【歴史】「自分の足で走って戦車に体当たり。そんな悲惨な特攻があったことを忘れないで」…戦車に「肉弾特攻」、下っ端兵士は骨も残らず
http:// daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1408157738/

 ◇大阪の89歳渡部さん「悲惨さ、忘れない」

 満州(現中国東北部)の静かな平原。爆音とともに、戦車から上がった黒煙。大阪市北区の渡部(わたなべ)清数さん(89)は69年前
の光景を今でも鮮明に覚えている。終戦直前、満州に侵攻した旧ソ連軍の戦車に、日本軍は爆薬を詰めた木箱を抱えて突撃した。
「自分の足で走って戦車に体当たりする。かっこいいなんてものじゃないです。そんな悲惨な特攻があったことを忘れないでほしい」。
69回目の終戦記念日。渡部さんは次世代に託すために記憶の糸をたどりながら語った。

 現在の韓国・釜山(プサン)で生まれ、高等小学校を卒業して関東軍測量部に志願した。当時14歳。厳しい規律の中で軍国主義を
たたき込まれた。1945年2月、20歳を前に徴兵検査に合格し、軍属から軍人に。配属されたのはソ連との国境を守る部隊だった。

 8月9日未明、ソ連軍は国境を越えて満州に侵攻した。渡部さんらの部隊は国境付近の虎林(こりん)市の郊外で陣地を作って
待ち構えたが、下った命令は「部隊の主力は後方へ退却。残る部隊で侵攻を食い止めよ」。渡部さんら約150人が陣地に残った。

 だが、戦車を連ねるソ連軍に、渡部さんらの歩兵部隊が太刀打ちできるはずもなかった。そこで上官が命じたのは、約10キロの
爆薬が詰まった木箱を抱えて戦車に体当たりする「肉弾特攻」だった。「これでお母さんともお別れだな。それでも戦車1台
やっつけられたら軍人として本望だ」と思った。

 平原の小高い丘から先陣の攻撃を見守っていると、「ボーン」という爆音とともに戦車の近くで黒煙が上がった。「やったぞ」と思ったが、
煙が消え、現れたのは何事もなかったかのように動き始めた戦車だった。突撃した兵士の体は消えていた。後に続いた数人の兵士は
体当たりできずに狙撃された。

http://mainichi.jp/select/news/20140815k0000e040229000c.html
写真=渡部清数さん。悲痛な表情で当時を思い出すように話した
http://mainichi.jp/graph/2014/08/15/20140815k0000e040229000c/image/001.jpg