>>138

>>138のカキコから、しばらくイロイロと思弁して、仮説を立てて視ました。


大阪府立高校9学区制時代の旧旧時代第3学区は旧淀川沿いのホボ南部地域である事に
気が付つきました。

京都の伏見の船着き場から大阪の八軒屋まで、旧淀川では江戸時代の「三十石舟」以来
の伝統を誇る渡し船が運航されており、旧淀川から大手前や市岡高校・旭高校などに通い
安かったから、その名残りでは無いでしょうか? (但し、飽くまでも、ワタクシの
仮説でございます。) 木造の舟の時代から、蒸汽船・ディーゼルエンジンの船、電気式モーター
エンジン仕掛けの時代などと、時代により変遷しつつも基本は変わらなかったのでありましょう。

京都伏見〜枚方〜(失礼ながら、この地域に関してワタクシは不勉強でございますので
失礼ながら、以下省略させて頂きます。)〜大阪八軒屋の船着き場(大手前高女の女学生はこの
船着き場で乗車・下車なさった事でございましょう。江戸時代に於いては京伏見からの三十石舟
の終点の舟着き場)〜堂島(各藩の米倉の集積地・米市場があった。)〜ざこば
(魚市場)〜大阪港(今でも、ここで世界各国への輸出入が行われているのかな?
関係者じゃ無いので存じて上げておりません。恐らく今でも大阪港で輸出入が行われて
居る事でありましょう。(仮説。私の頭の中ではエビデンスは無いので飽くまでも仮説です。)

 そして市岡高校(旧制市岡中学 旧制第七中学)の学生サン達の中には、ざこば・
江戸堀・川口居留地・大阪港辺りの船着き場で乗車・下車して、現在の京阪電鉄沿線地域から
通っていたのでは無いでしょうか?

ワタクシの学説の結論  第9学区時代の旧旧第三学区の成り立ちは旧淀川を利用した
京伏見〜枚方〜八軒屋〜堂島〜ざこば〜江戸堀〜川口居留地〜大阪港という
江戸時代(いや、それ以前からかも?)以来から続いていた舟(船)の運行の便宜上、旧旧第3学区
は、この区割りが生徒・学校関係者にとって都合がよかったので無いのしょうか?