三重県の学校ってどうなのよ11
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この世に生を受けしその時から人の魂には穢れあり。
過去世の罪穢れを償いて、因縁を解く修業を与えられるが人の人生なれば、完全なる無垢なる魂などあり得ぬものなり。
今生にて解けぬ因縁は、来世へと繋がるる。
それを悟らば、人は誠実に生きようと懸命に魂磨きに励むもの。
罪には必ず罰があり。逃げる事はできぬ。何らかの形にて償う事となりにけり。
親に苦しめられし者、前世にて親や子を苦しめし者。
己の性格、思考を振り返りてみよ。心当たりがあろう。
貧困に生まれし者。前世にてケチで貪欲で自分中心の生活をした者。
己の性格、思考を振り返りてみよ。心当たりがあろう。
前世も現世も来世も一つの流れの中にあり。
なれば、肉体持つ今この時にできうる限りの徳を積みて来世に繋ぐ努力をなすべし。 その時の教訓は、自分を助けるのは自分しかいない、ということです。
大変な時期ですので、周りのことは放っておいてわがままに自分を最優先してください。
人に見せるための生き方はやめて、自分だけの心の城を築いていってください。
愚痴を聞いてくれる人とは会わないほうがいいです。惨めな自分から抜け出せなくなるからです。
落ち着かれましたら「敏感すぎるあなたへ」クラウス・ベルンハルト著を読んでみてください。
否定的な考え方が癖になっている人向けに、脳の回路を変更するための具体的で即効性のある
テクニックが書かれています。茄子さんのこれからの人生に役に立つと思います。
今はどうか暖かくして香りの良いお茶やアロマでご自身の心を身体を労ってあげてください。 性格とは自分の発するセリフです。自分自身に発するセリフも同じです
人に対してでも、自分自身に対してでも、どんなセリフを言っているか考えたら
自分がどのような性格なのかわかります
下品な言葉を発する人は下品です
低俗な言い回しをする人は低俗です
好ましい性格になろうと思ったら、意識的に、前向きでいいセリフ、美しい言葉を発するようにするのです
それがクセになるころ、下劣な性格が改善していることに気がつきます 自身の統合失調症の発病の様子を克明に記録した手記『ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記』(小林和彦/新潮文庫)では、発病して精神科病院へ入院させられる直前に、さまざまな幻聴や幻視を体験したことについてこう書いている。
「僕はこの夜のことは、肉体的苦痛もあったが、人間の心は皆つながっており、ある種の精神状態に入れば誰とでも交信できるという認識を新たにした幸福な体験をしたと思っている。
宇宙の真理にまでは触れられていなかったが、それは永遠の謎としてとっておこう。僕はこの晩を境に新しい人間に生まれ変わったことを確信した」
同じく統合失調症患者の手記『隠れた薬害? 精神分裂病』(夏来進/文芸社)の内容は、さらに宗教との類似を思わせる。
鹿児島ラ・サール高校から東京大学医学部というエリートコースを歩んでいた著者は、研修医時代に、「私は神だ」「お前は祝福された存在だ」「私は、お前をより高い次元の素晴らしい所へ導くためにやってきたのだ」といった声を聞く。
その声に突き動かされるように著者は自分なりの宗教観を編み出し、その考えを街角に立って話すようになった。
そのうち、そんな彼の話に耳を傾け、お布施をしようとする人まで現れたという。
しかし、興奮状態から医学部の教授と乱闘事件を起こした彼は、精神科病院に連れて行かれ、精神分裂病(当時の呼称)と診断される。
大量の抗精神病薬を投薬され、3カ月の入院をさせられた彼が退院して、かつての宗教活動の仲間に「すみませんでした。私は精神病でした」と告げると、仲間たちは呆然となったという。 自己愛性パーソナリティ障害(じこあいせいパーソナリティしょうがい、英: Narcissistic personality disorder ; NPD)とは、ありのままの自分を愛することができず、
自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型である
誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
1.自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3.自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係があるべきだ、と信じている。
4.過剰な賛美を求める。
5.特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)
6.対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。
7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9.尊大で傲慢な行動、または態度 臨床心理学者の松田真理子博士は、2004年に学会賞を受賞した「統合失調症者のヌミノース体験」題する論文で、多数の統合失調症患者の広汎な臨床検査に
基づき、「統合失調症の症状と宗教の症状とは、全く同じ」という結論に達している。
患者には、クリスチャンが圧倒的に多い。
松田博士は、旧約の預言者は、すべて統合失調症患者としている。
「精神病は感染する」(感応精神病)というのが、現代の精神医学の定説。
宗教が統合失調症と全く同じである以上、狂人の言葉をいくら学んでも無意味である。その「治療法」こそ、真剣に議論すべきこと。
宗教板は、統合失調症患者である宗教信者たちの、得難い臨床観察の場なのだから。
松田博士の論文は、既に学会の定説であった精神医学者宮本忠雄氏等の「統合失調症と宗教との相似性」の臨床検査による追認であり、松田氏の論文にも引用されているその相似性のまとめは、下記の通り。
真正の宗教体験と統合失調症体験との相似:
(1)見えないものの現存感と実体的意識性
(2)神の声と幻聴
(3)見神と幻視
(4)啓示と思考注入・妄想着想
(5)超越者からの支配感(召命感)と被影響体験・させられ体験
(以上、前にあるのが宗教体験で、後にあるのが統合失調症の体験) 自分の原理原則や価値基準、視点を「他者と幸せ」に据えるといいかもと思いました。
自分があるうちは、ややもすると自己中心的な考えに陥ってしまいがちで、他者も幸せも自分も見えなくなりがちですが「他者と幸せ」に視点を据えれば、自分を度外視できて、実際に他者と幸せになれるかもと。
皆さんから見て、原理原則や価値基準を「他者と幸せ」に据えることは、どう映っていますか。
また、皆さんの原理原則や価値基準を是非、聞かせてください。 自我とは何ですか?
認識とは何ですか?
自我を構成する認識とは、唯識でいうところの末那識と意識(第六識)に他なりません。
唯識佛教では”転識得智”といいますが、以下の段階を経て智慧に転化するんです。
(勿論、宗派によって見解が違いますけど)
1.八識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識)の転識得智
前五識(眼・耳・鼻・舌・身)→成所作智
→ 有情を利益し安楽せしめる為にあらゆる場所において様々な変化身を示現して、有情救済のために作すべきことを成就するはたらきがある。
→ (感覚なく無くして人々は救い得ない。)
意識→妙観察智
→ 巧みにものを観察する智慧。
→ 自相とは、共相とはなにかを見抜く智慧。
末那識→平等性智
→ 自己と他者が平等であるとみる智慧。
→ 慈悲心の展開へ
阿頼耶識→大円鏡智
→ 心の本体である阿頼耶識から完全に汚れが取り除かれた状態。
2.転識得智のプロセス
見道 〜 妙観察智・平等性智
修道 〜 妙観察智・平等性智
佛位 〜 四智全て(+成所作智、大円鏡智)
見道において妙観察智・平等性智の二智が起こり、分別起の二障を断じて二空所顕の真如を見る。
第六識が尋と伺によって諸法を観察し、その結果意識が妙観察智に変化する。
その結果、二空と見る妙観察智の影響が末那識に及び、末那識が平等性智に転識する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています