続き

事例1
 小松 軍隊の中でも上等兵というものが殴るね。内務班において。
 飯田 それはこうなんです。一つの階級的組織に入っておりますから、将校が直接兵隊を殴るというケースは一番少ない。
将校はむしろ下士官を殴り、下士官は上等兵位まで殴る、上等兵は直接兵隊を殴る、将校が兵隊を殴るというのは、非常に特別な場合なんですね。
将校は或る程度おうようにしておるわけなんで、そのかわり下士官をしぼり、下士官は上等兵を、兵隊はどこにも当るところがないから馬に当るとか。(笑声)
 小松 ですから厩をみて馬が非常に荒れている、また馬にきずのある中隊に、大体制裁が盛んだというようなことがいわれてますね。(笑声)(飯塚浩二『日本の軍隊』より)


第四章 結論
 1. 学校における体罰の根源は軍隊教育から
 体罰がわが国の学校教育の場で盛んに行われるようになったのは、近代に入ってから、それも日露戦争後である。
 ではなぜ明治の途中から体罰が瀰漫してくるかについて、ひとつは学校のような大きな集団を統率する方法を軍隊以外には求めるところがなかったためそこに求め、
その訓練方法を採用したためである。
その軍隊の訓練の要は、「命令―服従」であり、それを徹底させる方法が暴力的威圧(体罰)であった。
師範教育の寄宿舎を兵営をモデルにしたり、兵式体操(教練)を取り入れ、退役下士官(後には現役将校)を学校に配置することにより軍と学校との連携が緊密になり、
これらの軍人を通じても学校に体罰が広がった。