべて廃止しクズどもを皆殺しにすべきだ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し
効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!! >>150
ここで善悪など「結果」を言っているのだろうか?
最初に結果や答えなど持たないことである、疑問がありその経過を見ているのだ。
結果や答えなどは思考停止なのであり意識の死だ、疑問のままでいることこそが問題の解決である
あなたは「危機」と「不安」の違いがわかっていないのではないか?
あなたが安心を望んで作り出したものは、
すべてが不安の原因になる。
ちなみに
いま明日の安全を考えてごらん、それがすべて不安になるのを見るだろう。
だからこそ人間は国家的な宗教的な「信念」を必要とするのである。
しかし、そのユートピアの約束は成立したことがあるのだろうか?
一度もない。その平安や安心とは、理想的な妄想にすがる幻ゆえに、常に信念の更なる強要が起きるばかりなのである。
社会的にまともな人間とは、麻薬患者が見る幻覚とかわらない信念依存症にすぎない
信念の妄想は最後に、それへの「服従」を求める。
自分があとからつくりだしたものに服従する過程のなんて馬鹿げたことか!
神や国家は恐怖でできていることはあきらかだ
あなたが死ぬときは、頼りにしていたそれがすべて死ぬのを見るだろう。
なんせ「信じているもの」とは、不安なあなたが、あなたの後から作り出したものなのである。
人間の脳とは、その言葉とは裏腹に自由や新しいことをまったく望んでおらず、
自分で自分を縛りあげて、自分でにっちもさっちもいかなくしているのである。
人間の脳とは、音楽のように繰り返しの情報処理で埋めてしまった方が楽なのだ。
だからいつまで経っても古いままであり、君のその脳とは過去の死骸でできている。
そこから出ていくには、「信念」をすべて疑い尽くすことである。 「危機」と「不安」はまったく違う。
津波が迫ってきた、それは「不安」だろうか?
否、否、それはまったく不安ではない。
危機である、一大事である、
国家的あるいは宗教的信念はクマや津波や死や現実の挑戦の前ではまったく通用しない
危機は、生きた現実であり、真の現実と対面したのだ。
即座の対応がいる一大事である。
あなたは明日どうなるか? なんて考えたスキに財産を家に取りに帰り、明日を迎えずに死ぬのだ。
津波だ、クマだ、即座の対応がいる一大事どうなるのか?
あなたがイメージの世界で遊んでいる有機的な機械人形でなければ、
即座に目を見開き全方位に全面的に注意をめぐらせ、すべてをあますところなく見るのではないか?
完全に無選択にすべてを見るそこから思考を通さずに「行為」が生まれるのである。
そこに矛盾はない、「私」が消えて、完全にすべては完璧に為されて、その結果は後から知るのみである。 何時も遅いぞ。
坊主クズレで暇なんだから、自分の言った事(即時行動)ぐらいやれやw >>153
津波と核戦争って違うって分からない人? >>153
>>あなたは明日どうなるか? なんて考えたスキに財産を家に取りに帰り、明日を迎えずに死ぬのだ。
お前、津波被害者を悪く言う訳だな?
そんな事言う奴が「次に死ぬ」って良く有る話だから覚えとけ。 通称『岩手の理一郎』に相談すればたぶん気がはれる
不思議な雰囲気だが優しい奴
網を張ってるわけではないから安心だよ 俺の近所に小学校中学校まともに行ってなかった奴おるよ
ちなみに現在41
将来どうなるのかな 家で勉強して大学行けばいいさ。自宅学習なら飛び級も出来る。
大学は偏差値60以上の学校でなければあまり意味ない。
女子は見た目大事だから、バレエを習うといいけどお金かかるし無理なら
ダンスのDVD買って自宅でやれる。
理系が得意なら数学検定目指す。
英検、TOEICはやっといたほうがいい。
全部自宅で可能。 一般的に社会的では、小学校、中学校は学歴と見なされない。高校から学歴になる。
小中学校はいい加減でも誰でも入学卒業できる。
普通の小中生の場合なら何も事件事故が起こることなく自然に通過することだけが重要。
高校からは違う。学歴にもなるしソノサキがある、と一般的に考えられる。 今は違うけど80年代90年代は結婚するとそんなに遊ばなかったんだよ
結婚する男とか住みたい場所を探したり選んだりするのが女の遊びだったりするし
イジメられるって場合は相手間違ってることが多い ワイは小4から中3まで不登校だったぞ
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