人が、人を、救えるのか。

それはなかなかの問題提起だよな。

もし、それができたなら、人が人を救えたなら。

ブッダやキリストが教えを説いた二千年前時点で、
すでに人類は救われていたんじゃないかと思う。

でも、ブッダの弟子にも、キリストの弟子にも裏切り者がいる。

彼らは、人類史に稀な優れた覚者でも神の御子でもあっただろうけど、
それでももっとも身近な人さえその手から零すことがあった。
すぐそばの隣人の心を救えないことがあった。

そういうことではないだろうか。

西尾維新の化物語、忍野メメのポリシーに賛同するので引用。

怪異に憑かれた少女「あなたが私を助けてくれるんですか?」
忍野「助ける?そりゃ無理だ。君が一人で勝手に助かるだけだよ、お嬢ちゃん」

専門家として力は貸すけど、
人が人を助けることはできないという姿勢を表明する。
あくまで、自力救済を求める。
少女達が目を逸らしてきたものを明らかにし、背負えと言う。

そういう厳しさしか、優しさにならないんだよな。

ブッダやキリスト、優れた覚者や思想家や神秘家の言葉は今も残っていて、
読んで感じることができる。

それを参考に、自分で自分を救うしかないんだと思う。

できるまで、何度でもだ。

何回でも繰り返して学んでいく。
人生が一回や二回で済むようなことじゃない。
いつかできれば、自分で自分を救うことを会得したら。
失敗もそのために必要だった大切なことになる。

うっかり死んでしまったことも、
いつか必要な学びだったと思える時がくるから、大丈夫だ。
と、そういう風に祈ったらいいのかもな。