月刊WiLL 2020年11月号
■田中秀雄
歴史無視の反日映画『マルモイ』
ttp://web-wac.co.jp/magazine/will/2020%e5%b9%b411%e6%9c%88%e5%8f%b7
 創氏改名は1940年2月から8月までの半年間に届けなければならなかった。朝鮮と関係が深い石原莞爾中将は、
半年という期間限定を「愚かなこと、いつでも創氏させよ」と批判した。しかし期間限定なのは、日本名を名のらせる
ことに反対する日本人側の意見も強かったからだ。各地に相談所が置かれて、朝鮮人の問い合わせに応じた。
伝統的な「姓」が消えると怒って自殺する人まで出てきて、総督府はあわてて「強制ではない」と三度も声明を出した。
 戸籍簿には「姓」を書き入れる蘭があり、元の姓が消えることはない。姓が違うと夫と妻が同じ「名字」を名のること、
ファミリーネームを創っただけなのだ。下の名前の改名は有料で、このことからも希望に応じたものだということが
わかる。結局、半年が一年に延長されたが、届けなかった者は、自動的に「姓」が名字となった。呂運享も、京城帝大
第一期生の秀才であり、大韓民国憲法の起草者である兪鎮午も、そのままの名前を使い続けた。前記した八木信雄
は友人の朝鮮人から「八木」と名乗るからよろしくと言われた。八木は創氏しなくていいじゃないかと言ったが、結局、
友人は八木と創氏した。
 総督府は朝鮮語をなくそうとしていないが、ただ学校教育で使う言語を「国語」にしようとしたのだ。国語とは、すなわち
日本語の標準語のことである。
 きっかけは昭和13(1938)年の朝鮮教育令改正によるもので、「内鮮一体」を実現しようという機運の下に生まれた。
日本人が通う小学校や中学校、そして、朝鮮人が通う普通学校が一緒になり、朝鮮人と日本人が共存する制度に
変わったのである。教育における差別をなくそうとしたのである。学校で使う言葉は日本語である「国語」となる。それが
可能になるためには朝鮮人生徒に日本語を使ってもらわねばならない。それまで普通学校で教えられていた朝鮮語
は教えなくてもよい任意の科目となる。
(続く)