死は無限に至ることとは違う。
肉体を離れ、
魂は有限の世界を、形を変えて巡るだけ。

肉体、物質は3次元、
精神は4次元から5次元、
法が6次元、そこまでが有限。
無限はその外というか先というか上というかなんというか。
まぁ結局有限の全ては夢幻泡影で、
無限を仮に限定してひっくりかえした投影みたいな感じなんだけど。

霊界とかいうとまだ4次元だ。
死んだくらいじゃまだその辺にいる。

まぁ、隣り合う世界へくぐり抜ける感覚自体は、
死も近いものがあると思うけど。
涅槃、三昧、解脱、無や空へ至ることとイコールではない。

と、そんな感じだと思ってる。証明はできんがw

あれだな。肉体が自己だと思うと、肉体の死が無や断絶だという思考パターンになるんだな。
それは思いこみだ。クリアに考えられれば真でない命題だと解る。

肉体は有機物の寄せ集めだ。
それが何故か精緻な動的平衡を保っている。
人の形をとり続けている。
動的平衡を保っているちからのほうが、自己の本質だ。
それが肉体から離れると、肉は朽ちるが、そのちからの方は存在を続ける。
存在するってことは、無限から有限を汲み上げてるってことだ。

無限に至るってことは、有限のすべてを手放してるってことだ。

魂さえ手放す。それで無限に至る。

別に怖いことはない。
握りしめていた手を開くだけで、手は消えない。そんな感じ。
何も持っていない時、そのときこそ手は自由に使えるようになる。