0696ピリア
2018/10/13(土) 01:34:21.21ID:uWH6gkb63、4歳くらいで、何でも二言目にはなんで?なんで?と言う時期がくる。
なんで、この世界はこんなに苦しくて辛いのか、
エボシの庭で、ミイラかってくらい布を巻かれた老人が言う。
「生きることはまことに苦しく辛い、世を恨み、人を恨み、それでも生きたいと願う」
死にたくない、生きたい、と願ってしまう心、
それすらもままならない苦しみそのものだ。
いっそ楽になりたいと、何度思っても、
次の瞬間には死が恐ろしく、生にしがみついていたくなる。
もう一日だけ生きてみようと頑張っても、
その一日も終わりなき苦しみの続きだ。
なぜ?なぜこんなに苦しまなくてはならないのか。
あまりに理不尽ではないのか?
ここまで苦しむほどの罪をおかしたというのか?
それはどんな罪だというのか。
この思考の筋道が、原罪、という発想につながる。
生は、楽園からの追放である。
生、そのものが罰であり、贖罪である。
では、なにが罪だったのか。
という、答えのない問いへのアンサーが
楽園追放という物語だ。
神の怒りをかったのだ、だから苦しむのだ。
という物語だ。
これは、人類すべての心の底に、
あなたの心に今も深く横たわる物語だ。
でも、このスレをここまで読んできたなら、
この物語を生んだ なぜ? という問いが、
間違っていることに気が付いてほしい。