さらに鄭教授は、朴慶植がこの著書で朝鮮総連による在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動についていっさい触れていない欺瞞性について
も指摘しています。北朝鮮帰国運動は、「地上の楽園」と聞かされていた北朝鮮が実際は極端に貧しい国であったことが判って
62年から帰還者が急減したという、帰国運動を推進した朝鮮総連には触れられたくない過去の事実です。
この運動を開始した頃から朝鮮総連は意図的に「在日強制連行説」を流すようになったそうです。

これに対して日本の外務省は1959年に「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」を発表して、強制連行を明確に否定しています。
〜この発表の要旨は次の通り〜

●戦前(昭和14年)日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)にはその数が約200万人に増加。
●増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別労働者と、その間の出生によるもので、残りの
  30万人は 大部分が工鉱業・土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
●国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮に適用された期間は昭和19年9月から翌年3月の7ヶ月間のみ。
●終戦時に200万人の在日朝鮮人の内、140万人が希望して朝鮮半島に帰還し現在登録されている在日朝鮮人は61万人で、
 そのうち戦時中に徴用労務者としてきた者は245人に過ぎない。

戦時中在日朝鮮人の数が増えたのは、日本人男性が兵士として多数召集された穴埋めとして朝鮮人労働者が必要とされたからだが、
この内極少数ながら戦時中の国民徴用令によって徴用された労務者が存在します。彼らは自分の意思に反して日本に連れて来られた
事から強制連行されたといえるかもしれません。しかし鄭教授は当時は朝鮮人も台湾人も同じ大日本帝国の臣民であり、「日本人」
として平等に徴用義務を課せられたのであって、これを「強制連行」と呼ぶのは適切ではないと主張しています。