奈良交通 【24 | 奈良学園】 [無断転載禁止]©2ch.net
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学生(通学)定期券の発売について―平成30年4月1日(日)より適用開始―
<前略>
路線バス無料乗車券2枚
<後略>
http://www.narakotsu.co.jp/news/news_0836.html <葛城営業所管内>
○洞川線(大淀バスセンター〜洞川温泉)、下市天川線(下市口駅〜中庵住)は、一部区間で災害による迂回のため、乳屋辻・惣坂口・惣坂・大杉にはとまりません。
<榛原営業所管内>
○天理都祁線(針インター〜[旧道経由]〜天理駅)は、一部区間で災害による迂回のため、下滝本にはとまりません。
冬季期間、山間部を中心に凍結・積雪によるチェーン装着走行のため、バスが遅延する場合があります。
○八木新宮線・十津川線・広域通院ライン線は、平成23年紀伊半島大水害の影響により、当面の間、高滝口には停まりせん。
http://www.narakotsu.co.jp/news02.php リムジンバス関空線の交通系ICカード全国相互利用サービス開始について −平成30年3月28日(水)より−
<前略>
(4)当社が発売するICカード乗車券「CI−CA」はご利用いただけません。
<後略>
http://www.narakotsu.co.jp/news/pdf/news_0839.pdf >>630
<前略>
【委員意見】
(会長)
祝園駅前広場の拡張工事については3月末までに完成するように進められているが、
奈良交通のダイヤ改正は3月 17 日と説明されていた。この間はどうなるのか。
(奈良交通)
連節バスの運行開始は、拡張工事が終わってからと思っているが、近鉄のダイヤ改正
が3月 17 日に実施されると聞いているので、ダイヤ改正はその日からとなる。拡張工
事が完成するまでの間は通常タイプの車両で運行し、拡張工事が完成されれば、そのバ
スが連節バスとなる。
(委員)
既存のダイヤの一部のバスを連節バスに置き換えるのではなく、増便されるという意
味で良いのか。
(奈良交通)
連節バスは増便となる。
<後略>
https://www.town.seika.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000014/14549/300216-gizi.pdf
https://megalodon.jp/ref/2018-0308-1802-20/https://www.town.seika.kyoto.jp:443/cmsfiles/contents/0000014/14549/300216-gizi.pdf >>44
>>481
>>484
直通バス(けいはんな学研都市〜京都駅八条口)利用者状況
https://www.town.seika.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000014/14549/300216-9.pdf
B直通バスの利用者状況について
・資料Hを用いて説明。
・平成 29 年 10 月から新名神高速道路を使うルートに変更して実証運行を継続してきた。
・地域住民の利用者はルート変更後、少し伸びてきており、1便平均9人のご利用で、学
研都市への通勤利用者は、ほぼ横ばいで1便平均 25 人となった。両便とも本格運行の
目安として目標としている 30 人には満たないため、利用者等にアンケート調査を実施
し、今後の方向性を検討していきたい。
https://www.town.seika.kyoto.jp/contents_detail.php?co=kak&frmId=14549
https://megalodon.jp/ref/2018-0308-1806-49/https://www.town.seika.kyoto.jp:443/cmsfiles/contents/0000014/14549/300216-9.pdf >>639
【奈良交通】関西国際空港行きリムジンバスで交通系ICカード全国相互利用サービスを開始します
http://www.sankeibiz.jp/business/news/180308/prl1803081702166-n1.htm
※ こちらは、TwitterにTweetするボタンあり。 >>643
むしろ高の原駅に集約してくれた方が便利なのに、どこぞの精華町が(ry 学園前北口6系統 東登美ヶ丘6東 行き
暗くて撮りにくかった。ぼやけてごめん。
深夜バスが遅くなるみたい。
https://i.imgur.com/iB6ESMV.jpg >>635
6か月の学生(通学)定期券のオマケの
路線バス無料乗車券2枚を使えば、
八木〜新宮往復が楽しめる? 王寺案内所および榛原案内所の営業日・営業時間の変更について―平成30年4月1日(日)より―
http://www.narakotsu.co.jp/news/news_0835.html 近隣にある「国立奈良医療センター」と
近日開院する「奈良県総合医療センター」を間違わないように、
「奈良県総合医療センター」のバス停名は、「七条西町」にしたのかな。 HPに改正時刻表が出ないからどんな改正になってるのかわからないよ LEDにすると文字数が多いので視認しにくいから
一応表示はできるし()で表示されるはず >>653
私の生涯で、唯一、車掌さんが乗っていたバスだ@[40]。
あの乗車券、とっておいたはずなのに、どっかいってしもうたのが無念。 先日雨が降る中、近所の道を駅に向かって歩いていた。
すると、住宅街の狭い道の真ん中で一人の若い女性が傘を差して、
産まれたばかりの乳飲み子を背負ってチラシを配っていた。
私は数10メートル先から、「あれ?選挙も終わったのに何だろう」と思って、
その女性に近づいた。
すると「天理教でーす。よろしくお願いいたします」ということで、
私は絶句したままチラシを受け取ってすれ違った。
私が絶句したのはこの極寒の中、傘を差して乳飲み子を
背負って布教する大学を出たばかりだろうかの若い女性の姿に驚いたからである。 もし彼女が私の知り合いであれば、
「子供が風邪をひきますよ。やめなさい」と言うだろう。
それほど状況としては痛々しいものがあった。
天理教人は誰も彼女を止めないのだろうか。
むしろ、苦労話やたんのう(≠修行)として美談になるのだろうか。
受け取ったチラシを電車を乗りながら読む。
全文(文末の教会名と住所は省く)を以下に引用する。 ——————————————-
「幸せのもとは」
人間にとっての悩みの多くは
夫婦、親子、兄弟姉妹のもつれ、
つまり家族に関するものです。
これが治れば、
幸せな社会になっていきます。
そのためには、まず、
この世界の元を知ること
人間は何のために誰によって造られたか・・・
人生の目的、創造主を知ること
人生の目的は陽気ぐらしであり、
創造主は親神様であります。 私たちは陽気ぐらしを目指して
努力しているのです。
その陽気ぐらしをするために
組み合わされたのが家族であります。
夫婦、親子、兄弟姉妹は
陽気ぐらしをするために
一番適したメンバーなのです。
そのことを自覚すると、
日々感謝して暮らせるのではないでしょうか。
家族におこる事情は、どんなことでも、
お互いが自分自身のこととして受け止めて、
話し合い、たすけあうことが大切 五本の指、どの指を噛んでも痛いように、
家族一人の痛みは、家族みんなの痛み
家族の一人に変わってもらいたいと思った時は、
自分自身を変えていくことが近道。
家族は一つにつながったもの
喜びも悲しみも家族で分かちあい、
生きている喜びが周りに伝わるよう、
その輪を世界中に広げていきたいものです。 願い通りの守護ではなく、
心通りの守護なのです。
心を変える為の信心であり、
自分が変われば全てが変わります。
思い切って教会を訪ねてみませんか?
どんな悩みも聞かせて頂きます。
天理教◯◯◯大教会 やはり論理が飛躍して、何が言いたいのかよく分からない。
日本語としての一文が長く、主語と目的語がごっちゃになっているため理解が難しい。
天理教人との会話や神殿講話でよくある洗脳的特徴である。
ましてや「世界の元」「創造主」「心通りの守護」など天理教的語用に親しみのない
我々一般市民に通じると思っているのだろうか。
それとも何が言いたいのかよく分からないことが宗教特有のレトリックであり、
必要条件なのだろうか。
宗教や神という輪郭が定まらないものだからこそ、
畏敬の念を込めてシンプルに人間の言葉を丁寧に重ねる必要があるのではなかろうか
(話を単純化した方がいいということではない)。 つくづく、天理教の布教活動はどこを目指しているのか分からなくなる。
「天理王命」と書いた旗を先頭に一列になって歌をうたいながら行進する神名流しも、
各家庭にピンポーンと天理教を勧める個別訪問も、
駅前などで絶叫しながら話をする路傍講演も同様である。
そこまで一般市民に人に避けられ嫌われてまですることに何の意味があるのだろうか。
教祖の娘が浪速布教をして、民衆に好奇の目で見られたときと時代が違いすぎる。
このような時代錯誤の勘違い布教がたんのう(≠修行)なのか。
教祖の雛形とは、ただ先人の真似をすればいいという軽いものだろうか。
私には教義理解と経営戦略の点で今の天理教の布教論が理解できない。 かといって、こういった話をすると、これまで私が天理教人に言われたことは、
「先人の雛形を辿り、先人の思いに心を寄り添うことが大事だから」と、
耳触りが心地よく、そして全く意味のない言葉と実践ばかりであった。
一方で「万人に好かれるなんてことは目指していない。
私たちの布教で、一人でも助かる人がいればいい」と言われたこともある。
では天理教は社会的or精神的弱者のためだけの教えなのか。
普通に不自由なく生活している者に「だめの教え」(最後の教え)は
必要ないのだろうか。
これに応えられる普遍的な教義思想を語れる天理教人に出会ったことはない。
多くが、天理時報で使用されているような、その場だけの耳障りの心地よい、
中身がからっぽな言葉を並べているだけで発話者の個性は見えてこない。
素朴な疑問として、なぜ天理教人は天理教を信仰しているのだろうか。 こういった問いを天理教人に問い続けていると、
いつの間にか「気難しい」と言われて終わるのがオチである。
天理教自身の問いとてし果たしてそれでいいのだろうか。
同様に天理教の信仰に対して「天理教を信仰すると家族が円満になる」というが、
天理教家族が平均以上に円満であるということを感じたことはない。
もちろん円満な家族もあれば、そうではない家族もいるだろう。
そうである以上、天理教を信仰すると陽気ぐらしになるという理路は当然成立しない。
説得性もない。
特定の苗字ばかりの能力のない官僚組織や、後継者問題、
信者離れで天理教の教会が激減していることも同根であろう。 今回、記事に書いたことが宗教の本質ではないことは私も感じるところである。
私が取り上げていることは教義よりも行動経済学的であり、
宗教を表面的に扱っている嫌いがある。
宗教はより形而上学的に議論されるべきであると思う。
しかし、天理教を語るときに、天理教という実践宗教を裏付ける理論的な浅薄さと、
天理教人の矛盾した言動を野放しにはできないという思いが常にシコリのように
残り続けていることも事実であり避けては通れない。
しかし、二代真柱以降の天理教の理論的成熟を担う人間がいないことを
ここで嘆いても無意味であることは承知している。
しかし、私は極寒の雨が降る中、乳飲み子を背負った若い女性が必死で頑張っている
姿を見て、これが天理教のいう陽気ぐらしの実態なのか戸惑うとともに、
天理教教義の不安定さや偽善的信仰に憤りを覚えたことをここに記す。
なぜ天理教人はこうも世間一般とのバランス感覚に欠けているのか、
天理教の著しい衰退の一端を見た気がした。 先週末、3月27日の産経新聞にて天理教の人事がニュースとして流れた。
「天理教人事 内統領に山澤氏を再任、表統領は中田氏」という見出しで、
内容は「天理教(本部・奈良県天理市)は27日、
祭儀などを担当する内(うち)統領に山澤廣昭氏(65)を再任し、
布教や伝道を担当する表(おもて)統領に中田善亮氏(53)を任命したと発表した。
任期はいずれも3年。」という内容であった。 私はこのニュースに注目した。
なぜなら、天理教は来年1月に教祖が死去してから130年という区切りの年
(教祖130年祭)であるからである。
私見では、今後の天理教の趨勢は、まさしく130年祭後の動き方(次の140年まで)で
ほぼ決すると見ている。
1986年の教祖100年祭以降、天理教の人員と財政は下降の一途である。
天理教や天理教本部の求心力の低下は、
「ポスト130年祭問題」として私はここ数年が分岐点であると感じている。 分岐点というのは、天理教構成員数や財政の数値として
天理教が政治的・社会的に現影響力を保持したままの組織として維持できるか、
あるいはこのまま沈没して社会にとって「いてもいなくてもどうでもいい存在」として
更に下降するかのどちらかである。
具体的に言えば、毎年の天理市への10億円を超える寄付金や、大学への30億円、
病院への10億円、一れつ会への10億円の回付金が運転できなくなったとき、
天理教の存在価値は低下することは言うまでもない。
今回発表された任期3年という天理教の執行機関としてのトップ人事は、
今後の天理教を占う上での布石といっても過言ではない。 はじめに説明しておくと、産経新聞にもあるように、
内統領とは主に天理教の神事に関するトップである。
一方、表統領とは広報なども含めた天理教組織の行政機関のトップという考えで
ほぼ間違いではない。つまり、この表統領がどういう
行政采配や思想をもっているかということが天理教の将来を決める大きな役割となる。 私は、早速この中田善亮氏に関してググってみた。
この人は天理教トップである真柱の後継者となっている中山大亮氏の父親であるようだ
(真柱に実子はいない)。
つまり表統領となる中田善亮氏は、真柱の弟である。
真柱に後継者がいないなら継承順位にならって権力の移譲をすればいいと思うが、
養子縁組までするなんて天理教の血を巡る執着が、
この平成の時代に異様に感じられ引いてしまうのは私だけであろうか。
大塚家具もびっくりではなかろうか。 さらにググってみると、この中田善亮氏は、
表統領の前は布教部長という役職についていたようだ。
布教部長?そんな冗談があるのか。
布教部長として天理教の衰退を止められなかった人間が、
なぜ表統領として登用されるのか、通常の社会人であれば理解できない。
営業の成果をあげられなかった営業部長が、社長に就くようなものではないか。
この時点で天理教は、本気で天理教を立て直す気がないことは明白である。
何よりこの人事発表に際する知り合いの天理教人のメールの反応は、驚きでも、
絶望でもなく
「ふーん、くらいですね。大して関心がないですよ」と聞いたのがそれを物語っている。 さらに天理教の週刊新聞である「天理時報」の手配り活動を推進した
責任者の一人であることは間違いないようだ(天理教福岡教区 黒門より)。
このようなミクロレベルでの一つの政策が、
天理教の一大プロジェクトとなっていることに、
天理教の布教戦略の手詰まり感が否めない。
営業でいばヤクルトを郵送で送るかヤクルトレディを動員するかの違いでしかない。
そもそものヤクルトの品質を高めるという議論こそが今の天理教には喫緊に必要で
あろう。未来の天理教を真剣に議論した結果として「この人なら」という人間が
選べない古い輪番制組織である。どれほど良心的な私でも、
今後の天理教に明るい光を見出すことは到底無理であると思うニュースであった。 26系統 平日 朝・夕の
JR郡山駅 〜 シャープ前の、この区間って結構、狭隘で見応えあるだろうな
https://goo.gl/maps/MFFevqKsCkC2 >>682
なるほど。
あちらの、新県総合医療センターが開院したあと
今の平松の方の現バス停はどういう名称になるだろね。
変更するのだろうか。 おお、バスの走行路線とかバス停位置とかがわかるようになったのか。
資料整理に役立つわ。
あとは公式情報として路線名称と系統番号一覧があれば。。。
いまのところnako-clubくらいしか見つからない。 しれっと赤膚山から六条山方面に向かう路線復活してんだなw 時刻表のフォーマット変わったんだな
停留所の掲示も 信者の自主性を偽装した集金方法を今も採用している搾取の天理教
天理教を知っている人からも、まったく天理教を知らない人からも
「天理教の金の動き」について問い合わせがある。
その度に説明するのは骨が折れるので、図を書いてみた。
天理教の収入の多くを占める「お供え金」について。
天理教は「天理教教会本部」を頂点としたピラミッドになっている。
本部ー大教会ー分教会ー布教所 という流れである。
大教会は約160箇所、分教会は約1万6千箇所となる。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/wp-content/uploads/2015/08/12.png >>686
学園前駅から直通じゃないのが、奈良の道路の駄目さ加減か。 教会、大教会、本部それぞれの段階でオリジナルな信者を抱えている。
各教会や教会本部の神殿(参拝場)には賽銭箱が供えられており、
神社と同様にお賽銭を入れる。
しかしこれらは一人あたり数円から数百円が多く、
収入としては大きくはないと聞いたことがある。
実際に教会の賽銭箱を覗いてみればわかる。 奈良交通自動車学校はセクハラ先生多いから気をつけてくださいね。
N川先生は特に注意!!
教習中に『好きな男いてるの?彼氏は?』とか聞いて誘ってくるよ。
何人も泣いてる超浮気野郎。 天理教の集金で最も大きな比重を占めるものは毎月の月次祭(つきなみさい)で
集められる「お供え金」である。
各教会には必ず決められた日に月次祭がある。
信者はその日(もしくは前後)に教会にのし袋に入れてお供えする。
のし袋には上に「御供」と書き、下にお供えした者の名前を書く
(下記資料写真、名前は仮名)。それを月次祭の際に教会の人に手渡す。
教会で集めらえたお金は、集計され一括して上級教会の月次祭に持っていかれて
「お供え金」として上納されるのである。
最終的には奈良県天理市の教会本部の毎月26日の月次祭に集められることになる。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/wp-content/uploads/2015/08/%EF%BC%90.png 天理教本部のお供え金は2013年は約120億円であることは既報の通りである。
各教会は、全国に1万6000箇所ある。
つまり各教会は、年間約70万円余りを上納していることになる。
しかし、事情教会と言われる機能不全な教会も多く、
各教会でのお供え金のバラツキは非常に大きい。
また集金したお金の全額を上納していることはなく、
集金した中から教会家族の生活費などが抜かれているようである。 信者にとっては毎月の「お供え金」は署名入りなので、
非常に心理的・経済的な強制になっていることは言うまでもない。
「お供え金は気持ちでいい」という天理教人がいたら気をつけるべきである。 お供えの袋は署名入りのため、教会の人間には誰がいくらお供えしたのかは明白である。
そして金額が高いと「いい信者」で、
低いと「頑張っていない信者」となることは当然の帰結である。
天理教がヤクザやネズミ講と例えられるのは、
こういったピラミッドの上下システムにあることは間違いない。
天理教は別名「搾取の天理教」と昔から言われているのは
こういったシステムが原因であろう。
おつとめの歌の一節である「悪しきを払うて助けたまえ」を
「屋敷を払おうて田売りたまえ」と変換され、
屋敷や田んぼを売ってでも金を作ってお供えしろという
天理教を揶揄する言葉が昔からある。
しかし署名入りのお供えなど、こういったシステムが今も残っている以上、
現在も「搾取の天理教」に対して反論はできない。
「お供えは強制ではない」という天理教の人間がいたら、その教会の
お供え金システムに匿名性が保証されているかをきちんと確認した方がよいだろう。 私はこうした半強制的な集金システムが天理教の害悪(衰退)の根源であると
考えている。
信教の自由の下で、自由意志であるべきはずのお供え金に署名を求めるというのは、
解釈によっては信教の自由を侵害するような人権侵害になるとも考えている。
今年の6月に暴力団の上納金は所得税として扱われ、
工藤会トップが脱税で検挙される事件があった。
暴力団と宗教法人の天理教を同列に扱うことはフェアではないが、
天理教の莫大な金額の不透明さを考えると、
天理教内の本部への上納金に対しても贈与税や所得税をかけるべきであると
私は考えている。
宗教法人への課税は、本来であれば私は反対派であるが、
賛成派にならざるを得ないほど天理教のお金の流れは不透明であると考えている。
(参考:天理教の財政に関する記事) 高校生を対象に合宿を開催して「天理教大好き」「天理教素晴らしい」と、
自己判断ができない未成年を短期間で洗脳のように意識変化させるのは結構だが、
天理教の権力と
金の暗部をひた隠しにしていてはカルトと何が違うのか私には判断できない。 少なくとも、この署名入りのお供え金システムを採用している教会には
決して近づくべきではない。
初めてこの封筒を見せられたとき、私は「天理教は恐ろしい。しんどなるわ」と思った。
こういった感覚は天理教人にはないのだろう。改めて宗教は怖いと思う。
この袋がなくても天理教の教えを信仰することはできるはずである。 >>691 六条山・西ノ京駅から学園前駅直通はあったが、逆は無かったな。
63系統六条山。山の読みを変えれば「ろくじょうさん」とも読めるから、わざとこの数字を充てたのかねw
長らく続いたこの行先表示は金曜日を最後に見納めですな。
富雄駅から奈良駅の40系統の廃止で、熊取交差点から東坂交差点の間を定期バスが走るのも
同日で見納め。 最近よく言われるのが、
「天理教の評判を下げることをやっている人間は、
天理教の中のごく一部の人間であるから、
天理教全体を悪く言うようなことはやめるべきだ」である。
気持ちは非常によくわかる。
しかし意地の悪い返事をするのであれば
「あなたはそれを知っているのに声をあげないのですね。
陽気ぐらしというのは、天理教で苦しんでいる人を無視することですか?」
と言いたい。
(言わないけど) >>699
屋敷をはろうて、首つ○たまえ。
スレタイに関係ないことを書かないで! フォローをするわけではないが、
私がこれまで俎上にあげてきた話題や経験談は天理教の一部の人間によるものである。
だから人を苦しめない天理教人には少しの敵意もない。
むしろ教えに基づく社会貢献をされている方も多く応援したいと考えている。
しかし、私は「天理教は素晴らしい」と言うつもりは全くない。
なぜなら、その一部の人間を生んでいるのは、天理教の構造的欠陥だからである。
つまり、天理教の一部といえども、それが天理教組織の方針であったり、
悪を知りつつ声を上げようとしない天理教人は、
すべて共犯関係にあると私は認識している。 私がこれほど天理教にコミットするのは、私の知り合いの、
昔から懇意にしてもらっている天理教の方が実際に苦しんでいるからである。
特に若者が天理教に苦しめられていることを知った以上、
力になってあげたいと強く思っている。
最近、以下の天理教掲示板が賑わっている。
書き込まれている多くの方が天理教関係者か、元関係者だと思われる
(天理教被害者の方も含む)。
http://6706.teacup.com/5051/bbs ここに記載されている体験談や経験談は、
私が経験し発言してきたことと重なることが多い。
もちろん教義の解釈などについては私の理解が追いつかない点も多いが、
強引なお金の取り立てや権力の暴走は複数の方が同じ文脈で発言されていることは
着目すべき点であろう。これを一部として済ませてしまうのは、
臭いものには蓋をしてしまえという隠蔽の意図が見え隠れする。 天理教の構造的欠陥については、
実の親ではないが「理の親」と呼ばれる信仰上の親の権力性が天理教にはある。
私理解では、この理の親は本部や大教会長や会長を指すことが多い。
この権力性が強いために様々な問題が生じている。
・若者の婚姻関係にまで第三者である大教会長や会長が意見したり介入したりする。
・結婚式を教会本部であげさせない大教会長のルールがある。
・天理教一れつ会という奨学金財団では、信仰上の権力者である「理の親」
(大教会長)の署名を求める。
・天理教施設である詰所に在籍する天理大学生は天理教行事に参加しないと、
大教会長から退居するように脅迫される。 上記の事例は、これまで私が証言と証拠とともに集めた事例の一部である。
そしてこれらこそ、天理教本部の組織や、宗教法人天理教教会本部の責任役員の組織
(大教会)でおこなわれていることである。
責任役員ということは、天理教の政治的、法的決定をおこなう中心的幹部である。
このことをもって、私は「天理教は間違っている」ということをの一部の人間で
終わらすことは決してしない。
もう一度言う、天理教の構造的欠陥を維持しているのは天理教責任役員でしかない。
法的権力もリーダーシップもない真柱などどうでもよい。 私はこれまで、上記の事例については、その都度、奈良県、天理市、京都市などの
相談窓口や該当部署に通告している。
話は親身に聞いてくれるが、私が当事者本人ではないということで
事例に対して対応はとれないということであった。
人権窓口は基本的に通告すれば対応の結果まで教えてくれることになっている。
私も当事者に確認の上で対応までは求めていないため、
行政報告という点で留めてもらうように働きかけている。きちんと声をあげて、
上記のような天理教で頻発する類似のトラブルを知ってもらう段階と考えている。 4月 20・21・22日
田原本 レスティ唐古・鍵に、ボンネットバスが来る googleで「天理教」と検索する。
検索結果の最初の画面で、天理教に批判的なサイトが半分くらい出てくる。
ほとんどが匿名の掲示板である。凄い、というか怖い。 以前、天理時報で天理教幹部が信者に対して
「あまり天理教のことをネットやブログで発信しない方がいい」
というニュアンスのことを発信していた。
その結果かどうか分からないが、
ネットでは天理教人が管理者と思われるサイトは少なく(検索上位には出てこない)、
天理教を批判するサイトばかりが目立つ。
天理教人によるネット発信機能を抑制すると、このままいくと天理教と検索すると、
天理教を批判するサイトでネットは埋め尽くされることになりかねないのでは
ないだろうか。特にネットというツールはネガティブな拡散速度が速い。
以前のようにネットの情報は信頼できないと言って相手にしない対策は、
どこに向かうのだろうか。
本当に天理教幹部が天理教人の発信機能を抑制したいと思っているのであれば、
こういった対応は本当に「社会を何も分かってない状態」ではないだろうか。
社会の潮目がまったく読めていない。 むしろ天理教人にどんどん発信させて、
「天理教」とググれば天理教の有益な情報が溢れる方が
天理教にとってはいいことなのではないだろうか。
私のように、私がいい加減なことを言っても、
読者が「言ってることは間違いだ」と訂正してくれる方もいるし
「言いたいことは、こういう意味なんだよ」と私に替わって説明してくれる方も
いる。
私は読者に助けられている。 天理教幹部の中には、実は天理教の転覆を望んでいる者がいるということなのだろうか。
どっちにしろ社会と天理教は逆方向に進んでいるようだ。 信念を社会の動きに向けなおすべき
ネットにあふれる天理教批判サイトですが、
その大半が広い意味での教内者・教内関係者による内部批判・内部告発サイトです。
アクセス数が多いので常に上位にヒットするわけです。
ある意味、こんなに内部批判や内部告発の多い宗教も他にはないでしょう。 その一方で、各教会や教友レベルでのものもじつは沢山あります。
でも、これらはつまらないので、関係者しか見ない(関係者すら見ない?)ため、
決して上位に来ないだけです。
いくら天理教人が今後、たくさんサイトをつくっても、
これまでと同じようでは残念ながらだれも見向きもしないでしょう。
作り方のコンセプトを変えないとまったくダメですね。 でもなにより根本的な問題は、これだけ内部批判・内部告発が多いのに、
かんじんの批判される対象である教会本部や教会制度などについて、
教団組織の側は何の積極的な反応もせず、
またこれらの批判を受けて何の改善策も講じないことです。
こんなありさまだから、天理教幹部が天理教の転覆を望んでいると
思われるのもうなずけるわけです。 すでに天理教改革・改善の方策提案は出尽くしている感もあります。
封建時代さながらの本部−大教会−分教会の教会制度は見直すべきというのは、
ネット時代以前からずっと言われ続けてますね。
しかし、なんの有効措置も出されないため、
残念ながら下部ないし末端のほうから次々と立ち行かなっている教会
(事情教会と言います)が増加し、
今では全教会の3分の2になっているという指摘もあるくらいです。
社会のほうを向いて活動しない教団は、社会から見捨てられるだけです。
信仰のエネルギーを外向きにもっと生かす(歓待精神の発揮など)だけで、
ずいぶん違ってくると思います。
自分の代で大教会を解散し、部内の教会をすべて教会本部直属にすると宣言する
大教会長でも現われれば、それが直属レベルでの起死回生の策になるかも
しれませんが。 知は力なり
現在の天理教の状態を一言で表すと、看板と中身が違うということでしょか。
どこがどう違うのかは、自分で勉強するしかないでしょう。
教団は、その事実が知られれば、信任を失うことは確かだと思うので、
公表はしないでしょうから。
改革は、誰かさんがこうしてくれたらとか言っているうちは、
何も変わらないでしょう。
自分の行動を変えていくことが必要でしょう。
「知は力なり」です。 マインドコントロール(洗脳)について
私はあまりテレビをじっくりと見ないが、朝は出勤前の準備をしながら天気予報なり、
ニュースなりを聞いている。
最近、必ずといっていいほど耳にするのが「女性お笑い芸人オセロ中島」のニュースで
ある。
詳細は調べる気にもならないが、彼女は霊能者と出会ってから調子を崩し、
その後テレビから姿を消したようだ。
それがワイドショーのネタとなっているだけの話である。
現時点の論調として、
彼女はその霊能者からマインドコントロールされているとのことだ。
こういった芸能人が宗教団体にハマる話題は度々ニュースになる。
オウムでは社会問題にさえなった。 天理教では、こういったことがニュースになったことは私の記憶ではない。
あったとしても天理教の雰囲気からは難しい。
なぜなら天理教は例外なほどオープンな宗教である。
天理教の聖地である「ぢば」には、信者じゃなくても誰でもいつでも入れるのである。
365日、24時間である。
さすがに中心点である「甘露台」周辺(20m四方くらいかな)には入れないが、
見る事はできる。
このオープンな姿勢は、天理教の安心感でもあると思う。 >>728
天理教の広報担当かとオモタ
オームの例があるし しかし話はマインドコントロールとなると注意しなければいけないのではないだろうか。
結論として、どこからがマインドコントロールで、
どこまでが自発的意志かという線引きは、心理学でも社会学でも結論は出ていない。
宗教学者の島田裕巳は、今回のオセロ中島件について
「マインドコントロールではなく、本人の心の問題」と言っていた。
http://gendai.net/articles/view/geino/135292 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています